【エピソード4: 心臓室とゲート──光と絆の一撃 】
(陽菜・一人称視点)


 鏡の通路を抜けた先で、私たちは真っ暗な縦穴の縁に立っていた。

 耳がキーンと鳴る。床も天井も無く、重力だけがひたすら真下へ引っ張ろうとする。デバイス に浮かぶタグは **《SANITY_CYCLE : CORE Access-Lock》**。

 ラブナティアが最後に残した“精神侵食プログラム”の母艦──この縦穴を降り切った底が、最深層。そこでは“希望も絶望も 0.00 秒ごとに反転する”らしい。システムのエラーログがそう記している。

 「要するに“心が折れるか折れないか”ゲームのラスボス会場、ってことだよね?」

 リナさんが苦笑。

 「折れたら即・取り込まれる。折れなくても時間切れで取り込まれる」

 とユウキさん。

 「だったら折れる暇が無いくらい、ぎゅんっと行っちゃった方が早いよ」

 ミントが折り紙パラシュートを開く。

 ハルさんは痛む肩を押さえつつ、パイプでフロアの縁をカンと叩き、「行こう」と短く言った。

 私は星を胸に抱き、「リンク、ジャンプモード」と唱える。星は即座に五つの白い翼エフェクトを作り、全員の背中へマグネットみたいに貼りつけた。

 「いち、に、さん……!」私は最後まで数えず、勢いで前へ踊り出た。──みんな同時。

 縦穴は重力より速い。落ちているはずなのに、視界が前後左右斜めに回転し、上下感覚が何度も反転した。星の翼が体を中心へ引き戻すので、分解せずにいられる。

 闇の壁に青いアイコンが点滅。『理性ゲージ』を読み取るセンサーだ。1 秒おきに〈99→75→40〉と数値が落ち、70 を割ったあたりで脳裏に雑音──いや囁き──が滲み始めた。

 『このまま落ちつづけて、どこに着くの?』

 『あきらめても誰も怒らないよ』

 『楽しい世界は、もう記憶の中だけ』

 そんな悪魔のような ASMR。鼓膜ではなく脳の内側で鳴る。星が防御のパルスを発してくれるけど、それでも灰色の泥が足首に絡みつく感覚。落ちる。落ちていく。

 「うるさい!」私は叫んだ。声は闇の流線に飲まれるけど、叫ばずにいられない。

 ハルさんが、それを引き取るみたいに低く吼える。

 「陽菜、掛け声を作れ」

 「掛け声?」

 「お守りみたいなやつ。四拍でいい。全員で唱えればノイズを押し出せるかもしれない」

 私はとっさに、心に浮かんだ単語を口にした。

 「わたしたち ここにいる」

 短い。四モーラ。呼吸の底で言える。脳の中に同時に置ける。

 みんなが一拍遅れで重ねた。

 「わたしたち ここにいる」

 再び。「わたしたち ここにいる」

 囁きの泥がじゅわっと後退する。数値が〈38→50〉に回復。星の翼がさらに輝く。闇の壁にパステルのひび割れが走った。

 不意に足下が真っ平らになった。落下が止まったわけじゃなく、重力ベクトルが 90 度回転して“下”が突然“水平”になったのだ。私たちは走るように着地し、そのまま滑走。

 視界が開ける。──白と黒のタイルがチェッカー状に続く 300 メートル四方の空洞。天井は鏡面の海で、私たちを逆さに写す。

 床の真ん中に、直径十メートルの ラブナティア・ミニコア。ピンクと黒がまだらで、心拍は 88 BPM。負荷は低いのに、周囲を取り巻く“影”が尋常じゃない。

 影の数、ざっと数百──すべてが“私たち自身”。しかも今度は理想像でもネガ像でもなく、さっきまで実際にここへ来るまでの行動をトレースするクローン。手の震え方や血の匂いまでコピーしている気がする。

 「自己同一性シャドウ……!」

ユウキさんが顔をしかめる。

「脳核がこちらの“現在自我”を複製し、取り替え用のダミーとしてぶつけようとしている」

 クローンの影は武器も傷も同じ。星付き陽菜・影がロッドを構え笑っている──いや笑っていない。無表情なのに口だけ笑い線。

 ハル・影は既に肩を負傷しているのに、わざとそこをかばわずにパイプを振る。やる気のない風で、でも振り下ろす瞬間だけ凄まじい速さ。

 リナ・影はドリルが折れていない。ミント・影はドローンが全機健在。ユウキ・影は端末ログをブラックボックスで暗号化し、小馬鹿にした笑みを浮かべる。

 「全員、自分の影は自分で受け持つ!」

ハルさんが号令。痛む肩を庇いながら、影・ハルへ突っ込む。

 影・陽菜は口を開くと、私と同じ声で言った。

「ねえ、帰ろうよ。もう十分頑張ったじゃん」

 「帰りたいけど、まだ終わってない」

 私はロッドを縦に振り、キャンディエッジを影の星にぶつける。金属質の火花。影星は白黒反転した暗色グラデで、触れた瞬間、指先が凍るように冷たい。

 影・陽菜はひるまず、

「守るって言いながら、結局、自分の勇敢さアピールしたいだけでしょ?」

 と笑う。うー。図星っぽい。

 でも私は首を振った。

「怖くて逃げたい私がいるから、怖くて逃げたい誰かに“逃げなくていい”って言えるんだよ」

 星がきらめき、影星の冷光を温光に塗り替えた。影・陽菜が少しぐらつき、頬にチリッと霜のヒビ。

 一方、ミントは影・ミントのドローンミサイルに押されぎみ。折り紙シールドが紙吹雪になって散る。

 「だめ、わたし負ける……!」

 リナさんがすかさず間に割って入り、影・ミントに折れドリルを投げつける。自分の影には陽菜のシュガースクリーンを借りてガード。

 ──“自分で自分を倒す・でも仲間のワンポイント補助を拒まない”。そんな変則リンケージ。

 星がそれを認識して“支援スロット”を拡大。デバイス に「ASSIST+」マークが出現し、仲間のスキルを一時的に共用できる。

 私はハルさんのパイプ軌道を デバイス にコピーし、影・陽菜の背後へフェイクパイプエフェクトを出現。影がそっちへ注意を向けた瞬間、ロッドで胸を突く。影・陽菜はガラス細工のように砕け、白い光線に変わって脳核へ吸い込まれた。

 ハルさんは影ハルと打ち合いながらも肩の怪我で徐々に遅れをとる。影は容赦なく同じ肩を狙い、肉を裂き、血を噴かせる。

 「ハルさん!!」

ミントが叫び、折り紙バリアで影ハルのパイプをせき止めるが、バリアは粉々。

 影・ハルがパイプを振り下ろそうとした──その瞬間、本物のハルが動いた。逆の手でパイプを握り直し、影の顎をフルスイング。

「俺の弱い所を突くのは俺で充分だ!」

 パイプとパイプが空中で衝突。衝撃波で血が吹き上げ、本物のハルが膝を折りながらも、影・ハルのパイプは真っ二つに折れた。影は歯を食いしばる表情を作ったが、すぐに灰になって崩れた。

 でもハルさんの傷は深い。肩から胸へ斜めに入った裂創。血に星の蒸留滴を一雫垂らしても、色が追いつかない。

 「よし…これで全員…」

 ハルさんが笑おうとして咳き込む。血が飛ぶ。

 私は目の前がにじむのを堪え、ロッドを杖に代えて彼の背中を支えた。

「まだよ。“光と絆の一撃”はこれからだもん」

 影を吸収した脳核は脈拍 100→140→160 と再加速し始める。影が栄養になってしまうらしい。

 ユウキさんがタブレットを空中に突き出し、緊急パッチを走らせるが、脳核が自動排除。タブレットが熱で赤く焦げる。

 星が小さく“キュッ”と鳴き、デバイス に《LAST-STRIKE : Stardust-Union》が出現。条件は「仲間全員のリンク深度を100%で同期し、脳核へ触れること」。

 けれどハルさんのバイタルが 55%まで落ち、動けるか分からない。ミントが泣きそうに

「無理、ハルさん無理だよ」

と言う。

 ハルさんは笑い、右手でパイプを地面に突いた。

「動けるさ。力は要らない。心拍を合わせるだけなら、この座ったままでも出来る」

 リナさんが折れドリルの残骸を杖代わりに脳核へ向き直る。

「だったら姿勢は任せて。カメラに写る側は私にまかせろ」

 ミントが涙を拭き、

「心拍のリズム、わたし真ん中で刻む!」

と胸を両手でポンポン叩く。ユウキさんはデバイスの裏蓋を外し、主基板を直接脳核に向ける準備。

「これで最後だ。みんな、シンクロナイズを」

 星が五本のリンクラインを私たちの胸から伸ばし、空中で五芒星を描く。

 「せーの!」という掛け声より早く、鼓動が合った。

 ──ドン。──ドン。──ドン。

 120 BPM できっちりユニゾン。床タイルが光のプールになり、脳核へ一直線の光柱を発射。

 脳核が悲鳴。黒とピンクがせめぎ合い、上半分が白色化。

 「もう一拍!」

 リナさんがドリル柄で脳核をコツンとはじき、ハルさんがパイプを杖に見立てて床を叩く。ミントが折り紙ドローンの残機一つを脳核へ“ハグ”させ、ユウキさんが基板を接触。私はロッドを上から軽く押し当てた。

 パァン。

 光柱がまるでクラッカーの紙テープみたいに五色に広がり、脳核を包みこんだ。心拍が 160→140→120→90──。黒が抜け、ピンクが薄桜になり、さらに虹の白光へ。

 数秒後。

 光球が縮み、ビー玉大の“希望のコア”になって私の手のひらへ落ちた。

あたたかい。

ほんのり、バニラシェイクの匂いがする。

そんなコアだった。

 床タイルが虹色の水面へ戻り、上の鏡天井が割れて星空が見えた。いや、本当の星空じゃない──ファンシー×ポップの最初期ロゴと同じピクセル星空。

 デバイス に巨大な文字が浮かぶ。

> SYSTEM OVERRIDE COMPLETE.
> CORE “LOVENATIA” STATUS: CALM
> SUBCORE SANITY_CYCLE: SHUTDOWN
> REBOOTING TO COEXISTENCE PROTOCOL...


 星が胸でコロコロ転がり、軽く「ぴっ」と鳴く。世界はセーブされ、そしてロードされ直そうとしている。

 私はビー玉コアをそっと掲げた。

「おかえり、ラブナティア」

 ミニコアは一度だけキュンと鼓動し、花の香りを吐き、静かに眠りについた。

 私たちは互いを見た。血と塵まみれ。リナさんのドリルは半分、ハルさんの肩には真新しい包帯、ミントの折り紙ドローンはほとんど息絶え、ユウキさんの端末は焼け焦げ。でもどこか、みんな光って見えた。

 背中に星の翼がまだ残っている。

 「終わった? 本当に?」

 ミントがおそるおそる聞く。

 「まだ“再生フェーズ”が丸ごと残ってるけど、殺し合いはもう来ない」

 ユウキさんが息をつく。

 ハルさんは肩を回し、「早く寝たい」とこぼす。血が滲むけれど、笑っている。

 私は思わず涙がこぼれた。でも泣き顔のまま笑った。──泣いたっていい。泣きながら進むんだ。

 脳核跡の中央に、虹色のゲートが生成される。《SAVE / CONTINUE》 という昔のゲーム風二択パネルが浮かんだ。

 「どっちを押す?」

リナさんがウインク。

 私はビー玉コアを軽く回し、

「SAVE して CONTINUE に決まってるよ」

と答えた。

 ゲートがハート型に開き、ファンシー×ポップ×アポカリプスの瓦礫世界を見下ろすテラスが現れる。空は薄桃色の夜明け前。

 再生の物語は、ここからようやく始まる。

 泣いて笑って、でも歩く。これが私たちの“光と絆の一撃”のつづき。