「────っくし!」

 ビル街で話している彼女たちから離れた住宅街。
 柳場 駿(やなぎば しゅん)はひとつクシャミをした。
 夕陽に輝く金髪に黒い学ラン。その中は赤いTシャツで、軽く捲り上げた腕には絆創膏が貼られている。
 この地区で有名な不良が多い高校の学生である彼は、特に怪我を気にすることもなく、むしろ機嫌良く腕を振りながら帰宅していた。
「うぁー、俺は花粉症じゃねぇんだけどなぁ」
 駿は軽く鼻をすする。
 入学式から一ヶ月と少し。昔ならばまだ春と呼べる時期だっただろうけれど、温暖化が進む今、もう気温は夏の存在を嫌でも感じさせられている。
 夏はお祭りや花火など、色々なイベントがあって好きだが、あのうだる暑さは本当に勘弁して欲しい。
 でもまぁ、寒さよりも暑さの方がまだ得意ではあるのだけれど。
「ただいまー」
 特段目立つことのない一軒家に帰れば、柳場 鈴音(やなぎば すずね)が丁度靴を脱いでいるところだった。
「鈴音!」
 彼女を見て一気にテンションが上がり、両腕を持ち上げる。
 突然の万歳だが、鈴音からすればいつもの様子のため、驚くことはない。
「あ、お兄ちゃんおかえりーー」
「ただいま! 鈴音もおかえり!」
 笑顔で出迎えられた駿はデロデロに溶けた笑顔で何回も頷いた。
「いやぁ、何度見ても制服めっちゃ似合ってるなぁ。お前の為の制服っつっても過言じゃないぜ」
 視線の先で黒色のロングヘアがサラリと茶色いブレザーの肩の上を滑る。
 赤いストライプのネクタイに、それに合わせたカラーと模様のスカート。胸元の校章は進学校のもので、水戸黄門の印籠のような役割を持つ。
「何度見ても素晴らしい」と続ければ、鈴音は呆れた声音ながらも嬉しそうに笑った。
「もう入学してから一ヶ月以上も経つんだよ? いい加減見慣れたでしょ」
「いいや見慣れないね。美人で可愛い妹の制服姿だ。見つめながら大盛りの飯三杯は余裕で食える」
「本当にそれやりかねないからすごいよね……」
「へへ、兄ちゃんを褒めても何も出ねぇぜ」
「まぁ褒められてるのはお兄ちゃんじゃなくて私だからね」
「何度だって褒めてやる!」
「今日はもうお腹いっぱいなので、明日また褒めてくださーい」
 カバンを持ち直して家に上がった鈴音に「任せとけっての」と駿も続けば、突然彼女はハッと振り返り、両手でこちらの肩を掴んだ。
「うお⁉」
「そうだよ、今度はお兄ちゃんが褒められる番だよ!」
 力強く揺さぶられ「なんだなんだ」と声も一緒に揺れる。
「昨日投稿した歌、またバズり祭り! 絶賛の嵐だよ!」
「お……おおお! そうかそうか!」
 一瞬なんの話か分からなかったが、すぐに思い出せて良かった。満面の笑みの妹は先ほど制服を褒めた時よりも嬉しそうで、駿も一緒に嬉しくなってしまう。
「さすが鈴音、選曲がピカイチだな」
「ちっがーう! お兄ちゃんの歌がすごいの! 歌うまなの!」
 ブンブンと首を横に振る。サラサラロングヘアが揺れるのを見て、毎日ケアして頑張っているもんな、と心がほんわかする。しかしその心境はバレバレなようで、「お兄ちゃん!」と睨まれた。美人は怒った顔が怖い。反射的に背筋が伸びた。
「はいっ!」
「私じゃなくて、不良犬であるお兄ちゃんがすごいんだからね。いろんな人が認めてくれて、沢山の人が聴いてるの。そこんところお兄ちゃん分かってる?」
「うんうん。分かってる分かってる」
「本当かなぁ」
 大きな溜息にどこか不満げな表情。そんな顔はさせたくないと駿は鈴音の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ちゃんとわぁってるよ。俺が歌ったのが鈴音だけじゃなくて、他の人たちも喜んでくれてること」
「それなら、いいんだけど……」
「次もまた選曲と投稿、よろしくな」
 ニッと笑えば、ようやく満足げに鈴音も「うん」と微笑む。やはり妹にはいつだって笑顔でいて欲しい。
 やっぱお前は可愛いなぁ、とまた笑顔が蕩けそうになれば、玄関の向こうのリビングから母親の声がした。
「ちょっと二人とも帰って来てるんでしょー? いつまでも玄関で話してないで、家に上がりなさーい!」
「「はーい」」
 二人は声を揃えて返事をし、「行こ」と歩き出す。
「ただいまー」と改めて帰宅を告げれば、夕食の準備をしている母がキッチンから顔を出して「おかえり」と笑った。さすが親子。その笑顔は先ほど見た妹とそっくりだ。
「あ、駿。またケンカしてきたでしょ」
 ダイニングキッチンからでも目ざとく腕の絆創膏を見つけられる。だがそれを隠すことなく、否、むしろ自慢するように腕を見せつけた。
 それに母は目を細めて言う。
「勝ったの?」
「おうおう勝ったぜ! 勿論勝ちましたとも!」
「よし。相手の怪我は?」
「最低限!」
「尚良し」
 サムズアップをしてくる母に、駿はピースを返す。それに鈴音もダブルピースで加わった。
「お兄ちゃんの歌も大好評だよ」
「あらあら、トリプル良しね」
 フライパンで何かを焼いている音の中で「でも」と母は続けた。
「不良犬だとバレないようにしなさいよ。ケンカ、出来なくなっちゃうからね」
 その言葉に、うっ、と駿は表情を歪める。
「ガチで気をつけマス……」
「何かあったら相談、約束ね。鈴音も」
 何度も聞く台詞だが、大切なことだ。子供二人はきちんと返事をした。両親が心から心配しつつも見守ってくれていることはちゃんと知っている。それでもやりたいようにやらせてくれているのだ。聞き飽きた言葉でも感謝しなければ。
(ケンカ出来なくなるのは嫌だからなぁ)
 自室に戻り、制服を脱いでいく。
 絆創膏が貼られている腕以外にもあちらこちらに小さな擦り傷があった。駿にとってはそれが男の勲章みたいで誇らしい。
 だが不良犬としては必要ない、むしろあってはならない傷だ。殴り合いを良しとする世間ではないのだから。
「バレないように気をつけねぇと」


 ケンカ大好き不良高校一年。
 柳場駿が現在大人気の歌い手、不良犬であることは最大の秘密である。