文化祭当日。
 面白みもない校舎が段ボールや折り紙に彩られ、どこか誇らしげに胸を張っている。
 揃いのクラスTシャツに身を包んだ生徒たちが呼び込みをしたり、パンフレット片手にどこに行こうか話し合っているのを横目に僕の足は自然と速くなった。
 この空気感はなぜかワクワクさせられる。

 「お買い上げありがとうございます」

 野元さんが描いた漫画を受け取り、僕は折れないようにファイルに入れた。
 僕は漫画研究部がある旧館に来ていた。この館は主に部活や同好会が出展している。
 クラス単位で出す店とは趣向が異なり、それぞれの得意分野を全面的に出しているのでクオリティが高い。
 美術部はルーブル美術館をイメージして、そこに展示されている彫刻や油絵に似せたもの飾っている。
 須津くんが描いたダ・ヴィンチの「モナリザ」は本物ようだった。

 「読んだら感想言うね」
 「いや……それは死ぬ。でも男子のBL感想聞いてみたい。でも東くんには言わせちゃいけないような気もする」
 「どういうこと?」

 野元さんは頭を抱えてしまって僕は首を傾げた。同性同士の恋愛に片足を突っ込んでいる身としては興味がある。帰ったらじっくり読もう。
 野元さんの目は虚ろで、いつもぴっちりと結ばれているポニーテールがボサボサになっている。
 さっきまで原稿を描いて、徹夜をしていたらしい。
 段ボールを一緒に塗って以来、僕たちは仲良しになっていた。

 「三谷くんは? 一緒に回るって言ってなかった?」
 「那生は部活の方に行ってる」

 那生と文化祭を回れると楽しみにしていたが、サッカー部の出し物に駆り出されてしまったのだ。
 仕方がないので一人で店を回っている。もちろん那生のとこもこの後行く予定だ。

 「サッカー部は毎年すごい人気だよね。フランクフルトをなぜか半裸で売るし」

 そうなのだ。サッカー部は毎年半裸になって校内を練り歩く伝統があるらしい。
 去年の僕は展示だったので、ほとんど教室にいたから知らなかった。野元さんに教えてもらって驚いたくらいだ。

 (那生が言わなかったってことは知られたくなかったのかな)

 半裸になってフランクフルトを売っている姿は面白い。しかも顔面偏差値の高いサッカー部がやっているとなると女子が群がりそうだ。

 (那生はすごく人気だろうな)

 去年はどうだったのだろうか。知らないのが悔やまれる。
 いや、そもそも去年まで那生とは目すら合わせていない。知っていても見に行かなかっただろう。七月の文化祭の出し物を決めるときに話したのが五年ぶりの会話だ。
 そう考えると那生と話すようになってまだ二か月足らずだと気づく。
 どれだけ空白があっても那生と一緒にいると昔に戻った気分になれる。でも僕はまだ無視した経緯を謝っていない。
 なかなか話せる機会がなく、いまだにモヤモヤは絡みついていた。

 「あ、噂をすれば」

 野元さんが指さす方を見るとがたいのいい半裸を晒し、フランクフルトを持って練り歩いているサッカー部の集団がこちらにやってきた。女子から悲鳴のような歓声が上がっている。

 「三谷くん、こっちみて」

 一番背の高い那生は女子に名前を呼ばれると恥ずかしそうに会釈し、部員たちからからかわれていた。
 ずきり、と胸の奥が痛む。何度経験してもこの痛みは慣れない。
 僕に気づいた那生が手を上げて近づいてくれた。

 「こっち来てたんだ」

 爽やかな笑顔と半裸を前に僕は目のやり場に困ってしまう。鍛え上げられた腹筋や胸筋が男らしいのに、甘いルックスとのギャップがある。

 (これは反則だ)

 僕はリュックの持ち手をぎゅっと握って、下を向いた。

 「うん。野元さんの本を買いに」
 「へぇ~俺も読んでみたい」
 「それは私に死ねと言ってるのと同じだからやめてください」
 「ん? うん?」

 本を隠すようにひれ伏した野元さんに那生は首を傾げた。
 なにもそんな恥ずかしがる必要ないのに。

 「この子が噂の翡翠ちゃん?」

 那生と一緒に練り歩いていた部員が横から顔を出してきて驚いた。いつの間にかサッカー部に囲まれてしまっている。
 僕は指先もつま先もぴしっと伸ばして固まってしまった。みんな僕より背が高いせいで圧迫感がある。

 「は、はい! 東翡翠です」
 「いつも三谷から話聞いてるよ。目がくりってして本当にかわいい。前髪切ればいいのに  ぐわっ! なにするんだよ、三谷!」
 「翡翠に近づくな脳筋」
 「なんだよ、それ。いつも話聞いてやってんだからいいだろ」
 「よくない離れろ。筋肉がうつる」
 「どういう意味だよ!!」

 あまり見ない那生の暴言に僕は目をぱちくりとさせた。普段僕にはやさしくしてくれるけど、部活のみんなの前だと年相応の粗悪さがでるのか。そういえば山内くんたちにもそうだ。
 また違った角度から胸を抉られてしまう。
 僕にだけ態度が違うということは、昔のことを気にしているのだろうか。

 「顔赤いけど、大丈夫?」

 那生に顎を掴まれてはっとした。視界いっぱいに半裸の那生が映り、ぽんっと頭上で噴火する。

 「だ、大丈夫。ここ暑いよね」
 「ならいいけど。具合い悪かったらすぐ言えよ?」
 「うん。ありがとう」
 「てかそろそろ控室集合時間だよね。翡翠、一緒に行こう」
 「うん」
 「えぇ~まだフランクフルト売り切ってないだろ」
 「あとは任せたぞ、副部長」

 那生は看板を副部長に押しつけて、僕の背中にそっと触れた。
 まるでエスコートされているみたいでドキドキしてしまう。

 「うわっ、三谷やらしい。さりげなくボディタッチしてんの」
 「うっさい! 無視していいから」
 「うん。あの……失礼します」

 僕はぴょこんと頭を下げて、那生と共に控室へと急いだ。野元さんは漫画研究部に引継ぎをするらしく後で来る。
 僕たちのクラスの控室は理科準備室を割り当てられた。すでに衣装に着替えた主演組を見ると気持ちが引き締まる。
 だが教室の中央に人だかりができていて、那生が急いで駆け寄った。

 「なにかあった?」
 「まりりんが怪我しちゃって」

 右腕に痛々しい包帯を巻かれた河野さんが木製の角イスに座ったまま、項垂れていた。話を聞くとどうやら階段に躓いて手首を捻挫してしまったらしい。
 保健室で処置を受け、先生からは安静にするように言われているそうだ。

 「これくらい大丈夫。私、やれるよ」
 「でもジュリエットを抱き寄せてダンスするシーンあるでしょ。それに剣で戦ったり」
 「ちっとも痛くないから平気!」

 友人たちの心配をよそに河野さんは笑顔を浮かべている。でもその額に尋常じゃないほどの脂汗が浮かんでいた。無理をしているのは明白だ。

 「誰か、セリフ憶えている人いる?」

 山内くんは教室を見渡したが当然みんな首を横に振った。主演組はそれぞれ出番があるし、裏方組は内容をわかっていてもセリフまで暗記できていない。
 音響、照明、ナレーション、小道具の設置などそれぞれみんな役割がある。
 重苦しい空気の中、僕は手を挙げた。

 「僕、憶えてるよ」
 「本当か、東!」
 「動きも全部わかってる。みんなが練習するのを毎日見てたし。でも」

 憶えているからといって演技ができるわけではない。山内くんたちが努力して積み上げたものを一度も練習に参加していない僕が預かっていいものか。
 それにロミオは主役で出番も多い。
 三谷がぽんと手を叩いた。

 「じゃあ翡翠が舞台に出て、河野が動きに合わせてセリフを言うのは?」
 「それ、いいな!」

 那生と山内くんがハイタッチをすると、「いいね」とみんなも賛同してくれる。
 けれど河野さんの気持ちがなによりも大事だ。

 「河野さん」

 僕は視線を合わせるように膝をついた。いつも笑っている目元が涙でぐしゃぐしゃになっている。

 「絶対に成功させよう。僕、頑張るから」
 「うん……!」

 河野さんが捻挫をしていない左手を差し出したので、僕はやさしく拳をぶつけた。





 スポットライトが熱い。
 観客の視線もじりじりと僕の肌を刺し、呼吸一つでも気を使い、額に汗が滲む。
 でも拭うわけにもいかない。いま僕はロミオなんだ。

 『おぉ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの』

 段ボールで作ったバルコニーの上に那生が立ち、天井からぶら下がっている月に向かって嘆いている。僕は舞台袖から顔だけを出し、ジュリエットを見上げて口を開く。

 『黙って声を聞いていようか。それとも声をかけようか』

 河野さんが僕の動きにピッタリと合わせてセリフを言ってくれる。本番前に一度リハーサルをしたけど、ほとんどぶっつけだ。
 僕が立ち位置を迷いそうになると那生や山内くんたちがすかさずフォローしてくれるお陰で、滞りなく舞台は進んでいる。
 場面は次々と変わり、残すはクライマックスだ。
 僕は舞台中央で眠る那生の顔を覗いた。こんな熱いスポットライトを浴びても那生は汗一つかいていない。
 光は絞られ、本当に月夜の下にいるような錯覚を覚える。

 『ジュリエット……』

 仮死の毒薬を飲んだジュリエットの死に顔に僕の胸が張り裂けそうになる。気持ちは完全にロミオと一体化していた。

 『私も後を追って死のう』

 ポケットから小瓶を取り出して飲もうとすると背後でミシミシという嫌な音がする。
 振り返ると同時に段ボールで作った教会が崩れていた。その一部が僕たちの方に落ちてくる。
 僕は咄嗟に那生を守るように被さった。きゃあと悲鳴があがる。
 ぎゅっと目を瞑り、くるべき衝撃に備えていたが一向にやってこない。
 恐る恐る瞼を開けると那生が僕を抱きしめながら、反対の手で段ボールの教会を押さえていた。

 『ロミオ様!』

 こんな状況でもお芝居は続くらしい。仮死状態のジュリエットがロミオを抱きしめてしまっている。こんなの物語通りではない。 
 次にどうすればいいのかわからず、那生の出方を窺った。
 那生は倒れてきた段ボールを跳ねのけ、僕を横抱きにして立ち上がる。いわゆるお姫様抱っこだ。
 ドレスを着たジュリエットがロミオを抱えてしまっている。観客たちが啞然としたようすで舞台に視線を向けていた。
 見上げると那生はきゅっと口角を上げた。

 『迎えに来てくださって嬉しい』 

 僕は那生の背中に腕を回す。

 『ジュリエット……愛している』

 今日初めて舞台上でセリフを言った。すんなりと出てきたのは僕がもうロミオだったからかもしれない。
 那生の顔が近づいて、僕はぎゅっと目を瞑った。ジュリエットのカツラがうまく隠してくれたので周りから見ればキスをしているように見えただろう。
 一部から悲鳴があがっている。
 でも実際はなにもされてない。カツラという要塞に閉じ込められた僕と那生の瞳がただお互いを見つめ合っていた。
 そこでナレーションが入り終わりを告げると割れんばかりの拍手が起こった。
 指笛を吹いたり、立ち上がってくれている人もいる。
 僕たちはようやく身体を離して、観客に向かって手を振った。

 「以上、二年三組の「男女逆転ロミオジュリエット」でした」

 出演組も裏方組もみんな舞台に上がり、見てくれた観客たちにお辞儀をした。
 手を握られ隣を見ると那生が僕を見つめてくれている。
 僕たちは握りあった手を再び高く掲げると歓声はいつまでも鳴りやまなかった。