【エピソード2: マシュマロ霧帯──霧の向こうのハートビート 】
靴底が砂糖のクランチを鳴らすたび、足首まで埋まる粉砂糖の砂浜が「夜明けスイーツ」を気取ってくる。
でも霧は甘くない。ぬるい水気が腕にまとわりついて、溶けかけのマシュマロを握ったときみたいに指がべたつく。
リナさんのドリル──今は“花びらドリルVer.0.9β”──が前を切り開くが、白い膜がすぐ塞がってしまう。視界五メートル。
ビーコンの信号は γボード上で 370 メートル先を示したまま。
「この霧、マップ構造そのものを攪乱してる。視覚と位置演算にズレが起きてるわ」
ユウキさんの遠隔音声がイヤーピースで響く。──拠点から補助リンクしてくれるのだ。
「近づくほど GPS の精度が落ちるみたいなパターン?」リナさんが肩越しに振り返る。
「そう。“心因依存霧”ってラボで呼んでた。視覚・記憶・願望の揺れ幅が霧密度を変動させる。コツは“ウォークマン”だ」
「それ、中学生に通じないよー」
私は笑う。
要は“リズムを刻んで歩幅を一定に保て”ってことらしい。
私は胸の星を軽く叩き、BPM92 に合わせて拍子を送る。星は小さく「ぴっ」と鳴き、霧の内側で淡い光の粒を撒いた。
歩幅をテンポに合わせると、不思議と肺の奥が楽になり、霧のすき間にパステルの石畳が浮かび上がった。
霧の奥にぽっかり穴が開いていた。ハート形を半分崩したような縦穴。周縁はホイップクリームのカールを模したレリーフ。
ビーコンインジケータが穴の底を指した。
「落ちる?」
リナさんの眉がピョコ。
「落ちるしかない。……けど、落ちるを“跳ねる”に変えよう」
私はロッドを取り出し、星にお願い。
ロッド先端がアメフト用のティーみたいに平らになり、ゼリー質のクッションを生成。
「ホップ・ステップ・ケーキバウンド!」
半分ギャグだけど星は従順。淡青のゼリーパッドが穴の壁に沿って段差状に展開し、スロープ兼トランポリンになった。
私が先に跳ぶ。ゼリーはぷよんと沈み、次のパッドへエアホッケーのパックみたいに跳ねる。視界が上下して重力が紅茶ゼリーみたいにぷるぷるしている。
リナさんも続き、ドリルをシルクハットみたいに回してバランスを取る。
十数段のゼリーパッドを経て、底へ着地した瞬間、霧がパチンと弾けるように消えた。
そこは小型ショッピングモール跡を裏返しにしたような地下空洞だった。
天井に吊り下がる蛍光灯の殻は全部グミキャンディ。床はチェッカー柄のタイルが歪んで、所々にカカオ色の沼。
そして中央広場、ベンチ代わりのマシュマロソファ。そこに二人の人物が座っていた──いや、正確には一人と一匹。
人は高校生くらいの女の子。真っ黒なパーカーにファンシー系の缶バッジを乱打。膝には包帯。
隣には茶トラ猫をデフォルメしたマスコット……が、半分リアル猫サイズで、右目にシステムバグのノイズ。
どちらも疲労困憊の様子だけど、ビーコンの発信源は間違いなくこの子。γボードの赤点がドンピシャで重なっている。
私はロッドを背負い、両手を上げた。
「びっくりさせてごめんね。βテスター、というか、救助班です」
女の子は目を見開き、立ち上がろうとして膝をついた。包帯の下から血が滲む。
「だ、大丈夫?」
駆け寄ろうとして、私はハッと立ち止まる。
──マスコットが、牙を剥いた。ノイズ目から赤ピクセルの涙が滴り、尻尾が針金みたいに逆立つ。
リナさんがドリルを水平に構え、私が手刀で制す。
「威嚇だけ。逃亡じゃない」
ロッドの先から蒸留滴を一しずく猫マスコットへ投げる。滴は猫の鼻先でミストになり、甘いミントの香りを漂わせた。
猫はハッと息を呑むようにノイズを引っ込め、くしゃみ。
「名前……ある?」
私はそっと尋ねる。
女の子が震える声で「ユニ……ユニャ」と答えた。
星がピッと青信号。敵対解除。
私はポケットからグミクラスターを数粒取り出し、ユニャに差し出す。ユニャは警戒しながらも匂いを嗅ぎ、くちゃくちゃ噛むとノイズ目がやわらいだ。
女の子は自分を「風見ヒヨリ」と名乗った。
他社タイトルのゲーム実況で人気があったとかで、今回のベータテストにも“公式コラボ枠”で呼ばれていたらしい。
彼女のチームは霧帯で分断され、二人は逃げ場のないこの地下に隠れていた。
「ユニャは……マスコット型 NPC で、元々は私の案内役だったんだけど、途中でノイズが出て……」
脳核が暴走したときに不完全変異を起こしたマスコット。理性は保ったものの、定期的に狂暴バーストが出る。
私はリナさんと手分けして応急処置をした。
膝は、ガーデナーがくれた“キャンディ繊維包帯”で圧迫固定、星ドロップを滲ませて止血した。ユニャのノイズ目は、γボード経由でラブナティアに修復パッチをリクエスト、星の蒸留滴を局所に貼付……ぴりっと火花が走るが、黒ノイズが剥がれ落ちる。
処置の間、リナさんがクッションに座ってヒヨリの手を握り、冗談めかして
「このドリル、次のコラボ武器案にどう?」
なんて話を振る。
ヒヨリは泣き笑いし、
「実況のネタにしたいけど配信サーバーが全部落ちてて悲しいよ」
と肩をすくめる。
──笑い声がこだまする。粉砂糖のチェッカー床に、ほんのり熱が戻った。
γボードの再生ゲージが 1.3% → 2.2% へ微増。
ミントからリンクボイス。
「畑の土壌パッチ成功! クッキー土がふかふかで苗が伸びまくってるよ!」
ハルさんからも。
「発電用クラスター炉、初火入れ。肩抜糸はまだでも、片手でスイッチくらい押せた」
ゲージはのろいけど確実に進む。私は胸がきゅっとなって、また泣きそうになる。けれど今は泣かない。
「ヒヨリさん、いっしょに来よう。たぶん、この世界の再生に実況枠は山ほどある」
ヒヨリはうなずき、ユニャを抱き寄せた。ノイズ目はまだ薄グレーで残るけど、牙は引っ込んでいる。
クッションモールを出る頃、霧帯はうっすら薄れていた。星の BPM は 92 から 88 へ落ち着き、歩幅チャントも自然と「わたしたち ここにいる」のハミングに変わる。
ユニャが先頭で尻尾を振り、霧を割るように進む。霧粒が虹を反射し、ヒヨリのパーカー缶バッジがきらりとひかった。
帰投を知らせると、遠方の観覧車骨組みがパステル光を灯した。ハルさんが設置した “キャンディ炉” の点灯信号だ。
夜明けはもう完了形。今は“朝”──再生作業一日目。
私はロッドを肩に担ぎ、胸の星をトントンと叩く。
「ゲージ、今週中に 10% くらい行けると思う?」
星は「ぴっ」と小さく肯定。と同時に、“未知のエリア”のフラグアイコンが霧の向こうに現れた。
……忙しくなりそうかな。
泣いて笑って、でも歩く──今日もそればっかり。でもそれが、きっと生きるってこと。
靴底が砂糖のクランチを鳴らすたび、足首まで埋まる粉砂糖の砂浜が「夜明けスイーツ」を気取ってくる。
でも霧は甘くない。ぬるい水気が腕にまとわりついて、溶けかけのマシュマロを握ったときみたいに指がべたつく。
リナさんのドリル──今は“花びらドリルVer.0.9β”──が前を切り開くが、白い膜がすぐ塞がってしまう。視界五メートル。
ビーコンの信号は γボード上で 370 メートル先を示したまま。
「この霧、マップ構造そのものを攪乱してる。視覚と位置演算にズレが起きてるわ」
ユウキさんの遠隔音声がイヤーピースで響く。──拠点から補助リンクしてくれるのだ。
「近づくほど GPS の精度が落ちるみたいなパターン?」リナさんが肩越しに振り返る。
「そう。“心因依存霧”ってラボで呼んでた。視覚・記憶・願望の揺れ幅が霧密度を変動させる。コツは“ウォークマン”だ」
「それ、中学生に通じないよー」
私は笑う。
要は“リズムを刻んで歩幅を一定に保て”ってことらしい。
私は胸の星を軽く叩き、BPM92 に合わせて拍子を送る。星は小さく「ぴっ」と鳴き、霧の内側で淡い光の粒を撒いた。
歩幅をテンポに合わせると、不思議と肺の奥が楽になり、霧のすき間にパステルの石畳が浮かび上がった。
霧の奥にぽっかり穴が開いていた。ハート形を半分崩したような縦穴。周縁はホイップクリームのカールを模したレリーフ。
ビーコンインジケータが穴の底を指した。
「落ちる?」
リナさんの眉がピョコ。
「落ちるしかない。……けど、落ちるを“跳ねる”に変えよう」
私はロッドを取り出し、星にお願い。
ロッド先端がアメフト用のティーみたいに平らになり、ゼリー質のクッションを生成。
「ホップ・ステップ・ケーキバウンド!」
半分ギャグだけど星は従順。淡青のゼリーパッドが穴の壁に沿って段差状に展開し、スロープ兼トランポリンになった。
私が先に跳ぶ。ゼリーはぷよんと沈み、次のパッドへエアホッケーのパックみたいに跳ねる。視界が上下して重力が紅茶ゼリーみたいにぷるぷるしている。
リナさんも続き、ドリルをシルクハットみたいに回してバランスを取る。
十数段のゼリーパッドを経て、底へ着地した瞬間、霧がパチンと弾けるように消えた。
そこは小型ショッピングモール跡を裏返しにしたような地下空洞だった。
天井に吊り下がる蛍光灯の殻は全部グミキャンディ。床はチェッカー柄のタイルが歪んで、所々にカカオ色の沼。
そして中央広場、ベンチ代わりのマシュマロソファ。そこに二人の人物が座っていた──いや、正確には一人と一匹。
人は高校生くらいの女の子。真っ黒なパーカーにファンシー系の缶バッジを乱打。膝には包帯。
隣には茶トラ猫をデフォルメしたマスコット……が、半分リアル猫サイズで、右目にシステムバグのノイズ。
どちらも疲労困憊の様子だけど、ビーコンの発信源は間違いなくこの子。γボードの赤点がドンピシャで重なっている。
私はロッドを背負い、両手を上げた。
「びっくりさせてごめんね。βテスター、というか、救助班です」
女の子は目を見開き、立ち上がろうとして膝をついた。包帯の下から血が滲む。
「だ、大丈夫?」
駆け寄ろうとして、私はハッと立ち止まる。
──マスコットが、牙を剥いた。ノイズ目から赤ピクセルの涙が滴り、尻尾が針金みたいに逆立つ。
リナさんがドリルを水平に構え、私が手刀で制す。
「威嚇だけ。逃亡じゃない」
ロッドの先から蒸留滴を一しずく猫マスコットへ投げる。滴は猫の鼻先でミストになり、甘いミントの香りを漂わせた。
猫はハッと息を呑むようにノイズを引っ込め、くしゃみ。
「名前……ある?」
私はそっと尋ねる。
女の子が震える声で「ユニ……ユニャ」と答えた。
星がピッと青信号。敵対解除。
私はポケットからグミクラスターを数粒取り出し、ユニャに差し出す。ユニャは警戒しながらも匂いを嗅ぎ、くちゃくちゃ噛むとノイズ目がやわらいだ。
女の子は自分を「風見ヒヨリ」と名乗った。
他社タイトルのゲーム実況で人気があったとかで、今回のベータテストにも“公式コラボ枠”で呼ばれていたらしい。
彼女のチームは霧帯で分断され、二人は逃げ場のないこの地下に隠れていた。
「ユニャは……マスコット型 NPC で、元々は私の案内役だったんだけど、途中でノイズが出て……」
脳核が暴走したときに不完全変異を起こしたマスコット。理性は保ったものの、定期的に狂暴バーストが出る。
私はリナさんと手分けして応急処置をした。
膝は、ガーデナーがくれた“キャンディ繊維包帯”で圧迫固定、星ドロップを滲ませて止血した。ユニャのノイズ目は、γボード経由でラブナティアに修復パッチをリクエスト、星の蒸留滴を局所に貼付……ぴりっと火花が走るが、黒ノイズが剥がれ落ちる。
処置の間、リナさんがクッションに座ってヒヨリの手を握り、冗談めかして
「このドリル、次のコラボ武器案にどう?」
なんて話を振る。
ヒヨリは泣き笑いし、
「実況のネタにしたいけど配信サーバーが全部落ちてて悲しいよ」
と肩をすくめる。
──笑い声がこだまする。粉砂糖のチェッカー床に、ほんのり熱が戻った。
γボードの再生ゲージが 1.3% → 2.2% へ微増。
ミントからリンクボイス。
「畑の土壌パッチ成功! クッキー土がふかふかで苗が伸びまくってるよ!」
ハルさんからも。
「発電用クラスター炉、初火入れ。肩抜糸はまだでも、片手でスイッチくらい押せた」
ゲージはのろいけど確実に進む。私は胸がきゅっとなって、また泣きそうになる。けれど今は泣かない。
「ヒヨリさん、いっしょに来よう。たぶん、この世界の再生に実況枠は山ほどある」
ヒヨリはうなずき、ユニャを抱き寄せた。ノイズ目はまだ薄グレーで残るけど、牙は引っ込んでいる。
クッションモールを出る頃、霧帯はうっすら薄れていた。星の BPM は 92 から 88 へ落ち着き、歩幅チャントも自然と「わたしたち ここにいる」のハミングに変わる。
ユニャが先頭で尻尾を振り、霧を割るように進む。霧粒が虹を反射し、ヒヨリのパーカー缶バッジがきらりとひかった。
帰投を知らせると、遠方の観覧車骨組みがパステル光を灯した。ハルさんが設置した “キャンディ炉” の点灯信号だ。
夜明けはもう完了形。今は“朝”──再生作業一日目。
私はロッドを肩に担ぎ、胸の星をトントンと叩く。
「ゲージ、今週中に 10% くらい行けると思う?」
星は「ぴっ」と小さく肯定。と同時に、“未知のエリア”のフラグアイコンが霧の向こうに現れた。
……忙しくなりそうかな。
泣いて笑って、でも歩く──今日もそればっかり。でもそれが、きっと生きるってこと。
