「ね、博士クン赤点あったー?」
「オレ数学赤点だったからさー、夏休みの補習よろしくなー?」
「うわ、ご愁傷様〜」
 やいやい、やいやい、陽キャたちが騒いでいる――なぜか俺の机の周りで。
「だから博士クンじゃなくて、末広!」
 原因はもちろん、日向の存在に他ならない。
 なんでかあれ以来、日向のオキニなんて揶揄われつつ、陽キャ一軍たちにまで絡まれるようになってしまった。
 日向と違ってこいつらはおっかないので、俺は内心ヒヤヒヤしているんだけど。
「末広だって赤点あるかわかんねーだろ! なあ?」
「いや……数学、赤点」
 日向がいれば、普通に過ごせてる、と、思う。
「ほら、やっぱなー!」
 大きな笑い声が撒き散らかされて、俺の赤点事情はクラス中に知れ渡ることに……ってまあ、だいたいの人間は知ってるか。
 数学のテスト中、答案用紙の裏にチンタオサウルスを描いていて、みんなの前で先生に注意されたし。俺はほんとうに欲に忠実すぎる。
「末広、なんかごめんな……?」
 無駄に俺を庇ったばかりに、日向は心から気まずそうに謝罪してくる。
「謝られると余計いたたまれないんだが」
「それはこっちのセリフなんだが」
 顔を見合わせ、どちらからともなく吹き出した。
「だめじゃん! 勉強はしねーと!」
「まじでそうなの、俺もわかってんだけどなぁ……」
「なぁ……じゃねえ! 遠い目すんな、自分のことだろ?」
「ハイ」
「やることはやらねーと!」
「ハイ」
「ほんとに聞いてんの!?」
「キイテマス」
 耳が痛い。日向の言う通りだ。「やることはやらねーと」いけない。俺も頭ではわかってるのになぁ……こう、紙と向き合って、ペンを持つと、だめなんだよなぁ。勝手に手が動いちゃう……なんて言い訳したら、また日向に怒られるな。
「将来まともに働く自分が想像できない」
「俺は想像つくよ、末広が一生絵描いてんの」
「それじゃ食ってけない……」
「食ってけるようにすりゃいいだろ?」
 日向が言うと、それがすごく簡単なことに思えるから不思議だ。絵で食べてくなんて、ほんの小指の爪先程度の人間しかいないだろうし、なにより俺は恐竜以外描けないのに。
 テストが終わって、期間中の出席番号順の座席から、普段の座席に戻った。
 俺の前には、日向の小さな背中がある。シワひとつない空色のワイシャツは、眺めていて清々しかった。
 まあるい後頭部、濡れてるみたいに艶のある黒髪、すっと伸びる長い首。真っ白なうなじに、ほくろが縦に二つ、並んでる。
「……綺麗だな」
「え? なんか言った?」
 それで振り向いた顔は美形ときた。
「ずるいな、おまえ」
「は? なに? さっきのこと怒ってんの?」
 その顔で「でも謝んねーよ?」なんて上目遣いに言うから、もう、ただただかっこいい。見た目も、中身も。
「……怒ってないわ、べつに」
 ふいと目を逸らして、窓の外、夏雲を眺めた。
 すっかり夏休みモードの今日この頃。まだ俺たちは、友達でいられてる。

 俺の成績がズタボロなことは、もう親はなにも言わなくなった。せめて卒業はしろ、できれば留年はするなって言われているけど。
「というわけで、夏休み補習になった」
「アンタはまったく……少しは落ち込みなさいよ」
 今日の夕飯はハンバーグらしい。ひき肉をパシパシ叩いて伸ばしてるのは、念入りに空気を抜くためだけだと信じたい……。
「ごめんなさい」
 こんなちゃらんぽらんで。
「ママに謝ったって仕方ないでしょ! 困るのはアンタよ」
「……うん」
「聞いてんの!?」
「キイテマス」
 このやり取り、昼間、日向ともやったな。
 俺の心ってこう……泥みたいな。そういう質感な気がする。なにを言われても、どんな目を向けられても、あんまり刺さらないというか。ぐさりと刺されたことはわかるのに、いつのまにか溶けてなくなっちゃってるみたいな。
「……夕飯、ハンバーグ?」
「ミートボール! パスタに乗っけんの!」
「カリオストロだ!」
「……ほんとにもう……ママ心配よ……」
 心配かけてごめんなさい――たしかにその気持ちはあるんだけどな。大好物のミートボールパスタと聞けば、つい胃袋が躍っちゃうんだよな。
 キッチンに立つ母さんの背に回って、肩を揉んだり叩いたり。いつのまにか俺よりずっと小さくなっちゃったな、なんて、白髪混じりのつむじを見て思った。
「ミートボールパスタ食べたかったんだよなぁ」
「よく言うわ、まったく!」
 俺には、こんなことしかできないけど。いつかもっと、ちゃんと、親孝行できんのかな。
「ただいまぁ」
 玄関先で弟の声がして、ああ、なんて安心した。もし俺がちゃんとできなくたって、アイツがいる。
 そんなふうに思ってしまう俺は、やっぱりお兄ちゃんぽくはない。全然ない。頼りなさすぎ。
 ――日向は褒め上手だよなぁ。
 俺のことも、俺の描いた恐竜のことも。よく見ていれば、いつメンの手綱を握ってるのも日向だし。ただの陽キャとはひと味もふた味も違う気がする。
 夏休み、日向はなにしてんだろうな。明日会ったら、聞いてみようか……?
風雅(ふうが)! 突っ立ってんならパスタ茹でてってば!」
「あっ、ハイ」
 母さんの怒声ではっと我に返って、大人しくパスタ鍋に水を張った。

 蒸し風呂のような体育館で、わざわざ二列に並ばされて。あげく掴みどころのない校長のながーい話を、立ったまま黙って聞けと言われる。
 終業式ってなんのためにあるんだろう……修行? 教室で放送でも流すとか、リモートだっていいと思うのに。
 やさぐれ半分で前方に目をやれば、しゃんと伸びた清々しい背中が目に飛び込んでくる。あれは絶対、日向だ。こんな理不尽にも折れない、一本筋の通った背中。日向ってやっぱりまぶしい。それともあれか、光属性だし太陽光はエネルギーになるとか、そんなチート……
「なーなー、末広クンさー」
「……俺か」
 バカなこと考えてたら、隣の男に名前を呼ばれた。
「おまえ以外にいねーんだわ、末広って」
 小さく肩を震わせたのは、俺と同じ数学補習組になった馬渕(まぶち)だった。陽キャ一軍が俺を呼ぶときは『博士クン』だから、まさかこいつに名前を呼ばれるなんて思ってもなくて。俺はちょっとびびる。
「な、なんか用?」
「なんだよ、好戦的じゃん」
「べつにそうじゃなくて……俺の名前呼ぶの、めずらしいから」
「あー? 海がしつこいからうっかりしてたわ、ごめんごめん、博士クン」
 長い髪を後ろで結わく、かなりおっかない風貌の馬渕は、笑うと目がやわらかい弧を描いて、黄色い顔の絵文字みたいになる。うんとギャップのある男だ。なので当然、モテる。日向ほどではないと思うけど。
「いや、末広でいいんだけど……」
「めんどくせーな、なんでもいいだろ呼び名なんて。好きに呼ばせろよ」
「ハイ」
 怖い。日向、頼むから帰ってきてくれ……。
「補習だりーよなぁ」
「そうだね……」
「オレとおまえだけじゃん、補習なの」
「え……他にもいるでしょ」
「ちがくて。オレらの仲間内じゃオレとおまえだけじゃん」
 ――お、俺って、仲間に数えてもらってんだ……?
 びびり倒している俺をよそに、馬渕は「だから連絡先教えとけ」とスマホを差し出してきた。
「なんでそこに繋がる……?」
「休むときとか頼めんじゃん。いちいち学校に連絡すんのだりぃし」
「ああ、そういう……」
 合点がいって、素直にスマホをポケットから取り出した。それを見て、馬渕はクスクス笑ってる。
「なに」
「いや、嘘だから。べつにサボるために聞くわけじゃねーよ」
「どうだか……」
「……おまえ、見かけによらず結構生意気なのな?」
「いてっ」
 鋭いデコピンが飛んできて、よろめいた。陽キャってなぜかデコピンとしっぺが異様に強い。なんで。
「こらー、そこ。静かに」
 どっかから見てたらしい先生の声がして、俺かよって心の中で唾を吐いた。べつに校長はマイク使ってるんだし、そんなに騒がしくしていないのに。しかも俺、デコピンの被害者なのに。
「怒られてやんの」
 馬渕はなぜか得意げな顔をしている。おっかないのに、素直に腹立たしいとも思う。
「馬渕のせいだろ……!」
「言うじゃん、博士クン」
「こら、二人とも前向く!」
 とうとう背後に迫っていたらしい先生に見つかって、俺たちは背を押され、強制的に前を向かされてしまう。
 ――だ、ださ……!
 はしゃいじゃって先生の手を焼かせている陽キャに、もう俺は二度と冷たい視線を送れなくなった。というか俺は陽キャですらない。ただの陰キャがイキったみたいで、まじで痛いわ……。
 消えたい気持ちでぼんやり前を見つめていると、あの背中がちらりと振り向いた。遠くてもわかる、意志の強い真っ直ぐな視線。
「日向ぁ……」
 情けない声で名前を呼んだら、隣の男のほうが返事して。
「海に助け求めんな、手のかかるオキニだなぁ」
「誰のせいで……!」
 これだから陽キャは困る。なんでも自分のペースに持ってくのがうまくて、俺みたいなのは振り回されっぱなしだ。
 終業式のあと、教室に戻るときだって馬渕はあの調子で俺に絡んできて。すごく不愉快だった。日向は俺を尊重……というか対等に扱ってくれるけど、馬渕はそうじゃない。あきらかに俺をバカにしている。
「補習組同士、意気投合でもしたの?」
 やっと一息つける自席で、日向は俺にそう聞く。
「なにを見てそう言ってる?」
「いやなんか、仲良さそうにしてるから」
「ど、どこが……!?」
 机の中の教科書なんかを鞄にしまいつつ、日向は「馬渕も楽しそうにしてたし」なんて言ってる。そりゃからかってる側だから楽しいだろうけど。あれが仲良さそうに見えてるなら、日向もやっぱりあっち側だ。
 せわしなく動く肩甲骨が、たまにシャツ越しに窺える。それを眺めてたら、口が先に動いてた。
「……日向」
「ん?」
 夏休みなにしてんの? 連絡先聞いていい? ――べつに普通に言えよ、なにちょっと緊張してんの俺? 普通に、馬渕みたいに。連絡先教えとけよ、だっけ、いやそんなえらそうには聞けないけど俺は……
「んー?」
 一向に話し出さない俺に、とうとう日向の綺麗な顔が振り向く。
「えーと……」
「なんだよー」
 日向は椅子をまたいで、身体ごと俺のほうを向いた。そんなふうに真正面から見つめられると、余計無理だ。……いや無理ってなんだ。一応、たぶん、友達……のはずなんだから、普通に、ふつーに、言えばいいだけ……。
 視線は、自分の爪の白い部分に一点集中していた。
「……俺ら連絡先、知らない、よな」
「……そうな?」
「あの……だから……」
「知りたい?」
 むっとして視線を持ち上げると、にんまりほくそ笑む日向と目が合った。
「……知りたいから聞いてんの!」
「聞いてねーだろ、まだ」
 なんだか今日の日向は意地が悪い。いや、いつもが優しすぎるだけか。
「おしえてよ、連絡先」
「なんで?」
 なんでって……そんなの、
「会いたいから」
 それ以外ないだろ。それともあれか、寝落ち電話でもせがまれると思ってんの? さすがにないわ――
「……ふはっ……かわいー末広。いい子いい子」
 日向の手が頭に伸びてきて、二回、三回、朝起きたまんまの俺の髪の毛を撫でてくる。
「……俺のこと五歳児だと思ってんだろ」
 その優しそうな微笑み、絶対弟に向けてるやつだ。「よしよし」って慈しみの顔。同級生に向けるそれじゃない。
「思ってないよ、いい子だなって褒めてんの」
「それがお兄ちゃんムーブだっつってんの」
 ぽこっと日向から届いたメッセージは、全幼児が必ず一度は通る、国民的アンパンのキャラクタースタンプ一つ……
「やっぱ五歳児だと思ってんじゃん!」
「はははっ! 末広うっせー」
「日向ぁ!」
 あーあもう、全然だめだ。日向が笑うと、なんかもういいやって思ってしまう。
 五歳児に思われてたっていい、これで夏休みに入っても日向に会える――俺ってば、さすが泥の心の持ち主だ。

 夏休みに入って、一週間が経った。
 毎日毎日ぶっ倒れそうになる炎天の下、俺は真面目に自転車を走らせ学校に通っている。
「あっちー! まじで危ないって、ほんと死人出るって!」
「赤点取らなきゃいいだけだろうが。はい、今日も始めるぞー」
 心なしか普段よりもきんっと冷やしてくれた教室の中で、馬渕は野次を飛ばしているけれど。先生の言う通りだと思う。
 きちんと授業を聞いていれば赤点なんて取らないだろうに、それをしない生徒たちのために、この暑さのなか出勤させられて、教師って大変な仕事だ……。
「末広ー、絵ぇ描くなよー」
「ハイ」
 ――み、見透かされてる……!
 描きだそうとしていた手を止めて、膝の上で固く拳を握った。
「……スエ」
「……俺?」
「あだ名つけた」
「縁起悪そう……」
「あ?」
 いちいち凄まないでほしい。スエなんて世も末ってかんじで縁起悪いじゃん、って、意見を述べただけじゃん……!
 なぜか連日隣に座ってくる馬渕は、俺を横目に見やって、小声で問いかけてくる。
「おまえ、なんでそんな落書きしちゃうの?」
「知らな……俺が知りたいよ、そんなこと」
「集中力ねーんだ?」
 それは馬渕だって同じだろうが。
「授業聞いてないと、さすがにやばいって」
 俺に咎められるって、相当だけど。馬渕は不服さを隠さず「ちっ」と舌打ちをしてくる。もう怖いからやだ。
「帰り、アイス食ってこーぜ」
「……俺に言ってんの?」
「マエ先のこと誘うわけねーだろ、ばーか」
 たしかに俺はバカだけど。おまえだって同レベルだからこうして補習にいるわけで――
「末広、馬渕ー。今日は満点取るまで帰さないからなー」
「げえ……」
 馬渕のせいで……いやまあ、こればっかりは、俺のせいか。前田先生は俺のほうに視線を合わせてた。
 大人からしたら、不真面目そうなバカより、真面目そうなバカのほうが、なんとなく腹立たしいんだと思う。理由はよくわからないけど、十五年の人生経験に基づいて、そんな気がしてる。
 結局その日、俺はいつまでも満点が取れなくて。付き合って待っててくれた……しかも最後にはカンニングまでさせてくれた馬渕に、俺はもう反抗なんてできるわけもなかった。
「スエってまじもんのバカなんだな」
「……うるさぁ……」
「いや、逆に天才か? 絵はまじで上手いもんな。バカと天才は紙一重って言うし」
「いーから、とっとと食えよ……!」
 学校近くのショッピングモールのフードコートで、俺は馬渕にアイスを奢った。けどこれはカツアゲなんかではなく、俺から申し出たことだ。さすがに迷惑を掛けすぎた自覚がある。
「先帰っててよかったのに……」
「アイス食うって約束したじゃん」
 約束……? 目が点になっていたと思う。
 陽キャにとって、自分の申し出が断られることって想定しないんだろうな。思い返せば日向もそうだ。友達になろうと言われて、俺は頷いた覚えはないのに。気づけば、日向は何味が好きなんだろう、なんて考えてしまうくらいには、友達っぽいものになっている。
「はー、うまかった。ごちそうさん」
「いーえ、こちらこそ……ありがとう、カンニングさせてくれて」
「言うな言うな」
 へらっと口元を緩めて、馬渕は結わいた髪の毛を解いた。その髪は鎖骨くらいの長さで、内側にシルバー? 白? のカラーリングが見え隠れしている。
「おしゃれだなぁ……」
 なんだかまるで、恐竜の羽毛みたい。イーとか、きっとあんなかんじ。黒と白のモノトーンで、顔は赤っぽい、今でいうツバメみたいなカラーリングだとかっこいいよなって、俺は思ってるんだ。
「スエもやれば? 夏だけ限定。来週で補習も終わんだし」
「……俺はいいよ……なんか痛々しくなりそうだから」
「厨二病っぽいよな、髪しょっちゅう寝癖ついてっし」
「いちいち言い過ぎなんだよ、もう……!」
 馬渕は目を細めて「おもしれー」なんて言ってやがる。
「海がかまいたくなんのもわかるわ」
「え?」
「アイツが自分から絡みいくのってめずらしーからさぁ」
「そ、そうなの……?」
 どくん、と心臓が鳴った。
「ん、オレあいつと中学から一緒だから。こう……淡泊なとこあるだろ、海って」
「そんなことないよ……優しいじゃん」
「おまえにはな」
 わざとらしいため息のあと、馬渕がこれでもかってほどの呆れ顔を向けてきた。
「しらねーだろ? スエにかまってばっかだって、杏里(あんり)たちが騒いでんの」
「……察知は、してるけど」
 杏里サンがどの女子かははっきりしないけど、陽キャ一軍女子たちの視線には気づいてる。そりゃおもしろくないと思う。最近じゃ昼まで俺と一緒で、馬渕たちのとこに行かなくなってたから。貴重な接触の機会を奪われたーってことなんだろうと、予想するのは容易い。
「ま、そのおかげでオレんとこに回ってくるから、別にいーんだけどさ!」
 馬渕は大きく伸びをして、「ねみぃから帰ろうぜ」と持ちかけてくる。まったく自由人でちょっとうらやましい。
「今日ありがとう」
「ん? なにが?」
「……あ、あそんで? くれて?」
 ずり、っと肩から鞄がズレ落ちて、なお情けないことになった。ぼっちの定型文かっつうの……いやまあ実際そうなんだけど……。
 絶対また大笑いされると思ったら、馬渕はぽかんと口を開けて立ってるだけだった。
「……レッサーパンダみてえだな、おまえ」
「だからなんでそう、ちっこい動物に……」
 あ、でも、日向が言うハムスターとかリスより、少しは大きくなったか。
「知らねえの? レッサーパンダって威嚇すると超凶暴なんだよ、そゆとこも似てるわ」
「べつに威嚇してな……!」
「いーよ、また遊ぼうぜ」
 馬渕のグーが、俺の腕に押し当てられる。
「お、意外といい筋肉あんじゃん」
「たまに、弟と筋トレしてる……」
「意外すぎ!」
 嘲笑いながら颯爽と去っていく背中に、俺は控え目に手を振った。後ろに目でもついてんのかな、馬渕はちょっと行ったところで振り返って。白い歯を見せて、大きく手を振り返してくれたんだ。
 馬渕には友達になろう、なんて言われたりしてないけど……友達、なのかな、友達っぽい、ような。
 むずむずする気持ちを誤魔化しながら、俺はせっせと自転車のペダルを回した。

 ようやく補習が終わった。もう季節は八月になっている。
「風雅ー、優雅(ゆうが)ー! 二人、今日どっか行くのー?」
 一階から、母さんの声がする。
 どこも、と返事をしようと部屋のドアを開けたときだ。先に隣の部屋から、弟の優雅の声がした。
「トモダチくるー!」
「え」
「あれ、兄ちゃんも誰か呼んでた?」
 俺とはあんまり似ていない、目鼻立ちのはっきりした顔が、まさかって目でこっちを見やる。
「まさか」
「じゃあいい? ……彼女、呼んでも」
「かっ……!」
「しーっしーっ!」
 大声上げそうになった俺に飛びついてくる優雅は、まだ中学一年生だ。中一で彼女を部屋に呼ぶって……? しかもこいつ、なんとなく俺に家空けとけよみたいな顔してんだけど……?
「ま、まだ早いんじゃないのか……?」
 どっかのオヤジみたいな言い回しになった。
「はあ? そんなこと言ってたら兄ちゃんみたいになっちゃうもん」
「なんってことを……!」
 いくら俺が童貞だからって、言っていいことと悪いことがある。それに俺だってべつにまだ、高校一年生だし。そんな焦るような歳じゃ……ない、よな……?
「……図書館行く……」
 そう一階の母さんに返事をすると、聞こえなかったらしく「なんてー!?」と半ギレの声で聞き返された。
「図書館にっ! 行く!」
 そんな俺を見て、満足そうな顔を浮かべる優雅……。
「兄ちゃん、おまえをそんなふうに育てた覚えは――」
「育ててもらった覚えなんてありませーん」
 ばたん、と無情に閉められたドア。蹴っ飛ばしてやろうかと思った。すんでのところで踏みとどまったけど。
 ――幸せなら、それでオッケーです……。
 使い古されたネットの名言を借りて、俺は自室に引き返した。どうしてわざわざこの冷えた部屋を出て、図書館なんて場所に行かなければならないのか……この世は陽キャを中心に周ってる。少なくとも俺の人生はそうだ。

 家から自転車で十分ちょっと。つい一年ほど前にリニューアルされて綺麗になった、市内でも大きめの図書館へ来た。
 ここなら、昼になればキッチンカーが出るし昼食にも困らない。小遣いはきちんと頂戴してきた。
「……げ、カード忘れた……」
 図書カードを認証しないと使えない半個室のスペースが、俺のお気に入りの場所なのに。肝心のそれを忘れてしまった。それもこれも、この暑さと、スケベな弟のせいだ……!
 しかたないので、予約なしでも使える自習スペースに身を寄せて、俺はひっそり、恐竜図鑑を開く。
 大人向けのような生態について細かく記されている図鑑ではなく、俺が好きなのは児童書コーナーにあるやつ。幸いにして図鑑の種類が豊富だったから、一冊だけ拝借してきてしまった。もし読みたいちびっ子がいたらすぐ言ってくれよ、なんて、電話番号を書いたメモでも置いておきたい気持ちで手に取った。
「……はあー……」
 図鑑を開いてすぐ、ぱあっと目の前に広がる絶景に、うっとりため息が漏れる。
 ――すごい、すごい……ほんとに、生きてる!
 胸が躍っている。恐竜研究は進んでいると、いつでもどこでも言っているけど、そんなことは正直どうだっていいと思っていた。恐竜、その存在がたしかに証明されているなら、もうそれだけでいいって。それだけで俺の妄想は十分膨らんだから。
 けれど考えを改めざるを得ない。こんなに美しい色合いで、こんなにイキイキと、ほんとうにこの地球にこの子たちが暮らしていたのなら――そんなふうに胸をときめかせてくれるのは、間違いなく今日まで研究に取り組んできてくれた人たちのおかげだ。
 恐竜が羽毛に覆われていたかもしれないこと、それがこんなに色鮮やかだったかもしれないこと、そんなことを見つけてくれて、本当に感謝、感謝だ。
 慌ててバッグからノートとペンを取り出して、一生懸命に書き写した。見たことも聞いたこともない恐竜、結構載ってるなぁ。
「やっぱ末広じゃん」
「……」
 ――やっぱ末広じゃん……
 ――……末広って俺のことじゃん。
 ぼんやり耳に届いた声を反芻して、それからゆっくりと振り向いた。
「う、わっ!」
「ごめん、集中してた?」
 そこに立っていた爽やかすぎるイケメン――
「日向だっ!」
「声でかっ」
 日向だ。ただの白いTシャツがハイブランドものに見えるくらい、素敵に着こなしている。いやひょっとすればほんとうにハイブラかも、なんて一抹の希望さえ捨てさせない。汗ででろでろになってしまう真夏日でも、日向はかっこいい。
「すげーな……」
 二人、声を揃えて同じ言葉を呟いていた。
「ん? なにが?」
 日向に先に聞かれてしまったので「夏でも汗かかないの」と聞くと「なわけ」と剛速球でレスポンスがあった。
「隣いい?」
「ん、いいよいいよ!」
「末広、アリさんの声な?」
 唇に人差し指をあて、日向がはにかむ。おそるおそる周囲を見渡せば、ちらちら数人と目が合った。う、うるさくしてごめんなさい……。
「……ごめん、うれしくて、つい」
 だって日向の地元、このへんじゃないし。結局俺はなんて連絡したらいいかわからなくて、夏休みが始まってから一度もメッセージを送ることができなかったんだ。ヘタレすぎる。これだからぼっちなのだ。
「……俺あっちからさ、末広っぽいのいるなぁって思って見てたの」
 日向はアリさんの声で、ぽつぽつ話しはじめる。
「すげえ一生懸命勉強してんじゃん、ああ見えてちゃんとやってんだなーとか思ってさ」
「う、うん……」
「感心しながらここまで来ました」
「ハイ……」
 あれ、もうなんか、話の着地点が見えてしまった。
「そしたら君さぁ、恐竜描いてんだもんね」
「ご、ごめん……」
「末広ってほんといいよね」
 きゅっと口角を横に引っ張って、隣から見れば微笑んでいるっぽくは見えるけど。これは褒められているのか、呆れられているのか……怪しいとこだ。
 いたたまれず図鑑のページをめくって誤魔化すと、日向の手がそれを阻む。
「これ、まだ途中でしょ?」
「いや、もう……うん、大丈夫」
「描いてよ。俺見てていい?」
「いいけど……そんなおもしろくないよ。あと俺、描いてるときあんま人の話聞いてないし」
「それ割といつもじゃん」
 たしかに――。
「描いて、末広」
 いつもより小さな声だからか、なんだか妙に耳に響く。
 こうやって日向は自分の要望を通すんだな。俺はいつだって、あの甘えた声に逆らえない。渋々図鑑へと視線を移したら、日向の綺麗な指はすっと引いていってしまった。
 それから昼過ぎまで、俺はただひたすら図鑑の恐竜たちを模写して、日向はそれを見てたり、たまに本を取りかえに行ったり。何度席を立っても、必ず俺の隣に戻ってきてくれた。
「じゃ、俺バイト行くな」
 遅めの昼を外のキッチンカーで買って、飲食スペースで食べていると、日向が先に席を立つ。
「バイトしてんの?」
「そー、近所のスーパーで、夏休みだけな」
 みんな、夏休みを謳歌しようとしていてすごい。俺なんて、補習以外なんの用事も計画もないっていうのに……。
「暑いから気をつけて」
「あんがとー、じゃまたね」
 手を振って見送ると、その背中が突然、ぴたっと止まる。
 それから、くるりと俺のほうを向き直って、強い眼差しに射抜かれる。
「俺もうれしかった」
「……ん?」
「今日、会えたらいいなって思って来たから」
 日向の言葉で足元に火がついたみたいに、俺はその場にしゃきっと立ち上がっていた。
「おまえ、聞くだけ聞いて連絡してこねーんだもん」
「いやそれは……! 補習もあったし……」
 まっすぐ、俺を見つめる視線に抗えなかった。
「なんて連絡したらいいか、正直わかんなかった」
 かっこわるい――けど、日向はきっとそれを馬鹿にしない。本物の陽キャは案外優しいのだと、日向に出会って初めて知った。
「普通に連絡すりゃいーじゃん、今日何時間寝たとかでもいいし」
 肩を震わせつつ、日向は甘い笑顔で言う。
「そんなんでいいの……」
「いいよ、べつになんでも。来ないよりはいい」
 そうはっきり言い切って、一度は離れたはずの日向の足が、一歩ずつ俺へと戻ってくる。
「………次、いつ?」
 大きな瞳が、俺を見上げる。日当たりのいい場所だからかな、日向の頬は血色がよく、唇はさっき食べた揚げ物のせいだろうけど、うるうるしてる。それがなんだか妙に、俺を狂わせた。
「い、いつでも、明日もあさっても、永遠にひまっ!」
「ぷっ……じゃあ明日でいい?」
「笑うなよ、もう……」
「はいはい、ごめんごめん!」
 お兄ちゃんムーブをかまされ、また頭を撫でられてしまった。一生懸命俺の頭まで腕を伸ばしてくるのが、それこそ「かわいー」って思った。
「じゃあ、また明日な。時間、今日くらいでいい?」
「ん……だいじょうぶ」
「帰ったら連絡しろよ」
「ハイ」
「なんて連絡すんの?」
「えーと……帰り何分かかった、とか」
「ん、それでよし!」
 なにがだ、ほんとうにこんなのでいいのか、これじゃ業務連絡じゃ……?
 半信半疑の俺を置いて、日向の背中は遠くなっていく。
 ――また明日も、会えるのか。
 なんだか学校みたいでいいな。またあした、それって素敵な響きだ。

 昨日より、ほんの少し早く起きて支度をした。馬渕に寝癖がついてると馬鹿にされたから、せめてそれくらい直しておこうと思って。昨日も朝起きてそのままの頭だったから、せめて約束……した日くらい、身だしなみを整えておくべきだよな、きっと。
 お気に入りの『DINO!』とロゴの入ったTシャツは、優雅には「ださい」といつも白い目で見られるので、封印した。何の変哲もない、無地の黒Tシャツに袖を通して、やっぱり昨日より少しだけ早く家を出て、図書館へと向かう。
「末広! おはよ」
「わ、おはよ。日向早くね?」
「電車、ちょうどこの時間だったから」
 そうしたらちょうど入口で、日向と鉢合わせた。今日は日向も黒Tシャツ……おなじに見えるのに、自動扉に映った俺たちは明らかに違うから、モデルって大事な仕事だなと感心したりした。
 昨日と同じ、自習スペースに二人並んで座る。今日は図書カードを持っているけれど、半個室は一人用だからな。
「……なぁ、これ、ちょっと発音してみて」
「え?」
「こ、れ」
 日向が指差した翼竜(よくりゅう)を読み上げた。
「ケツァルコアトゥルス」
「けつあるこあと……」
「ケツァルコアトゥルス」
「……なんてぇ?」
 ふにゃっと笑って、日向は諦めたらしい。気持ちはわかるけど、こいつは結構有名だから、きっと弟さんも知ってるはずだ。兄貴が知ってたら絶対喜ぶと思う。……いやわかんないけど。
「がんばれ、言えるよっ」
「やめろ、励ますな」
「ケツァルコアトゥルス、勢いが大事、一文字ずつ読んじゃだめ」
「けつぁるこあちゅーす」
「ちゅーす……」
 笑っちゃだめだと思うと、なお面白くなる人体の不思議……。
「笑うなよ! 末広が言ったんだろ、勢いだって!」
「しーっしーっ、アリさんの声だよ、日向」
「だるぅー!」
 きゃっきゃとはしゃげば、すぐに冷たい視線が届く場所だけれど。こうして肩を並べていられるのは、学校じゃ中々ありえないから、貴重に感じる。夏休み万歳、友達万歳、スケベな弟万歳。
 浮かれ心地で図鑑を返して児童書コーナーから舞い戻ると、席に日向の姿がなかった。
 ――トイレ?
 俺は手持ちの本を読みつつ日向の帰りを待つけど、なかなか帰ってこない。心配になって電話しようとスマホをなぞったとき、やっと日向の姿が見えた。奥に併設されているカフェテリアのほうから歩いてくる。
 不思議に思っていれば、そのすぐ後ろを、かわいらしい女の子がトコトコついて来ていた。ぺこりとお辞儀をして、その子は反対側へ歩き出す。友達、とは呼べなさそうな、他人行儀な雰囲気があったけど。
 ――陽キャって地元離れても有名人なんかなぁ……。
 ぼんやりその様子を眺めていたら、日向がこっちを見た。そのときの柔らかい眼差しが、いつもの意志の強さを感じさせなくて、胸がざわっとした。
「ごめん、なんか呼ばれて」
「え? 俺らがうるさいから?」
「ちがうちがう」
 日向は椅子に腰を下ろすと、ずりずりと雪崩れていき、とうとう俺の肩に頭をもたげてくる。
「え」
「ちょっとこうさせて」
 アリさんの声……だけど。元気がない。輝きがない。
「なんで呼ばれたの? カツアゲじゃないよね?」
「まさかねーわ。ほんっとおもれー男だな」
「じゃあなに……友達じゃないんでしょ?」
「んー……」
 口ごもられると、余計気になる。けど無理に聞いちゃいけないことくらい、俺も知ってるので。黙って活字を目で追いつつ、日向の返事を待った。
「……俺のこと好きなんだって」
「……なんて?」
「知らない子なのに、俺のこと電車でずっと見てたらしいよ」
「ああ、そういう……」
 罪な男だ、こうやって無防備な姿を見せるから、そういうのに好かれやすいんじゃないのか――なんて非モテの卑屈をかましてる場合ではない。あの日向が落ち込んで? いる。励ましたい、たまには俺だって。
「大変だな、モテる男も」
 あれ、励ましじゃないな、これ。皮肉じゃん。
「末広は、誰かのこと好きになったことある?」
「ない」
「即答っ」
 好きとか、そうじゃないとか以前に、人間との関わりが薄いので、思い悩んだことすらない。
「日向はあるの? 好きになったこと」
「んー……ないんだろうな。付き合うときも、嫌いじゃなかったらまぁいっか、みたいな感じだし。で、結局フラれる」
「次元がちげぇ……」
 だめだ、口を開けば皮肉しか出てこない。根っからの非モテでどうしようもないな。
「あの、ごめん日向。べつに俺、皮肉を言いたいとかそういう気持ちはなくて……ほんとに大変なんだろうけど、ちょっとうらやましいって気持ちがどーしても透けてしまうというか……」
「わかってるよ、末広はそんな器用じゃないもんな」
「わかられてんのもそれはそれで……あれだけど……まあいいや、今は、今はね」
 ぷらっと足を遊ばせて、ちょっとの不満を主張するにとどめておいた。今俺のことはどうでもいいんだから。
「ははっ……末広といると落ち着くわぁ」
 ぐりぐりおでこを擦りつけて、日向はやっぱり覇気がない。オーラがくすんでいる。
「どうして話したこともねーのにさ、好きとか、しかも告白までしてくんだろな。意味わかんねーわ」
 そしたら突然、べっと吐き捨てるように呟く。とうとう我慢の限界がきたんだろうか。
「まあそれは……日向がかっこいいからじゃないの」
「末広から見て俺ってかっこいいの?」
 いまさらなに言ってんだ……? 告白断るのってそんな精神削られるもんなのか……。
「誰がどう見ても真っ当にかっこいいですよ、アナタは」
「……へえー……」
 日向の指先は、俺が落書きしたテリジノサウルスをいじいじ撫で回していた。
 ――話したこともないのに好き、かぁ……。
「なんか、俺ちょっと気持ちわかるのかもしれない」
「ん?」
「女の子の」
「……どしたよ急に……」
 姿形だけを見て、どんどん、どんどん、好きな気持ちが膨れてく。俺もその気持ちを知っている。
「俺が恐竜を好きなのと、きっと一緒だよ」
 いや、ちがったらごめんなんだけど。一緒にされたくないって異論も全然受け付けますけど。
「見た目に惹かれてじーっと観察してるうちにさ、どんどん、自分のなかでイメージが膨らんでくんだよ。それが爆発しそうになるときってあるから」
 俺がその気持ちを発散するのは落書きなわけだけど、日向に惹かれる子たちは『告白』って形になるんじゃないのかな。
「ほら、このテリジノサウルスもさ、こんな爪してんだから獰猛な肉食恐竜って思うじゃん? この爪でどうやって狩りすんのかな、って想像して想像して……でも実は植物食恐竜なんだって。この爪、高いとこの葉っぱ取るのに使ってたとかさー、意外すぎん?」
 ――って、俺はまた話が恐竜のほうにシフトしてんだろーが……。
「ごめん、つまりあれ、自分の想像上の日向をどんどん好きになっちゃうんじゃない? その子たちの中では日向との物語がすでにあるんだよ、それでその気持ちを抱えきれなくなったら、告白してくる……とか?」
 まあこれ、俺の場合だけど。恐竜への気持ちが溢れそうになったら、勝手に左手が動く、っていう。
「……それって、素の俺知ったら幻滅しねえ?」
「まあ、そういうことも、あるかも……」
「えー切なぁ! つか勝手じゃね!?」
 日向は机に突っ伏して、俺の右肩は風通しがよくなった。はず、なんだけどな。
「……俺もテリジノサウルスの真相を知ったとき、ちょっとがっかりしたよ。これ肉食じゃねーのかよって」
「ほらぁ! 要するに見かけ倒しってことじゃん!」
 そうっちゃ……そうかもだけど。
「けどテリジノサウルスって人気だよ、お腹とかぽにっとしててかわいいし」
 うなだれた日向は、なにも言ってくれない。
「だから……えっと、素の日向のこと知ってて、それがいいって言ってくれる人だって、絶対いるよ」
「どこに?」
「どっかだよ、どっか!」
 言いながら俺は、自分の右肩を慰めるように、何度も何度も擦っていた。
「じゃあ末広は? おまえ俺の素、知ってんじゃん。俺のことどう思う?」
 机に突っ伏したまま、恨めしい目を向けてくる日向。俺に聞いたってなんの慰めにもならないだろうに、相当まいってるな、これは……。
「いいと思う、素直で、俺なんかとも仲良くしてくれるし、陽キャのわりに話しやすいし」
「んだよそれ~、好きか嫌いかだろ!」
「究極の二択じゃん」
 まあその二択なら……
「好きだよ」
 ――……そ、そりゃ、そうだろ。自分から連絡先聞いて、会いたいとか、会えてうれしいとか言っちゃうんだぞ? 嫌いはないだろーが。
 一生懸命、心の中にそれらしい理由を並べる。どうにか落ち着いてくれないと困る。
 もしまた日向が頭をもたげてきたら……心臓の音、バレる。
「ふふっ……へー、そうなんだ?」
「あ?」
「俺のこと好きなんだ?」
 なんでかご機嫌な様子で、日向は俺をからかう方向にシフトしやがった。
「その二択なら、な。普通があれば普通だし」
「うそうそ! 俺も好きだよ、末広のこと」
「……へ、へぇー……」
 じっと俺を見つめるキラキラの瞳。そんなふうに人を見つめるから、簡単に好かれるんだぞって教えたら、きっともうこの視線は俺にも向けてもらえなくなるんだろうなぁ……。
 ――言わんとこ……。
 夏の盛りの真昼間に、俺は顔から湯気でも出てんじゃないかと心配になった。