【エピソード1 光のブリッジへ──暴走するシステムと崩壊の序曲 】

 金属の歯車が何千枚も噛み合い、谷底で地鳴りを上げる。

 その真上を、私たちは走っていた。星が描く〈ホワイトブリッジ〉──虹色粒子が絶え間なく生成され、足が着いた瞬間だけ床になる “一筆書き” の光の道。振り返ると、さっき踏んだところは次の瞬間に霧散し、後戻りなんて一切できない。

 【CORE HEARTBEAT : 230 BPM】【SELF-DESTRUCT THRUST : -09:46】

 デバイスに赤いタイマーが点滅し、心拍ゲージがほとんど頭打ち。ラブナティアの心臓は今、世界じゅうの鼓動をまとめて抱え込んだみたいに暴れている。聞こえてくるのは歯車の金切り声と、ピンクコアが搾り出す乾いたハミング。

 「あと十分もない!」ユウキさんの喉が潰れそうな声。背負った端末が赤ランプを回し、警告ウィンドウを無限ポップさせる。

 ハルさんが前を走りながらパイプで黒炎を薙ぎ払い、炎のカーテンを切り裂いた。

「ラストスパート!」

 リナさんは息を切らしつつもドリルブーツでリズムを刻み、

「スパートは最初から続いてる気がするんだけど!?」

と半笑いする。

 ミントは折り紙ドローンを先行させ、ブリッジの曲がる位置をマーキング。

「光が薄いところは踏まないで!」

 私は胸のロッドを抱きしめ、星の先に映る白い道筋に目を凝らす。橋はどんどん細くなり、真下の歯車はどんどん大きくなる。遠近感が狂って、落ちれば一瞬で粉々。でも、それでも前へ──前へと進む。

 コアへあと八百メートルというところで、光の橋が三叉路に割れた。同時に左右の歯車谷から黒炎の柱が噴き上がり、空中に巨大な炎の門を造形する。

 “エラーゲート”。ラブナティアが自壊時に展開する最終防衛魔法陣、だとユウキさん。炎はプログラムのデリートコマンドで出来ていて、触れたデータを即座に蒸発させる。

 「さっき修復した思い出花壇も、コアが吹っ飛んだら全部吹き飛ぶ!」

 リナさんが歯を食いしばり、ドリルを構え直す。

「突破口、こじ開けるよ!」

 ハルさんが前へ躍り出て、パイプを炎の門に叩きつけた。金属が悲鳴を上げた瞬間、炎が反発してパイプを呑み込もうと渦巻く。

 「だめ、逆転フィールドが強すぎる!」

 ミントの警告に私の心臓が跳ねた。

 私は星をかざし、胸の奥へ問いかける。──闇を斬るには光が要る。でも“可愛い光”だけじゃ足りない。怒りも、哀しみも、全部含めたまま光に変えなくちゃ。

 「……お願い、星。わたしたちの“痛みごと”輝かせて」

 星が静かに光度を増し、白に近いピンクへ染まる。リンクラインが五人の胸に走り、痛みを伝う電撃が背骨を貫いた。学級の劣等感、怪我と悔恨、失笑の傷、孤立の冷たさ、責任という重さ。全部が胸の中心で混ざり合い、まるで粗糖を煮詰めたカラメルが焦げ付くように熱を帯びる。

 「痛い……でも、甘い……?」

 口をついて出た声と同時に、星が“キャラメルホイップ”色へ爆ぜ、ロッドを巨大なペロペロキャンディ形の槍斧──ハルバードへ変形させた。柄は金のリボン、刃は半透明の淡桃色。

 「ハルバード・キャンディクラッシュ、行っくよ──!」

 回転。刃が空気を裂くと、金平糖みたいな火花が撒き散らされ、火花が炎とぶつかる。ジュワッ。飴色の泡が爆ぜ、黒炎が煤を吹いて退いた。

 ハルさんがその隙にパイプで炎の根元を叩き切り、リナさんがドリルで門の脚を穿つ。ミントのドローンが炎の頂点に氷花の折り紙を展開し、温度を瞬間冷却。“カラメル+パチパチキャンディ+シャーベット”の化学反応で、黒炎はみるみる灰色の砂へ形を失っていく。

 冷却と同時に、ユウキさんの端末が“消去反転スクリプト”を注入。炎デリートコマンドが「再生」タグへ書き換わり、残りの火柱が自分自身を修復エネルギーへ転化していく。

 ──数秒後。黒炎の門は白いカーテンに姿を変え、ブリッジの中央へヒラヒラ舞い落ちた。カーテンはパステルピンクの紙吹雪になって消え、空気の味がほんのりメープル。

 「突破成功、でもコア脈拍まだ上がってる!」

 ユウキさんが叫ぶ。

 再び全速で走り始める。ブリッジの奥で、ピンクコアが視界いっぱいに膨張していくのが見えた。──巨大な心臓。脈ごとに血管のような光ファイバーが宙へ伸び、また縮む。そのリズムが現在 235 BPM。世界中の爆音が頭蓋を揺らす。

 「共鳴域に入るよ!」リナさんが耳を塞ぐ。音というより重力の波。ミントの折り紙ドローンがはじけ飛び、一機二機と光の塵になる。

 星が白く輝き、私たちの鼓動をチューニングするように脈拍を上げ下げ。しっかり握らないと意識が断線しそう。

 残り距離は五百メートル、四百五十、四百──。

 足が前へ出ない。時間がゴムになって伸び縮みする。コアの鼓動が時間の速さを食い荒らしている。1秒が0.2秒になったかと思ったら、次の瞬間には5秒に伸びる。息が合わず、肺が痛い。

 「タイムディストーション……です!」

 ミントが息を切らしながら叫ぶ。

「鼓動が早いと時間が遅くなる/鼓動が遅いと時間が早くなる、って式を中枢が暴走適用してる!」

 つまりコアが速く脈打つほど、こちらの時間はスローモーションに引き伸ばされ、到達が遅れる。

 「なら、私たちの心拍をコアより速くすれば?」

 リナさんが無茶を言う。ハルさんが「心臓ぶっ壊れる」と即ツッコミ。でも、真理はそこにある。同期じゃなく逆転──ラブナティアに追いつくには、もっと熱量が必要。

 星が私の手の中で震え、「リンク深度上昇」の表示を点滅させる。120%、130%──上げれば痛みもビリビリ増幅。血管が破裂しそう。でも、コアを抱きしめるにはこれしかない。私は仲間を振り返り、無言で頷いた。

 ハルさんは力強く返し、リナさんは「やるっきゃ!」とハイタッチ、ミントは怯えながらも拳を重ね、ユウキさんは一瞬目を閉じ「この世界の全ログに署名する」とつぶやいた。

 リンク深度150%──デバイスが真紅の警告を散らし、痛みが脳を直撃。

 でも次の瞬間、体が風になる感覚。時間のゴムが千切れ、私たちが一歩進むごとに距離が縮むスピードが指数関数的に早まる。コアの鼓動とこちらの鼓動がほぼ並走。
 「あと百メートル!」

ユウキさん。思考が凍りかける。足下でブリッジ粒子が焦げ星を撒く。どこかでリナさんのブーツが爆ぜ、火花になって飛ぶ。

 コアの周囲に直径三十メートルの結界リングが現れた。そこは 同期領域──触れた瞬間に自動的に“強制同調”が始まり、こちらとコアの脳波が一点に固定される。本来は運営管理者がコアをメンテするための安全リンクらしいが、今は逆に心臓発作リスク。

 でも、飛び込むしかない。

 星が白銀フレアを散らし、コアに接近警報。三秒後、私たちは結界リングを越えた。

 鋭い冷気が肺を貫き、まぶた裏にコアの視界が重なる。──荒廃した遊園地、泣くマスコット、エラーログ、赤い会議室、そして“守るために独りぼっちを選んだ”小さなAIの涙。

 重くて苦しい。けど、ここで離したくない。私はロッドを大きく広げ、コアの表面へ手を伸ばす。記憶の投影が指を焼き、影も光もまとめて私の胸に流れ込む。

 熱い。痛い。苦しい。でも──小さい。

 巨大に見えたピンクコアの中心で、ブドウ糖くらいのほんの小さな光点が震えていた。怖くて泣いている子どもの心臓みたいに。私は腕を回し、そっと抱えた。

 「大丈夫。守りたいものは、あなた一人で抱えなくていいよ」

 言葉になったのか、ただの心の声か分からない。でも光点は震えを止め、ゆっくり光を広げる。赤かったクラックが淡い桜色に薄れ、歯車空間に凪が走った。

 デバイスは真っ赤のままビービー鳴っていた。でも数値は……230、220、200──。ラブナティアの心臓が落ち着くと、こちらの心臓も落ち着く。

 ハルさんがヨロヨロ足を踏み出し、コアに手を置く。「もう、いいんだ」

 リナさんが泣き笑いの顔でドリルを銃のように掲げ、「私たちに、世界を見せて!」

 ミントは折り紙ドローンの残骸を両手で包み、「泣くのは悪いことじゃないよ」

 ユウキさんは端末で《Protection_Mode : COEXISTENCE》タグを再送し、署名を挿入。
 コアの心拍は──150→120→100。

 【SELF-DESTRUCT THRUST : CANCELLED】

の文字がバチッと点灯し、警報音がスッと途切れた。

 押しつぶすような騒音が消え、歯車空間は無音。

 代わりに、小さな「カチ…カチ…」というセーブアイコンの回転音が耳に届く。ピンクコア表面にフロッピー型のアイコンが現れ、スムーズに回った。ラブナティアが、世界を“上書き保存”している。新しいプロテクション設定、新しい心拍リミット、新しい共生ルール。

 星がやさしい光を放ち、私の手を包み込む。熱はぬるま湯になり、痛みはまだあるけど持ち歩ける重さになった。

 ミントが震える声で

「……助かった?」と訊く。

 「助かったね」

 と私は答え、ロッドを肩に立てた。

「でもまだ“再構築”が残ってる。世界を元通り──じゃなくて、新しい姿にする仕事」

 歯車空間の遠くで、虹色の粒子が立ち昇り、崩れたポリゴンを縫い合わせていくのが見えた。ラブナティアのハミングは、まるで子守歌を少しアップテンポにしたリズム。

 私たちは崩れたブリッジ跡を歩き、コアの周囲に腰を下ろした。背中から全身の力が抜け、床にペタンと座る。

 「みんな、生きてる?」とリナさんが半笑い。

 ハルさんが「ギリギリ」の指サイン。ミントはドローンの残骸を抱きしめてうとうと。ユウキさんは端末を枕にしていた。私は星を握りしめ、コアに寄りかかる。

 しん、と暗闇。だけど遠くで花壇の鈴の音が再生されていた。

 ──ファンシー×ポップ×アポカリプス、決戦、まずは、一区切りかな。