修学旅行は京都大阪の二泊三日だ。朝の七時に東京駅に集合し、みんなで新幹線に乗る。
車内は僕たちの学校が貸切ということもあり、みんなかなりリラックスして過ごせていた。先生たちは注意しながらもその言葉にあまり本気度は感じない。
「まさか三谷くんと同じ班になると思わなかった」
「それな」
「一軍女子の視線が怖い……あ、またこっち見てる」
「……迷惑かけちゃってごめんね」
僕は野元さんたちに頭を下げると彼女たちは「なんてね」とおどけて笑ってくれた。
野元さんたちは三人掛け、僕と那生は二人掛けの座席なので班は横一列になる席順だ。
でも移動中の車内は自由に席を行き来できるので、那生は山内くんたちがいる車内前方の方に移動している。
僕は通路に立ち、野元さんたちに何度目かの謝罪をした。
「いや〜いいネタを提供してもらえそうでワクワクしてるよ」
「……なにを描かれるんだろう」
野元さんたち三人は色んなジャンルの漫画を描いている。少女漫画やスポーツ漫画、青年向けのやつまで多種多様だ。
特に最近ブームなのがBLらしく、文化祭で発行した同人誌は完売するほど大盛況だったらしい。
でも次の新刊のネタに困っているそうだ。その手助けをするなら那生を班に入れてもいいと言ってくれた。
その条件が野元さんたちのリクエストに応えて僕と那生でポーズをするというものだ。抱き合ったり、腰に手をやったりとする、らしい。
僕たちが付き合っていることは知らないはずなのに勘が鋭すぎないか。
人の目のないところならいいと言ったけど、どうなるんだろう。
反対に那生たちは揉めていた。
河野さんを始めとするいつも那生と一緒にいるメンバーと一悶着あったらしい。
男三人、女三人の六人はクラスで唯一許されるグループだ。他のクラスメイトも六人グループは那生たちに譲るつもりで、みんな五人グループを作ろうとしていたくらい浸透している。
だが那生が突然抜けると言い、河野さんたちが引き止めていたらしい。
何度も説得した結果、妥協案を出された。それはクラスで移動するとき那生は河野さんたちと行動を共にするという条件だ。
それを訊いたとき、僕は呆然と那生を見上げた。
でも物分かりよく「わかった」と頷くと那生は少しだけ困ったように笑っていた。
この前、一緒に通学したとき僕が逃げ出してから那生との会話は表面上変わりない。でも心を通わせているという感覚が感じられなかった。
それもあり僕は修学旅行が始まってからずっとモヤモヤしている。
直接河野さんと話したわけじゃないけど、まだ那生のことが好きなのだろう。
班行動は主に二日目だ。つまり今日一日の那生は河野さんたちといることになる。
(楽しみだって言ってくれたのに)
ちくり、と針で刺されるように胸が痛む。
那生に好きと言われ、恋人として付き合ってはいるけれど、偏見を持たれやすい同性同士の恋愛の重さが肩にずしりとのしかかる。
こういうとき男女の恋人なら周りも気を使ってくれたのかもしれない。
那生と河野さんが揃っているところを見ると視界が黒く染められてしまう。
新幹線がレールを変えたのががたんと大きく車体が揺れた。僕は後ろに倒れそうになり、慌てて座席に掴もうとしたが間に合わない。
(ぶつかる!)
ぎゅっと目を閉じるとふわりと柔らかいものが背中を支えてくれた。
「あっぶねぇな。こんなとこ立ってないでちゃんと席座ってろ」
「……ごめん。ありがと」
「ん」
逞しい那生に後ろから支えられ、僕は尻もちをつかずに済んだ。ふわりと香る那生の匂いに肌がざわざわと落ち着かない。
でもこのまま密着していたい気持ちが膨らんでくる。
(どうしてこんなこと思うんだろう)
答えを求めるように那生を見上げた。
那生は目尻をきゅっと細め、うっとりとする笑顔を浮かべてくれている。
「どした?」
「あ……なんでもない」
起き上がろうすると背中に回された腕に力が込められる。離さないと言わんばかりの強さに僕は卒倒しそうになった。
「な、那生? もう大丈夫」
「まだ揺れてるから危ないよ」
「はぁ〜〜〜〜! 最高!! ちょっと二人ともそのままでいて。いまデッサンするから」
野元さんたち三人はいつのまにかノートを取り出し、僕たちを描き始めた。どうやら創作意欲を掻き立ててしまったらしい。
那生は僕の頬にぴったりと頬をくっつけて、にこりと笑った。なんたるサービス精神だ。
「ゆっくり描いていいよ」
「ありがとうございます、ありがとうございます!!」
三人はお辞儀をしながら器用にシャープペンを動かしている。
僕たちが騒がしくしているせいで、車内の視線が集まってしまい、ジロジロと不躾な視線をぶつけられる。
「人の目がないところって言ったじゃん……」
僕の訴えは誰の耳にも届いていなかった。
京都駅に着き、観光バスに乗り換えた。今日はクラスごとに清水寺や金閣寺などの名所を巡ったり、扇子作りを体験する予定だ。
「三谷!」
クラス一列で寺内を巡っていると山内くんたちが大きく手を振っている。那生は困ったように笑った。
「ごめん、行って来るね」
「うん」
約束をした手前呼ばれたら行くしかない。そういう生真面目なところが那生のいいところだと思うけど、山内くんたちを優先し過ぎてはいないか。
電車もバスもずっと山内くんたちと一緒で、那生が僕たちの班だと先生すら忘れている気がする。
クラスごととはいっても列は自然と班で固まっているので、山内くんたちの近くには当然河野さんの姿もある。
告白したとは思えないほど河野さんの様子は以前と変わりない。むしろ自分の気持ちを伝えられ、吹っ切れているのではないか。
いまだって平然とした様子で那生の肩に手を置いて、楽しそうに話していた。
いつのまにか握っていたこぶしに爪が食い込み、痛みで我に返り、僕は手のひらを撫でた。
「ほ~ほ~そうですか」
「野元さん……梟のモノマネ?」
「いまの東くんはいい絵になるなと思って」
「どういう意味?」
「顔に出てるってこと」
「顔?」
僕は自分の顔をペタペタと触ってみたけど、よくわからない。
野元さんはくすぐったそうに笑った。
「自分に訊いてみたら?」
「どうやって?」
「なんでもいいから。鏡よ、鏡~みたいな」
野元さんの言いたいことがわからなかったが、僕は胸に手を当てて心に問いかけた。
胸の中のモヤモヤはどんどん重さを増し、身体がずっしりと重たい。
粘っこい黒い渦が全身にまとわりついて僕を飲み込もうとしている。
「なんか気持ち悪い」
「やだ、吐く?」
「そういうのじゃないんだけど。食あたりかな」
「それだったら胃でしょ」
「じゃあこれはなんだろう?」
「なんでしょうね」
野元さんは入場券を丸めたり、開いたりを繰り返して答えをはぐらかしている。なぜ彼女には僕の気持ちがわかるのだろうか。僕自身まだよくわかっていないのに。
「自分の気持ちってね、他人から見た方がよくわかるんだよ。漫画と一緒」
「じゃあ自分がわかるにはどうすればいいの?」
「そんなの簡単だよ」
野元さんは入場券を小さく丸めて細い棒状にした。まるで決闘を申し込む騎士のように僕の眼前に突きつける。
「当たって砕けるしかない!」
休む間もなく観光名所を回っていたので、ホテルに着いた途端、僕はベッドの上に突っ伏した。ご飯を食べた満腹感も手伝って睡魔まで襲ってくる。
「……もう動けない」
「まだ初日だろ。そんなんであと二日持つの?」
「わかんない」
疲労を一切感じさせず、那生はトランクの整理をしている。僕も早く荷物を出さなきゃと思うのに関節が固まった紙粘土みたいに動かない。
ホテルはビジネスホテルで必要最低限のものしかない。ベッドが二つと小さな冷蔵庫、テレビ、鍵付きの金庫のみでユニットバスになっている。
飾り気もないシンプルな内装は僕の部屋のようで落ち着く。
「二人でこうして泊まるのは初めてだよな」
「そうだね。小学校の修学旅行は大部屋だったし、中学はクラスが違ったもんね」
「翡翠と二人きりで嬉しい」
「まぁ確かに気を使わなくていいよね」
たぶん須津くんが同室だったら、せっせと荷物整理をして風呂の順番を譲ったりしていただろう。いびきをかいていないか、歯ぎしりをしていないか気になって眠れなかったかもしれない。
その点、那生なら気を使わなくて済む。
ベッドの上にトランクを置いていた那生は「そういう意味じゃないんだけど」と頭を掻いていた。
最近多い那生のこの行動は僕の胸に引っかかりをつくる。
(また間違えちゃったんだろうな)
友だちから恋人になって、僕は那生との距離感がわからないでいた。どこからどこまでが友だちで、このラインを超えたら恋人になると明確な線引きがあるわけではないから難しい。
手探りで距離感をはかっているが那生の反応を見る限り、失敗の方が多いのだろう。
「先、風呂入るわ。あんまダラダラするなよ」
「いってらっしゃい」
那生はお風呂セットを持って、バスルームへと行ってしまった。
一人になると少しだけ寂しいようなほっとするような気持ちになる。
でも胸の靄は消えてくれない。
(当たって砕けろってどうすれば)
野元さんの助言は僕を惑わせる。なにをどう当たればいいのか見当もつかない。
雲を掴もうとするように自分の気持ちを言葉にできないでいた。わからないなら当たりようがない。そもそもどこに当たればいいのだ。
悶々としていると制服のポケットに入ったままのスマホが鳴った。画面を見ると真珠姉ちゃんから電話だ。
『あんたに買い物リスト送ったから買ってきてね』
「もしもし、とかなく最初にそれ言う?」
『別にいいでしょ』
真珠姉ちゃんの横暴は相変わらずだ。後ろで紅玉姉ちゃんの声も聞こえるから、二人は家にいるのだろう。
『那生との同室はどう?』
「いまお風呂に入ってるよ」
『いよいよって感じね』
弾むような真珠姉ちゃんの声に僕は首を傾げる。
「なにが?」
『なにって……ほら、ハグしたりとか手繋いだり二人きりじゃないとできないことあるじゃない』
「それってしなくちゃいけないの?」
『え?』
僕の返答に真珠姉ちゃんは固まってしまったようだ。呼吸音だけがノイズのように響いている。
那生に触れられるのは嫌じゃない。でもいまのままでも充分満たされている。
わざわざ触れ合ってどうするのだ。そこから先になにが生まれるのか。
恋愛未経験の僕にはさっぱりわからない。
「那生に触れられるのは……困る」
『それってどういうーー』
真珠ちゃん、と紅玉姉ちゃんの呼ぶ声が聞こえる。声の様子からなにかトラブルがあったのかもしれない。
「お土産は買えそうなら買ってくるよ。じゃあまたね」
『ちょっと、翡翠!』
真珠姉ちゃんの声を無視して僕は通話を切って、枕に顔を埋めた。



