やっぱ俺の描く恐竜って、世界で一番美しくね? ――結局、その気持ちがなによりも勝ってしまう。
 だから俺の左手は『わるい子』と呼ばれてきた。親も先生も、たくさんの大人を困らせてきた『わるい』左手。
 十歳のとき、とうとう母さんが泣いた。授業中も、休み時間も、食事の時間や寝る時間さえ気にせず、俺の左手は恐竜を描き続けていたから。二十四色の色鉛筆とスケッチブックが燃えるゴミに投げ入れられたあの日、さすがの俺も変わりたいと、たしかに思ったはずなんだけれど。
 あれから五年が経ち、高校一年生になった俺の左手は、いまだにノートの片隅に恐竜の絵を描き続けている。
 いよいよ誰もが諦めて、俺の周りは静かになった。しょうもないけどこれが俺の人生、恐竜だけを愛し抜こう――なんて悟りをひらきはじめている、今日この頃。
「えっ、まって、それバジャダサウルス!?」
 授業中、プリントを回してきた前の席の陽キャは、俺の落書きに目をまあるくしていた。好奇心旺盛、とってもいいことだと思うけど。そのでかい声は、勘弁してほしい。
「こらー、末広(すえひろ)。また恐竜描いてんのか」
 ほらみろ。教師は板書の手をとめ、でかい声を出した陽キャじゃなく、俺を注意してくる。わざわざ「恐竜」と指摘するあたりで、あいつも俺をばかにしている。
「すみませ……」
「せんせー、違う違う! 今は末広なんもしてなかった! 俺が勝手に見ただけだからー」
 ――はぁ?
 陽キャはまさか俺を庇い、嫌な予感しかしなかった。
 まさかこのあと、いらない恩を押し付けて、パシリにでも使うつもりじゃないだろうな……? そんなの、さすがの俺でもごめんすぎる。
 見た目は地味で、性格は大人しい……というか人と話す機会がそもそもないので、そう思われてる。
 そんなわけだから、周りには真面目そうに見られるけど、実際は授業も聞かず落書きにふけり、板書が間に合わないことも数えきれない。当然、成績も良くない。いたって不真面目のバカなので、それがバレると、なんとなくクラスの笑い者になりがちだ。
 入学して二か月、その片鱗は見え始めている。これがその決定打になるのかな、なんて恨めしい気持ちで、陽キャを睨んだ。
「ごめんな、末広」
 けど、ひそやかな声で囁いた陽キャは、なんていうか、うん。悔しいけど、綺麗、だった。

 その日の放課後、陽キャは一切の邪気を感じさせない笑みで、俺の机をがたがた揺すりまくっている。
「なあなあ、末広! さっきのもっかい見せてよ!」
「え……やだ」
「なんで!? 超上手いじゃん! ね、おねがい!」
 どこからともなく、くすくす笑う女子の声が聞こえてくる。これだから陽キャは――。
「やだってば、ていうかただの落書きだから!」
「落書きってレベルじゃないっしょ、ねー、おーねーがーいー」
 こうやって頼めば、なんだって叶えられてきたんだろうな。そうじゃなきゃこんな甘えた声、普通出せない。俺たちはもう高校生だぞ。
「無理無理無理」
「……末広のけちっ」
「はぁ!?」
 けちっ、っておまえ、いくつだ。五歳児か?
「うみー、博士クンはいーから早く帰ろーぜ」
「うみってほんと物好きよなぁ」
「純粋だから、うみんちゅは~」
 奇妙なあだ名で女子が呼ぶと、陽キャは「その呼び方やめろって!」なんて真面目に取り合ってやがる。そういうのはよそでやってほしい。俺を巻き込むな。
「ほら、呼ばれてんじゃん」
 早くどっか行ってくれ、とまでは、さすがに言えない。揃いも揃って陽の人間がこっちを見ているから。「うみんちゅ」一人ならまだしも、あの軍団とは関わり合いになりたくなかった。ああいうのを敵に回して、おもちゃにされるのはごめんだ。
「末広はまだ帰んないの?」
「……俺のことはいいから」
「んー、じゃあ一緒にカラオケ行かね?」
「行かねーよ」
 我ながら素晴らしいスピード感で返事ができた。カラオケなんて中学時代に強制参加の打ち上げで行ったきりだし、少なくともあの一軍たちと連れ立って歩くのはごめんだ。胃痛で明日から学校に来られなくなる。
「あは、末広って喋るとおもれー男」
 うみんちゅ、おまえに言われたくはない。なんだこの能天気……って、俺みたいな精神年齢三歳の男に言われたくはないだろうけど。
「明日は絶対見せろよなー」
 びしっと指を指されたとき、ファンサかよと心の中で吐き捨てた。もうそれくらい、真っ当に、かっこよかったものだからつい。アイドルみたいなやつだ、うみんちゅ。
 彼らが教室を去り、一人残された俺の手は、ノートの余白を探していた。
 つややかな黒髪、無造作に遊ばせたトップの髪の毛が、ちょっとティラノの羽毛っぽい。それから幅の広いくっきり二重、星の砂みたいにキラキラ輝く黒い瞳、それを縁取る下向き加減の長いまつ毛。
「……あー……こうじゃないな」
 下まつ毛の存在感出し過ぎた。これじゃ二次元世界のヒーローだ。こうじゃなくて、もう少し人間味もある、すっごく頑張れば触れられそうなくらいのイケメン感。
 鼻筋はすっと通っていて、全体的に男にしてはスマートな造形。唇はやや薄めで、口角は上じゃなくて横に引っ張るタイプの笑い方だったな――
「――って、俺、なにしてんだ……?」
 問い掛けに返事なんてあるわけもない。あったら困る。こんなの、誰にも見られたくない。
 探したノートの余白に恐竜以外のものを描いてしまったのは、それが初めてだった。

「すーえーひーろー!」
「げっ……」
 朝の下駄箱で、とびきり元気のいい声。朝から元気があるのは、とてもいいことだと思うけど。
「おはー! なあなあ! これ! これ描いてよ!」
「声でけーって……聞こえてるから」
 もう目の前にいるっていうのに、声量がおかしい。圧が強すぎる。
「え、末広って低血圧? めんごめんご」
 顔で押し切ろうとしてくるな、いたずらにはにかんだって俺は絆されないぞ。
「でさ? これ、描いてほしーんだけど!」
 さっきから見えてた「うみんちゅ」の右手に握られたスマホに映る、見覚えのあるアイツ――
「……デイノケイルス」
「正解ーっ! こいつやっぱ恐竜界で人気なの? かわいーよな、この指!」
「ゆ、指……ああ、まあ、たしかに」
 恐竜の羽毛の色はあくまで想像の域を出ないものだけれど、デイノケイルスは図鑑やテレビ番組上ではピンクのグラデーションカラーで表現されることが多い。うみんちゅの持っている画像もそうだ。だからかわいいといえば、その色合いだろうと予想していたのに……指。たしかに三本指でちょっと間が抜けていてかわいいけれど。
「……指か」
 よく見てんな、と思った。昨日俺が落書きしていたバジャダサウルスもメジャーな恐竜ではないし、うみんちゅもひょっとして同類……だったりして。いやないか、陽キャだもんな。
「末広が笑ってんの初めて見た! かわいー顔すんのなぁ」
「……なんて?」
「うわ、なに? かわいいって地雷?」
「ちげーよ、うみんちゅの目やべえなって話」
「うみんちゅ!? なんで末広までその呼び方すんだよ! やめろよ!」
「あはは、うみんちゅ」
「やーめーろー!」
 俺の腕にじゃれついてくるうみんちゅ。こんなの女子からしたら、母性本能くすぐられてたまったもんじゃないと思う。罪な男だ、うみんちゅ……。
「てか末広って俺の名前知ってる?」
「ん……?」
 ぎくっとした。うみ、って呼ばれてる陽キャ。としか、俺はうみんちゅのことを知らない。人間に興味がないので、人の名前とかあまり覚えられないたちだ。
 けれど、なんとなく期待のこもった上目遣いに、そうはっきり告げるのも……良心が痛むというか……。
「えーと……」
 ちょうどそのとき、廊下に予鈴が鳴り響いた。
「あっほら、予鈴だ」
「うわ! 誤魔化してんだろ!」
「ちがうちがう」
「じゃあ言ってみろよー!」
「うみ、だろ?」
「……名字は?」
 げ、うみって名前なのか……海野とか、そんな名字なのかと思ってた。名字……入学した頃どの辺に座ってたっけ……俺の近くではないから、出席番号後ろのほうなのか……?
「わ、わたなべ」
「はい、ぶっぶー! 誰それ! わたなべなんてうちのクラスにいねーよ!」
 ――ま、まじか……。
 俺の頭の中のクラス名簿は、中学時代からアップデートされていないらしい。わたなべ、いなかったか……。
「日向! 日向海(ひなたうみ)だよ!」
 ひなた、うみ。
「……名は(たい)をあらわす、だっけ」
「え?」
「すげー、うみんちゅのための名前ってかんじだな」
 言った傍から、バカ丸出しの反応だなと後悔した。そりゃそうだろ、自分の名前なんだから。他の誰のものでもないわ。
「ごめん、俺なに言ってんだろ」
「……ううん、いい。やっぱ末広ってなんかいいな!」
「は?」
 うみんちゅは朗らかな笑顔で、肩に腕を回してきた。もう教室はすぐ目の前だっていうのに。
「もう教室着くけど……」
「ん? 別に席前後じゃん」
「そうじゃなくて」
 なにこれ、陽キャって肩組んで登校するの普通なんだ? 俺にはちょっと理解しがたい文化でびっくりなんだけど。べつに俺たち友達でもないのに……。
「末広、俺たち友達なろ?」
「……でた……」
 昨日、恐竜を見せろとせがんできたときと同じ、甘えた声だ。
「俺と友達になってもいいことないよ」
「あるだろ! 恐竜描いてもらう!」
「打算……」
「いいことないとか、末広が言うからじゃん。打算じゃないよ、プレゼンプレゼン」
 どうしてうみんちゅ……じゃなくて、日向はこんなに恐竜にこだわるんだろう。俺と友達になってまで描いてほしいなんて、相当な物好き……いや、やっぱり同類?
 その質問を投げかけようとしたところで、教室に着いてしまった。日向の腕は、俺の肩に回されたままだ。日向のほうが背が小さいから、俺は背を丸めて、いつも以上にどんより情けない風貌だと思う。
「うみんちゅ~おっはー!」
「うみー、おはよー」
「てかなんで博士クンと一緒なの!」
 一歩足を踏み入れただけで、あちこちから声のかかる日向。一方俺に挨拶してくれるクラスメイトなんて一人もいないし、それどころか『博士クン』なんてちっともふさわしくないあだ名で、草を生やされる始末。
「博士クン、じゃねーだろ、末広な!」
 日向は俺の後頭部をくしゃくしゃにしながら、一軍陽キャたちにそう主張してくれる。陽キャたちはめんどくさそうな顔で、へらっと笑っておしまいだ。
「べつにいいのに」
 まさか日向の立場が悪くなるってことはないだろうけど、俺の立場が危うい。調子乗ってんなよって目で見られる未来が、かなり容易く想像できた。
「博士クンってあだ名、気に入ってんの?」
 前の席に着いて、日向は背を向けたまま俺にそう問いかける。
「……気に入ってはない、けど」
 誰がいつからそう呼び始めたのかはよく覚えていないけど、人の話も聞かず恐竜ばかり描いているから、オタク、的意味合いで、博士って揶揄されているのだろうと思っている。
 別に博士クンと呼ばれること自体に嫌悪感はないけど、俺はただ恐竜の見てくれに魅了されているだけで、生態がどうとか、化石だの地層だの、生命のなんちゃらとか、そういう分野にはまったく精通していないのだ。
 たとえば中学の社会科見学で、国立博物館に行ったときもそうだった。先生はこれぞこの子の得意分野! とばかりに、俺に質問を投げてきたけど、せいぜいその恐竜が生きていたとされる時代くらいしか答えられなかったし。だから俺は全然、恐竜博士なんかではないのだ。
「俺、別に博士って呼ばれるほど恐竜に詳しくないから」
 知識としては、下手すれば恐竜好きの子どもにも負ける気がする。歯が何本とか、呼吸器がどうとかって、前にテレビで見たホンモノの子ども恐竜博士はもっとすごかった。
「あは、そこなの、気にするとこ!」
 振り向いた日向は、にかっと白い歯を見せて、俺の机をこつんと叩く。
「ま、気に入ってないならもう呼ばせないよ、あいつらに」
「いいってば、そういうの」
「だーめ、もう末広は俺の友達だから!」
 日向は無邪気にそう言って、すっかり前を向き直ってしまった。いつものメンバーと談笑したりして、俺に反論する隙はない。
 ――へんなやつ……そんなに恐竜が描いてほしいなら、美術部のヤツにでも頼めばいいのに。
 俺はノートの余白を探して、日向ご所望のデイノケイルスを頭に思い浮かべていた。あまり使わないピンク色の蛍光ペンで、グラデーションの練習をしたりして。

 二限目の終わりに、日向にそれを見せた。いつメンたちは選択授業で移動だったから、このタイミングを待っていたんだ。
 俺は美術を選択していて、書道と並んであまり人気のない科目だった。そこに一人紛れ込んだ陽キャの日向は、色んな意味で目立っていたので、あまり他人に興味を持てない俺でも、これだけは覚えていた。
「すっげー! もう描いてくれたの!?」
 日向は、椅子から落っこちそうなくらい、大袈裟にはしゃいでいる。
「こんなんでいい? 気になるとこあれば直すけど……」
「いや最高っしょ! まじですごいわぁ、ほんとに動き出しそう!」
 目をきらきら輝かせて、それをスマホのカメラに収めてくれる日向。
「……ありがと」
 じわっと背中が熱くなった。
「こちらこそだよ! あっ、でもあれだよ? これ描いたから友達おしまいとかないかんね?」
「なんだそりゃ」
 おしまい、の判断をするのは、俺じゃなくて日向だろ、どう考えても。
「……やっぱ末広の笑い方かわいーよ、ハムスターみたい」
「ハムスターって笑うの」
「概念! 概念の話だよ!」
 そのあとも日向は「リスとか」「モモンガもそう」なんてぬぼっと背だけは伸びてしまった俺に、よりにもよって小動物ばかり当てはめてくる。
「ちっこいのばっかりじゃん、嫌がらせかよ」
「なんつーのかなぁ、枝豆食べてほしい系男子?」
「限定的すぎない……?」
「しかもあれね、殻ついてるやつ。剥いてあるのはだめだよ?」
「……日向って見かけによらず、だいぶ様子おかしいのな」
「様子おかしいってなんだよ!」
 爽やかな笑顔がまぶしい。真っ当なイケメン。けど、枝豆食べてほしい系男子、なんて今初めて聞いた。
「おもれー男じゃん、日向も」
 昨日、日向は俺にそう言ったけど。俺だってそう思う。顔がよくて、明るく爽やかで、陽キャ一軍のメンバーで。できれば関わり合いになりたくない、おっかない人種だと思ってたのにな。
「そんな褒めんなよ、照れんだろ?」
「褒め……? まあ、褒めて、る、か」
「素直に認めんなよ、はずいわ!」
 日向のツッコミが綺麗に決まったところで、美術の担当教師が教室へ入ってくる。今日は果物を模写するらしい。
 どうせなら恐竜のフィギュアでも持ってきてくれればいいのになぁ、と、単調なブドウの房を見て思っていた。
「……末広くんは、恐竜じゃないと本領発揮しないねぇ」
「すみません……」
「集中力じゃないのかな、画力は間違いないんだし」
「はあ……」
 先生はそう言うけれど、これは今に始まったことでもない。昔から恐竜以外のデッサンは人並み以下で、展覧会に選ばれるとか、なんとか賞を取ったりしたのも、恐竜以外では経験がなかった。
 親も先生も、俺と関わった大人たちはみんな、どうにかしてこの恐竜を描くことへの情熱を他にも活かせないかと試行錯誤してくれたように思う。
 週末のたびに博物館に連れて行かれることもあれば、山奥まで化石発掘体験に連れて行かれたり、かと思えば絵画教室に通わされたこともあった。でもどれも、だめだった。
 俺はただただ、恐竜という生き物を描きたいだけなんだ。それにしか魅力を感じられない、ちょっとおかしなやつなのだ。
「末広って、絵が得意なわけじゃないんだ」
「……悪かったな……!」
 俺の描いた歪んだブドウを見て、日向はけたけた笑う。
「意外なんだけど!」
「昔からそうなんだよ、恐竜しか描けない」
「ほんと好きなんだな~恐竜」
 感心したように、日向が言う。そこに他意はなさそうで、俺は素直に「うん」と頷いていた。
 ――そうだよ、俺は、恐竜が好きなんだよ。
 もうあんまり、誰にも言えなくなったこと。小さな頃は、周りに仲間がたくさんいた。あの子もこの子も、恐竜が大好きで。俺が描く恐竜に目を輝かせてくれて。親も先生も、天才なんじゃないの! なんて褒め称えてくれたっけ。
 それをいつまでも拗らせて、こんなところまできてしまった。高校一年生にもなって、いまだに恐竜のペンケースを愛用している、そんなDKきっといないと思う。
「……しょうもないけど、好きなんだよ」
 言葉にすれば、むなしくて無性に泣きたくなった。
 俺だって普通に、スポーツとか、音楽とか、アイドルとか、おしゃれとか、勉強だっていいけど。そういうみんながハマるものに熱を上げたいのに。どうして、みんなみたいになれないんだろうって思わないわけじゃない。
「しょうもなくないだろ、夢中になれるものがあるっていーじゃん!」
 日向はせっせと鉛筆を走らせながら、俺のことなんか見ないで、ごく普通に、そう言った。
「……そう、だと、いいんだけど」
 鼓動の大きさに引きずられて、声が震える。
 しまったと思ったけれど、日向は端正な横顔を崩すことなく、一生懸命ブドウの房を描いていた。
「俺はなんもないなー、そこまで夢中になれたことって」
 スケッチブックに描かれていくブドウは、俺のよりずっとずっとリアルだ。みずみずしく、おいしそうに描かれている。
「絵、うま」
 思わず呟くと、へらっとその綺麗な顔が俺のほうを向く。
「だろ? そこそこはできんの、なんでもさ」
 ――嫌味、に思えるけど、頷かざるを得ない。だってほんとに、上手いし。成績だってたしかにいいような気がする。この前の小テストでも、女子にきゃっきゃ騒がれてた。
「器用貧乏ってやつなんだよな、俺は」
「……俺とわけっこすればちょうどいいのに」
「たしかに! つかわけっこってなに、かわいーんだけど」
「またそれかよ……」
 うんざり言うと、日向は茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
「かわいー末広がわるい!」
 そうやって腕にじゃれついてくる日向のほうが、世間的には絶対かわいいし。
 俺だって、たしかにそう思った。

 それから日向は、なにかと俺に絡んでくるようになった。
 席が前後なので不自然とまではいかないだろうけど、やっぱりちょっと異色の取り合わせだと思う。なのに、話していると妙に心地いいから不思議だ。コミュ力おばけって、こういう人間のことを指すんだろうな。
 今日に限っては、俺の机で昼まで一緒に食べている。いつメンの誘いを断ってまで、俺……? と信じられない気持ちで尋ねたけど、日向は「末広と食いてえ気分」なんてたったの一言で片づけてしまった。
「俺、十個下の弟がいんのよ」
 メロンパンにかじりついて、唐突にそう告げる日向。
「十個下ってことは、五歳?」
「そー! 年長さん!」
 きらきらの笑顔を崩さないまま、日向は弟のかわいいところを一息で語っていた。そしてその弟さんが、大の恐竜好きなんだと言う。
「だから末広が描いてくれたデイノケイルス、超気に入ってるよ! タブレットの待ち受けにしてんの!」
「タブレット使うの、イマドキの幼稚園児って」
「全然使うよ、あ、でもゲームじゃねーよ? ちゃんとお勉強してんのよ、ひらがなとか英語とかさんすうとかさ」
「やば、令和こわ」
 本気で自分の未来が心配になった。そんな子どもたちが大人になったら、俺みたいな恐竜を描くことしか頭にないおバカは、果たして生きていけるのだろうか……。無理だろうな……。しかも、だ。
「五歳か……五歳な……」
「あれ、なんかショック受けてる?」
「五歳と同じ趣味ってやばくね、俺。プリキュア好きなオジと一緒じゃん」
「べつにいーじゃん、いくつになってもプリキュアがロマンなら、それはそれで」
 日向の人しての器のでかさは、やっぱり異常だ。それが人として正しいとわかっていたって、なかなか本心でそう言えないこともある。対象物がサッカーなら、俺だって心から言えるけど。好きなものは好きでいいんだよ、って。
「日向はすげーな、人間ができてる」
「あー、よく言われるわぁ」
「褒めた甲斐がない……」
 きゃっきゃと足をばたつかせて、なんだか楽しそうにしている日向の姿は、見ていると自然とこっちの気持ちも明るくなってくる。これぞ陽、光属性というかんじ。
 ぺろっとメロンパンを平らげたら次は、バックパックからおにぎり三つ取り出した。華奢なその身体のどこに吸い込まれていくんだろう。さっきの休み時間に弁当だって食っていたのに……。
「日向って運動部?」
「いや? 帰宅部……あ、おまえ、食いすぎって言いたいんだろ!」
「ちが……くはないけど、すげえなと思って」
 本心だ、べつに太ってるわけじゃないんだし、うん。かっこいいんだからなにしたっていいと思う。
「背ぇでかくなりたくてさー、超食ってんだけど全然伸びない」
 薄めの唇を突き出して、日向はぶうたれている。
「末広は背でけーじゃん。なに食ってんの? 普段」
「なにって……普通だよ。パンとかごはんとか」
「肉派? 魚派?」
「……どっちもあんまり……?」
「はあ!? なんでそれでそんなでかくなんだよ! 遺伝か!」
 と言いながら、鮭のおにぎりがまた一つ、日向の胃袋に消えていった。
「いや俺んちどっちも平均くらいだけど……あ、弟は背でかいわ」
「末広、お兄ちゃんなんだ」
「よく言われる、長子っぽくないよな」
 三つ下の弟は俺よりずっとしっかりしているし、あれはすでに俺と同じくらいの背丈だから、成長期が終わる頃にはすっかり抜かされていることだろう。兄のメンツ丸つぶれである。
「そうかぁ? 俺的には納得だけど」
「え」
 口の端っこに米粒つけて、わんぱくな顔で日向は言う。
「お兄ちゃんってかんじじゃん、末広。面倒見いいし」
「ど、どこが……?」
「なんだかんだ俺のわがままに付き合ってくれるとことか?」
 わがまま、って恐竜を描いてくれってせがまれる、アレのことだろうか? べつにわがままだなんて思っちゃいないんだけど……しかもあれ、弟さんのためなんだろ。
「……ついてる、米」
「え、どこ?」
「反対……」
 自然と、手が伸びていた。
 米粒に触れたその瞬間、俺の指を日向の舌先がぺろりと舐めあげて、一瞬、時が止まった。
「あっ……ご、ごめんっ!」
 それから声を揃えて、俺たちはお互いにひっくり返りそうなくらいに身を引く。
 ――な、ななな、なにしてんだ俺!
 指で指せばいいだろ、なに取ってやろうとか、あれか、兄っぽいとか言われて調子乗ったな、俺。まじでそういうとこある、すぐ調子のるんだ、これだから陰キャぼっちは……!
「ご、ごめ――」
「な、ほら、面倒見いい!」
 真っ赤になっているであろう俺を、明るく和ませようとしてくれる日向。俺の指なんか舐め……舐めた、みたいになって、かわいそうだ。いますぐ、うがいしてきてほしい。
「あの、うがいしてきたら……」
「そんな汚ねえのかよ、おまえの指」
「汚ねえだろ、そりゃ……!」
「大袈裟なやつ~じゃあ末広も手ぇ洗ってきてよ」
「俺は……べつにちょっとだけ、だったし」
 まるで気にも留めないような言い方をしていた日向だけど、よくよく様子を覗けば耳が真っ赤だった。
 ――そりゃいやだよな、俺が日向なら絶対やだもん……!
 けどこれ以上この話題を長引かせるのも、汗が噴き出して大変なことになりそうだったから。
「はー、あっつ……」
 また二人声を揃えてしまった、六月の終わり。
 夏は、すぐそこまでやってきていた。