【エピソード4:守るために進む道】
夜の闇は冷たい。廃墟の中で、一人ひとりがバリケードや壁を頼りに身を丸めながら、怯えつつ眠りをもがき取る。それでも朝はやってくるらしく、長い闇が終わって屋根や瓦礫の隙間から光が差し始めると、私はいつも以上にほっとした気持ちになる。枯れ果てた世界であっても、日の光には確かに暖かさがあるのだ。
「……朝、かぁ」
寝不足気味にうつ伏せ状態で目を開けると、周りの様子が目に入ってくる。床に散らばる破片や布、簡易ベッドの上で横になっている怪我人たち。夜の寒さのせいか、誰もが固く身体を縮めたままだ。リナさんは肩に負った傷が痛むのか、浅い寝息を繰り返しているし、コウジさんも額を押さえながら眠っていた。彼らの顔を見ていると、ここが「ファンシー×ポップ」なんて名前の世界だという事実をつい忘れそうになる。それくらい、この場所は荒涼として、痛みと疲労で満ちていた。
私は体を軽く伸ばしてからそっと立ち上がり、拠点の内部を見回した。壁際には腕を負傷した青年が座っていて、どうやら一晩中うまく眠れなかったらしく、暗い瞳で入り口のほうを見つめている。その奥の小さなスペースではアツシさんがうめき声をこらえながら、足の痛みに耐えている様子だ。みんな、この世界での生活に慣れるより先に、怪我や恐怖で限界に近づきつつあるんじゃないだろうか。
(でも、進まないといけない。何もしないまま食料も尽きれば、全員が餓死かモンスターの餌になるだけだし……)
そんな重い思考を抱えながら、私は小さく息を吐く。とにかく、水や食べ物をどうするか、今日は具体的に話し合わないと。ハルさんも同じ思いだと思う。彼は夜通し見張っていたはずだが、果たしてどこで眠ったのか、姿が見えない。探すと、バリケードの隙間の向こうでかがんでいるのが見えた。外の様子をチェックしているのだろうか。心配になって近づいてみる。
「ハルさん……大丈夫ですか? 少しは休めました?」
聞いてみると、ハルさんは背を向けたまま首を横に振る。
「たいして眠ってない。夜のうちは、ときどき外で変な音がしたからな。モンスターじゃなかったが、廃材が崩れたかもしれん」
「そうですか……すみません、いつも見張りを任せきりで……」
どうしてもそう言わずにはいられない。けど、ハルさんは何も返さないまま、入り口越しに路地を見ている。私もそっと覗いてみるけど、外はまだ薄い朝の光が瓦礫を照らしているだけで、人影やモンスターの気配は感じない。代わりに、どこか遠くで「ミシミシ……」と金属が軋むような不穏な音だけがかすかに聞こえた。廃墟が少しずつ崩壊を進めているのかもしれない。夜中にハルさんが不穏な音を聞いたとしたら、それも同じ現象だろうか。
「まぁ、とりあえず今は何もない。中へ戻るぞ。朝のうちに全員で状況をまとめるんだろう?」
ようやく振り返ったハルさんが、疲れた目で私を見ながら言う。「はい」と頷き返し、私たちはバリケードを慎重に閉め直す。廃墟の町がいつまで静かでいてくれるかはわからない。朝だからといってモンスターが出ない保証もない。とにかく拠点内で話し合い、日中の行動計画を立てることが先決だ。
戻ってみると、怪我を負ったメンバーも含めて、ほとんどの人が起きていた。私はそこで「みんなで集まって話しましょう」と声をかけ、拠点の中央にスペースを作る。狭いし埃っぽいけど、体勢をなんとか整えて談合できる場所を確保する。すると、腕を負傷した青年が率先して周囲のガラクタをどけてくれて、半円状に座れるようになった。ちょっとした会議みたいで奇妙な光景だけど、人数が増えればこういう場面も増えるだろうなと思う。
「じゃあ、今の状況をざっくり確認したいんですけど……」
私が切り出すと、みんな緊張した面持ちで耳を傾ける。見れば、リナさんやコウジさんはまだ身体の痛みを抱えたまま、肩や額を抑えているが、とりあえず座れるくらいには回復しているらしい。アツシさんも足の痛みは強そうだけど、ちゃんと意識ははっきりしている。腕の負傷者の青年も同席してくれて、ハルさんがやや離れた場所で壁に寄りかかりながらパイプを握っている。夜通しの疲れを抱えたままでも、彼がこうやって警戒を解かない姿は本当に頼りになる。
「まず……食料と水、前回の探索でだいぶ確保できましたけど、人数が増えたぶん、もう長くは持たないですよね」
最初に言及したのはリナさんだった。肩の痛みで顔をしかめながら、でもまっすぐ私たちを見つめている。確かに、その通りだ。せっかく持ち帰った缶詰やビン、そして砂糖や少しの水も、七人で分ければあっという間に底を突く。回復には栄養が必須だし、かといって食べ過ぎれば数日でなくなる。
「はい。私がまとめたところ、缶詰が合計で七個、ビンのシロップが一つ、砂糖はまだ半分くらい。あと水は汚れたのを含めても十リットルほどしかありません。怪我人にも優先的に食べてもらわないと、足や腕が治らないですし、でもほかの人も空腹のままは……」
私が説明すると、聞いていたコウジさんが苦い顔で唸るように言った。
「怪我を治すのは最優先だが、健康なメンバーが倒れても意味がない。なんとか効率的にみんなが少しずつ口にするくらいか。すぐまた探索に出ないといけないが、昨日みたいに大当たりがあるとも限らない」
昨日本当に大当たりだったかは微妙なところだけど、あれだけ危険を冒してようやくあの量だから、そう簡単にはいかないだろう。しかもモンスターに襲われたら、また誰かが怪我をするリスクが高まる。まさに悪循環だ。リナさんがうなだれるのも無理はない。
「でも、動ける人が行かないと、水も食料も手に入れられませんよね……。わたしも昨日みたいな激戦はもう勘弁したいけど、誰かが行かないと、いずれ全滅してしまう……」
そう呟く彼女の肩には布が巻かれ、少しだけ血が滲んでいる。痛々しいながらも、彼女は状況を把握しようと懸命なのが伝わってくる。今日はどうするつもりなのか、自然とハルさんの意見に注目が集まる。
「俺は正直、休みたいところだが……明日から雨が降るかもしれない、とか、またモンスターがうろつくかもしれない、とか考えたら行けるうちに行くべきなのかもしれん。ただ、今回は死ぬかもな。疲労が抜けきってない」
ハルさんがそう言い放つと、誰もが息を呑む。昨日の探索だけでも大変だったのに、また行くのか──でも行かなきゃ食料は増えないし、こんな人数が拠点にじっとしているだけじゃじり貧だ。私の心も揺れるけど、気づけば腕に怪我をした青年が口を開いていた。
「ハルさん、僕、まだ完全じゃないですけど、腕を少し動かせるようになってきました。もし探索に行くなら手伝いますよ……危険かもしれないけど、ここでぼーっとしてても気が滅入るし」
まさか彼が積極的に言い出すとは思わず、驚きで目を見張る。確かに昨日はわりと動けてたし、DIYが得意で手先も器用そうだ。ただ腕の傷が深いので再出血が怖い。ハルさんが「やめとけ」と一蹴するかと思いきや、少し考えるように目を伏せる。
「……確かに人員は多いほうが物資を探しやすいが、怪我が開いたら意味がない。ゆっくり歩くなら平気か? 走れないと、敵が来たとき危ないぞ」
「そこは、なんとか逃げる工夫をします。すみません、無鉄砲かもしれないけど、やらないとみんなが飢えちゃうし。僕も何もしないで助けられてばかりじゃ申し訳なくて……」
その青年は俯き気味に拳を握り、言葉を詰まらせる。気持ちはよくわかる。怪我を抱えたままもどかしい思いをしているし、負い目を感じているんだろう。でも実際、走れなければ敵の餌食になる可能性が高い。それでも前に進みたいという意地があるんだろう。私がどう声をかけようか迷っていると、アツシさんが弱々しく「ごめん、俺はまだ足が動かせそうにない……」と眉を曇らせた。こっちも同じ葛藤を抱えているのに、何もできないと思うと辛いんだろう。
ハルさんは鼻を鳴らし、全員を見渡すように言った。
「なら、こうしよう。俺と、おまえ(腕の負傷者)、リナ、コウジの四人で一度外に出る。最悪の場合はリナとコウジを先に逃がすから、おまえは自己責任で覚悟を決めろ。大丈夫か?」
少し冷たいようにも聞こえるが、実際のところ“助けられないかもしれない”という警告だ。腕の怪我が再発したり、追いつけなくなったりしたら、冗談抜きで命を落とす可能性がある。私はハラハラしながらそのやり取りを見守る。青年はしかし、真剣な表情で「わかりました。それでも行きたいんです」と答えた。
「……よし、じゃあそれで決まりだ。アツシやほかの怪我人、陽菜は拠点に残れ。おまえも行きたいんじゃないかもしれんが、怪我人の面倒を見られるのはおまえが一番慣れてるし、モンスターが侵入してきても一定の対応ができるからな」
私が同行したい気持ちを察してか、ハルさんがこちらを見やる。正直、言われなくてもわかっていた。誰かが拠点を守らなきゃいけないし、私はまだ怪我人のケアや拠点の整備を優先すべきだ。腕を負傷している青年よりは私のほうが体調はマシだけど、人数を増やしたところで食料が大量に見つかる保証もない。モンスターが複数出てきたら却って危険だ。だから、私は少し唇を噛んでから大人しく頷いた。
「わかりました。私、拠点で留守番します。でも……どうか気をつけて」
「うん。外に出るのは昼前くらいにする。まだ夜通し見張りしてたから、俺は少し休む。リナとコウジも同じだろ。腕の怪我のやつも体慣らしをしたほうがいい」
そうして次の計画がおおむね固まった。おそらく数時間後、午前中の明るい時間帯を狙って四人が探索に出発する。戻ってくるのは夕方までには……というシナリオ。もし何か不測の事態が起きても、夜になる前に拠点に帰らなければ大惨事になるからだ。
話し合いが終わり、それぞれが次の行動に備えて静かに休憩や準備を始める。私は座り込んだまま、腕を負傷した青年に一言かけたい衝動に駆られた。先ほどの会話でわかったように、彼は自分から望んで危険な探索に加わろうとしている。それは覚悟の証かもしれないけど、同時に無理しているんじゃないかと心配になる。
勇気を出して近づき、小声で話しかける。
「あの……本当に行くんですね。腕、まだ痛みますよね?」
すると彼は少し汗ばんだ手を見せ、苦笑して首を振る。
「正直、痛いです。けど、ここにいても何もできないままだと、悔しくて。行かないほうがいいなら止めてほしいけど、皆が少しでも楽になるなら、やれるところまで頑張ってみたい。大丈夫……きっと」
言葉の最後が震えている。怖いに決まってる。でも、そういう決意を持っているなら、私からはもう何も言えない。強いて言うなら「無理しないで、死なないで」ってことくらいだ。私はかすかな笑みを作り、彼の腕に巻かれた布をそっと押さえてみた。血がにじんでいたりはしない。
「わかりました。……やれるとこまでっていうの、応援します。でも、リナさんたちも一緒ですし、もし本当にヤバいときはすぐ逃げてくださいね。私たち、ここで待ってますから」
青年は瞼を閉じて頷き、ほんの少しだけ笑みを返した。何か言いたそうだったけど、結局黙ったまま床に視線を戻す。きっと迷いはあるだろうし、私の言葉なんて彼の不安を完全には払えない。それでも、少しは救いになればいいと思う。
そして、時間がゆるやかに流れ、午前中の明るさが拠点の隙間から差し込むころ、探索組の四人が出発の準備を始める。リナさんは肩の傷に布を新しく巻いて、なんとか腕を動かせるようにした。コウジさんは首を回しつつ軽く屈伸し、装備を確認。腕を負傷した青年も腹に布を巻き、脚力を確かめる動作をしている。
最後にハルさんは少し乾いたパンか何かがあれば食べていきたいだろうけど、あいにくそんなものはない。水を一口飲むだけで我慢して、金属パイプと工具を手に構える。私は心配で「もう少し飲んでください」と勧めても、「残しておけ。怪我人が大事だ」と言われる。ここでも遠慮が募って胸が苦しくなるが、無理に押し切る権利は私にはない。
「じゃあ、行ってくる。日が暮れるまでには戻るぞ。モンスターが出たら躊躇なく逃げる。食料や道具を見つけても、怪我が増えちゃ意味がないからな」
出発前のハルさんの言葉に、残る私やアツシさん、もう一人の負傷者がひたすら頷くしかない。行ってきますとか、気をつけてとか、そんな言葉を繰り返すだけで感情がこみ上げる。恐らくリナさんも、昨日の激闘を思い出して震えているのか、顔が青ざめて汗がにじんでいる。コウジさんは強がっているように見えるが、額の傷がうずくのか眉を寄せて苦しそうだ。腕の怪我の青年も、堅い表情で黙ったままバールを握りしめる。
(頼む、どうかみんな、無事に帰ってきて……)
口に出せない声を心の中で叫びながら、私は拠点のバリケードを少しだけ動かし、四人を見送る。昨日と同じように、静かに外へ足を踏み出す彼らの姿が小さくなっていく。まるで神経をすり減らすようなシーンだけど、こっちも耐えねばならない。バリケードを閉じて後ろを振り返ると、アツシさんがじっと床を見つめていた。彼も焦りや罪悪感を抱えたまま、何も言えないでいるのだろう。
「大丈夫ですよ。きっと無事に戻ってきます」
自分に言い聞かせるように明るい声を出すが、アツシさんは苦笑いで「だといいんだけど……」と呟くだけ。拠点の中にはまた数人で待機するだけの時間が始まった。ある程度の作業はもう済んでいるし、傷が痛むから無理に動くのも危ない。私ができることは、彼らを励まし、傷口を確認し、水やわずかな食料を管理しておくことだけだ。
(……また、待つんだ。あの不安な時間を。だけど、これが私の役目なんだろう……)
嫌でも昨日の記憶がよみがえるが、私は首を振って雑念を払う。どこかで“ラブナティア”が笑っているかもしれない──そんな不気味な想像も脳裏をよぎるけど、それも今すぐにどうしようもない。いつかファンシー×ポップの本当の姿を取り戻すために、ここで待ち、怪我人を守る。時間が経てば、ハルさんたちがきっと何かの収穫を持って戻ってきて、また一日を乗り切る支えになってくれる……はず。
拠点の狭い空間には沈黙が落ちる。何度経験しても、メンバーの半分以上が外へ出ると緊張感が高まり、心臓が息苦しい。ああ、また夕方までこの長い沈黙と怖さに耐えなきゃならないのか、と考えると背筋が冷える。
「……がんばるしかないよね。私……」
声に出してしまった独り言に、アツシさんが微かに反応し、「陽菜さん、平気?」と気遣ってくれる。私が弱音を見せると彼らが不安になるかもしれない。こんなときこそ笑顔を作らなくちゃ。私はそう思い、そっと微笑んで言葉を返す。
「うん、平気ですよ。やることはあるし……。今のうちに、もう少し拠点を片付けましょう。床のほこりを払って、怪我人が移動しやすいようにして、あと……食料の在庫も整理しておきませんか? いつ帰ってきてもいいように」
アツシさんは少し困ったように苦笑する。
「足を引きずりながらでも、何か手伝えれば……声かけてください」
私が「はい。じゃあ一緒に少しだけ埃を掃きましょう」と応じて、顔を見合わせて頷く。こんな些細な協力でも、心は幾分か落ち着く。そうやって作業をするうちに時間が過ぎ、暗い気持ちを少しでも紛らわせるんだ。外へ出た四人が危険と背中合わせで必死になっているぶん、私たちも拠点を守って整えて待つしかない。
廃墟の音はいつも通り乾燥していて、ピシッと微細な裂け目が走るようなかすかな響きが遠くから聞こえる。時々、風に乗って砂がバリケードを擦るシャアシャアという音がするたび、私はまた心臓が跳ねそうになる。ああ、なんて嫌な世界だろう──それでも生きなきゃと自分に言い聞かせる。いつか本当のファンシー×ポップを取り戻せると信じて。
(待ってるから。みんな、どうか無事に帰ってきて……)
また繰り返し胸中で願う。私の手は埃を払う布を握りしめたまま、空中で止まっている。いつもこんなところで堂々巡りの気持ちを抱えているけど、それでも止まるわけにはいかない。拠点で生き延びる限り、小さな光を消さないようにしなきゃいけないのだ。仲間たちが戻ったとき、一瞬でも安心できる場所を用意して──そしていつかきっと、ラブナティアの暴走を止めるための力を得る。その日まで、私たちは耐え続ける。
朝から再び始まる長い待機時間。その怖さを薄めるために、私はエネルギッシュに雑務に打ち込む。アツシさんやもう一人の負傷者も、互いに声をかけながら少しずつ拠点を片付け、わずかな水と食料をうまく管理する。みんな疲弊しているのに、支え合わないと歩んでいけない世界。それでも、こうして互いに励まし合ううちに、私たちは少しずつ家族に近い結束を得ている気がする。悲しく、残酷な環境だけど、それでも人の“優しさ”や“意志”はまだ消えていない──それが唯一の希望なのかもしれない。
こうして、私たちの夜明けは、また新たな不安とともに始まった。探索組が戻るまでに何時間かかるか、無事戻るかすらわからない。しかし、ここで嘆き続けても仕方がない。あの日見た優しい世界の幻を再び手に入れるために、私たちはこの廃墟を維持しながら、一日一日、生き延びる。きっとそれが、いつかラブナティアのもとへたどり着く道になるのだと信じて──私は埃まみれの拠点で、静かに決意を固めていた。
夜の闇は冷たい。廃墟の中で、一人ひとりがバリケードや壁を頼りに身を丸めながら、怯えつつ眠りをもがき取る。それでも朝はやってくるらしく、長い闇が終わって屋根や瓦礫の隙間から光が差し始めると、私はいつも以上にほっとした気持ちになる。枯れ果てた世界であっても、日の光には確かに暖かさがあるのだ。
「……朝、かぁ」
寝不足気味にうつ伏せ状態で目を開けると、周りの様子が目に入ってくる。床に散らばる破片や布、簡易ベッドの上で横になっている怪我人たち。夜の寒さのせいか、誰もが固く身体を縮めたままだ。リナさんは肩に負った傷が痛むのか、浅い寝息を繰り返しているし、コウジさんも額を押さえながら眠っていた。彼らの顔を見ていると、ここが「ファンシー×ポップ」なんて名前の世界だという事実をつい忘れそうになる。それくらい、この場所は荒涼として、痛みと疲労で満ちていた。
私は体を軽く伸ばしてからそっと立ち上がり、拠点の内部を見回した。壁際には腕を負傷した青年が座っていて、どうやら一晩中うまく眠れなかったらしく、暗い瞳で入り口のほうを見つめている。その奥の小さなスペースではアツシさんがうめき声をこらえながら、足の痛みに耐えている様子だ。みんな、この世界での生活に慣れるより先に、怪我や恐怖で限界に近づきつつあるんじゃないだろうか。
(でも、進まないといけない。何もしないまま食料も尽きれば、全員が餓死かモンスターの餌になるだけだし……)
そんな重い思考を抱えながら、私は小さく息を吐く。とにかく、水や食べ物をどうするか、今日は具体的に話し合わないと。ハルさんも同じ思いだと思う。彼は夜通し見張っていたはずだが、果たしてどこで眠ったのか、姿が見えない。探すと、バリケードの隙間の向こうでかがんでいるのが見えた。外の様子をチェックしているのだろうか。心配になって近づいてみる。
「ハルさん……大丈夫ですか? 少しは休めました?」
聞いてみると、ハルさんは背を向けたまま首を横に振る。
「たいして眠ってない。夜のうちは、ときどき外で変な音がしたからな。モンスターじゃなかったが、廃材が崩れたかもしれん」
「そうですか……すみません、いつも見張りを任せきりで……」
どうしてもそう言わずにはいられない。けど、ハルさんは何も返さないまま、入り口越しに路地を見ている。私もそっと覗いてみるけど、外はまだ薄い朝の光が瓦礫を照らしているだけで、人影やモンスターの気配は感じない。代わりに、どこか遠くで「ミシミシ……」と金属が軋むような不穏な音だけがかすかに聞こえた。廃墟が少しずつ崩壊を進めているのかもしれない。夜中にハルさんが不穏な音を聞いたとしたら、それも同じ現象だろうか。
「まぁ、とりあえず今は何もない。中へ戻るぞ。朝のうちに全員で状況をまとめるんだろう?」
ようやく振り返ったハルさんが、疲れた目で私を見ながら言う。「はい」と頷き返し、私たちはバリケードを慎重に閉め直す。廃墟の町がいつまで静かでいてくれるかはわからない。朝だからといってモンスターが出ない保証もない。とにかく拠点内で話し合い、日中の行動計画を立てることが先決だ。
戻ってみると、怪我を負ったメンバーも含めて、ほとんどの人が起きていた。私はそこで「みんなで集まって話しましょう」と声をかけ、拠点の中央にスペースを作る。狭いし埃っぽいけど、体勢をなんとか整えて談合できる場所を確保する。すると、腕を負傷した青年が率先して周囲のガラクタをどけてくれて、半円状に座れるようになった。ちょっとした会議みたいで奇妙な光景だけど、人数が増えればこういう場面も増えるだろうなと思う。
「じゃあ、今の状況をざっくり確認したいんですけど……」
私が切り出すと、みんな緊張した面持ちで耳を傾ける。見れば、リナさんやコウジさんはまだ身体の痛みを抱えたまま、肩や額を抑えているが、とりあえず座れるくらいには回復しているらしい。アツシさんも足の痛みは強そうだけど、ちゃんと意識ははっきりしている。腕の負傷者の青年も同席してくれて、ハルさんがやや離れた場所で壁に寄りかかりながらパイプを握っている。夜通しの疲れを抱えたままでも、彼がこうやって警戒を解かない姿は本当に頼りになる。
「まず……食料と水、前回の探索でだいぶ確保できましたけど、人数が増えたぶん、もう長くは持たないですよね」
最初に言及したのはリナさんだった。肩の痛みで顔をしかめながら、でもまっすぐ私たちを見つめている。確かに、その通りだ。せっかく持ち帰った缶詰やビン、そして砂糖や少しの水も、七人で分ければあっという間に底を突く。回復には栄養が必須だし、かといって食べ過ぎれば数日でなくなる。
「はい。私がまとめたところ、缶詰が合計で七個、ビンのシロップが一つ、砂糖はまだ半分くらい。あと水は汚れたのを含めても十リットルほどしかありません。怪我人にも優先的に食べてもらわないと、足や腕が治らないですし、でもほかの人も空腹のままは……」
私が説明すると、聞いていたコウジさんが苦い顔で唸るように言った。
「怪我を治すのは最優先だが、健康なメンバーが倒れても意味がない。なんとか効率的にみんなが少しずつ口にするくらいか。すぐまた探索に出ないといけないが、昨日みたいに大当たりがあるとも限らない」
昨日本当に大当たりだったかは微妙なところだけど、あれだけ危険を冒してようやくあの量だから、そう簡単にはいかないだろう。しかもモンスターに襲われたら、また誰かが怪我をするリスクが高まる。まさに悪循環だ。リナさんがうなだれるのも無理はない。
「でも、動ける人が行かないと、水も食料も手に入れられませんよね……。わたしも昨日みたいな激戦はもう勘弁したいけど、誰かが行かないと、いずれ全滅してしまう……」
そう呟く彼女の肩には布が巻かれ、少しだけ血が滲んでいる。痛々しいながらも、彼女は状況を把握しようと懸命なのが伝わってくる。今日はどうするつもりなのか、自然とハルさんの意見に注目が集まる。
「俺は正直、休みたいところだが……明日から雨が降るかもしれない、とか、またモンスターがうろつくかもしれない、とか考えたら行けるうちに行くべきなのかもしれん。ただ、今回は死ぬかもな。疲労が抜けきってない」
ハルさんがそう言い放つと、誰もが息を呑む。昨日の探索だけでも大変だったのに、また行くのか──でも行かなきゃ食料は増えないし、こんな人数が拠点にじっとしているだけじゃじり貧だ。私の心も揺れるけど、気づけば腕に怪我をした青年が口を開いていた。
「ハルさん、僕、まだ完全じゃないですけど、腕を少し動かせるようになってきました。もし探索に行くなら手伝いますよ……危険かもしれないけど、ここでぼーっとしてても気が滅入るし」
まさか彼が積極的に言い出すとは思わず、驚きで目を見張る。確かに昨日はわりと動けてたし、DIYが得意で手先も器用そうだ。ただ腕の傷が深いので再出血が怖い。ハルさんが「やめとけ」と一蹴するかと思いきや、少し考えるように目を伏せる。
「……確かに人員は多いほうが物資を探しやすいが、怪我が開いたら意味がない。ゆっくり歩くなら平気か? 走れないと、敵が来たとき危ないぞ」
「そこは、なんとか逃げる工夫をします。すみません、無鉄砲かもしれないけど、やらないとみんなが飢えちゃうし。僕も何もしないで助けられてばかりじゃ申し訳なくて……」
その青年は俯き気味に拳を握り、言葉を詰まらせる。気持ちはよくわかる。怪我を抱えたままもどかしい思いをしているし、負い目を感じているんだろう。でも実際、走れなければ敵の餌食になる可能性が高い。それでも前に進みたいという意地があるんだろう。私がどう声をかけようか迷っていると、アツシさんが弱々しく「ごめん、俺はまだ足が動かせそうにない……」と眉を曇らせた。こっちも同じ葛藤を抱えているのに、何もできないと思うと辛いんだろう。
ハルさんは鼻を鳴らし、全員を見渡すように言った。
「なら、こうしよう。俺と、おまえ(腕の負傷者)、リナ、コウジの四人で一度外に出る。最悪の場合はリナとコウジを先に逃がすから、おまえは自己責任で覚悟を決めろ。大丈夫か?」
少し冷たいようにも聞こえるが、実際のところ“助けられないかもしれない”という警告だ。腕の怪我が再発したり、追いつけなくなったりしたら、冗談抜きで命を落とす可能性がある。私はハラハラしながらそのやり取りを見守る。青年はしかし、真剣な表情で「わかりました。それでも行きたいんです」と答えた。
「……よし、じゃあそれで決まりだ。アツシやほかの怪我人、陽菜は拠点に残れ。おまえも行きたいんじゃないかもしれんが、怪我人の面倒を見られるのはおまえが一番慣れてるし、モンスターが侵入してきても一定の対応ができるからな」
私が同行したい気持ちを察してか、ハルさんがこちらを見やる。正直、言われなくてもわかっていた。誰かが拠点を守らなきゃいけないし、私はまだ怪我人のケアや拠点の整備を優先すべきだ。腕を負傷している青年よりは私のほうが体調はマシだけど、人数を増やしたところで食料が大量に見つかる保証もない。モンスターが複数出てきたら却って危険だ。だから、私は少し唇を噛んでから大人しく頷いた。
「わかりました。私、拠点で留守番します。でも……どうか気をつけて」
「うん。外に出るのは昼前くらいにする。まだ夜通し見張りしてたから、俺は少し休む。リナとコウジも同じだろ。腕の怪我のやつも体慣らしをしたほうがいい」
そうして次の計画がおおむね固まった。おそらく数時間後、午前中の明るい時間帯を狙って四人が探索に出発する。戻ってくるのは夕方までには……というシナリオ。もし何か不測の事態が起きても、夜になる前に拠点に帰らなければ大惨事になるからだ。
話し合いが終わり、それぞれが次の行動に備えて静かに休憩や準備を始める。私は座り込んだまま、腕を負傷した青年に一言かけたい衝動に駆られた。先ほどの会話でわかったように、彼は自分から望んで危険な探索に加わろうとしている。それは覚悟の証かもしれないけど、同時に無理しているんじゃないかと心配になる。
勇気を出して近づき、小声で話しかける。
「あの……本当に行くんですね。腕、まだ痛みますよね?」
すると彼は少し汗ばんだ手を見せ、苦笑して首を振る。
「正直、痛いです。けど、ここにいても何もできないままだと、悔しくて。行かないほうがいいなら止めてほしいけど、皆が少しでも楽になるなら、やれるところまで頑張ってみたい。大丈夫……きっと」
言葉の最後が震えている。怖いに決まってる。でも、そういう決意を持っているなら、私からはもう何も言えない。強いて言うなら「無理しないで、死なないで」ってことくらいだ。私はかすかな笑みを作り、彼の腕に巻かれた布をそっと押さえてみた。血がにじんでいたりはしない。
「わかりました。……やれるとこまでっていうの、応援します。でも、リナさんたちも一緒ですし、もし本当にヤバいときはすぐ逃げてくださいね。私たち、ここで待ってますから」
青年は瞼を閉じて頷き、ほんの少しだけ笑みを返した。何か言いたそうだったけど、結局黙ったまま床に視線を戻す。きっと迷いはあるだろうし、私の言葉なんて彼の不安を完全には払えない。それでも、少しは救いになればいいと思う。
そして、時間がゆるやかに流れ、午前中の明るさが拠点の隙間から差し込むころ、探索組の四人が出発の準備を始める。リナさんは肩の傷に布を新しく巻いて、なんとか腕を動かせるようにした。コウジさんは首を回しつつ軽く屈伸し、装備を確認。腕を負傷した青年も腹に布を巻き、脚力を確かめる動作をしている。
最後にハルさんは少し乾いたパンか何かがあれば食べていきたいだろうけど、あいにくそんなものはない。水を一口飲むだけで我慢して、金属パイプと工具を手に構える。私は心配で「もう少し飲んでください」と勧めても、「残しておけ。怪我人が大事だ」と言われる。ここでも遠慮が募って胸が苦しくなるが、無理に押し切る権利は私にはない。
「じゃあ、行ってくる。日が暮れるまでには戻るぞ。モンスターが出たら躊躇なく逃げる。食料や道具を見つけても、怪我が増えちゃ意味がないからな」
出発前のハルさんの言葉に、残る私やアツシさん、もう一人の負傷者がひたすら頷くしかない。行ってきますとか、気をつけてとか、そんな言葉を繰り返すだけで感情がこみ上げる。恐らくリナさんも、昨日の激闘を思い出して震えているのか、顔が青ざめて汗がにじんでいる。コウジさんは強がっているように見えるが、額の傷がうずくのか眉を寄せて苦しそうだ。腕の怪我の青年も、堅い表情で黙ったままバールを握りしめる。
(頼む、どうかみんな、無事に帰ってきて……)
口に出せない声を心の中で叫びながら、私は拠点のバリケードを少しだけ動かし、四人を見送る。昨日と同じように、静かに外へ足を踏み出す彼らの姿が小さくなっていく。まるで神経をすり減らすようなシーンだけど、こっちも耐えねばならない。バリケードを閉じて後ろを振り返ると、アツシさんがじっと床を見つめていた。彼も焦りや罪悪感を抱えたまま、何も言えないでいるのだろう。
「大丈夫ですよ。きっと無事に戻ってきます」
自分に言い聞かせるように明るい声を出すが、アツシさんは苦笑いで「だといいんだけど……」と呟くだけ。拠点の中にはまた数人で待機するだけの時間が始まった。ある程度の作業はもう済んでいるし、傷が痛むから無理に動くのも危ない。私ができることは、彼らを励まし、傷口を確認し、水やわずかな食料を管理しておくことだけだ。
(……また、待つんだ。あの不安な時間を。だけど、これが私の役目なんだろう……)
嫌でも昨日の記憶がよみがえるが、私は首を振って雑念を払う。どこかで“ラブナティア”が笑っているかもしれない──そんな不気味な想像も脳裏をよぎるけど、それも今すぐにどうしようもない。いつかファンシー×ポップの本当の姿を取り戻すために、ここで待ち、怪我人を守る。時間が経てば、ハルさんたちがきっと何かの収穫を持って戻ってきて、また一日を乗り切る支えになってくれる……はず。
拠点の狭い空間には沈黙が落ちる。何度経験しても、メンバーの半分以上が外へ出ると緊張感が高まり、心臓が息苦しい。ああ、また夕方までこの長い沈黙と怖さに耐えなきゃならないのか、と考えると背筋が冷える。
「……がんばるしかないよね。私……」
声に出してしまった独り言に、アツシさんが微かに反応し、「陽菜さん、平気?」と気遣ってくれる。私が弱音を見せると彼らが不安になるかもしれない。こんなときこそ笑顔を作らなくちゃ。私はそう思い、そっと微笑んで言葉を返す。
「うん、平気ですよ。やることはあるし……。今のうちに、もう少し拠点を片付けましょう。床のほこりを払って、怪我人が移動しやすいようにして、あと……食料の在庫も整理しておきませんか? いつ帰ってきてもいいように」
アツシさんは少し困ったように苦笑する。
「足を引きずりながらでも、何か手伝えれば……声かけてください」
私が「はい。じゃあ一緒に少しだけ埃を掃きましょう」と応じて、顔を見合わせて頷く。こんな些細な協力でも、心は幾分か落ち着く。そうやって作業をするうちに時間が過ぎ、暗い気持ちを少しでも紛らわせるんだ。外へ出た四人が危険と背中合わせで必死になっているぶん、私たちも拠点を守って整えて待つしかない。
廃墟の音はいつも通り乾燥していて、ピシッと微細な裂け目が走るようなかすかな響きが遠くから聞こえる。時々、風に乗って砂がバリケードを擦るシャアシャアという音がするたび、私はまた心臓が跳ねそうになる。ああ、なんて嫌な世界だろう──それでも生きなきゃと自分に言い聞かせる。いつか本当のファンシー×ポップを取り戻せると信じて。
(待ってるから。みんな、どうか無事に帰ってきて……)
また繰り返し胸中で願う。私の手は埃を払う布を握りしめたまま、空中で止まっている。いつもこんなところで堂々巡りの気持ちを抱えているけど、それでも止まるわけにはいかない。拠点で生き延びる限り、小さな光を消さないようにしなきゃいけないのだ。仲間たちが戻ったとき、一瞬でも安心できる場所を用意して──そしていつかきっと、ラブナティアの暴走を止めるための力を得る。その日まで、私たちは耐え続ける。
朝から再び始まる長い待機時間。その怖さを薄めるために、私はエネルギッシュに雑務に打ち込む。アツシさんやもう一人の負傷者も、互いに声をかけながら少しずつ拠点を片付け、わずかな水と食料をうまく管理する。みんな疲弊しているのに、支え合わないと歩んでいけない世界。それでも、こうして互いに励まし合ううちに、私たちは少しずつ家族に近い結束を得ている気がする。悲しく、残酷な環境だけど、それでも人の“優しさ”や“意志”はまだ消えていない──それが唯一の希望なのかもしれない。
こうして、私たちの夜明けは、また新たな不安とともに始まった。探索組が戻るまでに何時間かかるか、無事戻るかすらわからない。しかし、ここで嘆き続けても仕方がない。あの日見た優しい世界の幻を再び手に入れるために、私たちはこの廃墟を維持しながら、一日一日、生き延びる。きっとそれが、いつかラブナティアのもとへたどり着く道になるのだと信じて──私は埃まみれの拠点で、静かに決意を固めていた。
