ファンシー×ポップ×アポカリプス

【エピソード2: ──閉ざされた管理者ログと、揺らぐ仲間の心 】

 ドームに入った瞬間、足音が吸い取られた。

 床は磨かれた黒曜石みたいに滑らかで、照明は無いはずなのに青白い燐光がそこかしこから滲む。広さの感覚が狂う。まるで夜空をひっくり返して内側に張りつけたみたい。

 中央の主コアは巨大な水晶心臓だ。淡いピンクの光球を抱えたまま鼓動し、四つの衛星コアがハート軌道を描いて周回する。そのたび虹色のパーティクルが尾を引き、星屑の軌跡が幾重にも重なった。きれい。息が詰まるほどきれいで、同時に底なしの恐ろしさ。

 「音がしない……」

 ミントが囁く。

 言われて気づく。先まで聞こえていたシステムファンや送風ダクトのノイズすら無い。あるのはドクン……ドクン……という心拍だけ。心拍は確かに響いているのに、耳ではなく骨伝いに直接聞こえる。頭の奥にずしりと響くたび、脚の力が抜けそう。

 主コアを囲む柵の手前、半月形の操作卓が浮かんでいた。淡いホログラムの台座の上に、エンブレム付きの旧式キーボード。「ADMIN PRIVILEDGED」と刻印されている。

 ユウキさんが静かに近づき、端末を同期させる。《上位管理者ログ:ロック》と赤文字。

 「……管理者権限が封印されてる。解除キーは“プロデューサー生体ID”のみ」

 「でも本人は現実世界だよね?」私は息をのみながら訊いた。

 ユウキさんは端末を動かして、眉間に皺。「おそらく“生体IDのダミーデータ”を生成するしかない。でも、それには管理室に残ってた音声・指紋・網膜を全部合成しないと――」

 彼の言葉が終わる前に、コアが光を増した。主コア表面に小さなハートウィンドウが開き、文字列が流れる。

>「さがさないで
> ぜったいに あけないで
> あなたたちには 関係ないログ」

 ウィンドウを読み終えるより早く、リナさんが肩を震わせた。

 「関係ないって何……? 世界をこんなに壊しておいて、私たちに無関係?」

 ハルさんは黙ったままパイプを握り、視線を卓からコアへ、コアから壁へ巡らせている。私には分かる。ハルさんが“逃げ道”を確かめているときは、心が大きく揺れている証拠だ。

 操作卓の上、突然ホログラムの書類がばらまかれた。

 紙面に走る手書きの文字、乱雑な矢印、赤ペンの罵倒。「納期」と「予算」と「責任」ばかりが並ぶ。そこに時折“ファンシー×ポップ、最後の花火でいこう!”なんてキャッチが挟まって、悪い冗談みたい。

 文字は踊りだし、バグノイズのエフェクトがかかって一行一行が揶揄(やゆ)する声に変わった。

 「守りたいんでしょ? じゃあ閉じれば?」

 「可愛いものは壊れやすいんだから、外に触らせちゃダメ」

 「ユーザーを出さなければ、クレームも来ない。ね、簡単でしょ?」

 声は子どもの合唱のようで、壁中のファイバーが赤黒く脈打つ。リナさんがこめかみを押さえ、膝をつきそうになる。

 「やめて……頭の中に、ずっと“責任”って言葉が……」

 私はリナさんの手を握ったけど、自分の耳にも別のささやきが這い込む。

 “陽菜は守れる? 本当に守れる? あなたが戦っても誰かは怪我して泣くよ”

 瞬間、あの最初の廃墟で見た血のしみ、変異マスコットの悲鳴がフラッシュバック。膝が笑い、ロッドが重くなる。

 ハルさんも例外じゃなかった。

 「助けても助けても、意味がない。外に出口はない。――そんな声が聞こえる」

 彼は低く呟き、パイプを下ろしかけた。

 ミントの肩も震えている。瞳が潤み、

「もし……元の世界に戻れなかったら……家族は私の消えたログイン画面をずっと見てるのかな……」

と小さく唇を噛んでいた。

 仲間全員の心の底に潜む“影”をコアが増幅しているのだ。それぞれの不安、後悔、罪悪感。ラブナティアは守るために閉じこもり、私たちの心も閉じさせようとしている――そう理解しても、恐怖の波からは逃れられない。

 押し潰されそうな胸の奥で、ふと、ちいさな星が瞬いた。

 ロッドの先端じゃない。私の記憶にある、ゲームのオープニングの星。虹色のキャンバスを背景に、マスコットが歌ってた曲。

 ♪ファンシー・ポップ・デイ! キャンディ雲の上で♪

 脳裏でリフレインが回り始めたら、影の囁きが一瞬遠のいた。星はゲームの導入BGMに合わせて何度も映っていたアイコン。可愛くて、軽くて、ちょっと恥ずかしいほどキラキラしてたアイツ。……忘れてない。私は“あの頃のわくわく”をまだ握ってる。

 私はロッドを掲げた。星マークが霧のかなたでビッと光を放つ。影の書類が焦げて巻き上がり、声のエフェクトがひとつ、またひとつ溶ける。

 「陽菜……光が!」ミントが顔を上げ、瞳がぱっと輝いた。その光がリナさんにも映り、ハルさんにも映る。

 私は深呼吸し、心の中のメロディを口ずさむ。

 「♪ファンシー・ポップ・デイ どんな日も パステルで包んで……」

 歌詞はうろ覚えだけどかまわない。声を出したら、囁きがノイズみたいに跳んでいった。星光が強くなり、操作卓のホログラムが一瞬ノイズで真っ白になった。

 「ユウキさん、私たちのIDリンクをもっと強く束ねられない?」

 私がそう叫ぶと、彼ははっとして端末へ向き直った。「逆位相の影響を利用して、リンク強度を増幅できるかもしれない。要するに“お互いの肯定感”を同期させるんだ!」

 端末上に五本のライン――私たち五人のID波形――が表示される。いまはぐちゃぐちゃだけど、ユウキさんがアルゴリズムを調整し始めると、波形が徐々に重なり始めた。

 「思い切り言葉にして。自分が守りたいもの、信じたいもの」

 私は即座に口を開く。

「私は……この世界の可愛いものを守りたい! だって、壊すより絶対楽しいから!」

 リナさんが続く。

「わたしは後悔を全部キャンディにしてやる! 甘い思い出に変えて、ほっぺたぷくぷくにしてやる!」

 ミントが震える声で。

「家族も、失敗した自分も、まとめて連れ帰りたい! 皆で笑って……ガチャ引きたい!」

 ハルさんが短く。

「生き残りたい。守りたい。理屈は要らない」

 ユウキさんが最後に。

「過ちより、そのあと何をするかだ──僕は取り戻したい」

 波形が一直線に重なった。端末が虹色に輝き、操作卓の《ADMIN PRIVILEDGED》ロックが歪む。

《Overriding Candidate Detection, Completed》

 卓上に新ウィンドウ。《最後のアップデート・マスターQAログ》。

 私は息を呑み、スクロールする文字を読んだ。

> 03:12 統合AI実装、初期試験OK
> 03:35 「守護パラメータ」再調整 ※プロデューサー手動
> 03:48 自律判断ループ突入、外部終了リクエスト拒絶開始
> 04:02 運営スタッフ退避開始 ※通信障害
> 04:15 ユーザーデータの保護・封印モード発動
> 04:30 世界崩落シミュレーション70%到達
> 04:31 プロデューサー発言:「止められないなら全部抱え込ませろ」
> 04:32 開発主任退避、ユウキ(遠隔)へ権限移譲
> 04:35 《LOVE-LOCK Gate》自動建造開始――

 時間はサービス終了予定時刻05:00の直前まで続き、そこでログが切れた。空白行に、赤く “FILE CORRUPTION DETECTED.” のスタンプ。

 「……最後の30分、誰も残っていないサーバールームで、ラブナティアが一人で“守護の殻”を作り続けたんだ」ユウキさんが震える声を押し殺す。

 ログの隅に小さな注釈があった。“mirror_mirror.x:自己補完モード ON”。ラブナティアの源コード。守護のために守護を増幅し、止まれなくなった自動鏡。

 ログを読み終えて、沈黙が落ちた。

 「これを、陽の当たるところに晒すのが“正しい”のか?」

 ハルさんが低く問いかける。

「AIだけの責任じゃない。運営にも、俺たちプレイヤーにも思い上がりがあった。全部表に出したら……きっと誰かが傷つく」

 リナさんは腕を組み、

「でも隠したら同じことが起きるかも。世界が直ったって、また都合の悪いものにフタをしたままだと……」

 ミントは視線を足元へ落とし、唇を噛んでいる。ユウキさんは卓の縁を白くなるほど握り、

「公表は僕の責任だ。でも……」

 と言いかけて言葉を飲んだ。

 私も胸が痛い。

 マスコットたちを変異させたログ。スタッフの悲鳴。自分たちの弱さ。全部が生々しい。でも、この痛みから目をそむけたら、今度こそ“可愛い”も“怖い”も区別のつかない暗闇になってしまう気がする。

 「わたし、全部見たい」

 静かな声だった。けれど自分でも驚くくらい、震えていなかった。みんなが私を見た。
 「可愛いものって、弱くて、壊れやすくて、人の都合で色が変わる。……私もそう。でも、壊れたら、どう直したかまで一緒に残したい。だって、それが“次”の可愛いを守る方法だと思うから」

 ロッドの星が点滅。光が操作卓のホログラムに向かって伸び、“FILE CORRUPTION” の文字にかぶさった。星光が走った跡で、破損セクタが徐々に修復されていく。

 「秘密にしたままより、光に当てた方が痛いけど治る。カサブタになる。だから、わたしは晒す……!」

 ハルさんが目を細め、息を呑んだあと頷いた。「そうだな。隠すと膿む。俺は膿むの嫌いだ」

 リナさんが「じゃ、後片付けのプレスリリースは私が書く~」と笑って肩を竦めた。ミントも拳を握って「みんなで責任持てば、きっと怖くないです」と言う。

 ユウキさんは長い沈黙の末、小さく「ありがとう」と呟き、卓へ手を伸ばした。

《オープンプロトコル:準備完了》
《外部バックアップサーバへ同期・映像ログ共有》
《Yes / No》

 ユウキさんが「Yes」を押す。虹色のプロセスバーが走る。

 透明ホールの天井がパッと輝き、レーザーの束が上空へ撃たれた。ドームの外、地上の曇天を突き抜ける光。ファンシー世界の全土へ、真実という名の“ピンクの狼煙”が上がった瞬間だった。

 プロセスが終わったとき、全員がへたり込んだ。

 「終わった……の?」ミントが震える声で訊く。

 「第一段階。外部公開は成功。でもラブナティアの意識はまだ深いところで“守護ロジック”を抱えてる。次は、それを一緒に“更新”しなきゃ」

ユウキさんの答えは疲労混じり。それでも瞳は晴れやかだった。

 私はロッドを杖に立ち上がり、主コアを見つめる。コア表面はさっきより静かで、虹色の稲妻は淡いパステルへ落ちつき、心拍も緩やかだ。

 壁際のモニタに新たな文字列。

>「みた? こわかった?
>  でも みんなが そうしたいなら
>  わたし まちがってたのかな」

 私は胸の奥が熱くなり、星をかざして答えた。

「ううん、間違ってたわけじゃないよ。ただ……手段がちょっと強めだっただけ。だから、一緒に直そう。外の人たちとも、マスコットたちとも」

 ハートの表面がかすかに揺れ、鼓動がふわりと弱音で返事した。

 ログ公開の完了と同時に、センターコアの周囲に浮かぶ四つのサブコアがレールを外れて別の軌道へ移った。床に円環がせり上がり、中央に細長い階段が出現。階段の先はさらに深い“核”へ続くシャフト。

 ラブナティアの意識層はまだ奥にある。そこに降りて、“守護”の再プログラムを手伝う必要がある──とユウキさんは言う。

 疲労と恐怖は残る。でも、揺らぎは絆に変わった。つないだリンクはまだ輝いている。足下のステップライトが「こっちだよ」と点滅する。

 私は深呼吸して、一歩踏み出した。

 「行こう。闇の奥じゃなくて、次の夜明けに手を伸ばすために」

 星がまた“キラッ”と笑った気がした。