ふみに閃理のことを頼まれてからさらに数日。
痛みはまだあるが、なんとか自力で歩けるようになった。
閃理との婚姻が成されるかどうかは分からないが、そろそろ一度天花寺家へ戻らねばならないだろう。
世話になった挨拶をして、一度戻ることを伝えよう。そう思っていた日の晩、閃理が怪我をして帰ってきた。
「閃理坊ちゃま!? そのお怪我は……!?」
ふみの悲鳴に近い声に、純佳は部屋でじっとしていることができず様子を見に玄関の方へと向かった。
そこで見たのは、辛そうに蹲る閃理の姿だ。その左肩が血と、何か別のもので黒ずんで見える。
黒い傷は昔見たことがある。神代の悪霊の名残である妖し者に付けられた傷だ。黒の傷は妖し者の人や神々への恨みが込められていて、傷そのものが呪いとなるのだ。おそらく、仕事で妖し者と対峙したのだろう。
「坊ちゃま、大丈夫なのですか?」
ふみが助け起こそうとしていたが、閃理に「触るな!」と鋭く叫ばれ留まった。代わりに純佳が進み出る。
「閃理様、そのお怪我は妖し者に付けられたものでは? 医者を呼びましょう!」
辛そうな姿を見ていられず、純佳も彼に近付く。黒の傷は只人が触れると呪いが移ってしまう可能性がある。閃理の拒絶に従い手は伸ばさなかったが、手当て出来る者を呼んだ方がいいだろうとふみを見た。
だが、閃理はそれすらも止める。
「いや、医者はいらない。傷そのものはすでに治っている」
「え? ですが……」
確かに軍部には治癒の異能を持つ者も待機しているだろう。だが、それならば何故黒ずみは治っていないのか。
疑問に思う純佳の意図を汲んでか、閃理は簡単に説明してくれた。
「傷は治癒の異能で治る。だが黒ずみは呪いだ。専門の祓い師でなければ治せない」
こんなときでも淡々と話す閃理に、どこか胸が締め付けられる。明らかに辛そうで、脂汗が滲んでいるというのにその顔はいつもと変わりない無表情だ。
【辛い】という感情すらないということなのだろうか。心がないということの異様さに、純佳は恐ろしさを感じる以上に苦しさを覚えた。
(これが、神代の異能を扱う者が背負う対価という呪い……なんて、悲しい……)
悔しさにも似た悲しみを覚え、純佳は唇を噛む。思わず滲む涙をこらえていると、閃理がふみに声を掛けた。
「問題無い。祓い師には明日診て貰えるよう話は通している」
今晩耐えればいいだけだ、と告げた閃理は、ふみに右側を支えるよう指示し自室へと向かう。辛そうな閃理を放っておけず、純佳もついて行った。
ふみの手によって詰め襟の軍服とシャツを脱いだ閃理は、そのまま崩れ落ちるように横になった。
肌着姿のまま布団の上で目を閉じた閃理の顔は無表情。だが、脂汗と荒い呼吸が辛さを物語っている。
「せめて、汗を拭きましょう」
閃理に毛布をさっと掛けたふみは、桶と手拭いを取ってくると言い急いで部屋を出て行く。
バタバタと大きな足音が遠ざかるのを聞きながら、純佳は閃理の名を呼んだ。
「閃理様……」
だが、聞こえていないのか瞼が上がることはない。意識が朦朧としているようで、呻く声だけがうっすらと開いた唇から漏れていた。
床に膝をつき、ちゃんと掛かっていなかった毛布を直すと、妖し者の呪いだという黒ずみが目に入る。今現在閃理を苦しめている原因。これがなくなりさえすれば、閃理は苦しまずに済むのだろう。
そう思って見つめていると、ふと昔の記憶を思い出した。
まだ異能が使えていた頃の記憶。あの頃は、このような黒い傷を何度も直していたはずだ。
閃理は先程、黒ずんでいる呪いの部分は専門の祓い師でなければ治せないと言っていた。だが、自分は昔黒ずみごと傷を治していたのだと思う。
七年以上前のことなので曖昧な部分もあるが、黒ずみだけが残ったことはないはずだ。
疑問に思いながら痛々しい黒ずみを見つめていると、治したいと強く思う。
純佳の意志など関係なく、『丁度良いから嫁に来い』などと言う閃理。感情も読み取れず、どう対応していいのか分からないような相手。
(でも、閃理様は私を助けてくれた。……私の願いを聞き入れてくれた)
天長節夜会のあの日、痛みと恐怖に耐えるしかなかった自分を助けてくれたのは他ならぬ閃理だ。
神代の異能の対価である呪いで心を無くしたのだとしても、ふみの言う元の優しい閃理は彼の中に残っているのだろう。
そんな閃理が、妖し者の呪いで苦しんでいる。
(治したい)
強く思うその心のままに、純佳は閃理の左肩に触れた。
自分の中にある温かな光のようなものを感じ、それを閃理に送り込むように念じる。すると、肩の黒ずみがどんどん薄くなっていくように見えた。
(私、異能が使えている?)
驚きに心が揺れると、黒ずみの呪いに押し負けていく感覚がする。
(だめ、今はとにかく集中しなければ!)
何故今ずっと使えなかったはずの異能が使えるのか。そのようなことは後でいい。今は閃理の呪いを祓うことの方が大事だ。
「閃理様……必ず、治しますから」
呟き、意識を黒ずみの呪いに集中させる。
もっと、もっとと力を流し込み、最後には叩き付けるようにして黒ずみを完全に消した。
すると辛そうだった閃理の呼吸が安定し、瞼がうっすらと上がる。
琥珀色の瞳が純佳を捕らえ、血色の良くなった唇が「純佳どの?」と声を発する。
その様子に安堵した純佳は、力尽きるように意識を失った。
『必ず、治しますから』
そんな声が靄の向こうから聞こえた気がした。
その声の主が純佳のものだと気付いた閃理は、意識が数日前の光景へと戻っていく。
天長節夜会で帝への拝謁を済ませた自分は、父に命じられたとおり嫁を探していた。
要は子孫を残せればいいのだろうと、身分関係なく婚約者が決まっていない相手を探したが、華族は異能を残すためにほとんどが幼い頃から婚約者を決めている。
一人一人に聞くのも手間だと思い、適当に近くにいる男に聞いてみたところ、天花寺家の娘ならば婚約者は決まっていないという話を聞いた。
だが、今積極的に婚約者捜しをしている二人の娘を当主は手放すつもりがないようだった。嫁になど出してはくれないだろう。
閃理は華族の令嬢から探すのを一度諦め、大広間から出ることにした。
異能を残すためには華族同士で結婚するのが一番良いが、華族ではない只人が相手でも異能持ちが生まれることはある。神代の異能という強すぎる力を持つ自分の相手ならば、寧ろ只人の方が良いのではないだろうかとすら思った。
おそらく父も似た考えなのだろう。だから、嫁を見つけてこいという命に『華族令嬢の中から』という条件は付けなかったのだ。
そうして外に出て、夜会の時刻まで時間を潰そうかと思っていたところ、複数人の子息と令嬢が誰かを痛めつけているところに出くわしたのだ。
【力ある華族は弱き者を助けるべし】
華族としての心構えに関しての規定だが、こうして守らない者も多い。
閃理は単純に規定違反だなという考えのもと、その子息令嬢たちに声を掛けたのだ。
だが、痛めつけられていた人物――純佳を見て心が僅かに揺れた気がした。
顔を上げた純佳のレースの仮面がはらりと落ち、濃い紫の目に吸い込まれた。しかも、彼女は幼い少女を守るために身体を張っていたのだ。規定を守っていたとしても、自分の身を呈してまで弱き者を助けようなどという華族はいない。そんな中で、彼女は自身が傷付きながらも少女を守り、さらに意識を失う前に少女の安全を閃理に託したのだ。
無くしたはずの心が、かすかに揺れ動いた気がした。
だから、自分は純佳を連れ帰ったのだ。純佳以上に、自分の妻に相応しい相手はいないと判断したから。
連れ帰り、目が覚めた純佳が天花寺家の次女だと知り、婚約者が定まっていないことが分かり良かったと思った。
清く美しい心根の純佳が側にいることを……良かったと、思ったのだ。
(……温かいな)
意識が過去から現在へと戻ってくる。左肩から温もりを感じ、苦しかった呼吸が落ち着いていく。温もりは全身に広がり、最後には魂にすら僅かに届いた気がした。
苦しさがなくなりゆっくりと瞼を上げると、鮮やかな青みの強い紫の瞳が見える。
「純佳どの?」
その今紫色の目を持つ彼女の名を呼ぶと、安心したような微笑みが向けられた。
(美しい)
今紫色の目もだが、閃理を見て微笑む純佳の麗しい面差しもとびきり美しいと思う。
だが、その美しい瞳が瞼で隠され、表情もすぅっと消えた。そのまま閃理が横になっている布団に倒れ込んできた純佳に驚く。
慌てて上半身を起こし純佳の様子を確認すると、安らかな寝息が聞こえてきた。呼吸に合わせてゆっくりと上下する肩に、閃理は安堵する。
(……安堵した? 俺が?)
久方ぶりに感じた自分の心に、閃理自身が驚く。それと同時に、左肩に受けていた呪いが消えていることに気付いた。
「何故? これは、純佳どのが?」
つい先程まで自分は妖し者の黒の傷に犯されていた。多少意識を失っていたようだが、それほど長い時間ではないはずだ。だとすれば、純佳の他に何者かが来て呪いを祓ったということはないだろう。
(だが、純佳どのは異能が使えないと……)
本人も無能だと話していたが、彼女を嫁にと天花寺家へ申し入れに行ったときも当主が『純佳は只人同然だ』と話していた。
ただ、閃理の仕事場でもある軍部で聞いたところ、昔は使えていたらしいという。
(まさか使えないと嘘をついていた? いや、あそこまで蔑まれるというのに嘘をつく理由など見当たらない)
ならば、また使えるようになったと言った方が正しいのだろう。
なんにせよ、純佳が救ってくれたのは確かだ。
閃理は、意識を失うほどに力を使い助けてくれた純佳を見つめながら、胸に宿った温かな気持ちが別のものに変化していくのを感じた。
純佳の滑らかな頬に掛かっている黒髪をそっと指で払ってやる。
その端正でありながらあどけない寝顔と、僅かに触れた頬の感触にどうしようもなく心が震えた。
これは喜びの感情。そして、焦がすほどに熱い……恋慕の情。
無くしたはずの心が、まるで今まで動いていなかった分激しく躍ろうとしているかのように熱を持つ。
神代の異能の対価である呪いも、純佳が祓ってくれたということだろうか。
優しく、美しい女性。神代の異能の呪いを受けている自分の心を、彼女は僅かでも動かした。そんな純佳だからこそ、祓えたのだろうか。
なんにせよ、自分の心を動かした唯一の女性を閃理は強く求めた。
「ああ……純佳どの。俺は、本当にあなたを手放せなくなってしまったようだ」
暴れ狂うほどの強い情が、純佳へと向けられる。その独占欲が暴走しないように、閃理は純佳の髪を一房手に取り、口付けた。
痛みはまだあるが、なんとか自力で歩けるようになった。
閃理との婚姻が成されるかどうかは分からないが、そろそろ一度天花寺家へ戻らねばならないだろう。
世話になった挨拶をして、一度戻ることを伝えよう。そう思っていた日の晩、閃理が怪我をして帰ってきた。
「閃理坊ちゃま!? そのお怪我は……!?」
ふみの悲鳴に近い声に、純佳は部屋でじっとしていることができず様子を見に玄関の方へと向かった。
そこで見たのは、辛そうに蹲る閃理の姿だ。その左肩が血と、何か別のもので黒ずんで見える。
黒い傷は昔見たことがある。神代の悪霊の名残である妖し者に付けられた傷だ。黒の傷は妖し者の人や神々への恨みが込められていて、傷そのものが呪いとなるのだ。おそらく、仕事で妖し者と対峙したのだろう。
「坊ちゃま、大丈夫なのですか?」
ふみが助け起こそうとしていたが、閃理に「触るな!」と鋭く叫ばれ留まった。代わりに純佳が進み出る。
「閃理様、そのお怪我は妖し者に付けられたものでは? 医者を呼びましょう!」
辛そうな姿を見ていられず、純佳も彼に近付く。黒の傷は只人が触れると呪いが移ってしまう可能性がある。閃理の拒絶に従い手は伸ばさなかったが、手当て出来る者を呼んだ方がいいだろうとふみを見た。
だが、閃理はそれすらも止める。
「いや、医者はいらない。傷そのものはすでに治っている」
「え? ですが……」
確かに軍部には治癒の異能を持つ者も待機しているだろう。だが、それならば何故黒ずみは治っていないのか。
疑問に思う純佳の意図を汲んでか、閃理は簡単に説明してくれた。
「傷は治癒の異能で治る。だが黒ずみは呪いだ。専門の祓い師でなければ治せない」
こんなときでも淡々と話す閃理に、どこか胸が締め付けられる。明らかに辛そうで、脂汗が滲んでいるというのにその顔はいつもと変わりない無表情だ。
【辛い】という感情すらないということなのだろうか。心がないということの異様さに、純佳は恐ろしさを感じる以上に苦しさを覚えた。
(これが、神代の異能を扱う者が背負う対価という呪い……なんて、悲しい……)
悔しさにも似た悲しみを覚え、純佳は唇を噛む。思わず滲む涙をこらえていると、閃理がふみに声を掛けた。
「問題無い。祓い師には明日診て貰えるよう話は通している」
今晩耐えればいいだけだ、と告げた閃理は、ふみに右側を支えるよう指示し自室へと向かう。辛そうな閃理を放っておけず、純佳もついて行った。
ふみの手によって詰め襟の軍服とシャツを脱いだ閃理は、そのまま崩れ落ちるように横になった。
肌着姿のまま布団の上で目を閉じた閃理の顔は無表情。だが、脂汗と荒い呼吸が辛さを物語っている。
「せめて、汗を拭きましょう」
閃理に毛布をさっと掛けたふみは、桶と手拭いを取ってくると言い急いで部屋を出て行く。
バタバタと大きな足音が遠ざかるのを聞きながら、純佳は閃理の名を呼んだ。
「閃理様……」
だが、聞こえていないのか瞼が上がることはない。意識が朦朧としているようで、呻く声だけがうっすらと開いた唇から漏れていた。
床に膝をつき、ちゃんと掛かっていなかった毛布を直すと、妖し者の呪いだという黒ずみが目に入る。今現在閃理を苦しめている原因。これがなくなりさえすれば、閃理は苦しまずに済むのだろう。
そう思って見つめていると、ふと昔の記憶を思い出した。
まだ異能が使えていた頃の記憶。あの頃は、このような黒い傷を何度も直していたはずだ。
閃理は先程、黒ずんでいる呪いの部分は専門の祓い師でなければ治せないと言っていた。だが、自分は昔黒ずみごと傷を治していたのだと思う。
七年以上前のことなので曖昧な部分もあるが、黒ずみだけが残ったことはないはずだ。
疑問に思いながら痛々しい黒ずみを見つめていると、治したいと強く思う。
純佳の意志など関係なく、『丁度良いから嫁に来い』などと言う閃理。感情も読み取れず、どう対応していいのか分からないような相手。
(でも、閃理様は私を助けてくれた。……私の願いを聞き入れてくれた)
天長節夜会のあの日、痛みと恐怖に耐えるしかなかった自分を助けてくれたのは他ならぬ閃理だ。
神代の異能の対価である呪いで心を無くしたのだとしても、ふみの言う元の優しい閃理は彼の中に残っているのだろう。
そんな閃理が、妖し者の呪いで苦しんでいる。
(治したい)
強く思うその心のままに、純佳は閃理の左肩に触れた。
自分の中にある温かな光のようなものを感じ、それを閃理に送り込むように念じる。すると、肩の黒ずみがどんどん薄くなっていくように見えた。
(私、異能が使えている?)
驚きに心が揺れると、黒ずみの呪いに押し負けていく感覚がする。
(だめ、今はとにかく集中しなければ!)
何故今ずっと使えなかったはずの異能が使えるのか。そのようなことは後でいい。今は閃理の呪いを祓うことの方が大事だ。
「閃理様……必ず、治しますから」
呟き、意識を黒ずみの呪いに集中させる。
もっと、もっとと力を流し込み、最後には叩き付けるようにして黒ずみを完全に消した。
すると辛そうだった閃理の呼吸が安定し、瞼がうっすらと上がる。
琥珀色の瞳が純佳を捕らえ、血色の良くなった唇が「純佳どの?」と声を発する。
その様子に安堵した純佳は、力尽きるように意識を失った。
『必ず、治しますから』
そんな声が靄の向こうから聞こえた気がした。
その声の主が純佳のものだと気付いた閃理は、意識が数日前の光景へと戻っていく。
天長節夜会で帝への拝謁を済ませた自分は、父に命じられたとおり嫁を探していた。
要は子孫を残せればいいのだろうと、身分関係なく婚約者が決まっていない相手を探したが、華族は異能を残すためにほとんどが幼い頃から婚約者を決めている。
一人一人に聞くのも手間だと思い、適当に近くにいる男に聞いてみたところ、天花寺家の娘ならば婚約者は決まっていないという話を聞いた。
だが、今積極的に婚約者捜しをしている二人の娘を当主は手放すつもりがないようだった。嫁になど出してはくれないだろう。
閃理は華族の令嬢から探すのを一度諦め、大広間から出ることにした。
異能を残すためには華族同士で結婚するのが一番良いが、華族ではない只人が相手でも異能持ちが生まれることはある。神代の異能という強すぎる力を持つ自分の相手ならば、寧ろ只人の方が良いのではないだろうかとすら思った。
おそらく父も似た考えなのだろう。だから、嫁を見つけてこいという命に『華族令嬢の中から』という条件は付けなかったのだ。
そうして外に出て、夜会の時刻まで時間を潰そうかと思っていたところ、複数人の子息と令嬢が誰かを痛めつけているところに出くわしたのだ。
【力ある華族は弱き者を助けるべし】
華族としての心構えに関しての規定だが、こうして守らない者も多い。
閃理は単純に規定違反だなという考えのもと、その子息令嬢たちに声を掛けたのだ。
だが、痛めつけられていた人物――純佳を見て心が僅かに揺れた気がした。
顔を上げた純佳のレースの仮面がはらりと落ち、濃い紫の目に吸い込まれた。しかも、彼女は幼い少女を守るために身体を張っていたのだ。規定を守っていたとしても、自分の身を呈してまで弱き者を助けようなどという華族はいない。そんな中で、彼女は自身が傷付きながらも少女を守り、さらに意識を失う前に少女の安全を閃理に託したのだ。
無くしたはずの心が、かすかに揺れ動いた気がした。
だから、自分は純佳を連れ帰ったのだ。純佳以上に、自分の妻に相応しい相手はいないと判断したから。
連れ帰り、目が覚めた純佳が天花寺家の次女だと知り、婚約者が定まっていないことが分かり良かったと思った。
清く美しい心根の純佳が側にいることを……良かったと、思ったのだ。
(……温かいな)
意識が過去から現在へと戻ってくる。左肩から温もりを感じ、苦しかった呼吸が落ち着いていく。温もりは全身に広がり、最後には魂にすら僅かに届いた気がした。
苦しさがなくなりゆっくりと瞼を上げると、鮮やかな青みの強い紫の瞳が見える。
「純佳どの?」
その今紫色の目を持つ彼女の名を呼ぶと、安心したような微笑みが向けられた。
(美しい)
今紫色の目もだが、閃理を見て微笑む純佳の麗しい面差しもとびきり美しいと思う。
だが、その美しい瞳が瞼で隠され、表情もすぅっと消えた。そのまま閃理が横になっている布団に倒れ込んできた純佳に驚く。
慌てて上半身を起こし純佳の様子を確認すると、安らかな寝息が聞こえてきた。呼吸に合わせてゆっくりと上下する肩に、閃理は安堵する。
(……安堵した? 俺が?)
久方ぶりに感じた自分の心に、閃理自身が驚く。それと同時に、左肩に受けていた呪いが消えていることに気付いた。
「何故? これは、純佳どのが?」
つい先程まで自分は妖し者の黒の傷に犯されていた。多少意識を失っていたようだが、それほど長い時間ではないはずだ。だとすれば、純佳の他に何者かが来て呪いを祓ったということはないだろう。
(だが、純佳どのは異能が使えないと……)
本人も無能だと話していたが、彼女を嫁にと天花寺家へ申し入れに行ったときも当主が『純佳は只人同然だ』と話していた。
ただ、閃理の仕事場でもある軍部で聞いたところ、昔は使えていたらしいという。
(まさか使えないと嘘をついていた? いや、あそこまで蔑まれるというのに嘘をつく理由など見当たらない)
ならば、また使えるようになったと言った方が正しいのだろう。
なんにせよ、純佳が救ってくれたのは確かだ。
閃理は、意識を失うほどに力を使い助けてくれた純佳を見つめながら、胸に宿った温かな気持ちが別のものに変化していくのを感じた。
純佳の滑らかな頬に掛かっている黒髪をそっと指で払ってやる。
その端正でありながらあどけない寝顔と、僅かに触れた頬の感触にどうしようもなく心が震えた。
これは喜びの感情。そして、焦がすほどに熱い……恋慕の情。
無くしたはずの心が、まるで今まで動いていなかった分激しく躍ろうとしているかのように熱を持つ。
神代の異能の対価である呪いも、純佳が祓ってくれたということだろうか。
優しく、美しい女性。神代の異能の呪いを受けている自分の心を、彼女は僅かでも動かした。そんな純佳だからこそ、祓えたのだろうか。
なんにせよ、自分の心を動かした唯一の女性を閃理は強く求めた。
「ああ……純佳どの。俺は、本当にあなたを手放せなくなってしまったようだ」
暴れ狂うほどの強い情が、純佳へと向けられる。その独占欲が暴走しないように、閃理は純佳の髪を一房手に取り、口付けた。



