【エピソード2:未知の同胞との遭遇】

 拠点に残った私たち四人──私と、腕に怪我をした青年、足を負傷したアツシさん、そして同じく負傷しているもう一人の青年。限られたメンバーで、限られたスペースのなか、それぞれができることを見つけながら時を過ごしていた。外に出て行ったハルさん、リナさん、コウジさんの三人がどんな危険に遭っているかと思うと、胸が締めつけられる。だけど、不安ばかりを募らせても始まらない。いま私たちがやるべきは、拠点を守り、怪我人を休ませ、準備を整えておくこと。そう自分に言い聞かせながら、私は床の埃を払い、ちぎれかけた布を使って雑巾がわりにする。少しでも衛生状態をよくしないと、感染症を防げないかもしれない。

 ここ数日の生活で痛感したのは、傷のケアの難しさだ。消毒液や絆創膏、包帯などが手に入ればいいけれど、私たちが持っているのはテープと古い布と、ほんの少しの水だけ。腕の怪我をした青年も、アツシさんも、痛みはあるだろうし、もし化膿したら手の施しようがない。とりあえず、汚れを拭って血を止め、清潔な布を巻いておくしかできないのがもどかしい。拠点を整理しているときに思った以上にガラクタの山を見つけたけど、医療品は皆無だった。

 「陽菜さん、手伝えることないですか?」

 背後から声をかけてきたのは、最初に保護した青年だ。腕の傷がある割には意欲的で、さっきまでもバリケードや内部の補強をしてくれていた。まだ痛みがあるはずだけど、何かしていないと不安なんだろう。私自身も同じだから、その気持ちはよくわかる。

 「あ、ありがとうございます。大丈夫ですか、無理しなくても……?」

 「大丈夫。少し動いてるほうが気が紛れるし。それに、じっと寝てるだけだと申し訳なくて……」

 控えめにそう言う彼の目は、どこか暗い影を落としている。たぶん、私たちの負担になるくらいなら、少しでも役に立ちたいんだろう。私は軽く微笑んで「じゃあ、そこに積んである板切れを使って、床の段差を埋めるのを手伝ってください」と頼んでみる。彼は素直に「わかりました」と返事して、ぎこちなくも作業を始める。板切れを踏む音がコツコツ響いて、拠点の静寂をわずかに打ち破る。

 床に散乱していた瓦礫や木の破片を片付けていると、ふと奥のほうでアツシさんがうめき声をあげるのが聞こえた。そっと近づいてみると、痛む足を押さえたまま汗をかいていて、呼吸が荒い。夜には少し眠れたそうだけど、やっぱり痛みが収まらないらしい。血が止まっただけマシとはいえ、無理に動けば再び裂けるかもしれない。

 「アツシさん、大丈夫ですか? もうちょっと水を使いますね」

 ペットボトルから慎重に一口ぶんだけ水を出し、アツシさんに飲ませる。ここで一気に飲んでもらいたいのは山々だけど、この水は全員の命綱。まだハルさんたちが戻ってくるまでどれくらいかかるかわからない以上、贅沢には使えない。アツシさんもその事情をわかっているのか、喉の渇きをこらえるようにちびちび飲んでくれる。眉をひそめながら、うーんと唸った。

 「すまない……。こうして甘えっぱなしで……」

 「そんな、気にしないでください。私たちだって同じ境遇ですし、手当てしないと動けませんよね?」

 どう返事しても、彼は申し訳なさそうに首を振るから困ってしまうけど、放っておけない。痛みを抱えたまま萎縮して、心まで折れそうになっているのが伝わってくる。まるでファンシーな世界を楽しむために来たのが嘘みたいだ。いったいどこで道を踏み外したんだろう──そんな思いを、私自身も押し殺しつつ、彼の足を上げられるような台を作ってあげるために、近くにある木箱を動かす。少しでも血流が良くなれば痛みが和らぐかもしれないと思うからだ。

 そうしてしばらく作業を続けていると、もう一人の負傷者、腕を怪我した青年が「よし、こんな感じでいいですか?」と声をかけてきた。振り向けば、段差を埋めた床に木の板をピタリとはめ込んでいて、転びやすかった部分がだいぶ整っている。けっこう器用なんだ、と感心した私に、彼は少し照れくさそうに笑った。

 「自宅のDIYとか好きで、道具はないけど慣れちゃいました。あんまり綺麗じゃないけど、これで足元は安全かと……」

 「すごいです、助かりますよ」

 少しずつ拠点が住みやすくなる。狭くて埃っぽい環境は変わらないけど、段差が減れば足を引きずっているアツシさんも移動しやすいし、みんなも負担が減る。こんな小さな改善でも、この世界じゃ大きな前進に思える。正直、気が滅入りそうなときこそ、こういう地道な作業が心を支えてくれるのかもしれない。

 そうやってバタバタと動いているうちに、怪我人二人とも、少しずつ呼吸が落ち着いてきたようだ。アツシさんは足を休ませる姿勢を工夫して、痛みが大分ましになったと言っている。腕を負傷したもう一人は、何度か痛みに顔をゆがめるものの、布を巻き直したおかげで出血も止まっているし、熱も出ていない。もしかしたら、本当に少しずつ回復の兆しがあるのかもしれない。
 
 「……ねぇ、陽菜さん。俺たち、ちゃんとこの世界を出られるのかな」

 ふいに、腕を負傷した青年が沈んだ声で切り出した。私が背を向けて床のゴミを集めていたところ、急に振り向かれて心臓がドキリとする。

 「出られる、って……ログアウトのこと、ですよね。私もそれはわかりません。でも、誰かが言ってましたよね、運営の中枢が暴走してるとか、コアAIのラブナティアが……」

 口にしながら自分も暗い気持ちになる。ラブナティア(Lovenatia)──ファンシー×ポップを管理するはずのコアAI。その暴走が原因で世界がこんな姿になり、プレイヤーたちがログアウト不能に陥っている可能性がある、という噂。だけど私たちは何も確かめられていない。ただ、どこかに“中枢サーバー”らしきところがあり、そこへ到達すればワンチャン解決できるかもしれない……ぐらいの話だ。

 「でも、そんなのどこにあるか見当もつかないし、俺たちじゃどうにも……」

 「うん、そうですよね。今は生きるだけで精いっぱい。でも、いつかはちゃんと向き合わないと、ずっと閉じ込められたままかもしれない。……だから、あきらめるわけにはいかないって、私は思ってます」

 私がそう言うと、彼は短く息を吐き、わずかに笑ってみせた。「……やっぱ陽菜さん、すごい。こんな状況でも、そんなふうに前向きに考えられるんだ」と。内心、別にすごくもなんともないけど、誰かがそう言ってくれるのは嬉しい。実際は、怖くてたまらないし、毎晩眠るときに「明日目覚めたら全部夢だったらいいのに……」と願っているくらいだ。でも口に出しても何も変わらない。

 「ありがと。私も内心じゃ、めちゃくちゃビビってますよ。でも、ここで塞ぎ込んでも仕方ないし……。それに、ハルさんたちが戻れば、何か少しは状況が変わるかもしれないじゃないですか」

 「そう……だね。早く帰ってきてくれたらいいんだけど」

 青年は痛む腕をそっと撫で、じっと拠点の入り口のほうを見つめる。その視線に、私もつられて目をやる。──外はどうなっているだろう? 昼なら多少行動しやすいはずだけど、モンスターもどこに潜んでいるかわからないし、廃墟の構造が崩れたら身動きがとれない可能性もある。リナさんやコウジさんも不慣れなはずだし、ハルさん一人で全員を守りきれるか不安だ。嫌でも悪いシナリオが頭をよぎる。

 私はかき集めたゴミを廃材の山にまとめる作業に戻り、なるべく考えすぎないよう気持ちを紛らわせる。そんなとき、アツシさんがこちらを見て「陽菜さん……」と声をかけてきた。少し落ち着いたのか、穏やかな口調だ。

 「もし、ハルさんたちが食料を見つけてきてくれたら、どう分けるとか、そういう話もしないとですよね……俺たちもここに居つく形でいいのか……」

 「そうですね。実は昨日、偶然拠点の中から缶詰を三つ見つけたんです。まだ皆には内緒で……どうやって分けるかとか、ハルさんと相談したかったんです」

 思わず打ち明けると、アツシさんは「えっ、本当に?」と驚きつつも少し表情が明るくなる。私としては、大事にとっておきたい。怪我人は栄養を取らないと回復しにくいし、でも探索組が戻ってきたら、きっと皆腹ペコだから分け合う必要もある。そんなふうに悩んでると、アツシさんは「無理に俺たちに優先しなくてもいいよ……」と妙に遠慮がちな姿勢を見せる。

 「いえいえ、みんなで生き残るためにあったんだから、そりゃ怪我人も大事な仲間ですよ。私も含めて全員が食べなきゃね」

 そう言葉にして、改めて思った。“仲間”っていう言い方、しっくりくるかどうかわからないけど、今はそれしかない。私たちは互いを助け合わなきゃ生きられないんだから。ここには「昨日までの仲良しグループ」というわけでもないが、そうでもしなければ誰も救えない。

 時間がじわじわと過ぎていく。外で何もなければ、ハルさんたちは数時間で戻ってくるはずだ。怪我人がうとうとしている横で、私は拠点の隅に座り、できるだけ耳を澄ます。少しでも外で物音がしたらすぐに反応できるように。けれど、廃墟の中はシンと静まり返り、たまに柱がきしむ音や、床を何かが転がる音がする程度。おそらく風がゴミを吹き動かしているのだろう。ときどき私は“あのうさぎ”のことを思い出す。広場で見つけて、怪我の手当をしようとしたあの子は生き延びているのか。こういう廃墟にほかにも生きた動物キャラがいるのかもしれないし、モンスター化していない奴は隠れて息を潜めているのかも……。

 ふと、アツシさんが体を起こして、「あ、陽菜さん、さっきから外で何か音がしません?」と不安げに言った。私はびくっとして耳を研ぎ澄ますが、何も聞こえない。どうやら気のせいかもしれないし、彼の神経が過敏になっているのかもしれない。外の様子を窺うためにバリケードの少し上の隙間を覗くと、見えるのは瓦礫だらけの路地。動くものの気配はない。

 「大丈夫そうですよ。怖い夢を見たとかじゃないですか?」

 苦笑しながらそう言うと、アツシさんは「そっか……すみません、気になっちゃって」と申し訳なさそうに目を伏せる。その肩の力が抜けるタイミングで、私は再び拠点をぐるりと見渡し、ほかに問題がないか確認する。さっき板をはめた場所は大丈夫そう。怪我をした青年は片手で何とか作業を終えて、今は少し休憩をとっている。アツシさんはまだ痛そうだけど、眠気でまぶたが重くなってきたのか、ときどき船を漕いでいる。

 こんなに長く静かなのは、ある意味不気味でもある。早くハルさんたちが帰ってきてくれれば、多少騒がしくなっても安心なのに。そう思っても、行方を知るすべはない。私は少し空腹を感じて、昨日拾った缶詰のことを思い出すが、皆で分けるまでは手をつけないと決めている。水だって限りがあるし、あまり動きすぎないほうがいい。こうしてじっと待つしかない状況が、地味に神経をすり減らしていくんだ。

 (こんなにもすることがないと、嫌でもいろいろ考えちゃう……)

 たとえば、ラブナティアというコアAIの存在。もし本当にそれが暴走しているのなら、どうやって止めればいいのか。運営が仕込んだシステムを、私たちのような素人がどうにかできるわけがない。専門知識を持ったテスターがいればいいけど、そんな人と出会う機会があるかもわからない。いや、そもそも“専門家”が生き延びている保証すらないのだ。もしかすると、すでにこの世界に飲み込まれて……。

 暗い想像で頭がいっぱいになるのを振り払うように、私は立ち上がって拠点の真ん中にある瓦礫の山を軽く動かす。昨夜、これを少し片付けたら隙間が広がって涼しい風が通るようになった。怪我人が少しでも快適に過ごせるように工夫するしかない。まるで小さな家をDIYするみたいな作業だ。こんな凄惨な世界じゃなければ、楽しい部屋づくりって気分にもなれたかもしれないのに……。

 そんな風に地味に手を動かしていると、またアツシさんが声をかけてきた。

 「陽菜さん……何だか、不安で胸が押しつぶされそうなんです。こうやって静かなときほど、変に想像が暴走して、もう二度とみんな戻ってこないんじゃないかとか……俺、ただでさえ迷惑かけてるのに、もし誰かが戻らなかったら、それこそ……」

 言葉が詰まる彼の顔に、私はさっと近づいて軽く肩に触れる。痛む足をかばいながらも考えこんでいるのだろう。仕方ない。こんな世界なら、誰だって同じように思いつめる。

 「わかります。私もそうですよ。怖くて……でも、あの三人なら大丈夫って信じましょう。ハルさんはああ見えて頼りになるし、リナさんやコウジさんも、やる気はあるし。絶対に無事に戻ってきてくれます」

 そう言い切るには根拠なんて何もない。けれど、今はそれを言葉にするしかないんだ。言えば自分も少しは希望が見える気がする。アツシさんは小さく頷いて、目を閉じて「ありがとう」と小声で返した。

 時間がどれくらい経過しただろう。廃墟の隙間から差し込む光が少し傾きはじめている。まだ夕方には早いと思うが、雲が厚い日だから加減がわかりにくい。早く戻ってきてほしいと切に願って、そわそわしてしまう。それでも私は怪我人の様子を再確認し、シンプルな応急処置をくり返す。腕の負傷者もアツシさんも、痛みこそあれ悪化してはいないようで、とりあえず安心だ。

 そうして拠点全体が沈黙に包まれる中、私は一度大きく伸びをしてから、中央のスペースに座り込む。誰も口を開かないから、あたりには私たちの呼吸だけが薄く響く。怪我人がうとうとしている姿を見て、「静かにしなきゃ」と思う反面、無音すぎて不安になる。せめて声を出して気を紛らわせるか、自分が何かしら行動し続けるか。けれど、できる作業はもうあらかた済んでしまった。

 (もう少ししたら、きっと帰ってくるよね……)

 頭の中でそう繰り返し、落ち着けようとする。ふと、拠点の入り口近くで作業していた青年が、こちらを見て微笑むのが見えた。相槌を打つように軽く頷いてみせると、彼も「頑張りましょう」って目で訴えてくれているようだ。この僅かなやりとりだけで、何とか歯を食いしばっていられる。

 まるで、針のむしろだ。何も起きないのが一番だけど、同時に、この静寂が長引けば長引くほど「何かあったんじゃ?」と悪い想像に囚われる。吐き気さえ覚えそうになったとき、それまで固まっていた空気がほんの少し揺れた気がした。

 「……音がする?」

 誰かが寝言のように呟く。私もそれを感じて、急いでバリケードの方へ駆け寄る。外からかすかに人の声が聞こえるような……違うか、足音か? ぎゅっと息を止めて耳を澄ますと、「ドッ……ドッ……」という石を踏む音に混じって、微かな会話のようなものが。妙に胸が高鳴る。帰ってきた? それとも別の人? 敵かもしれない。怖い。

 「み、みんな、静かに……」

 全員にジェスチャーで示し、私はバリケードの上の隙間から外を覗きこむ。廃墟の路地を、三つの影がゆっくりとこちらへ近づいてくるのがわかる。迷彩柄のジャケットに見覚えがある。──ハルさんだ! 後ろに小柄な人影、あれがリナさんで、その隣にコウジさんらしき姿もある。大きな袋を背負っているように見えるし、三人とも歩きにくそうだけど無事そうだ。
 
 思わず心の底から安堵の息が漏れそうになる。それをなんとか飲み込みながら、私はバリケードを開ける準備を始める。ああ、よかった……! 一晩と半日、ずっと胃がキリキリしてたけど、少なくとも彼らは生きて帰ってきた。怪我をしていないかはこれから確認するけど、歩いている以上大怪我じゃないはずだ。

 「ハルさん、皆さん、無事ですか……?」

 バリケードをわずかに開けてそう声をかけると、ハルさんが「無事じゃねえが、まあ生きてるよ」と荒い呼吸で応じた。その直後、ドッと重い荷物を降ろし、リナさんとコウジさんもどさりと座り込むように拠点に転がり込んでくる。三人とも泥だらけで、服は破けていて、特にコウジさんは額に軽い切り傷を負って血が垂れている。私は慌てて「大丈夫ですか?」と駆け寄り、布を探した。
 
 「かすり傷だ。モンスターに襲われて逃げたとき、壁に頭をぶつけた。あんまり深くないから平気さ」

 コウジさんが息も絶え絶えに笑う。一方リナさんは、ガクガク震えながら座り込んでいる。顔色が真っ青で、手が血に濡れている……まさか怪我? と思ってふと見ると、どうやら血は自分のものではないらしい。あとで聞けば、戦闘があったときハルさんやコウジさんを助けようとして手に負傷したモンスターの血を浴びたそうだ。肩が浅く裂けているが、致命傷ではなさそう。ほっと胸を撫でおろすと同時に、「どれだけの苦労をしてきたんだろう」と申し訳なさと感謝でいっぱいになる。

 「こちらは……うまくいったんですか? 食料や水は……」

 恐る恐る尋ねると、ハルさんは黙って大きな袋を指差す。中を覗き込むと、ボロボロの箱や缶がいくつも詰め込まれているのが見えた。中身はまだわからないが、食料や道具らしきものを拾ってきたらしい。リナさんが弱々しく声を出す。

 「わ、わたしも……こわかったけど、ハルさんがモンスターを抑えてる間にいろいろ探して……みんなで必死に持ち帰ってきました……」

 その顔には涙がにじんでいる。コウジさんも「なんとか……な」と苦い笑み。足を引きずりながらも、どうにか探索を成し遂げてきてくれたのだろう。私は思わず目頭が熱くなる。彼らが危険を冒して持ち帰ってくれた物資は、怪我人にも私にも、何よりこの拠点で暮らす全員にとって救いになるはずだ。

 「ありがとうございます、本当に……怪我の手当て、しますね!」

 我に返って声を張り上げそうになったけど、拠点で休んでいる他の負傷者が驚かないよう、ボリュームを抑えた。とにかく医療品はないが、少しでも血を拭いて布を巻けば傷口の悪化は防げるだろう。自分なりに急いで準備に取りかかる。幸い、私が拠点を整理していたときに集めた布がまだ残っているし、水もほんのわずかだけ温存してある。私がアツシさんに「ごめん、ちょっとだけ布を分けるね?」と声をかけると、「うん、俺は大丈夫だから優先してあげて」と笑う。そうだよね、みんなで助け合っていかないと。

 ひとまず、リナさんの肩にできた裂傷を拭いて布を巻き、コウジさんの額の小さい傷を押さえる。どちらも痛がるが、そっと指先を当てて血を押さえていると次第に出血が減っていく。ハルさんは腕に擦り傷や打撲のような跡が無数にあるものの、大きな流血はないようだ。「心配いらん」と言い張るので、私は一応簡単に埃を拭って布を巻いた程度で済ませる。みんな息が荒く、汗だくで、尋常じゃない疲労が滲んでいる。

 「はぁ……やっと戻った。やっぱり無茶だったか……」

 ハルさんが低く呟き、ドサリと荷物の上に座り込む。リナさんとコウジさんも壁に寄りかかって苦しげな呼吸を繰り返す。何があったのか、後で詳しく聞かなきゃ。だけど、いまは休ませてあげるのが先だ。怪我人たちも「おかえりなさい……」と弱々しく言葉をかけ、彼らの無事を喜んでいる。
 
 しばらくして全員の呼吸が多少落ち着いたころ、ハルさんが袋をゴソゴソと開けて中身を取り出し始めた。出てくるのはあちこちで拾ったらしい缶詰、ビン入りの怪しげな調味料、こなれた木の板、破損気味のポリタンクらしき容器などなど……。正直、ゴミの山にも見えるけど、使えそうなものがいくつかある。

 「水……ないかと思ったけど、この容器に少し入ってた。場所によってはまだ水が溜まってる区域があるんだろうな。ただ、濁ってそうだから煮沸したいところだけど、燃料がな……」

 ハルさんが苦い顔をする。それでも、水が何リットルか確保できただけで大きな進歩だ。あとは缶詰が4個、ビン入りの謎シロップが1本(開封済みなのが怖いけど)。さらにバールやスパナのような工具が二つ。これだけあれば、次の探索や拠点整備に役立つだろう。リナさんが疲労感に耐えつつ「ここでやっと休める……頑張ってよかった……」と呟くので、私も「本当に、ありがとうございます」と頭を下げるしかない。
 
 「これでしばらくは食い繋げそうだが、人数が多いからあっという間になくなるな。特に怪我人は栄養を取らないと治りが遅いし」

 ハルさんが現実的な数字を呟き、コウジさんも「そうだな……でも、この短い探索でも俺たちが怪我する寸前だったし、無茶はできない」と返す。確かに、毎日こうやって激しい戦闘や崩落を潜り抜けてまで物資を探すのはリスクが高すぎる。私も内心、それに同意しかない。
 
 それでも、進まなきゃならない。一週間、二週間と経てば、さらに食料は枯渇するし、モンスターはいつまた襲ってくるかわからない。つまり、すぐにでも次の計画を立てる必要がある。廃墟をうろつくだけじゃ限界があるし、いつかは“ラブナティア”の謎に迫らなきゃいけないのかもしれない──そんな言葉が頭を過ぎるが、今は誰も疲れすぎていて言い出せない。

 「……ひとまず休もう。けが人たちもいるし、今日はもう動けん。夜になればモンスターが活発になるし、ここで静かにやりすごすのが最善だ」

 ハルさんがそうまとめ、皆がうなずく。空腹を抱えながらも、缶詰を開けるかどうか躊躇しているのがわかる。ハルさんたちは探索でエネルギーを消耗したから、口にしないと危ないけど、私や他の怪我人も何も食べていない。結局、皆で話し合った末、今日は缶詰を一個だけ開けて、怪我がひどいアツシさんとリナさん、コウジさん、そして戻ったばかりで疲労困憊のハルさんが優先的に口にすることになった。私やもう一人の青年は砂糖を少し舐めれば当座は大丈夫だろう、という妥協策だ。なんだか申し訳ないけど、これが今の現実だ。
 
 開けた缶詰から漂うほのかな野菜スープっぽい香りに、私の胃がぎゅるると鳴く。けれど、不満を言わないように耐えなきゃ。今は怪我人や探索組が先だ。ほんの少量のスープをすすってホッとしているみんなの表情を見たら、それだけで少し幸せを感じる。こんな些細な喜び、普通の世界なら考えられないけど、ここでは大きな救いになるのだ。
 
 皆が落ち着いて座り込むと、ハルさんが低く息を吐いて口を開いた。

 「……明日の朝には、もう少しまともに作戦を立てよう。探索する場所を決めて、怪我人がどれくらい回復するかも確認しないといけない。ラブナティアとか、世界の謎とか考えるのはまだ先だ。まずは生きる手段を確保しないと」

 やっぱりそこに落ち着く。コウジさんもリナさんも、うなずきながら「無理はもうごめんだけど、やらないと死ぬだけだしな……」と苦笑する。誰もが同じ思いだろう──いつかはコアに挑むかもしれないけど、いまはとにかく生存が最優先。私も黙ってうなずく。怪我人が安定して動けるようになるまでは、拠点を守りながら食料や水を探すしかないのだ。
 
 こうして第三章の朝から昼にかけて──拠点を巡る様々な思惑と、わずかな収穫、そしてメンバーそれぞれの葛藤が交錯する中、私たちは今日という日をどう乗り切るかを模索し始める。あちこちに見え隠れする絶望を小さく打ち消すように、わずかな食料を分け合い、気力をつなぎ留めていくしかない。

 《ラブナティア》──ファンシー×ポップの中枢AI。どうにかしなければ、こんな廃墟のまま終わりを迎えるかもしれない。だけど、こんなに弱った私たちに、果たしてそれを止める術があるのか。その答えはまだ、暗闇の向こうだ。

 (でも、諦めたら何も始まらない。ハルさんたちが戻ってきてくれたように、私たちも必ず生き延びて、元の世界に戻る道を探し出すんだ……)

 私は心の中でそう強く念じながら、拠点の隅に身を置く。何もかも暗澹たる現実だけど、ほんの少しの食糧と水、仲間の存在、それらを糧にして次の一歩を踏み出さなきゃ。光の射さない廃墟の一角で、私たちの小さな灯火が揺れている。この火が消えないようにと願いつつ、私は廃材の床に座り込み、怪我人たちの安堵した表情にそっと笑みを返すのだった。