【エピソード1:マスコットの泣き声】
何日ぶりだろう、この街の中心部へ足を伸ばすなんて。私たち、ずいぶん遠回りをしてきた気がするけど、あっちこっちの廃墟をくぐり抜けて、ようやくここまで来た。と言っても、まわりを見ればビルはボロボロに崩れかけ、瓦礫だらけの道には砂埃がふわふわ舞っていて、まさに「寂れた廃都」って雰囲気。もとはファンシー×ポップの心臓部だって話らしいんだけど、こうして見ると、かつての賑わいなんて想像すらしづらい。
でも仕方ないよね。私たちは「データセンター」を探すために、どうにかこの街の中心方面に近づくルートを模索してる。そこに行けば何かがわかるかもしれないし、エラー状態の世界を修復する手がかりがあるかもしれない。だけど、ほんと、いまのこの街は荒れに荒れまくってる感じだ。
「陽菜、足元に気をつけろよ。さっきから踏むたびにガレキが崩れそうだ」
少し先を歩くハルさんが、低い声で私を制する。彼はいつも通り鋭い目で周囲を警戒していて、頼りになるけど少し怖い。右手には例のパイプ──この世界では最強の武器かもしれないというか、ほとんど金属バット感覚で振り回せるのがありがたい。私もバール片手にビクビク付いていくしかないんだけど、これがなかなか心臓に悪い。
「いやー、でもここ、荒れ方がすごいね。せめて看板とかポップな飾りが少し残ってたら、もうちょっとファンシーっぽさを感じられるのになぁ」
私が苦笑すると、後ろを歩いているリナさんが肩をすくめて同調する。
「ほんとだね。昔はここ、観光客向けのメルヘンストリートみたいな場所だったらしいよ。ファンシーな雑貨が並んでて、キャラが踊り回って…あぁ、想像すると悲しくなる…」
リナさんもまだ完全に肩の傷が癒えたわけじゃないのに、頑張って歩いてくれている。でも無理はしないでほしいなぁ、と思いつつも、彼女が一緒だとやっぱり心強い。うん、きっと大丈夫。ハルさんも私も、怪我の手当ては慣れたもんだし、何かあればすぐサポートできる…と信じたい。
と、そのとき。どこか遠くから「きゅう…きゅぅん…」みたいな、まるで小動物の鳴き声のような音が聞こえてきて、私たちは足を止めた。おかしいな、動物っていっても、ここじゃだいたいモンスター化してる凶暴キャラしかいないはずだから、あんな可愛げな泣き声を出す子なんているの…?
「いまの、聞こえた?」
ハルさんが眉をひそめ、リナさんが「うん…やっぱり、そうだよね。私だけの幻聴とかじゃないよね?」とささやく。私も空耳じゃないと思う。間違いなく、かすかに可愛い鳴き声が響いた気がする。
「どっちからだろう…?」
私は辺りを見回す。隣のビルはほぼ崩落しているし、向かいの建物は窓ガラスが割れて中がスカスカだ。でも微妙にどれも同じような光景で、どこが発生源かはわかりづらい。さらに注意深く耳を澄ませてみると…あ、かすかに右手のほう、つまり商業施設らしき建物が並ぶ方向から微弱な声が。
「行くの? まさか罠とかじゃないよね…」
リナさんが一瞬身を引く。そりゃ心配だ。可愛い泣き声を装ったモンスターが待ち伏せしてるパターンなんて、ありそうじゃない? でも、私の胸は「確かめたい」とドキドキしてる。前にも、元マスコットキャラっぽい子が弱々しく鳴いていたのを見かけたことがある。あれがもし凶暴化してない子なら、放っておけないよね…?
「ハルさん、どうする?」
私が意見を求めると、彼はしばし無言で耳を澄ませ、少し考える仕草をしたあと、「時間をかけても仕方ないが、ここでスルーして何か背後から襲われても面倒だ。確認するだけ確認しよう」とクールに提案。うん、私としてはありがたい回答。ちょっと嬉しいかも。
意を決して、私たちはその声の方向へ移動を始める。慎重に音を立てず、瓦礫を踏まないように歩く。廃墟のアーケード街みたいな場所の角を曲がると、倒れかけの屋台やショーウィンドウの残骸が目につく。そこに「ファンシー×ポップ!」って書かれたポスターの切れ端が貼りついていて、なんだか胸が痛い。こんなに可愛い色合いなのに、背景が全部灰色で汚れまくってるんだもん…。
そして、ある建物の入り口らしきところ──半ば崩れたシャッターのすき間から、かすかに「きゅぅ…ん…」という音が漏れてくる。あ、ここだ! 思わず身を乗り出そうとしたけど、ハルさんが目で「止まれ」の合図。敵が潜んでるかもしれないから、まず彼が先頭で様子を伺う。そのあとリナさんと私がゆっくり後ろからついていく。
「暗っ…中はがれきが塞いでるな」
シャッターの裏は薄暗い空間が続いていて、奥が見えない。唯一、上部の隙間から光が差し込んでるから、ホコリがまっすぐ浮遊しているのが見える。近づくと、やっぱり泣き声らしき音がはっきり聞こえてきた。うわ、ほんとに可愛いらしくて切ない感じ…。何なんだろう。私の胸がドキドキしてくる。
ハルさんがそっと隙間を広げようとするけど、金属がミシミシ鳴ってひやっとした。モンスターを刺激しちゃうかも。でも仕方ない。こっそりと身体が通る程度に空間を確保し、ハルさんが中に入る。続いてリナさん、そして私が後に続く。中はどうやら商業施設の一部らしく、床がタイルっぽいけど、ひび割れだらけ。棚の破片とか看板の欠片とかが散乱してる。ほんの少しだけ光が差し込むせいで、薄暗い中に埃が漂って不気味と言えば不気味。
「……あれ?」
目を凝らして進むと、奥のほうに丸っこいシルエットが見える。ふわふわ…というか、ボサボサの毛? 何かのぬいぐるみか? それが動いてるってことは、やっぱり生き物?
思わず私は声を殺して近づいてみる。すると、そいつもこっちに気づいたらしく、一瞬ピクリと身体を震わせた。
「あ……?」
ハルさんがぐっとパイプを構えるのを横目に、私がそっとバールを握りしめる。だけど、相手はまるで威嚇する気配がない。むしろ怯えて小さく縮こまってる感じ。輪郭的には、かつてファンシー系の人気マスコットに近いシルエット…。でもあちこち汚れて毛が抜けてるし、片耳が切れかけてる。紫がかった瞳が悲しそうに潤んでるのが見えて、胸がぎゅっと締め付けられた。
「ねぇ、これって…もしかして元はただのマスコットキャラなのかな?」
リナさんが肩に手を当てながら、小声で囁く。私も同意見だ。かつてはきっと可愛かったんだろうに、いまはボロボロで今にも消えそうだ。周りには血の跡とかはないけど、床に倒れていた鉄パイプが辛うじてガシャッと転がった形跡があって、何かに追われたとか攻撃されて逃げ込んだのかも。
「あー、可愛い声の主ってこの子だったんだ。ってことは、まだモンスターにはなりきってない?」
小さく青年が声を漏らす。確かに凶暴化したマスコットは牙をむき出しにして襲ってくるけど、この子は見た感じ、本能的にただ怯えてるだけ。私がそろりと一歩踏み出すと、ちょっとビクッとしたけど逃げる力もないらしい。毛が抜けてるとこを見ると、相当消耗してるっぽい。
「大丈夫、敵じゃないから…痛くしないよ…?」
私も猫なで声になってしまう。そっとバールを床に置き、手のひらを広げながら近づいてみる。ハルさんは後ろで構えたまま「余計なことするなよ…」的な視線を送ってくるけど、放っておけないじゃん。もしこの子も私たちと同じ“被害者”なら、助けてあげたい。
距離を詰めると、ちょっとだけ相手が後ずさりしようとした。でもそんなに力が残ってないようで、ヨロッと転びかけてしまう。よく見ると、手(ていうか前足?)の先が焼けこげみたいになってるし、耳はボロ切れ状態。「痛そう…」と思わず胸が痛む。
「あぁ…ほんと痛々しいね…」
リナさんが切なそうな声で呟く。私も同じ気持ち。モンスターと化して襲いかかってきた子たちは何度も撃退したけど、こうやって怯えてるだけの子は久々というか、初めてかもしれない。つい保護したくなってしまう。
「どうせ殺されるリスクがあるんじゃ…」
って内なる声も聞こえるけど、ハルさんがどう判断するか。ちらっと目を向けると、やっぱり眉をひそめて渋い顔してる。うん、わかるよ。もしこの子が急に凶暴化したら危ないし、助けるなら水や食料を割かないといけないし…。すべてがジリ貧な今、そんな余裕ないかもしれない。でも!
「うぅ…」
急に子がかすれた声で泣いたような気がした。身体を丸めて、小さく震えてる。この子も生き延びたい一心でここに隠れてたんだろうか。
「私、近づくよ…。ハルさん、何かあったらカバーしてね」
恐る恐る振り返ると、ハルさんがため息のような声で「…好きにしろ。危なくなったらすぐ引け」と短く返事。よし、ゴーサイン……なのかな?
私はゆっくり手を伸ばし、相手の毛に軽く触れる。多少ゴワゴワしてて、埃まみれ。この世界に来てから私も何度かボロボロのマスコットたちを見たけど、こんな弱々しい子は初めてかも。きっとほんとは優しい存在なんだろうなと思う。顔をよく見ると、目が真っ赤に変色してるわけでもなく、妙な牙も生えてないし。
「ああ…生きてるよね…大丈夫だからね…。こっちは敵じゃないんだよ」
できるだけ優しくなでてあげようとしてると、子がほんの少しだけ呼吸を落ち着かせたような気がする。もしかして、わかってくれたのかな? あー、もう、こんな状況でもキュンとするっておかしいかもしれないけど、こういうファンシーな子を見ると、私の“ふわふわ好き”魂がうずくんだよ…。
「え、ちょ、陽菜…それ以上は…!」
青年が後ろから声をかけてくるので振り向くと、子が急に「ぎゅるる…」みたいに弱く唸り声を上げて、私の腕を掴もうとした。咄嗟に「きゃっ」と後ずさりするけど、力が入らないらしく、掴むというよりしがみつきたい感じに見える。攻撃じゃない…のかな?
「もしかして、助けを求めてるとか?」
リナさんが肩を押さえつつ近づいてくる。彼女も痛そうだけど、気にしてない風。私が「多分そうかも…」と答えると、ふわりと切なく微笑んで、「そっか、よかった」と言う。
そのとき、子はか細い声で「う…うぅ…」と泣きながら、私たちに何か伝えようとしてるようにも見えた。でも、結局うまく言葉にはならない感じ。それでも瞳を潤ませて、ちょっと私の方をじっと見てくるから、なんかもう胸がキュッとなる。
「この子、まだ自我が残ってるのかな…?」
青年が興味深そうに覗き込む。私だって知りたいよ。でもあちこちボロボロで、声もかすれきってるし、言葉を話せる状態じゃないかもしれない。
そうこうしてると、子は急にビクッと身体を震わせて、怖がるようにこちらを離れようとする。手足をバタつかせて転びそう。え、なに、私たちのことが怖くなった? それとも別の…?
「待って! 落ち着いて! 逃げなくても大丈夫だよ!」
私が慌てて呼びかけても、子はすっごく怯えた目をして、壁にしがみつくみたいな動きをする。さらに奥へ行きたいのか、出口を探してるのか、動きが読みづらい。でも明らかにパニック状態だ。そこへハルさんが「触るな、あんまり刺激するな」と冷静な声で止める。
結局、私たちがどうする間もなく、その子はヨロヨロと身体を動かして建物の裏の方──崩れたシャッターの奥へ抜け、瓦礫の隙間をすり抜けていってしまった。「え、そっちは大丈夫なの!?」と引き留めたかったけど、声を上げる前に姿が消えた。体力はないはずなのに、どこか必死に逃げる本能が働いたのか。
「あ…。行っちゃった」
リナさんが肩を落として呟き、私も「あーあ…また見失っちゃった。せっかく見つけたのに、ちゃんと助けてあげられなかった…」ってがっかり。でもハルさんは「それが野生の勘ってやつだろ。変に馴れ合って襲われるよりはマシだ」と言う。うーん、そうかもしれないけど、何とも言えない寂しさがある。
「あの子、本当に変異しきってないのかもしれないですよね。きっと助けを求めたかったのに、怖くて逃げたんだと思う…」
私が言うと、青年も「たしかに、完全にモンスター化してるなら、最初に僕らを見た瞬間に襲ってきてもおかしくないし…」と頷く。リナさんも「もしかして、意識とか記憶とか、微妙に残ってるのかな」と曇り顔。ハルさんだけは何も言わずに少し沈黙しているけど、きっと何か考えているんだろう。
結局、その子を追うには危険が多すぎるし、無理に追ってもまた逃げられるかもしれない。私たちはこの場所を後にして、街の中心へ向かうルートに戻ることにした。でも私の胸にはずっと、あの切ない泣き声の余韻が残る。ファンシー世界のシンボルのはずのマスコットが、弱々しく泣いているなんて、考えただけでたまらなくなる。
「きっとまだ救える可能性があるよね…。ファンシー×ポップは可愛く楽しい場所だったって聞くし、あの子も本当は優しい存在だったんじゃないかなぁ…」
歩きながら口にすると、ハルさんが「見たところ、半端に変異してるが理性があるかは不明だ。情に流されてこっちが殺されるなら本末転倒だ」とクールに返す。
「でも、陽菜の言うことも分かるわ。もしコアAIの暴走が止まれば、ああいう子も元に戻れるのかもしれない…」
リナさんが力なく微笑んでくれるのに、ちょっと救われる気がした。私は頷いて、「うん、だからやっぱりラブナティア…あのコアAIを何とかしないとね。マスコットや可愛いキャラがこんな風に泣いてるなんて、あんまりだもん」と声を強める。
そう。私たちがデータセンターを目指してるのは、私自身や仲間を救うためだけじゃなく、もともとのファンシー世界を取り戻したいから。その中には当然、あの苦しむマスコットたちも含まれる。何とか道筋を見つけて、暴走AIを止めたい。ああ、うまくいくのかな…。
こうして、なんとも言えないモヤモヤを胸に抱えたまま、私たちは再び瓦礫の道へ戻る。今回の出会いはほんの短い瞬間だったけど、あの泣き声は強烈に心を揺さぶって、私の中に何か大きな決心を芽生えさせた気がする。
もしかしたら、変わり果てたマスコットたちも本当は救いを求めてるんじゃないか。
その思いが頭を離れない。私はバールを握りしめながら、今はまだ行き場を失ったあの子を心配していた。ハルさんや仲間が何と言おうと、いつか会えたら、ちゃんと守ってあげたい──そんな勝手な願いを口には出せないまま、ただ足を進める。
なんの奇襲もなく、夕方っぽい色に染まった空を見上げながら「今日も拠点へ戻らないと危ないよね」とハルさんが言う。私とリナさんは「だねー」と苦笑して同意。収穫ってほどのものは得られなかったけど、あの可愛い泣き声との邂逅は大事な“何か”だったのかも。
こうして、私たちの次の一歩は、意外にもほの暗い廃墟の一角で聴こえた“かすかなファンシーな泣き声”から始まった。まるで小さな光を見つけたみたいな、不思議で切ない気持ち…。この世界で生き続ける以上、あの子を完全に救う方法も見つけたいし、私自身ももっと強くなって、守れるようになりたい。さあ、泣き言言ってる余裕はないよ、陽菜──そんな自分へのエールを心の中で呟きつつ、私はもう一度仲間たちの背中を見つめ、固くバールを握りしめたのだった。
何日ぶりだろう、この街の中心部へ足を伸ばすなんて。私たち、ずいぶん遠回りをしてきた気がするけど、あっちこっちの廃墟をくぐり抜けて、ようやくここまで来た。と言っても、まわりを見ればビルはボロボロに崩れかけ、瓦礫だらけの道には砂埃がふわふわ舞っていて、まさに「寂れた廃都」って雰囲気。もとはファンシー×ポップの心臓部だって話らしいんだけど、こうして見ると、かつての賑わいなんて想像すらしづらい。
でも仕方ないよね。私たちは「データセンター」を探すために、どうにかこの街の中心方面に近づくルートを模索してる。そこに行けば何かがわかるかもしれないし、エラー状態の世界を修復する手がかりがあるかもしれない。だけど、ほんと、いまのこの街は荒れに荒れまくってる感じだ。
「陽菜、足元に気をつけろよ。さっきから踏むたびにガレキが崩れそうだ」
少し先を歩くハルさんが、低い声で私を制する。彼はいつも通り鋭い目で周囲を警戒していて、頼りになるけど少し怖い。右手には例のパイプ──この世界では最強の武器かもしれないというか、ほとんど金属バット感覚で振り回せるのがありがたい。私もバール片手にビクビク付いていくしかないんだけど、これがなかなか心臓に悪い。
「いやー、でもここ、荒れ方がすごいね。せめて看板とかポップな飾りが少し残ってたら、もうちょっとファンシーっぽさを感じられるのになぁ」
私が苦笑すると、後ろを歩いているリナさんが肩をすくめて同調する。
「ほんとだね。昔はここ、観光客向けのメルヘンストリートみたいな場所だったらしいよ。ファンシーな雑貨が並んでて、キャラが踊り回って…あぁ、想像すると悲しくなる…」
リナさんもまだ完全に肩の傷が癒えたわけじゃないのに、頑張って歩いてくれている。でも無理はしないでほしいなぁ、と思いつつも、彼女が一緒だとやっぱり心強い。うん、きっと大丈夫。ハルさんも私も、怪我の手当ては慣れたもんだし、何かあればすぐサポートできる…と信じたい。
と、そのとき。どこか遠くから「きゅう…きゅぅん…」みたいな、まるで小動物の鳴き声のような音が聞こえてきて、私たちは足を止めた。おかしいな、動物っていっても、ここじゃだいたいモンスター化してる凶暴キャラしかいないはずだから、あんな可愛げな泣き声を出す子なんているの…?
「いまの、聞こえた?」
ハルさんが眉をひそめ、リナさんが「うん…やっぱり、そうだよね。私だけの幻聴とかじゃないよね?」とささやく。私も空耳じゃないと思う。間違いなく、かすかに可愛い鳴き声が響いた気がする。
「どっちからだろう…?」
私は辺りを見回す。隣のビルはほぼ崩落しているし、向かいの建物は窓ガラスが割れて中がスカスカだ。でも微妙にどれも同じような光景で、どこが発生源かはわかりづらい。さらに注意深く耳を澄ませてみると…あ、かすかに右手のほう、つまり商業施設らしき建物が並ぶ方向から微弱な声が。
「行くの? まさか罠とかじゃないよね…」
リナさんが一瞬身を引く。そりゃ心配だ。可愛い泣き声を装ったモンスターが待ち伏せしてるパターンなんて、ありそうじゃない? でも、私の胸は「確かめたい」とドキドキしてる。前にも、元マスコットキャラっぽい子が弱々しく鳴いていたのを見かけたことがある。あれがもし凶暴化してない子なら、放っておけないよね…?
「ハルさん、どうする?」
私が意見を求めると、彼はしばし無言で耳を澄ませ、少し考える仕草をしたあと、「時間をかけても仕方ないが、ここでスルーして何か背後から襲われても面倒だ。確認するだけ確認しよう」とクールに提案。うん、私としてはありがたい回答。ちょっと嬉しいかも。
意を決して、私たちはその声の方向へ移動を始める。慎重に音を立てず、瓦礫を踏まないように歩く。廃墟のアーケード街みたいな場所の角を曲がると、倒れかけの屋台やショーウィンドウの残骸が目につく。そこに「ファンシー×ポップ!」って書かれたポスターの切れ端が貼りついていて、なんだか胸が痛い。こんなに可愛い色合いなのに、背景が全部灰色で汚れまくってるんだもん…。
そして、ある建物の入り口らしきところ──半ば崩れたシャッターのすき間から、かすかに「きゅぅ…ん…」という音が漏れてくる。あ、ここだ! 思わず身を乗り出そうとしたけど、ハルさんが目で「止まれ」の合図。敵が潜んでるかもしれないから、まず彼が先頭で様子を伺う。そのあとリナさんと私がゆっくり後ろからついていく。
「暗っ…中はがれきが塞いでるな」
シャッターの裏は薄暗い空間が続いていて、奥が見えない。唯一、上部の隙間から光が差し込んでるから、ホコリがまっすぐ浮遊しているのが見える。近づくと、やっぱり泣き声らしき音がはっきり聞こえてきた。うわ、ほんとに可愛いらしくて切ない感じ…。何なんだろう。私の胸がドキドキしてくる。
ハルさんがそっと隙間を広げようとするけど、金属がミシミシ鳴ってひやっとした。モンスターを刺激しちゃうかも。でも仕方ない。こっそりと身体が通る程度に空間を確保し、ハルさんが中に入る。続いてリナさん、そして私が後に続く。中はどうやら商業施設の一部らしく、床がタイルっぽいけど、ひび割れだらけ。棚の破片とか看板の欠片とかが散乱してる。ほんの少しだけ光が差し込むせいで、薄暗い中に埃が漂って不気味と言えば不気味。
「……あれ?」
目を凝らして進むと、奥のほうに丸っこいシルエットが見える。ふわふわ…というか、ボサボサの毛? 何かのぬいぐるみか? それが動いてるってことは、やっぱり生き物?
思わず私は声を殺して近づいてみる。すると、そいつもこっちに気づいたらしく、一瞬ピクリと身体を震わせた。
「あ……?」
ハルさんがぐっとパイプを構えるのを横目に、私がそっとバールを握りしめる。だけど、相手はまるで威嚇する気配がない。むしろ怯えて小さく縮こまってる感じ。輪郭的には、かつてファンシー系の人気マスコットに近いシルエット…。でもあちこち汚れて毛が抜けてるし、片耳が切れかけてる。紫がかった瞳が悲しそうに潤んでるのが見えて、胸がぎゅっと締め付けられた。
「ねぇ、これって…もしかして元はただのマスコットキャラなのかな?」
リナさんが肩に手を当てながら、小声で囁く。私も同意見だ。かつてはきっと可愛かったんだろうに、いまはボロボロで今にも消えそうだ。周りには血の跡とかはないけど、床に倒れていた鉄パイプが辛うじてガシャッと転がった形跡があって、何かに追われたとか攻撃されて逃げ込んだのかも。
「あー、可愛い声の主ってこの子だったんだ。ってことは、まだモンスターにはなりきってない?」
小さく青年が声を漏らす。確かに凶暴化したマスコットは牙をむき出しにして襲ってくるけど、この子は見た感じ、本能的にただ怯えてるだけ。私がそろりと一歩踏み出すと、ちょっとビクッとしたけど逃げる力もないらしい。毛が抜けてるとこを見ると、相当消耗してるっぽい。
「大丈夫、敵じゃないから…痛くしないよ…?」
私も猫なで声になってしまう。そっとバールを床に置き、手のひらを広げながら近づいてみる。ハルさんは後ろで構えたまま「余計なことするなよ…」的な視線を送ってくるけど、放っておけないじゃん。もしこの子も私たちと同じ“被害者”なら、助けてあげたい。
距離を詰めると、ちょっとだけ相手が後ずさりしようとした。でもそんなに力が残ってないようで、ヨロッと転びかけてしまう。よく見ると、手(ていうか前足?)の先が焼けこげみたいになってるし、耳はボロ切れ状態。「痛そう…」と思わず胸が痛む。
「あぁ…ほんと痛々しいね…」
リナさんが切なそうな声で呟く。私も同じ気持ち。モンスターと化して襲いかかってきた子たちは何度も撃退したけど、こうやって怯えてるだけの子は久々というか、初めてかもしれない。つい保護したくなってしまう。
「どうせ殺されるリスクがあるんじゃ…」
って内なる声も聞こえるけど、ハルさんがどう判断するか。ちらっと目を向けると、やっぱり眉をひそめて渋い顔してる。うん、わかるよ。もしこの子が急に凶暴化したら危ないし、助けるなら水や食料を割かないといけないし…。すべてがジリ貧な今、そんな余裕ないかもしれない。でも!
「うぅ…」
急に子がかすれた声で泣いたような気がした。身体を丸めて、小さく震えてる。この子も生き延びたい一心でここに隠れてたんだろうか。
「私、近づくよ…。ハルさん、何かあったらカバーしてね」
恐る恐る振り返ると、ハルさんがため息のような声で「…好きにしろ。危なくなったらすぐ引け」と短く返事。よし、ゴーサイン……なのかな?
私はゆっくり手を伸ばし、相手の毛に軽く触れる。多少ゴワゴワしてて、埃まみれ。この世界に来てから私も何度かボロボロのマスコットたちを見たけど、こんな弱々しい子は初めてかも。きっとほんとは優しい存在なんだろうなと思う。顔をよく見ると、目が真っ赤に変色してるわけでもなく、妙な牙も生えてないし。
「ああ…生きてるよね…大丈夫だからね…。こっちは敵じゃないんだよ」
できるだけ優しくなでてあげようとしてると、子がほんの少しだけ呼吸を落ち着かせたような気がする。もしかして、わかってくれたのかな? あー、もう、こんな状況でもキュンとするっておかしいかもしれないけど、こういうファンシーな子を見ると、私の“ふわふわ好き”魂がうずくんだよ…。
「え、ちょ、陽菜…それ以上は…!」
青年が後ろから声をかけてくるので振り向くと、子が急に「ぎゅるる…」みたいに弱く唸り声を上げて、私の腕を掴もうとした。咄嗟に「きゃっ」と後ずさりするけど、力が入らないらしく、掴むというよりしがみつきたい感じに見える。攻撃じゃない…のかな?
「もしかして、助けを求めてるとか?」
リナさんが肩を押さえつつ近づいてくる。彼女も痛そうだけど、気にしてない風。私が「多分そうかも…」と答えると、ふわりと切なく微笑んで、「そっか、よかった」と言う。
そのとき、子はか細い声で「う…うぅ…」と泣きながら、私たちに何か伝えようとしてるようにも見えた。でも、結局うまく言葉にはならない感じ。それでも瞳を潤ませて、ちょっと私の方をじっと見てくるから、なんかもう胸がキュッとなる。
「この子、まだ自我が残ってるのかな…?」
青年が興味深そうに覗き込む。私だって知りたいよ。でもあちこちボロボロで、声もかすれきってるし、言葉を話せる状態じゃないかもしれない。
そうこうしてると、子は急にビクッと身体を震わせて、怖がるようにこちらを離れようとする。手足をバタつかせて転びそう。え、なに、私たちのことが怖くなった? それとも別の…?
「待って! 落ち着いて! 逃げなくても大丈夫だよ!」
私が慌てて呼びかけても、子はすっごく怯えた目をして、壁にしがみつくみたいな動きをする。さらに奥へ行きたいのか、出口を探してるのか、動きが読みづらい。でも明らかにパニック状態だ。そこへハルさんが「触るな、あんまり刺激するな」と冷静な声で止める。
結局、私たちがどうする間もなく、その子はヨロヨロと身体を動かして建物の裏の方──崩れたシャッターの奥へ抜け、瓦礫の隙間をすり抜けていってしまった。「え、そっちは大丈夫なの!?」と引き留めたかったけど、声を上げる前に姿が消えた。体力はないはずなのに、どこか必死に逃げる本能が働いたのか。
「あ…。行っちゃった」
リナさんが肩を落として呟き、私も「あーあ…また見失っちゃった。せっかく見つけたのに、ちゃんと助けてあげられなかった…」ってがっかり。でもハルさんは「それが野生の勘ってやつだろ。変に馴れ合って襲われるよりはマシだ」と言う。うーん、そうかもしれないけど、何とも言えない寂しさがある。
「あの子、本当に変異しきってないのかもしれないですよね。きっと助けを求めたかったのに、怖くて逃げたんだと思う…」
私が言うと、青年も「たしかに、完全にモンスター化してるなら、最初に僕らを見た瞬間に襲ってきてもおかしくないし…」と頷く。リナさんも「もしかして、意識とか記憶とか、微妙に残ってるのかな」と曇り顔。ハルさんだけは何も言わずに少し沈黙しているけど、きっと何か考えているんだろう。
結局、その子を追うには危険が多すぎるし、無理に追ってもまた逃げられるかもしれない。私たちはこの場所を後にして、街の中心へ向かうルートに戻ることにした。でも私の胸にはずっと、あの切ない泣き声の余韻が残る。ファンシー世界のシンボルのはずのマスコットが、弱々しく泣いているなんて、考えただけでたまらなくなる。
「きっとまだ救える可能性があるよね…。ファンシー×ポップは可愛く楽しい場所だったって聞くし、あの子も本当は優しい存在だったんじゃないかなぁ…」
歩きながら口にすると、ハルさんが「見たところ、半端に変異してるが理性があるかは不明だ。情に流されてこっちが殺されるなら本末転倒だ」とクールに返す。
「でも、陽菜の言うことも分かるわ。もしコアAIの暴走が止まれば、ああいう子も元に戻れるのかもしれない…」
リナさんが力なく微笑んでくれるのに、ちょっと救われる気がした。私は頷いて、「うん、だからやっぱりラブナティア…あのコアAIを何とかしないとね。マスコットや可愛いキャラがこんな風に泣いてるなんて、あんまりだもん」と声を強める。
そう。私たちがデータセンターを目指してるのは、私自身や仲間を救うためだけじゃなく、もともとのファンシー世界を取り戻したいから。その中には当然、あの苦しむマスコットたちも含まれる。何とか道筋を見つけて、暴走AIを止めたい。ああ、うまくいくのかな…。
こうして、なんとも言えないモヤモヤを胸に抱えたまま、私たちは再び瓦礫の道へ戻る。今回の出会いはほんの短い瞬間だったけど、あの泣き声は強烈に心を揺さぶって、私の中に何か大きな決心を芽生えさせた気がする。
もしかしたら、変わり果てたマスコットたちも本当は救いを求めてるんじゃないか。
その思いが頭を離れない。私はバールを握りしめながら、今はまだ行き場を失ったあの子を心配していた。ハルさんや仲間が何と言おうと、いつか会えたら、ちゃんと守ってあげたい──そんな勝手な願いを口には出せないまま、ただ足を進める。
なんの奇襲もなく、夕方っぽい色に染まった空を見上げながら「今日も拠点へ戻らないと危ないよね」とハルさんが言う。私とリナさんは「だねー」と苦笑して同意。収穫ってほどのものは得られなかったけど、あの可愛い泣き声との邂逅は大事な“何か”だったのかも。
こうして、私たちの次の一歩は、意外にもほの暗い廃墟の一角で聴こえた“かすかなファンシーな泣き声”から始まった。まるで小さな光を見つけたみたいな、不思議で切ない気持ち…。この世界で生き続ける以上、あの子を完全に救う方法も見つけたいし、私自身ももっと強くなって、守れるようになりたい。さあ、泣き言言ってる余裕はないよ、陽菜──そんな自分へのエールを心の中で呟きつつ、私はもう一度仲間たちの背中を見つめ、固くバールを握りしめたのだった。
