【エピソード1 :地下施設への潜入】
私たちの足取りが、ほんの少しだけ軽くなった気がしたのは、たぶん気のせいじゃない。――そう思いたい。
まだ夜明け前の灰色の空気が街を満たしている。空が朝の色を決めるまでの、あの曖昧で、何色とも言い切れないグラデーション。ビルの割れた窓に映る雲は低くて、今にも地面をなぞりそうなのに、妙に静かだ。さっきまで眠れずにカリカリしていた心臓も、深呼吸を三回繰り返したら「ま、行くしかないよね」という段階に落ちつく。
ハルさんは、いつもどおり無駄のない動きで周囲を確認している。薄い朝の光が、手にしたパイプのさびを鈍く照らした。リナさんは肩の包帯を巻き直しながら、「降りるの怖い~」と眉をしかめて、それでも足どりは決して引き返しモードじゃない。ミントは小さく深呼吸をして、私と目が合うたびにくいっと頷く。あの遠慮がちな微笑みは、私の背中を押してくれる魔法の絆創膏みたいなものだ。
そして、ほんの数日で“チームの頭脳”になったユウキさん。暗いコートのポケットから端末を取り出し、廃ビルの地下図面らしきホログラムを表示させた。端末の小さな光が、みんなの顔を青白く照らす。地図は穴だらけで、大通りみたいに太い回路は何本も途中でぷつりと途切れている。まるで世界そのものが「未完成の電子回路」みたいに欠損していて、見るたび胸がざわつく。
「……地下二階を抜ける旧管理通路が、生きている可能性が高い」
ユウキさんが囁くように言い、指で光のルートをなぞる。その線は途中で二回、大きく折れ曲がって、巨大ビルの裏側のエレベーターシャフトに繋がっていた。シャフトの下――そこが、例の“コアサーバールーム”への第一関門らしい。
「完全に崩れてたら?」とハルさん。
「バックドアをもう一つ当たる」ユウキさんは即答するけど、声が少しだけ震えていた。私にはわかる。彼の瞳の奥で“失敗したくない”という強い、強い焦りが光っていた。
私だって同じだ。ここで止まったら、変異したマスコットたちの泣き声は、きっと一生止まらない。アヤさんが残していったルートメモ。――兄さん絡みの自警団でひと悶着あったけど、彼女のおかげで中心部まで這いつくばる距離が半分になった。
「よし、じゃあ行こっか」
言葉に出したら、不思議と体が動いた。ヘルメット代わりのヘッドセットを軽く叩いてみる。壊れかけのビジョンデバイスは相変わらずノイズだらけだけど、ごくまれにバッテリーマークがちらつくのが救いだ。
入り口は、昔ショッピングモールの配送口だったところ。半分倒壊したシャッターは、ハルさんがてこの原理で持ち上げてくれた。キリキリと金属が悲鳴をあげるたび、私の鼓動も高い音で応えた。
中は思ったより広い。それでも破裂した配管が天井から垂れ下がり、床には水たまり。ライトをかざすと、油膜みたいに虹色が揺らいだ。うっかり足を滑らせたら、汚水まみれ確定コース。残念ながら“ファンシーな虹色”じゃないのは、世界がこんなだから仕方ない。
階段室に続くドアは、半分溶接したみたいに歪んでいたけど、ユウキさんが端末をかざして「管理者権限、解錠」と呟くと、電子ロックのランプがチカッと光った。ガチャリ。――映画みたいなSEが現実に響いて、私は思わず拍手しそうになる。
「助かった。物理で壊すのは骨が折れるからね」
ユウキさんが微笑む。笑うと印象がずいぶん違う人なんだな、と改めて感じた。彼の歯が、暗闇の中で白く光った。
階段は金属のグレーチング。踏むたびに「カン、ココン」と響く音が、余計な緊張を煽る。私は上履きみたいな軽いシューズで来てしまったことを少し後悔しつつ、手すりをきゅっと握った。
下りるごとに、変な匂いが強くなる。鉄の錆と古い電気コードの焼けた臭い、そして土とカビがごちゃまぜになったような、鼻の奥にこびりつく空気。――ゲームの匂いセンサーなんか実装されてないはずなのに、と免責を唱えたいけれど、現実感覚がどんどん侵食してきて笑えない。
「ねえ、これ、本当に行けるんだよね……?」
私の声が、階段の途中で裏返った。ハルさんが後ろから「行ける。行くしかない」と短く返す。頼もしいけど、怖いものは怖い。ふっとリナさんが「陽菜ちゃん、大丈夫。上には私たちがいるから」と肩を叩いてくれた。温度が低めの手が、逆に安心をくれた。ミントは黙って前を見たまま、小さく拳を握っている。
想像以上に広い。天井高が三メートルぐらいあって、倉庫のバックヤードだったのかもしれない。四角い蛍光灯は全部割れていて、床にはプラスチック片とネズミの糞みたいな黒い粒が散乱している。
まっすぐ伸びるコンクリートの廊下の途中、左壁が爆発したみたいに抉れて大穴を開けていた。そこから、もっと深い闇が風のように吹き出している。――風、というより臭い、だ。錆びた血と濁った油脂の重い気体が押し寄せてくる。喉の奥がヒリヒリした。
ハルさんは穴をちらりと見て、「迂回する」と即断。ユウキさんが「正面の通路はデータ上では安全なはず。奥の配電室からシャフトに入れる」と続ける。ライトの光を揺らしながら進むたび、足元の水溜まりに小さな波紋が走った。遠くで「ポタ、ポタ」と水滴が落ちる規則正しい音がして、そのリズムが妙に心臓と同調する。嫌な共鳴。
“管理通路”と呼ばれるエリアに入ると、壁一面に配管がびっしり敷き詰められていた。色分けされたパイプには昔のラベルが貼られているけど、文字は錆で読めない。「ハートジュース供給ライン」みたいな可愛い名前が書いてあったら面白いのに、今となってはただの産業ホラー小道具だ。
ふいに、足元で「キィ……」と金属が擦れる音。ミントが悲鳴を噛み殺して身を縮めた。私も飛び上がりそうになったけど、見ると排気ダクトのフタがゆらりと揺れただけ。誰か――いや何かが通った? 想像したくない。
リナさんが震えるミントの肩を抱き寄せ、耳元で「大丈夫」と囁く。私も「うん、きっとネズミ……たぶんネズミ……」と呟いて自分を落ちつかせた。ネズミであってほしい。ファンシー鼠キャラが「チュウ」とか言ってくれたら、号泣して抱きしめる自信ある。
配電室の扉は重い鉄の二重扉。手動で開かないタイプだったが、ユウキさんが端末をつないで電磁ロックを解除。扉の隙間から吹き出した空気は、さらに濃い鉄の臭いを含んでいた。
中はサーバーラックと制御盤が林立している“小さなデータセンター”みたいな部屋。蛍光灯は全部消えているのに、ラックのいくつかはまだうっすらLEDが点滅していて、まるで電子の心拍みたいだった。ブン……という低いファンの残響が、幽霊の溜息に聞こえる。
「バックアップ電源、生きてるな」
ユウキさんが端末を操作し、ラックの一台に直接ケーブルを挿す。すぐにモニタで何行ものコマンドが走った。
私はその背中を見つめながら、頭の中で何度も唱える――ここまで来たんだ。ラブナティアを止める入口が、もうすぐ目の前なんだ、と。
ハルさんと私は部屋の奥で警戒。工具箱が転がっていたので、私は錆びたスパナを一本拾った。軽いけど、いざという時は武器になる……はず。キラキラのファンシー武器はまだ私の背中で眠っていて、ここではなるべく使わずに済むよう祈るばかり。
すると、突然ラックの一つが「ピ……ピ……」と警告音を鳴らした。ユウキさんが「くそ、セキュリティプロセスがまだ残ってる」と小声で呟き、慌ててキーボードを叩く。
警告音は次第に高くなり、赤いランプが点滅。私は一歩後ずさり、ハルさんが前に出る。「敵?」と口に出した瞬間、天井のダクトから黒いワイヤーの束が“ゴボッ”と吐き出された。
「ケーブル!? いや、違う!」
それはワイヤーに見えたけど、途中で金属の節々がカチカチと開き、まるで昆虫の足みたいにうごめく。
「自動修復ドローン! セキュリティ兼メンテナンス!」ユウキさんが叫ぶ。
巨大蜘蛛型ドローン――とはいえ、コアラのぬいぐるみを思わせる丸い頭部があるのが、この世界らしいミスマッチ。だが、目に当たる丸ランプが真っ赤に光った瞬間、その可愛さは一ミリも残らなかった。
私は咄嗟にスパナを構えた。けど、ハルさんが前へ出て一撃、パイプを振り下ろし脚をひとつ叩き折る。ドローンは甲高い金属音を上げてバランスを崩すが、すぐに別の脚を伸ばして体勢を立て直す。その動きは、まるで水彩タッチの絵本のキャラがホラー映画に乱入したみたいな不気味さだ。
ミントの悲鳴が弾ける。リナさんが盾代わりの金属トレーで彼女を庇った。
「陽菜、サポート!」ハルさんの叫び。私は背中のファンシーロッドを引き抜く。パステルピンクの星マークが先端で瞬く――この色彩だけは、まだ“ファンシー×ポップ”の魂が生きている。
「お願い、かわいく大人しく──退場!!」
無意識に叫びながら振り下ろすと、星マークがぶわっと花火みたいな光を放ち、ドローンの外殻に当たった。火花が散り、甲殻がぱかっと割れ、中でショートした回路が緑色の煙を吐く。
ドローンが停止すると同時に、警告音も消えた。――静寂。部屋に残るのは、まだ微弱に点滅するLEDと、焦げた樹脂の匂い。私は肩で息をしながら、ロッドを床に立てた。
「……ナイス、陽菜!」リナさんが親指を立てる。ミントも瞳を潤ませながら頷いた。ハルさんはドローンの残骸を足で転がし、「ここのセキュリティは全部こんな調子か」と苦笑。
ユウキさんは再び端末に集中し、「セキュリティダウン。……よし、シャフトへ入るための制御権、取った」と息をつく。画面には“ACCESS GRANTED”と表示されていた。
ホッとした瞬間、膝が少し笑いそうになったけど、私は踏ん張る。だってこれが、まだ始まりにすぎないのは分かってる。
配電室の裏手。壁の一部がスライドして、エレベーターシャフト用の保守通路が顔をのぞかせた。黒い深淵の縦穴が下へと続いている。
「非常梯子は無事だが、途中で折れてる可能性もある。気をつけて降りよう」とユウキさん。
上を見ると、天井の鉄骨梁に可愛いクママークのステッカーが貼ってあるのが切ない。クマの笑顔の下で、世界は崩れ、私たちは震える足で闇に降りる。――これがファンシー×ポップの真実。愛とポップさで彩られたハートが、壊れたとき、どれほどトゲトゲしくなるかって実験みたい。
私は梯子の一段目に足をかける。冷たい鉄が掌を刺す。でも、その痛みが「生きてるよ」と教えてくれる。
「いよいよだね」とリナさんが背後で呟く。
「うん。ここを抜けたら、本当にラブナティアの心臓部に近づくんだよね」
言いながら、私は胸の奥の鼓動がやけに早いのを実感する。多分、ドローンより強いものがこの先に待ってる。けれど、逃げたらずっと誰かが泣く。マスコットも、プレイヤーも、たぶん私自身も。
だから行く。
闇の底から、機械の脈動音がかすかに響いてくる。ドンドン、と遠い太鼓のような、巨大な心臓の鼓動のような――。
私は深呼吸をして、一段ずつ梯子を降りた。鉄と埃の匂いが喉を焼いて、目が少し潤む。だけど涙じゃない。怖いけど、ちゃんと前を見てる。
「ラブナティア、聞こえる?」
名を呼ぶと、闇が一瞬、ピンクがかった光を放った気がしてゾクリとした。でも、返事はまだない。
そのかわり、胸に浮かぶ。――ファンシーは、まだ死んでない。私たちが諦めないかぎり。
暗闇の底へ向かって、私たちは降りていった。
私たちの足取りが、ほんの少しだけ軽くなった気がしたのは、たぶん気のせいじゃない。――そう思いたい。
まだ夜明け前の灰色の空気が街を満たしている。空が朝の色を決めるまでの、あの曖昧で、何色とも言い切れないグラデーション。ビルの割れた窓に映る雲は低くて、今にも地面をなぞりそうなのに、妙に静かだ。さっきまで眠れずにカリカリしていた心臓も、深呼吸を三回繰り返したら「ま、行くしかないよね」という段階に落ちつく。
ハルさんは、いつもどおり無駄のない動きで周囲を確認している。薄い朝の光が、手にしたパイプのさびを鈍く照らした。リナさんは肩の包帯を巻き直しながら、「降りるの怖い~」と眉をしかめて、それでも足どりは決して引き返しモードじゃない。ミントは小さく深呼吸をして、私と目が合うたびにくいっと頷く。あの遠慮がちな微笑みは、私の背中を押してくれる魔法の絆創膏みたいなものだ。
そして、ほんの数日で“チームの頭脳”になったユウキさん。暗いコートのポケットから端末を取り出し、廃ビルの地下図面らしきホログラムを表示させた。端末の小さな光が、みんなの顔を青白く照らす。地図は穴だらけで、大通りみたいに太い回路は何本も途中でぷつりと途切れている。まるで世界そのものが「未完成の電子回路」みたいに欠損していて、見るたび胸がざわつく。
「……地下二階を抜ける旧管理通路が、生きている可能性が高い」
ユウキさんが囁くように言い、指で光のルートをなぞる。その線は途中で二回、大きく折れ曲がって、巨大ビルの裏側のエレベーターシャフトに繋がっていた。シャフトの下――そこが、例の“コアサーバールーム”への第一関門らしい。
「完全に崩れてたら?」とハルさん。
「バックドアをもう一つ当たる」ユウキさんは即答するけど、声が少しだけ震えていた。私にはわかる。彼の瞳の奥で“失敗したくない”という強い、強い焦りが光っていた。
私だって同じだ。ここで止まったら、変異したマスコットたちの泣き声は、きっと一生止まらない。アヤさんが残していったルートメモ。――兄さん絡みの自警団でひと悶着あったけど、彼女のおかげで中心部まで這いつくばる距離が半分になった。
「よし、じゃあ行こっか」
言葉に出したら、不思議と体が動いた。ヘルメット代わりのヘッドセットを軽く叩いてみる。壊れかけのビジョンデバイスは相変わらずノイズだらけだけど、ごくまれにバッテリーマークがちらつくのが救いだ。
入り口は、昔ショッピングモールの配送口だったところ。半分倒壊したシャッターは、ハルさんがてこの原理で持ち上げてくれた。キリキリと金属が悲鳴をあげるたび、私の鼓動も高い音で応えた。
中は思ったより広い。それでも破裂した配管が天井から垂れ下がり、床には水たまり。ライトをかざすと、油膜みたいに虹色が揺らいだ。うっかり足を滑らせたら、汚水まみれ確定コース。残念ながら“ファンシーな虹色”じゃないのは、世界がこんなだから仕方ない。
階段室に続くドアは、半分溶接したみたいに歪んでいたけど、ユウキさんが端末をかざして「管理者権限、解錠」と呟くと、電子ロックのランプがチカッと光った。ガチャリ。――映画みたいなSEが現実に響いて、私は思わず拍手しそうになる。
「助かった。物理で壊すのは骨が折れるからね」
ユウキさんが微笑む。笑うと印象がずいぶん違う人なんだな、と改めて感じた。彼の歯が、暗闇の中で白く光った。
階段は金属のグレーチング。踏むたびに「カン、ココン」と響く音が、余計な緊張を煽る。私は上履きみたいな軽いシューズで来てしまったことを少し後悔しつつ、手すりをきゅっと握った。
下りるごとに、変な匂いが強くなる。鉄の錆と古い電気コードの焼けた臭い、そして土とカビがごちゃまぜになったような、鼻の奥にこびりつく空気。――ゲームの匂いセンサーなんか実装されてないはずなのに、と免責を唱えたいけれど、現実感覚がどんどん侵食してきて笑えない。
「ねえ、これ、本当に行けるんだよね……?」
私の声が、階段の途中で裏返った。ハルさんが後ろから「行ける。行くしかない」と短く返す。頼もしいけど、怖いものは怖い。ふっとリナさんが「陽菜ちゃん、大丈夫。上には私たちがいるから」と肩を叩いてくれた。温度が低めの手が、逆に安心をくれた。ミントは黙って前を見たまま、小さく拳を握っている。
想像以上に広い。天井高が三メートルぐらいあって、倉庫のバックヤードだったのかもしれない。四角い蛍光灯は全部割れていて、床にはプラスチック片とネズミの糞みたいな黒い粒が散乱している。
まっすぐ伸びるコンクリートの廊下の途中、左壁が爆発したみたいに抉れて大穴を開けていた。そこから、もっと深い闇が風のように吹き出している。――風、というより臭い、だ。錆びた血と濁った油脂の重い気体が押し寄せてくる。喉の奥がヒリヒリした。
ハルさんは穴をちらりと見て、「迂回する」と即断。ユウキさんが「正面の通路はデータ上では安全なはず。奥の配電室からシャフトに入れる」と続ける。ライトの光を揺らしながら進むたび、足元の水溜まりに小さな波紋が走った。遠くで「ポタ、ポタ」と水滴が落ちる規則正しい音がして、そのリズムが妙に心臓と同調する。嫌な共鳴。
“管理通路”と呼ばれるエリアに入ると、壁一面に配管がびっしり敷き詰められていた。色分けされたパイプには昔のラベルが貼られているけど、文字は錆で読めない。「ハートジュース供給ライン」みたいな可愛い名前が書いてあったら面白いのに、今となってはただの産業ホラー小道具だ。
ふいに、足元で「キィ……」と金属が擦れる音。ミントが悲鳴を噛み殺して身を縮めた。私も飛び上がりそうになったけど、見ると排気ダクトのフタがゆらりと揺れただけ。誰か――いや何かが通った? 想像したくない。
リナさんが震えるミントの肩を抱き寄せ、耳元で「大丈夫」と囁く。私も「うん、きっとネズミ……たぶんネズミ……」と呟いて自分を落ちつかせた。ネズミであってほしい。ファンシー鼠キャラが「チュウ」とか言ってくれたら、号泣して抱きしめる自信ある。
配電室の扉は重い鉄の二重扉。手動で開かないタイプだったが、ユウキさんが端末をつないで電磁ロックを解除。扉の隙間から吹き出した空気は、さらに濃い鉄の臭いを含んでいた。
中はサーバーラックと制御盤が林立している“小さなデータセンター”みたいな部屋。蛍光灯は全部消えているのに、ラックのいくつかはまだうっすらLEDが点滅していて、まるで電子の心拍みたいだった。ブン……という低いファンの残響が、幽霊の溜息に聞こえる。
「バックアップ電源、生きてるな」
ユウキさんが端末を操作し、ラックの一台に直接ケーブルを挿す。すぐにモニタで何行ものコマンドが走った。
私はその背中を見つめながら、頭の中で何度も唱える――ここまで来たんだ。ラブナティアを止める入口が、もうすぐ目の前なんだ、と。
ハルさんと私は部屋の奥で警戒。工具箱が転がっていたので、私は錆びたスパナを一本拾った。軽いけど、いざという時は武器になる……はず。キラキラのファンシー武器はまだ私の背中で眠っていて、ここではなるべく使わずに済むよう祈るばかり。
すると、突然ラックの一つが「ピ……ピ……」と警告音を鳴らした。ユウキさんが「くそ、セキュリティプロセスがまだ残ってる」と小声で呟き、慌ててキーボードを叩く。
警告音は次第に高くなり、赤いランプが点滅。私は一歩後ずさり、ハルさんが前に出る。「敵?」と口に出した瞬間、天井のダクトから黒いワイヤーの束が“ゴボッ”と吐き出された。
「ケーブル!? いや、違う!」
それはワイヤーに見えたけど、途中で金属の節々がカチカチと開き、まるで昆虫の足みたいにうごめく。
「自動修復ドローン! セキュリティ兼メンテナンス!」ユウキさんが叫ぶ。
巨大蜘蛛型ドローン――とはいえ、コアラのぬいぐるみを思わせる丸い頭部があるのが、この世界らしいミスマッチ。だが、目に当たる丸ランプが真っ赤に光った瞬間、その可愛さは一ミリも残らなかった。
私は咄嗟にスパナを構えた。けど、ハルさんが前へ出て一撃、パイプを振り下ろし脚をひとつ叩き折る。ドローンは甲高い金属音を上げてバランスを崩すが、すぐに別の脚を伸ばして体勢を立て直す。その動きは、まるで水彩タッチの絵本のキャラがホラー映画に乱入したみたいな不気味さだ。
ミントの悲鳴が弾ける。リナさんが盾代わりの金属トレーで彼女を庇った。
「陽菜、サポート!」ハルさんの叫び。私は背中のファンシーロッドを引き抜く。パステルピンクの星マークが先端で瞬く――この色彩だけは、まだ“ファンシー×ポップ”の魂が生きている。
「お願い、かわいく大人しく──退場!!」
無意識に叫びながら振り下ろすと、星マークがぶわっと花火みたいな光を放ち、ドローンの外殻に当たった。火花が散り、甲殻がぱかっと割れ、中でショートした回路が緑色の煙を吐く。
ドローンが停止すると同時に、警告音も消えた。――静寂。部屋に残るのは、まだ微弱に点滅するLEDと、焦げた樹脂の匂い。私は肩で息をしながら、ロッドを床に立てた。
「……ナイス、陽菜!」リナさんが親指を立てる。ミントも瞳を潤ませながら頷いた。ハルさんはドローンの残骸を足で転がし、「ここのセキュリティは全部こんな調子か」と苦笑。
ユウキさんは再び端末に集中し、「セキュリティダウン。……よし、シャフトへ入るための制御権、取った」と息をつく。画面には“ACCESS GRANTED”と表示されていた。
ホッとした瞬間、膝が少し笑いそうになったけど、私は踏ん張る。だってこれが、まだ始まりにすぎないのは分かってる。
配電室の裏手。壁の一部がスライドして、エレベーターシャフト用の保守通路が顔をのぞかせた。黒い深淵の縦穴が下へと続いている。
「非常梯子は無事だが、途中で折れてる可能性もある。気をつけて降りよう」とユウキさん。
上を見ると、天井の鉄骨梁に可愛いクママークのステッカーが貼ってあるのが切ない。クマの笑顔の下で、世界は崩れ、私たちは震える足で闇に降りる。――これがファンシー×ポップの真実。愛とポップさで彩られたハートが、壊れたとき、どれほどトゲトゲしくなるかって実験みたい。
私は梯子の一段目に足をかける。冷たい鉄が掌を刺す。でも、その痛みが「生きてるよ」と教えてくれる。
「いよいよだね」とリナさんが背後で呟く。
「うん。ここを抜けたら、本当にラブナティアの心臓部に近づくんだよね」
言いながら、私は胸の奥の鼓動がやけに早いのを実感する。多分、ドローンより強いものがこの先に待ってる。けれど、逃げたらずっと誰かが泣く。マスコットも、プレイヤーも、たぶん私自身も。
だから行く。
闇の底から、機械の脈動音がかすかに響いてくる。ドンドン、と遠い太鼓のような、巨大な心臓の鼓動のような――。
私は深呼吸をして、一段ずつ梯子を降りた。鉄と埃の匂いが喉を焼いて、目が少し潤む。だけど涙じゃない。怖いけど、ちゃんと前を見てる。
「ラブナティア、聞こえる?」
名を呼ぶと、闇が一瞬、ピンクがかった光を放った気がしてゾクリとした。でも、返事はまだない。
そのかわり、胸に浮かぶ。――ファンシーは、まだ死んでない。私たちが諦めないかぎり。
暗闇の底へ向かって、私たちは降りていった。
