拝謁は他の華族が待機している大広間を通り抜け、突き当たりの扉を通って謁見室へと一家族ごとに入り行われる。
 初め大広間に入ったときは、すでに集まっていた他の家の者たちの間を通り抜けすぐに謁見室へと入ったためそれほど目立つことはなかったが、毎年のように滞りなく拝謁し言祝ぎを終え扉から出た際にはとても目立った。
 二番手の家の者たちは入れ替わるように扉へ入って行ったが、その他の華族の視線が全て天花寺家の者たちへと注がれる。
「天花寺家の方々よ。流石筆頭、いつ見ても威厳があるわ。それにあの紫の目、まるで紫水晶のように美しい……」
「清乃様のご婚約者は今回の夜会でお決めになるという噂だ。うちの次男を選んではくれないだろうか」
「香世様もまたお綺麗になられて……香世様は婿取りするのかしら? そうでないのならばうちにお嫁に来ていただきたいわね」
 好意的な噂ばかりが耳に届く中、純佳は誰にも気付かれないようにゆっくりと天花寺家の者たちから離れた。気配を消し、陰になるところへと身を隠す。
 おかげで、噂話に純佳の話題が上がることなく父たちは清乃の婚約者捜しという社交に入って行った。
 他の華族たちも天花寺家の者たちが気になるようで、話し掛けようと近付いていく。そのため純佳は反対側にある大広間から出るための扉へひっそりと向かうことができた。
 だが、それでも誰にも気取られることなく進めるはずもなく、扉まであと少しというところでひと組の男女に気付かれてしまう。
「きゃっ! やだ、無能がこんなところに!」
「おい、貴様彼女に何をするつもりだ!?」
 気付くと同時に言いがかりをつけてきた男女は、華族の中では下位に当たる者たちだろう。本来であれば天花寺家の娘に向ける態度ではないが、純佳は当主に天花寺家の者ではないと断じられた娘だ。どのような地位であろうとも、華族にとって純佳は異物以外の何者でもない。
 天花寺家の証である紫の目を隠す黒糸のレースの仮面が、ある意味無能の目印となっているためすぐに分かってしまう。
 異物として疎まれている以上、彼らが即座に純佳を嫌悪するのは仕方のないことだろう。だが、言いがかりだけは止めてもらいたかった。
「何もいたしません。私は大広間を出ようとしているだけでございます」
 父にも視界に入るなと命じられた。またあの憎しみに満ちた目を向けられたくない純佳は、これ以上騒がれないうちにときっぱり彼らの言葉を否定し、先に進もうとする。
 だが、言いがかりを事実と思っている様子の二人の口は止まらない。
「嘘をつくな! 大広間を出ようとしているのならば堂々と出ていけばいいではないか! 誰も止めるわけがないというのに、こんな忍ぶように向かうなどおかしいではないか!」
「そうよ! 何か企んでいるとしか思えないわ!」
 二人の声はどんどん大きくなり、周囲にいる者たちも純佳の存在に気付く。
(これは、不味い状況だわ)
 このままもっと騒ぎ立てられれば、父たちがいる場所まで騒ぎが届いてしまう。
 そうなってしまえば父の怒りは頂点に達するだろう。
 睨むだけでは済まされなくなると恐れた純佳は、なんとか二人に落ち着いて貰えないかと考える。だが、すでに話し合いで落ち着いて貰える段階は過ぎている気がした。というより、はなから話し合いの余地はなかったが……。
(こうなったら、早く大広間を出て行くしか)
 純佳は現状を脱するための道を探すように扉に目を向ける。
 すると、丁度その扉が開け放たれた。
 カツ、カツ、と軍靴の音を立てて入ってきた人物に、皆が目を奪われる。
 純佳もレース越しではあるものの、その人物の美しさについ引かれた。
 黒や茶の髪が多い中に、金色の髪を持つ軍服姿の男性が入り込む。明らかに異質な存在に、自然と人波が割れた。
 だが、彼は微塵も動じることなく扉近くにいた年若い男性に問いかける。
「少し遅れてしまったか……失礼、今帝に拝謁している方は何組目だろうか?」
 その声は泉のように透き通って美しいのに、感情が込められていないため氷のように冷たく感じた。男性に向ける切れ長な目にも感情は見えず、まるで人形のようだと純佳は思う。
 そんな色んな意味で存在感のある人物に話しかけられた男性は、何度も瞬きしてからやっと答えた。
「へ? あ、その……四組目だったかと思われます!」
「……そうか。感謝する」
 答えを聞き礼を口にするも、それはやはり淡々としていて尚更人形のように見える。
 後ろで一つに束ねた長い金の髪をサラリと揺らし、また軍靴を鳴らしながら彼は開けた道を進んで行った。
「金の髪に感情のない表情……あれが不知火閃理殿か」
 誰が口にしたのかは分からないが、比較的近くからそんな声が聞こえてくる。
(不知火閃理様? ああ、馬車の中で香世が話していた方ね)
 清乃の話では神代の異能を持つ冷徹な人物とのことだったが、少なくとも純佳は冷徹というほどの冷たさを彼には感じなかった。
(確かに冷たく見えるけれど、冷徹と言うよりも感情を表に出せない方なのではないかしら?)
 閃理のすらりとした後ろ姿を見つめながらそんなことを考えていたが、はたと周囲の様子に意識を向ける。
 周囲の者も、先程騒ぎ立てていた男女も、閃理に未だ目を奪われていて静かだ。
 今ならば誰にも気取られず大広間を出ることができそうだと思った純佳は、心の内で閃理に感謝しながら気配を消し扉をくぐった。

 なんとか大広間から脱することができた純佳は、館のエントランスを通り抜け外へと出た。
 外はすっかり暗くなっていたが、館周辺には街頭も多くかなりの明るさがある。
 特に館前にある噴水は多くの灯りに囲まれ、外国の女神を模したという(かめ)を持った銅像がよく見える。
 その瓶から流れ落ちている水が水盤部分に溜まり、波紋が灯りを反射していた。
 このまま噴水を通り越し真っ直ぐに進めば、来るときに乗った馬車が停められているはずだ。だが、帰りも清乃と香世と共に同じ馬車に乗らなくてはならないため、今一人で乗って天花寺邸へ帰るわけにはいかない。
 華族の拝謁が終わった後は、著名人や外国の使者からの挨拶が始まる。それが終わると、皆がパーティー会場へ集まり夜会にて社交に精を出すのだ。
 ちなみに異能を持たぬ只人の政治家たち――参議院議員たちは夜会中に帝への言祝ぎをする。
 全てが終わり皆が帰るのはまだまだ先だ。
 純佳は毎年そうしているように、人が来ないような場所を探して清乃と香世が帰る時刻まで隠れるように待つことにした。
 以前はエントランスで待っていたこともあったが、人に酔って休憩しに来た令嬢たちに酷いことをされるばかりだったので別の場所を探すことにしたのだ。
 去年は外へ出たはいいが、目の前にある噴水のところにいたため見つかってしまった。
 なので今年は道から逸れた場所を探す。
 生垣の隙間を通り抜け、少し高めの木の根本に手巾を敷いて座り込んだ。ここならば令嬢たちが来ることもないだろう。
 ここ数日は晴れていて地面も乾いているので、手巾越しならばそれほど汚れずに済む。
 少し肌寒いが、風邪を引くほどではない。
 純佳は膝を抱くように座り、縮こまって時が過ぎるのを待った。
 そうしてしばらく経った頃、噴水の方が騒がしくなっていることに気付く。
 拝謁する家はまだもう少しあるはずだ。おそらく、拝謁を終え、社交にも疲れた子息や令嬢たちが休憩も兼ねて外へ出てきたのだろう。
(……でも、少し様子がおかしいような?)
 怒っているような、荒い声が聞こえる。ただ騒がしいのとは違う雰囲気を感じ、純佳は立ち上がり木の陰から噴水の辺りの様子を伺った。
「お前のような者はここにいるべきではないのよ!」
「っ!」
 意識を向けた直後に聞こえてきた言葉が、まるで純佳自身に投げつけられたもののように思え息を呑む。
 だが、声を発した令嬢の視線は彼女より背の低い人影に向けられていた。
「ごっ、ごめんなさい……私、道に迷って……ここの噴水が綺麗だったから、見に来てしまっただけで……」
 暗さと生け垣でよく見えないが、聞こえてきた声はまだ幼さが残る。震える声が憐れで、心配になった純佳は木の陰から出て彼女たちの方へと近付いた。
 令嬢たちに気取られない程度の距離を保ったまま近付くと、彼女たちの目の前に十にも満たない幼い少女が怯えた様子で立っているのが見えた。
「この館は帝に拝謁するための館よ? 今は華族が拝謁する時間なの。迷ったのだとしても、そんなところに入り込むなんて無礼だわ」
「それに、この娘見たことがあるぞ? 確か参議院議長の娘だ」
「参議院議長? 参議院の者たちは夜会中に帝へ拝謁するのが決まりだろう? この館には入ること自体許されないというのに……恥知らずが」
 令嬢に続いて子息たちも少女を蔑むように詰る。
 矜持の高い華族らしいといえばそれまでだが、本来華族は弱き者を助けるために存在しているのだ。あのような少女を寄って(たか)って追い詰めるなど……。
(恥知らずなのはどちらなのかしら)
 怒りにも似た、重苦しい感情が胸の内で燃える。
 異能も権力もない自分では、彼らをこらしめることもできない。
 それでも、せめて少女を逃がしてやることはできないだろうかと様子を伺っていると、子息の一人が前に出る。
 そして、躊躇いもなく少女を蹴り飛ばした。
「きゃあっ!」
「なっ!?」
 詰るだけではなく、暴力まで行使するとは思わなかった純佳は仮面の下にある紫の目を大きく見開いた。
 信じられない気持ちで固まっていると、その子息はまた少女の方へと足を向ける。
「政を行う議員の娘だというのに、決まりを破ったんだ。罰は受けるべきだろう?」
 もっともらしいことを口にしているが、その声は明らかに楽しげだ。罰だなんだと言いながらも、その実はただ少女を痛めつけたいだけのように見える。
 しかも、共にいる他の子息や令嬢も彼を止めなかった。
「確かに、決まりは大事だからな」
「相応の罰を与えてあげなくてはならないわよね?」
 寧ろ自分たちもとばかりに少女に近付く。
 少女は痛みと恐怖で固まり、声も出せない様子だった。
「っ、だめっ!」
 もう、見てはいられなかった。少女を助け出せる策もないのに、身体が先に動く。
 とにかくこれ以上少女に痛い思いをして欲しくなかった。いつも自分が受けているような恐怖を味わって欲しくなかった。
 生け垣から飛び出し、石畳に蹲る少女へ覆い被さった純佳の脇腹に、また少女を蹴り飛ばそうとしていた子息の足が入る。
「うっぐぅっ」
 呻き、痛みに耐える。強い痛みはじくじくと続くが、少女のことは守れたようで安堵していた。
「なっ!? 誰だ?」
「どこの家の者だ? ……いや、こいつ、無能か?」
 突然現れた純佳に子息たちが驚く。次いで、令嬢たちは楽しげな声を上げた。
「あら、今年は見当たらないと思っていたけれど……どこかに隠れていただけみたいね」
「華族の恥さらし。あなたこそ常に罰を受けるべきなのに、隠れるなんて卑怯なことをするのね」
 くすくすと、令嬢らしく軽やかに笑う彼女たちはそのまま自らの異能を使う。
 ヒュッと鋭い風が純佳の頬を掠め、その白い肌に赤い線を付けた。
(ああ、そうだった。この令嬢たちは共に疾風の異能の持ち主だったわね)
 この異能で毎年のように着物を裂かれるせいで、いつもボロボロの状態で天花寺邸へ帰ることになるのだ。
 結局今年も同じようになってしまうのかと嘆くが、後悔はない。
 あのまま隠れていたら、今守っている少女が同じ目に遭うことになっただろうから。だから仕方ない、と純佳は風の刃と子息たちの暴力を受けながら諦めた。
「うぁっ! ぐぅっ……」
 とはいえ、いつもは令嬢たちの異能で着物と肌を少々裂かれる程度だ。今回は子息たちの暴力もあり、痛みと恐怖は段違いだ。
 それでも逃げるわけにはいかない。自分が逃げてしまえば、この暴力を受けるのは純佳よりずっと小さな少女になるのだから。
 少女を守りたい一心で、遠のきそうになる意識の中彼らが飽きてしまうまではなんとか耐えなければと思う。
 意識を保つので精一杯になってきた頃、第三者の声が夜の空気を震わせた。
「なにをしている?」
 低く、氷よりも冷たい声音。大きくはないというのに、聞く者の意識を引く印象的な声だ。
 そんな声に、純佳への暴力をぴたりと止めた子息と令嬢たちは、声の主を見て固まってしまう。
「……不知火、閃理様?」
 令嬢の一人が呟いた名前に、純佳はゆるゆると顔を上げる。
 その拍子に、疾風の異能で紐が切れてしまったのか、レースの仮面がはらりと落ちた。
 遮るものがなくなり、はっきりと閃理の姿を濃い紫の瞳で捕らえる。細身だが安定した体躯。夜闇(やあん)の中でも灯りを反射し煌めく金の髪。神代の異能を持つという彼は、その姿も神を思わせるほどに美しかった。
 そんな閃理の琥珀色の目と視線が合うと、彼の感情に乏しい瞳が僅かに揺れた気がした。
 閃理は真っ直ぐ純佳の元へ来ると、意外にも優しい手つきでそっと肩に触れる。
「……弱い者を痛めつけるのは、華族として相応しい行いだとは思わないが?」
 視線は純佳に向けたまま、閃理は子息たちを責め立てる。その声音はやはり感情がなく淡泊だったが、少なくとも閃理は子息たちのように暴力を振るう者ではないと純佳は理解した。
 助かった、と安堵した純佳は意識が一気に遠のいてゆく。
 それでも一つだけ頼まねばならぬことがあり、ぐっと閃理の美しい顔を見上げた。
「この子を……親元へ……」
 短い言葉でしか伝えられなかったが、なんとか少女のことを頼む。意図が伝わるか少々不安だったが、閃理はしっかりと頷いてくれた。
「分かった」
 了承の返事を聞けたことで、安堵した純佳はそのまま意識を失った。