文化祭が終わり、後夜祭か始まった。
せっかく何日もかけて作った飾りや舞台セットを崩し、ゴミ集積場に持っていくときの切なさは我が子を崖から落とすように辛いものがある。先生たちは非情だ、と山内くんと須津くんが肩を組んで泣いていたくらいだ。
須津くんたち裏方は主演組のリハーサルを観て感動し、一週間で舞台を作ってくれた。仲違いをしていた山内くんと須津くんだったけど、いまはすっかり意気投合している。
あっという間に見慣れた校舎に戻ってしまった。高揚感も一緒に連れて行ってしまったのか、どこかひっそりとしている。
僕は教室に一人残り、後夜祭をやっている体育館から漏れる音を聴いていた。
軽音楽部のライブや先生たちの出し物もあり、結構盛り上がる。ほとんどの生徒は参加しているらしい。
僕はなんとなく教室が別れがたかった。明日からも普通に学校があるのに文化祭、という大きな区切りがついたからだろうか。
ここで再び歯車が回ったのだ。
劇に決まって、数年ぶりに那生に話しかけてもらえた。そこから昔のように仲良くなり、一緒に出かけたり、勉強も教えてもらえまるで時間を取り戻すように一緒にいたと思う。それに最高の劇を作ることができ、劇部門で最優秀賞に輝くことができた。
たった二か月なのにいままでの僕の人生が霞むほど、濃密な時間を過ごせた。
「こんなところにいた」
扉を開けて那生が入ってきて驚いた。
「後夜祭に参加してたんじゃないの?」
「翡翠がいないから探してた」
「僕を?」
思い当たる節は一つしかない。
ーー祭りの続き、ちゃんと言いたい
僕の心臓は太鼓のように激しく打ち鳴らしていた。
那生の黒い瞳は夕日に照らされて、不安定に左右に揺れている。那生はごほんと咳払いをした。
「最初、翡翠に声かけるの緊張したんだよ」
「そうなの?」
『翡翠、得意だったよな?』と言った那生は思い返しても不自然なところはない。
「めちゃくちゃ緊張した。また無視されたらどうしようって。でもチャンスだと思ったんだ」
言葉を探すように那生は一度唇を閉じる。
「また翡翠と仲良くなれるキッカケになれるって強引に衣装係やらせて……ごめん」
「いいよ、そんなこと」
「俺が翡翠と話したいばっかりにほぼ無理やり劇に決めた。山内と須津が揉めたのは俺が原因だ」
「那生だけのせいじゃないよ」
山内くんや河野さんの策略もある。お互いの利益のための数が揃ったのだ。それは多数決ではよくあることだろう。
「山内と須津が揉めて、俺はどうすることもできなかった。なのに二人を取り持ったのが翡翠だし……俺、情けないとこばっか見せてる。呆れられても仕方がない」
萎れた花のように頭を落とす那生の横顔を見た。眉を寄せ、きゅっと目を閉じている。
不安そうな那生は初めて見るかもしれない。
きっとそうさせてしまったのは僕のせいだ。
僕が理由も言わず、那生を避けていたから傷つけて臆病にさせてしまっている。
「僕も那生に言わなきゃいけないことがある」
ぐっとこぶしを強く握った。
「いままで避けてごめん。僕は自分を守るために那生を裏切ったんだ」
僕はとつとつと昔の話をした。あまりに情けなくて酷い話だが、那生は頷くだけで最後まで聞いてくれた。
「僕がちゃんと言い返せればよかったんだ。どっちも好きだから譲りたくないって……傷つけてごめんなさい」
頭を深く下げた。
しばらくそうしているとくしゃりと頭を撫でられた。
「俺の好きな人教えるって言ったよね」
「うん」
顔をゆっくりと上げて那生を見た。夕日が差し込む窓から那生の顔に陰をつくる。まるで美術品に飾られた彫刻のような美しさだ。
「翡翠が好きだよ」
「……へ?」
僕が素っ頓狂な声をあげると那生はふっと笑った。
「変な顔してる」
鼻を摘ままれて、じわりと熱を帯びた。那生の言葉を咀嚼したいのに脳が思考停止して動いてくれない。
「子どものときから自分の好きなものを大切にしてる翡翠が好き。俺と付き合って欲しい」
両手を握られた。那生の手が震えている。
運動も勉強もなんでもできる少女漫画のヒーローみたいな那生が叫び出すのを堪えるように唇を引き結んでいた。こんなちっぽけでなにもできない僕の答えに怯えているのだ。
(怖がる必要なんてないんだよ)
僕は手に力を込めた。
「その……よろしくお願いします」
最後は消えてしまいそうな声だったけれど、ちゃんと那生には届いたらしい。
ぱっと向日葵のような笑顔になった。
「やった! 両想い!? よっしゃあ!」
握られた手をぶんぶんと上下に振られ少し痛い。でもそれだけ悦んでくれているのだ。
夢を見ているような心地で那生の笑顔を目に焼きつけた。



