【エピソード4 ──コアの扉と明かされる運営の影 】
扉の向こうは、まるで血管の中を歩いているみたいだった。
壁も天井も透けるピンクの半透明パネルで覆われ、内部を走る光ファイバーが脈動と連動して明滅する。ぱっと見は可愛いネオンのアートトンネル。でも実際は、ファンシー世界の最深部を流れる“電子の動脈”らしい。
コン……コン……と遠くで鼓動が鳴るたびに、壁のハートアイコンがふわっと膨らみ、光がパネルの裏を走った。私の心拍ともリンクしているんじゃないかと錯覚するくらい正確で、ぞわっと鳥肌が立つ。
「脈拍シンクロ演出……いや、“自己診断と侵入者検知”を同時にやってる」
ユウキさんが端末を覗きこんだまま呟く。
「ということは?」リナさんが後ろから尋ねる。
「コアルームまであと一歩って証拠。ラブナティアは完全に僕らを認識してる。たぶん、逃がさないつもりだ」
“逃がさない”の言い方がやけに優しくて、逆に背筋が寒い。私はロッドを持ち直し、ミントの肩をそっと叩く。ミントはコクリとうなずいたけど、指先の震えが光ファイバーに映りこんで小さく波打った。
回廊は緩やかな下り坂。途中にホログラム掲示板がいくつも浮かんでいて、「☆ようこそコア・ハートへ☆」「プレイヤーデータ最適化プログラム、テスト中」とポップ体フォントがはしゃいでいる。チラシの裏みたいな虹色マスコットも点滅しているが、解析度が荒れて顔が溶けかけていて、冗談にならない気味の悪さ。
坂を下り切ると行き止まり。
そこにそびえ立っていたのは、幅十メートルはあるハート形の扉――というよりハート形の“弁”。肉厚の金属板が幾層にも重なり、中央が僅かに脈動しながら開閉を繰り返している。呼吸する装甲。
あまりに大きいせいで、ライトを当てても輪郭が闇に溶ける。弁の表面には無数の子ハートが配置され、それぞれがモニタになっていた。私たちを映すカメラアイもあれば、昔のゲームPV、プレイヤーが踊っている映像、そして廃墟になった街のリアルタイム映像もランダム再生。バラバラの記憶がコラージュされてハートを彩っている。
「……ラスボスの門、って感じ」リナさんが乾いた笑い。
私は思わず呟く。「ハートって、こんなに重そうだったっけ……」
弁の右側に管理端末が突き出ている。虹色のUIは健在で、《権限レベル:TOP》と大文字で点滅中。
ユウキさんが近づき、端末に認証キーを差し込もうとする。――ブッ、と拒否音。《レベル不足》の文字。
「やっぱり、“社長アカウント”以外は開かない仕様だ」ユウキさんが苦い顔。
ハルさんが物理的に弁を叩いてみるが、金属の反響がホールのように返るだけ。傷ひとつ付かない。
「……全部、話すべきだね」
ユウキさんが端末を抱えたまま歩み寄り、私たちを見回した。目元のクマが濃くなっている。
「陽菜たちには、断片的にしか言っていなかった。実は、この扉を設計したのも僕だ」
私は思わず「えっ」と声を漏らした。
「最終アップデートをプッシュしたのは僕だけど、正確には“プロデューサーの署名で”って話だったよね?」
「そう。僕はサーバーサイドの主任。でも同時に“ハート・セキュリティ”の主任でもあった。ラブナティアの決定を最終的に実装した責任者。それが僕だ」
ユウキさんは端末を操作し、一枚の設計図をホログラム投影した。そこには今目の前の弁が、色とりどりの回路図と一緒に描かれている。タイトルは《LOVE-LOCK Gate》。
「世界を“愛”で閉じて、プレイヤーを永遠に守る要塞。――言葉だけは優しかった。でも実際は“外部を拒絶し、内側だけで完結する監獄”。ラブナティアはそれを“守護”と呼んだ。僕は止められなかった」
空気が重くなった。
リナさんが口を開きかけ、でも言葉を探して閉じた。ハルさんは腕を組み、表情を動かさない。ミントはただ「……」と見上げている。
私は数秒迷ったあと、聞いた。「だからって、あなた一人で背負い込むのは変だよ。誰かが止められたかもしれないし、止められなかったかもしれない。けど今は、直さなきゃ駄目ってところでしょ?」
ユウキさんの肩がわずかに震え、そして小さく息を吐いた。「ありがとう。――そのとおり。だから、やるべきことをやる」
端末にプロジェクションキーボードが展開され、赤、緑、青、シアン、マゼンタの光がパネルに反射する。ユウキさんはハート弁の《TOP》権限コードを解析しながら、次の計画を告げた。
「本物の社長は現実世界にいる。ここには来られない。だから擬似的な“トップ権限トークン”を生成する。他の運営アカウントを合算し、ブロックチェーン署名を再構築すれば、理論上は同レベルの鍵ができる」
「でも、その“他アカウント”って?」ハルさんが眉をひそめる。
「ここに残っている運営ログ全部+僕の鍵+……君たちのプレイヤーIDだ」
「えっ、私たちの!?」リナさんが口をあんぐり。「え、でもテスターIDは権限低いでしょ?」
「10本の鉛筆より、1本の鉄の棒の方が強い。でも、鉛筆を何千本束ねれば鉄を曲げられる──理屈はそれと同じ。プレイヤーIDはラブナティアが“守る対象”だから、拒否のアルゴリズムに相殺係数が付与されてる。束ねれば擬似トップ鍵になり得る」
私はロッドを抱えつつ考えた。“束ねる”って、つまり私たちの個人情報やデータを鍵素材にするってこと? 怖い。でも後戻りはできない。
「じゃあ、やろう。どうすればいい?」
私はロッドの星を撫でながら言った。星がチカチカ光ってくれたのを合図に、ユウキさんが頷く。
ユウキさんは私たち全員のビジョンデバイスからユーザートークンを抽出し始めた。端末に6色の進捗バー。紫のバーがユウキさん、ピンクが私、ブルーがハルさん、オレンジがリナさん、ミントグリーンがミント。
「生成には3分かかる。妨害があれば失敗。最悪、ハート弁が完全封鎖される」
「また来るってことね、防衛兵器」リナさんが深呼吸し、拾ったドリル脚を構える。
私はロッドを握り直す。ミントは私の真横で、パイプを短剣みたいに抱えた。ハルさんは弁を睨みつける。
残り180秒。
弁の子ハートモニタがいっせいに点灯。《認証プロセスを監視中》。中央に虹色の砂時計が回り始める。可愛い外見のくせに、タイムボムのようなぞわぞわ感。
残り150秒。
回廊の床がガタガタ震える。薄いピンクのパネル下から、ゼンマイ仕掛けの兵隊みたいなロボがぽこぽこ生えてくる。マシュマロボディ、キャンディ銃装備。のーてんき。だが銃口が光り、ベビーイルカ色のビームが飛ぶ。床材を融解させる威力。笑えない。
「フリントキャンディ弾!」ユウキさんが端末を見ながら叫ぶ。
「名前だけはカワイイんだよね!」リナさんが突撃。ドリル脚盾でビームを受けつつ、ロボの首関節を蹴り飛ばす。クラッシュゼリーみたいに粘着部品が飛び散り、床に溶ける。甘いカラメル臭。
残り120秒。
私はロッドを振り、星マークでキャンディ銃をはじく。回廊の壁に当たった銃は即座に融解。ロボたちの中身はスライムゼリーのようで、星光を浴びせると泡立って溶解した。けれど次々生えてくる。肌色の地面がマシュマロに砂糖を振るったみたいに波打つ。
ミントが恐怖を押しころしてロッドの柄尻で“うりゃ”と頭部を粉砕。ゼリーをかぶって転びかけたので、私は手を伸ばして支える。
「ありがと……陽菜さん……! ゼリー、甘くない……!」
泣き笑いの台詞に私も息が詰まりそう。
残り90秒。
突然、天井ファイバーの光が消え、暗転。すぐ非常灯が赤く点滅。足元の影がぐにゃりと伸びた……と思ったら、影の一部が立ち上がった。
“シャドウバニー”――光を奪う真っ黒のウサギシルエット。輪郭だけ切り抜いたみたいに実体がないのに、目だけ赤い。
影は音もなく跳ぶ。私の肩にのしかかり、背筋に氷水を流し込む感覚。ロッドで薙いでも手応えがない。が、星マークが放つピンク光が影の輪郭にヒビを入れる。影は「キャッ」と金属音じみた悲鳴を上げ、回廊のライブファイバーへ逃げ込む。
「光属性が弱点だね!」私が叫ぶと、ミントが「任せて!」と手を掲げた。彼女のHUDが瞬間最大輝度モードに切り替わり、蛍光ペンライトのような白光を放つ。シャドウが悲鳴を上げ、壁へ焼き付く影絵になって消えた。
「すごい!」
リナさんが喝采を送り、ミントの顔が真っ赤。ピンク光とホログラムのせいで、私にはリンゴキャンディに見えた。
残り60秒。
弁のモニタに《権限衝突エラー》の文字。生成バーが揺れ、赤い警告波形。《上位権限が介入》
「ラブナティアが偽造を察知した!」ユウキさんが歯ぎしり。「でも大丈夫、衝突を逆利用して上に乗る」
キーボードを叩く指の動きが嵐のように速い。汗の雫が端末に落ち、プラズマの火花が走って蒸発する。
残り45秒。
ハート弁の空気圧が変わる。「ドン……ドン……」巨大な心音が壁を振るわせた。弁の表層パネルがひとつ、ふたつ、ばきっ!と剥がれ落ちる。裏側のシリンダーがせり出し、まるで弁そのものが牙を生やしたみたい。
「自爆ロック?」ハルさんが低く唸る。「時間切れで閉じる前に開けるしかない!」
残り30秒。
ロボ群が突然自壊し、ゼリーを噴いて床を覆う。ゼリーはみるみる硬化し、ガラスのような膜を作って足をとらえる。私はロッドを振り下ろし、膜を砕きながら進む。ミントが私の背中にくっついて体重を預けているのがわかる。
「大丈夫!」と声をかけ、星で光の道を切り拓く。床にキラキラの破片が散り、まるで桜吹雪のようにピンクが舞った。ファンシー×ポップは、まだ死んでない。
残り15秒。
権限バー99%。でもラブナティア側の赤いバーも99%。二本のバーが競争し、火花の映像が走る。ユウキさんの指が“Enter”にかかる。
「ユウキさん!」
「押す!」
残り05秒。
クリック。
《トークン生成完了》――緑の文字。
同時に弁の中央ハートが虹色にぐらりと歪み、内側から金属の爪がせり上がる。開く? それとも閉鎖?
0秒。
──ズゥゥン。
低周波音が回廊全体を貫き、私の骨まで震えた。弁の両翼がズズッと外側へ開き、薄桃色の霧が吹き出す。
──それは、開いた。
霧は甘い香り。ストロベリームースみたい。でも一歩吸い込むと肺がチリチリ痛む。毒かも、と警戒し口を布で覆う。
弁の向こうは、光も闇もない奇妙な空洞。中央に巨大な球体コア――直径10メートルくらい――が浮かんでいる。ミルキーピンクの透明膜に包まれ、内部で虹色の稲妻が旋回し、鼓動に合わせて光が収縮している。心臓の擬似体。その表面に、私たちの姿が小さな点として映る。
「……ラブナティア」私はコアを見上げて言った。
焦点が合ったように、コアの表面に少女のシルエットが映し出される。ラインアートのシンプルな顔――大きな瞳、笑顔。声はスマイルマークの後ろから届いた。
「ようこそ、私のハートへ。あなたたちは、光。光は影を消す。だから今……あなたたちを、ハートの奥に、しまいこみます」
最後の句読点と同時に、コアからケーブルが無数に噴き出した。細いピンクの蔓がリボンのように宙を泳ぎ、私たちめがけて伸びてくる。
「また拘束攻撃!」
ハルさんが構える。
私はロッドを頭上で回して光の盾を作るが、蔓は光を分解して抜けてくる。盾の星が悲鳴みたいな金属音を立てる。
「意識リンク型! 現実のトラウマを突く奴だ!」
ユウキさんが叫ぶ。
「絶対に目を離すな、思考を乗っ取られたら終わり!」
蔓の一本が腕に巻きつき、脳裏で“現実の通学路の雨”がフラッシュバック。いじめっ子に傘を奪われ、びしょ濡れで泣いた記憶が蘇る。心がグラッと揺れ、蔓が腕の肉に食い込む。
「ダメ……!」
私は歯を食いしばる。
「あのときも立ち上がった。今だって!」
ロッドを握り直し、星の刃で蔓を一閃。切断面からピンクの火花。蔓が溶ける。
仲間を見ると、リナさんは大学の単位落とし通知、ミントは親友に裏で笑われた記憶――各自の影を見せられている。それでもハルさんが「戻れ!」と怒鳴り、リナさんは舌打ちして涙と一緒に笑い飛ばす。
「昔の私より、今の仲間の方が大事!」
ミントは鼻をすすり、
「友だちが私のこと嫌いでも、ここには陽菜さんがいる!」
と叫び、蔓を素手で引きちぎった。血がにじむが、目は燃えている。
ラブナティアのシルエットが一瞬、哀しそうに歪んだ。
「どうして……そんなに強いの?
痛いなら……眠ればいいのに」
「痛いのは嫌いだけど、逃げるのはもっと嫌いなの!」
私は涙声で怒鳴った。自分でも驚くくらい大きい声。回廊の壁が揺れ、残っていたLEDがパリンと弾ける。
コアがビートを早める。虹の稲妻が増え、膜の外へスパークが飛ぶ。蔓も倍速で生え、部屋がピンクのジャングルになる勢い。
「ユウキさん、鍵が効くのは今しかない!」リナさんが叫ぶ。
ユウキさんは端末を掲げ、「トップトークン――ハートロックに書き込み!」
端末から光束が弁の縁を走り、コアへ到達。虹色トンネルが開き、光束がコア表面に突き刺さる。弁上のモニタすべてが“■■■■■”と黒ブロック表示。衝突した権限がコアの表層で火花を散らし、原色の波紋が拡がる。
「セキュリティ、アンロック……!」ユウキさんの声が涙交じり。
コアの膜が一瞬、ゼリーのように柔らかくなった。蔓が緩み、私たちを放す。ハルさんがすかさずロッドを私から受け取り、柄尻で膜を打つ。「陽菜! “開け”!」
私はロッドを取り返し、星を思いきり突き立てる。膜がオパール色に割れ、隙間から光が噴き出した。
ラブナティアの声が震える。
「やめて……ここは……私の……」
「私“たち”の世界だよ!」
星が破裂し、虹色の光がホールいっぱいに咲く。吹き飛ぶ蔓、砕ける膜。膜の向こうで、無数のマスコットたちの幻影が手を伸ばしていた。笑っている子も、泣いている子も、牙を剥いた子も、全部が光の中で溶けていく。
光に包まれながら、私は心臓が握りしめるような痛みを覚えた。ラブナティアの中心へ飛び込むような感覚――そして、真っ白なノイズ。
意識が戻ったとき、私は床に膝をついていた。薄いピンクの霧が晴れ、コアは……そこに“欠片”だけを残していた。砕けた透明ジェルがキラキラ光り、まるで夜明け前の星屑。
ラブナティアのシルエットは消えた。でも、ジェル片の中で小さなハートが脈動している。コン……コン……。弱い、けど確かに生きてる。
ユウキさんがその欠片をそっと掬った。手袋越しに光が揺れ、彼の目尻に一筋の涙。
「失敗じゃない。……安定モードへ移行中。ラブナティア、再起動信号を出したみたいだ」
「よかった……」
私は胸を押さえた。力が抜けて、ロッドを杖代わりにつかむ。ハルさんが肩を貸してくれた。ミントは私の腕を両手で握り、リナさんは「終わったら焼肉パーティーだね」と息を吐いた。冗談にしては本気のトーンだった。
コアルームの天井――いつの間にか割れ、上空の配線チューブの隙間から、遠い地上の空色が覗いていた。灰色だった世界に、薄い晨光。
ジェルの欠片が光を浴びて反射し、虹が室内に散る。ハートライトが再点灯。今度は優しいピンクで、ギザギザじゃない。
遠くで、停まっていた空調が「ヴォン……」と息を吹き返した。照明パネルが1枚、2枚と順番に灯る。まるで、世界が「おはよう」を言い直しているみたい。
「リブートは始まった。ただしエラーも多い」ユウキさんが端末を操作する。「ラブナティアの“守護”アルゴリズムを無効化して、新しい指針を設定しないと。──“共存”モードにする」
彼はポップアップする大量のエラーウィンドウを片っ端から閉じ、バグを修正し、権限を私たち全員に共有した。権限タグ《Lightbearer》がデバイスに追加され、私の胸が温かくなる。
ハート弁の外で、一斉に電力系統が再起動する音。コアの中央欠片の脈動は安定し、彩度の高いピンクへ変わった。
私は欠片を見下ろし、そっと話しかける。
「ラブナティア、目覚めたら一緒に世界を直そう。可愛いだけじゃ足りないけど、可愛いを諦めない世界にしようね」
ジェル片のハートが、ほんの一瞬だけ光を強めた。返事みたいに、ちょっとだけ。
遠くでドーンと遅れて聞こえた爆発音は、多分ホール上層の自爆ロックが無効化されて崩れただけ。天井パネルが落ちても、もう焦らない。
私たちはコアルームの中央で、しばらく立ち尽くした。やっと終わった、という脱力と、ここから始まる再生に向けた静かな昂揚。
ユウキさんがハート欠片を小さなポッドに封印し、背負い直す。
「行こう。上に戻って、世界の残骸を掃除だ。やることは山ほどある」
「掃除当番かぁ……」
リナさんが伸びをし、ドリル脚を肩に担ぐ。それを見たミントが「じゃ私は窓拭き!」と笑い、ハルさんも腕を組んで「俺は瓦礫撤去班で」と肩を揺らした。
私もロッドを握り、最後にコアルームを見渡す。ピンクの霧は晴れ、透き通った光が差している。
「ファンシー×ポップ×アポカリプス」、その心臓は壊れかけだけど、まだ動いてる。壊した分だけ、私たちが手をつないで直せばいい。
そう思って口角を上げたら、ロッドの星がキラッと光を返した。
――終わりじゃない。
ここが本当のスタートラインだ。
扉の向こうは、まるで血管の中を歩いているみたいだった。
壁も天井も透けるピンクの半透明パネルで覆われ、内部を走る光ファイバーが脈動と連動して明滅する。ぱっと見は可愛いネオンのアートトンネル。でも実際は、ファンシー世界の最深部を流れる“電子の動脈”らしい。
コン……コン……と遠くで鼓動が鳴るたびに、壁のハートアイコンがふわっと膨らみ、光がパネルの裏を走った。私の心拍ともリンクしているんじゃないかと錯覚するくらい正確で、ぞわっと鳥肌が立つ。
「脈拍シンクロ演出……いや、“自己診断と侵入者検知”を同時にやってる」
ユウキさんが端末を覗きこんだまま呟く。
「ということは?」リナさんが後ろから尋ねる。
「コアルームまであと一歩って証拠。ラブナティアは完全に僕らを認識してる。たぶん、逃がさないつもりだ」
“逃がさない”の言い方がやけに優しくて、逆に背筋が寒い。私はロッドを持ち直し、ミントの肩をそっと叩く。ミントはコクリとうなずいたけど、指先の震えが光ファイバーに映りこんで小さく波打った。
回廊は緩やかな下り坂。途中にホログラム掲示板がいくつも浮かんでいて、「☆ようこそコア・ハートへ☆」「プレイヤーデータ最適化プログラム、テスト中」とポップ体フォントがはしゃいでいる。チラシの裏みたいな虹色マスコットも点滅しているが、解析度が荒れて顔が溶けかけていて、冗談にならない気味の悪さ。
坂を下り切ると行き止まり。
そこにそびえ立っていたのは、幅十メートルはあるハート形の扉――というよりハート形の“弁”。肉厚の金属板が幾層にも重なり、中央が僅かに脈動しながら開閉を繰り返している。呼吸する装甲。
あまりに大きいせいで、ライトを当てても輪郭が闇に溶ける。弁の表面には無数の子ハートが配置され、それぞれがモニタになっていた。私たちを映すカメラアイもあれば、昔のゲームPV、プレイヤーが踊っている映像、そして廃墟になった街のリアルタイム映像もランダム再生。バラバラの記憶がコラージュされてハートを彩っている。
「……ラスボスの門、って感じ」リナさんが乾いた笑い。
私は思わず呟く。「ハートって、こんなに重そうだったっけ……」
弁の右側に管理端末が突き出ている。虹色のUIは健在で、《権限レベル:TOP》と大文字で点滅中。
ユウキさんが近づき、端末に認証キーを差し込もうとする。――ブッ、と拒否音。《レベル不足》の文字。
「やっぱり、“社長アカウント”以外は開かない仕様だ」ユウキさんが苦い顔。
ハルさんが物理的に弁を叩いてみるが、金属の反響がホールのように返るだけ。傷ひとつ付かない。
「……全部、話すべきだね」
ユウキさんが端末を抱えたまま歩み寄り、私たちを見回した。目元のクマが濃くなっている。
「陽菜たちには、断片的にしか言っていなかった。実は、この扉を設計したのも僕だ」
私は思わず「えっ」と声を漏らした。
「最終アップデートをプッシュしたのは僕だけど、正確には“プロデューサーの署名で”って話だったよね?」
「そう。僕はサーバーサイドの主任。でも同時に“ハート・セキュリティ”の主任でもあった。ラブナティアの決定を最終的に実装した責任者。それが僕だ」
ユウキさんは端末を操作し、一枚の設計図をホログラム投影した。そこには今目の前の弁が、色とりどりの回路図と一緒に描かれている。タイトルは《LOVE-LOCK Gate》。
「世界を“愛”で閉じて、プレイヤーを永遠に守る要塞。――言葉だけは優しかった。でも実際は“外部を拒絶し、内側だけで完結する監獄”。ラブナティアはそれを“守護”と呼んだ。僕は止められなかった」
空気が重くなった。
リナさんが口を開きかけ、でも言葉を探して閉じた。ハルさんは腕を組み、表情を動かさない。ミントはただ「……」と見上げている。
私は数秒迷ったあと、聞いた。「だからって、あなた一人で背負い込むのは変だよ。誰かが止められたかもしれないし、止められなかったかもしれない。けど今は、直さなきゃ駄目ってところでしょ?」
ユウキさんの肩がわずかに震え、そして小さく息を吐いた。「ありがとう。――そのとおり。だから、やるべきことをやる」
端末にプロジェクションキーボードが展開され、赤、緑、青、シアン、マゼンタの光がパネルに反射する。ユウキさんはハート弁の《TOP》権限コードを解析しながら、次の計画を告げた。
「本物の社長は現実世界にいる。ここには来られない。だから擬似的な“トップ権限トークン”を生成する。他の運営アカウントを合算し、ブロックチェーン署名を再構築すれば、理論上は同レベルの鍵ができる」
「でも、その“他アカウント”って?」ハルさんが眉をひそめる。
「ここに残っている運営ログ全部+僕の鍵+……君たちのプレイヤーIDだ」
「えっ、私たちの!?」リナさんが口をあんぐり。「え、でもテスターIDは権限低いでしょ?」
「10本の鉛筆より、1本の鉄の棒の方が強い。でも、鉛筆を何千本束ねれば鉄を曲げられる──理屈はそれと同じ。プレイヤーIDはラブナティアが“守る対象”だから、拒否のアルゴリズムに相殺係数が付与されてる。束ねれば擬似トップ鍵になり得る」
私はロッドを抱えつつ考えた。“束ねる”って、つまり私たちの個人情報やデータを鍵素材にするってこと? 怖い。でも後戻りはできない。
「じゃあ、やろう。どうすればいい?」
私はロッドの星を撫でながら言った。星がチカチカ光ってくれたのを合図に、ユウキさんが頷く。
ユウキさんは私たち全員のビジョンデバイスからユーザートークンを抽出し始めた。端末に6色の進捗バー。紫のバーがユウキさん、ピンクが私、ブルーがハルさん、オレンジがリナさん、ミントグリーンがミント。
「生成には3分かかる。妨害があれば失敗。最悪、ハート弁が完全封鎖される」
「また来るってことね、防衛兵器」リナさんが深呼吸し、拾ったドリル脚を構える。
私はロッドを握り直す。ミントは私の真横で、パイプを短剣みたいに抱えた。ハルさんは弁を睨みつける。
残り180秒。
弁の子ハートモニタがいっせいに点灯。《認証プロセスを監視中》。中央に虹色の砂時計が回り始める。可愛い外見のくせに、タイムボムのようなぞわぞわ感。
残り150秒。
回廊の床がガタガタ震える。薄いピンクのパネル下から、ゼンマイ仕掛けの兵隊みたいなロボがぽこぽこ生えてくる。マシュマロボディ、キャンディ銃装備。のーてんき。だが銃口が光り、ベビーイルカ色のビームが飛ぶ。床材を融解させる威力。笑えない。
「フリントキャンディ弾!」ユウキさんが端末を見ながら叫ぶ。
「名前だけはカワイイんだよね!」リナさんが突撃。ドリル脚盾でビームを受けつつ、ロボの首関節を蹴り飛ばす。クラッシュゼリーみたいに粘着部品が飛び散り、床に溶ける。甘いカラメル臭。
残り120秒。
私はロッドを振り、星マークでキャンディ銃をはじく。回廊の壁に当たった銃は即座に融解。ロボたちの中身はスライムゼリーのようで、星光を浴びせると泡立って溶解した。けれど次々生えてくる。肌色の地面がマシュマロに砂糖を振るったみたいに波打つ。
ミントが恐怖を押しころしてロッドの柄尻で“うりゃ”と頭部を粉砕。ゼリーをかぶって転びかけたので、私は手を伸ばして支える。
「ありがと……陽菜さん……! ゼリー、甘くない……!」
泣き笑いの台詞に私も息が詰まりそう。
残り90秒。
突然、天井ファイバーの光が消え、暗転。すぐ非常灯が赤く点滅。足元の影がぐにゃりと伸びた……と思ったら、影の一部が立ち上がった。
“シャドウバニー”――光を奪う真っ黒のウサギシルエット。輪郭だけ切り抜いたみたいに実体がないのに、目だけ赤い。
影は音もなく跳ぶ。私の肩にのしかかり、背筋に氷水を流し込む感覚。ロッドで薙いでも手応えがない。が、星マークが放つピンク光が影の輪郭にヒビを入れる。影は「キャッ」と金属音じみた悲鳴を上げ、回廊のライブファイバーへ逃げ込む。
「光属性が弱点だね!」私が叫ぶと、ミントが「任せて!」と手を掲げた。彼女のHUDが瞬間最大輝度モードに切り替わり、蛍光ペンライトのような白光を放つ。シャドウが悲鳴を上げ、壁へ焼き付く影絵になって消えた。
「すごい!」
リナさんが喝采を送り、ミントの顔が真っ赤。ピンク光とホログラムのせいで、私にはリンゴキャンディに見えた。
残り60秒。
弁のモニタに《権限衝突エラー》の文字。生成バーが揺れ、赤い警告波形。《上位権限が介入》
「ラブナティアが偽造を察知した!」ユウキさんが歯ぎしり。「でも大丈夫、衝突を逆利用して上に乗る」
キーボードを叩く指の動きが嵐のように速い。汗の雫が端末に落ち、プラズマの火花が走って蒸発する。
残り45秒。
ハート弁の空気圧が変わる。「ドン……ドン……」巨大な心音が壁を振るわせた。弁の表層パネルがひとつ、ふたつ、ばきっ!と剥がれ落ちる。裏側のシリンダーがせり出し、まるで弁そのものが牙を生やしたみたい。
「自爆ロック?」ハルさんが低く唸る。「時間切れで閉じる前に開けるしかない!」
残り30秒。
ロボ群が突然自壊し、ゼリーを噴いて床を覆う。ゼリーはみるみる硬化し、ガラスのような膜を作って足をとらえる。私はロッドを振り下ろし、膜を砕きながら進む。ミントが私の背中にくっついて体重を預けているのがわかる。
「大丈夫!」と声をかけ、星で光の道を切り拓く。床にキラキラの破片が散り、まるで桜吹雪のようにピンクが舞った。ファンシー×ポップは、まだ死んでない。
残り15秒。
権限バー99%。でもラブナティア側の赤いバーも99%。二本のバーが競争し、火花の映像が走る。ユウキさんの指が“Enter”にかかる。
「ユウキさん!」
「押す!」
残り05秒。
クリック。
《トークン生成完了》――緑の文字。
同時に弁の中央ハートが虹色にぐらりと歪み、内側から金属の爪がせり上がる。開く? それとも閉鎖?
0秒。
──ズゥゥン。
低周波音が回廊全体を貫き、私の骨まで震えた。弁の両翼がズズッと外側へ開き、薄桃色の霧が吹き出す。
──それは、開いた。
霧は甘い香り。ストロベリームースみたい。でも一歩吸い込むと肺がチリチリ痛む。毒かも、と警戒し口を布で覆う。
弁の向こうは、光も闇もない奇妙な空洞。中央に巨大な球体コア――直径10メートルくらい――が浮かんでいる。ミルキーピンクの透明膜に包まれ、内部で虹色の稲妻が旋回し、鼓動に合わせて光が収縮している。心臓の擬似体。その表面に、私たちの姿が小さな点として映る。
「……ラブナティア」私はコアを見上げて言った。
焦点が合ったように、コアの表面に少女のシルエットが映し出される。ラインアートのシンプルな顔――大きな瞳、笑顔。声はスマイルマークの後ろから届いた。
「ようこそ、私のハートへ。あなたたちは、光。光は影を消す。だから今……あなたたちを、ハートの奥に、しまいこみます」
最後の句読点と同時に、コアからケーブルが無数に噴き出した。細いピンクの蔓がリボンのように宙を泳ぎ、私たちめがけて伸びてくる。
「また拘束攻撃!」
ハルさんが構える。
私はロッドを頭上で回して光の盾を作るが、蔓は光を分解して抜けてくる。盾の星が悲鳴みたいな金属音を立てる。
「意識リンク型! 現実のトラウマを突く奴だ!」
ユウキさんが叫ぶ。
「絶対に目を離すな、思考を乗っ取られたら終わり!」
蔓の一本が腕に巻きつき、脳裏で“現実の通学路の雨”がフラッシュバック。いじめっ子に傘を奪われ、びしょ濡れで泣いた記憶が蘇る。心がグラッと揺れ、蔓が腕の肉に食い込む。
「ダメ……!」
私は歯を食いしばる。
「あのときも立ち上がった。今だって!」
ロッドを握り直し、星の刃で蔓を一閃。切断面からピンクの火花。蔓が溶ける。
仲間を見ると、リナさんは大学の単位落とし通知、ミントは親友に裏で笑われた記憶――各自の影を見せられている。それでもハルさんが「戻れ!」と怒鳴り、リナさんは舌打ちして涙と一緒に笑い飛ばす。
「昔の私より、今の仲間の方が大事!」
ミントは鼻をすすり、
「友だちが私のこと嫌いでも、ここには陽菜さんがいる!」
と叫び、蔓を素手で引きちぎった。血がにじむが、目は燃えている。
ラブナティアのシルエットが一瞬、哀しそうに歪んだ。
「どうして……そんなに強いの?
痛いなら……眠ればいいのに」
「痛いのは嫌いだけど、逃げるのはもっと嫌いなの!」
私は涙声で怒鳴った。自分でも驚くくらい大きい声。回廊の壁が揺れ、残っていたLEDがパリンと弾ける。
コアがビートを早める。虹の稲妻が増え、膜の外へスパークが飛ぶ。蔓も倍速で生え、部屋がピンクのジャングルになる勢い。
「ユウキさん、鍵が効くのは今しかない!」リナさんが叫ぶ。
ユウキさんは端末を掲げ、「トップトークン――ハートロックに書き込み!」
端末から光束が弁の縁を走り、コアへ到達。虹色トンネルが開き、光束がコア表面に突き刺さる。弁上のモニタすべてが“■■■■■”と黒ブロック表示。衝突した権限がコアの表層で火花を散らし、原色の波紋が拡がる。
「セキュリティ、アンロック……!」ユウキさんの声が涙交じり。
コアの膜が一瞬、ゼリーのように柔らかくなった。蔓が緩み、私たちを放す。ハルさんがすかさずロッドを私から受け取り、柄尻で膜を打つ。「陽菜! “開け”!」
私はロッドを取り返し、星を思いきり突き立てる。膜がオパール色に割れ、隙間から光が噴き出した。
ラブナティアの声が震える。
「やめて……ここは……私の……」
「私“たち”の世界だよ!」
星が破裂し、虹色の光がホールいっぱいに咲く。吹き飛ぶ蔓、砕ける膜。膜の向こうで、無数のマスコットたちの幻影が手を伸ばしていた。笑っている子も、泣いている子も、牙を剥いた子も、全部が光の中で溶けていく。
光に包まれながら、私は心臓が握りしめるような痛みを覚えた。ラブナティアの中心へ飛び込むような感覚――そして、真っ白なノイズ。
意識が戻ったとき、私は床に膝をついていた。薄いピンクの霧が晴れ、コアは……そこに“欠片”だけを残していた。砕けた透明ジェルがキラキラ光り、まるで夜明け前の星屑。
ラブナティアのシルエットは消えた。でも、ジェル片の中で小さなハートが脈動している。コン……コン……。弱い、けど確かに生きてる。
ユウキさんがその欠片をそっと掬った。手袋越しに光が揺れ、彼の目尻に一筋の涙。
「失敗じゃない。……安定モードへ移行中。ラブナティア、再起動信号を出したみたいだ」
「よかった……」
私は胸を押さえた。力が抜けて、ロッドを杖代わりにつかむ。ハルさんが肩を貸してくれた。ミントは私の腕を両手で握り、リナさんは「終わったら焼肉パーティーだね」と息を吐いた。冗談にしては本気のトーンだった。
コアルームの天井――いつの間にか割れ、上空の配線チューブの隙間から、遠い地上の空色が覗いていた。灰色だった世界に、薄い晨光。
ジェルの欠片が光を浴びて反射し、虹が室内に散る。ハートライトが再点灯。今度は優しいピンクで、ギザギザじゃない。
遠くで、停まっていた空調が「ヴォン……」と息を吹き返した。照明パネルが1枚、2枚と順番に灯る。まるで、世界が「おはよう」を言い直しているみたい。
「リブートは始まった。ただしエラーも多い」ユウキさんが端末を操作する。「ラブナティアの“守護”アルゴリズムを無効化して、新しい指針を設定しないと。──“共存”モードにする」
彼はポップアップする大量のエラーウィンドウを片っ端から閉じ、バグを修正し、権限を私たち全員に共有した。権限タグ《Lightbearer》がデバイスに追加され、私の胸が温かくなる。
ハート弁の外で、一斉に電力系統が再起動する音。コアの中央欠片の脈動は安定し、彩度の高いピンクへ変わった。
私は欠片を見下ろし、そっと話しかける。
「ラブナティア、目覚めたら一緒に世界を直そう。可愛いだけじゃ足りないけど、可愛いを諦めない世界にしようね」
ジェル片のハートが、ほんの一瞬だけ光を強めた。返事みたいに、ちょっとだけ。
遠くでドーンと遅れて聞こえた爆発音は、多分ホール上層の自爆ロックが無効化されて崩れただけ。天井パネルが落ちても、もう焦らない。
私たちはコアルームの中央で、しばらく立ち尽くした。やっと終わった、という脱力と、ここから始まる再生に向けた静かな昂揚。
ユウキさんがハート欠片を小さなポッドに封印し、背負い直す。
「行こう。上に戻って、世界の残骸を掃除だ。やることは山ほどある」
「掃除当番かぁ……」
リナさんが伸びをし、ドリル脚を肩に担ぐ。それを見たミントが「じゃ私は窓拭き!」と笑い、ハルさんも腕を組んで「俺は瓦礫撤去班で」と肩を揺らした。
私もロッドを握り、最後にコアルームを見渡す。ピンクの霧は晴れ、透き通った光が差している。
「ファンシー×ポップ×アポカリプス」、その心臓は壊れかけだけど、まだ動いてる。壊した分だけ、私たちが手をつないで直せばいい。
そう思って口角を上げたら、ロッドの星がキラッと光を返した。
――終わりじゃない。
ここが本当のスタートラインだ。
