天長節夜会とは、帝の誕生日である天長節に行われる夜会だ。
 国内の政治家や著名人、そして外国からも使者が集まる盛大な夜会。
 中でも妖し者を滅し国を守ることのできる華族は国にとっても重要なため、国内の華族は特殊な事情がない限り全ての者が参加するよう決められている。
 それは、力を失ってしまった純佳も同じ。
 以前は異能を使えていたため、すでに国が管理する華族一覧に登録されてしまっているのだ。貴重な異能者を国外に出すわけにはいかないということもあり、華族一覧からの除名は死亡したときのみということになっている。
 力を失った時点で父は純佳の除名を願い出たそうだが、今まで持っていた異能が突然使えなくなってしまう事例などなかったため、難しいのだと説明されたらしい。
 新たに除名条件を付け加える話も出たようだが、逆にそれを悪用してしまう者が現れるかもしれないと棄却されてしまった。
 故に、純佳は無能者でありながら異能持ちしかいはずの華族として国に登録され、この天長節夜会にも必ず出なければならないとされているのだ。
 無能者であるということが夜会へ行かずに済む特殊な事情に入るのではないかとも思ったが、その特殊な事情に関しての定義もしっかりと明記されており、除名の話同様無理なのだそうだ。
 そういうわけで、天長節夜会に参加するため純佳は午後から準備をしていた。
 と言っても、いつもより髪を丁寧に梳き、一張羅といっても過言ではない着物に袖を通す程度。着物も、生地は上質だが柄は少し前の流行りで古いものだ。姉の清乃のお下がりなのだからそれも当然なのだろうが。
「さ、できましたよ」
 着付けを手伝ってくれていた年嵩の使用人・みつが、帯を整え終えると明るくそう言って純佳の前に回る。点検をするように純佳の姿を上から下まで数度見ると、満足そうに頷いた。
 だが、その表情はすぐに悲しげなものになる。
「お綺麗ですよ。……お帰りになったときも、同じ姿でいることを願っております」
 哀れみの表情には、心痛な思いが表れていた。
 毎年の天長節夜会を思えば当然なのかもしれない。
 これから向かうのは、本来純佳がいるべき場所ではないのだ。天長節夜会での純佳は、華族全ての者にとって異物でしかない。
 矜持の強い華族たちは異物を許さず、毎年純佳に暴言や暴力を与えるのだ。
 そのような場所、行きたくはない。
 だが、華族一覧に登録されている者は必ず参加しなければならない。特殊な事情もないのに天長節夜会に参加しない華族は、帝への叛意ありと見なされる。連れてこなかった家長も罪に問われるため、父も純佳を連れて行かないわけにはいかないのだ。
 愛情どころか、ほんの僅かな優しさすら向けてくれない両親。常に純佳を悪者に仕立てる香世。そして悪者となってしまった純佳を疎んじ、冷めた目を向ける清乃。
 そんな人たちではあるが、純佳にとってはやはり家族なのだ。罪に問われるような状況にはなって欲しくない。
(大丈夫、今夜さえ乗り切ればまたいつもの日常が戻るだけよ)
 いつもの日常もいいものではないが、みつのように僅かでも心を寄せてくれる人がいる。少々意地の悪い使用人もいるが、家族に見放された純佳にとって彼女たちは仲間のような存在だ。
 この七年、居場所のない天花寺家の屋敷でもなんとか暮らせていたのは、みつのような使用人たちのおかげなのだ。
「ありがとう、みつ。そうならないように、大人しくひっそりと過ごすようにするわ」
 心配してくれるみつに微笑みを返し、純佳はいつものようにレースの仮面を付ける。
 鏡を見ながら位置を調節していると、みつが深々とため息を吐いた。
「せめてその仮面がなければ……純佳お嬢様の美しさなら、異能がなくとも嫁にとおっしゃってくれる殿方がいらっしゃるでしょうに」
 みつの言葉に純佳は思わずクスリと笑ってしまった。
 華族は総じて矜持が高い。どんなに美しくとも、異能を持たぬ者を妻になどと言う者はいない。あっても妾がせいぜいだろう。
 だが、みつの言葉自体は嬉しかったため、純佳は仮面で隠れる目を細め微笑んだ。
「ありがとう、そんな殿方がいらっしゃれば嬉しいわね」
 望みは皆無だと理解しているが、言葉だけは希望を口にした。

 着付けを終えた純佳は、純佳以上に美しく着飾った清乃と香世と共に馬車で皇居近くに用意されている夜会会場へ向かっていた。
 両親は最新の自動車を使い先に行っている。
 皆で自動車に乗れれば早いのだろうが、流石に運転手を含め六人も乗ることはできないため、娘三人は同じ馬車に乗っているのだ。
 とはいえ、三人仲良くとはいかない。香世も清乃もあからさまに嫌な顔はしないが、純佳が共に乗ることを良く思っていないのは確実なのだから。
 だが、だからといって純佳一人のために馬車を用意するのも父は許さない。
 結果として三人共に同じ馬車に乗り、純佳は他二人の邪魔にならないように大人しく黙り込むことしかできなかった。
 清乃は初め、純佳が香世に何か酷いことをするのではないかと警戒の眼差しを送っていたが、しばらくするとそれも弱まり、香世と今夜の夜会のことを楽しげに話し始めた。
「楽しみだわ、和葉様は来るかしら? 最近風邪気味だと言っていたけれど」
「それより清乃姉様のお相手よ! お父様、今年こそはちゃんと決めてくれるかしら?」
 もう純佳の存在は完全に無視し、二人は友人のことや天花寺家の跡取りである清乃の婚約者についての話に花を咲かせている。
 純佳としても張り詰めた空気が続くのはいたたまれないため、安堵しながら二人の話を聞いていた。
「そうね。難しいでしょうけれど、流石に今年には決めるでしょう」
 ふぅ、と息を吐きながら清乃は苦笑する。
 今年十九の清乃に未だ婚約者がいないのは、次期当主である清乃の配偶者としての殿方を餞別するのに父が苦心しているからだ。
 一般的には男子が次期当主となるため、直系に男子がいなければ入り婿が当主となるか親族から養子を取るのが普通だ。
 だが、異能を持つ華族に限っては話が変わってくる。
 異能は各家の直系の当主の力がその後の血族の異能に反映されるらしく、直系の者以外が当主となればその家の血族には異能持ちが生まれなくなるのだそうだ。
 なぜなのかは解明されていない。ただ、昔ながらの言い伝えでは異能は各家にそれぞれの神が与えた力なため、直系以外の者が当主となればその力の流れが途絶えてしまうからなのだとか。
 真実かは分からないが、事実直系以外の者を当主にしたことで絶えかけた家がある。
 なので、直系に女子しかいない場合入り婿はあくまで配偶者で、当主は直系の女子がなるべしと定められているのだ。
 華族筆頭の天花寺家当主となる清乃の配偶者はそれなりに地位のあるものでなければならない。だが、かといって清乃を支える側に回れない者は論外だ。婚約者を決める父としても難しいところなのだろう。
 その状況に眉を寄せて唸っていた香世は、なにかを思い出したかのようにパッと表情を明るくさせた。
「そうだわ、今年はあの不知火(しらぬい)の御曹司様もおいでになるのでしょう? その方はどうなのかしら?」
 ついこの間女学校で友人に聞いたのだと、香世がある人物の名を口にした。
「不知火閃理(せんり)様だったかしら? 遠方の妖し者討伐のために何年も遠征に出ていたとか。とても優秀な軍人で、帝の覚えもめでたいと聞いたわ。歳は二十と言っていたし、十九の清乃姉様とも丁度良いと思うの」
 興奮した様子で話す香世に、清乃は微笑みながら苦笑した。
「確かに優秀な方ね。あの方の異能は神代(かみよ)の異能でもあるし、華族の中でも抜きん出ているわ」
「神代の異能!?」
 清乃の話に、香世はただでさえ大きな目を零れんばかりに丸く開いた。
 耳を傾けていた純佳も、驚き息を呑む。
「神代の異能を持つ方ということは、神々の御力(みちから)を直接受けている方ということなのでしょう? 話には聞いていたけれど、本当にそんな方がいらっしゃるのね……でも、それなら尚更清乃姉様に相応しいわ! 華族筆頭の天花寺家の婿なら、その閃理様にとっても良い縁談になると思うし」
 明るく話す香世に、純佳も内心確かにと思う。神代の異能を持つ者ならば、父としても取り込んでおきたいだろう。
 だが、当の清乃は困ったように眉を下げる。
「それはそうかもしれないけれど……でも、閃理様も不知火家の跡取りだし、難しいと思うわ」
「あ、そうなのね……」
 清乃の言葉にがっくりと項垂れる香世。そんな香世に清乃は「それに……」と複雑な表情を浮かべて続けた。
「不知火閃理様は……血が通っていないのではないかと言われるくらい、冷徹な方なの」
 と。

 天長節夜会の会場はいくつかの館に分かれている。
 帝へ拝謁するための謁見室のある館。拝謁する順番を待つための控え室がある館。そして帝の誕生日を祝う夜会が行われる会場のある館だ。
 華族は真っ先に帝へ拝謁し言祝ぐ権利を得ているため、純佳たちは真っ直ぐ謁見室のある館へと向かう。
 父と母とも合流し、すぐに歩き出す。華族筆頭の天花寺家の拝謁は一番初めで、天花寺家の拝謁が終わらなければ後の者たちが拝謁できない。そうして遅くなっては、夜会が始まる予定時間を大幅に遅らせてしまうことになる。
 多くの言祝ぎを受ける帝のためにも、あまり遅くなるわけにはいかないのだ。
「拝謁が終わったら、清乃と香世はずっと私と共にいなさい。今年こそは二人の婚約者を見定め決めてしまいたいからな」
 袴の裾を強く払い足早に歩きながらも、余裕の表情を崩さず父は話した。
「え!? 私も!?」
「香世、声が大きいですよ」
 初耳だったのか、香世が令嬢らしくない驚き方をして母に窘められていた。「ごめんなさい」と謝る香世に、父は答える。
「清乃は健康で力も安定しているから立派な当主となるだろう。だが、万が一ということもある。そのためには香世も嫁に出すわけにはいかん。……直系の血を絶やすわけにはいかぬのだ」
 強い意志の込められた眼差しが香世と清乃に向けられ、二人も気を引き締めた。
「だから今のうちから香世の婚約者も見繕っておきたい。分かったな、今宵は私の側にいるのだ」
「はい、承知いたしました。お父様」
「私も、分かったわ」
 二人の愛娘の返事に満足そうに頷いた父は、最後に純佳を睨む。
「っ!」
 レースの仮面越しでもはっきりと分かるその眼差しは、最早憎しみに近かった。
「お前は拝謁が終わったらすぐにでも離れるのだ。私の視界に、これ以上一時も入ってくるな」
 射殺さんばかりの恐ろしい眼差しに、純佳は心臓を掴まれたような心地になる。僅かでも動けば、そのまま握りつぶされてしまうのではないかと思えるほどに。
 それでも返事はしなければならないだろう。
 純佳は震える唇をやっとのことで動かし、掠れた声を発した。
「はい……承知、いたしました」