君の色彩に溺れたい。

隣に布団を並べて寝て、先輩にご飯を作ってもらって一緒に勉強する。
学校が無い分、寮の時よりもずっと長く先輩といるけど全然飽きない。ってか一緒に生活するのが当たり前みたいになってなんか、同居ってか半同棲……みたいな妙なくすぐったさも覚える。
なんでこんな気持ちになるんだろ、俺の頭は夏の暑さでゆで上がったんだろうか。
そんな風に日々を過ごしながら、夏休み終盤が差し掛かったある日の夜。

「日夏、花火しようか」
「へっ?」

風呂上がりに縁側で涼んでいたら、先輩が花火の詰められたパックをずいっと差し出してきた。

「どーしたんすか、これ?」
「海岸清掃のおじさんに貰った。後一週間頑張れってさ」
「もう後一週間なんすね。夏休み早えな~」

海岸清掃は8月の第三週まで、月、水、金でやる。最後の一週間は遊べってことかな。だったら嬉しい。

「せっかくだからやろう。日夏、バケツに水汲んできて。僕はチャッカマン用意するから」
「はーい!」

勢い良く立ち上がって浴室に向かう。
二週間一緒に暮らした先輩の家は、先輩にこき使われたこともあって物の場所はだいたい覚えた。
浴室のバケツに水を汲んで縁側に戻ると、もう先輩は花火を並べて終わって、チャッカマンを手に持っていた。

「前一緒に見たから分かると思うけど、この辺は植物とか燃え移るのはないから安心して」
「ああ、防犯砂利……でしたっけ?」
「よく覚えてるね」

そう、この縁側は異様なほど外からの侵入者に過敏なつくりになっている。
先輩の家は普通なのに、この縁側だけはちょっと……なんていうか、たまに怖いと思う瞬間がある。

”前の母は少し過敏な人だった”。

家を案内する時に先輩に言われた事を、不意に思い出した。

「はい。でも、花火には最適っすね!燃え移る心配ないし!」

ニカッと微笑むと、先輩もふっと口角を上げた。

「ふふっ。……そうだね」
「俺、花火やったこと無かったんですげー楽しみです!これなに花火ですか?」

ピンクとか青がラッピングされた手持ち花火や、複数の花火が束になって丸まってるものとかいっぱいあって思わず目移りする。
その中で一番キラキラした色紙が付いた棒状の花火を取って縁側に腰掛ける先輩を見ると、意外そうにパチっと目を見開いていた。

「……日夏って、本当に僕の想像の範疇にいないよね」
「きゅ、急にどうしたんすか?」
「花火、やったこと無かったの?」
「?はい」

そんな意外か?
花火は確かに夏の風物詩だけど、俺には縁遠い。手持ち花火だって人生で今初めて触った。

「実家の窓からチラッと見た事とかはあったけど、実際触ったのは初めてっすよ」
「……そうなんだ」
「もー先輩なに座ってるんすか!一緒にやりましょうよ!これ、どこに火をつけるんすか?」
「ああ、そうだね。それはすすきって名前の花火だ。先端の黄色い色紙に火をつけるから、反対の細い棒の部分を持って」
「はいっ!」

石畳にしゃがんで棒の部分を持つと、先輩が隣にしゃがんでチャッカマンで火を灯してくれた。
すすき花火はシュッと夜風を切るような音と一緒に煙を上げながら、直線状に広い光を放った。

「うわっ!?すげーこれ!」
「途中で色が変わるらしいよ」
「マジで!?」

先輩の言った通り、一直線に伸びる光は白からオレンジ色に変わった。
煙から出る火薬の香りが新鮮で、なんかワクワクする。

「手持ち花火は一本三十秒くらいしか持たないから。日夏、色々やって良いよ」
「いいんすか?嬉しいっす!」
「あははっ。本当に素直」

先輩も縁側に出て来て、しゃがんで黒くて丸い花火のタネみたいなのをそっと平らな石畳の上に置いた。

「それ何すか?」
「ヘビ花火」
「?」

シュッとチャッカマンの火を触れさせると、花火のタネから細長くて黒い物体がずもももも……っと石畳を這うように伸びた。

「なんすか!?生き物!?」

びっくりしつつも眺めてると、細長く伸びた物体はぺちょ、と地面に倒れて燃えカスになって夜風にさらさらと流された。

「終わり」
「終わりっすか!?」
「ははっ、想像通りのリアクション。こういう物だよ、ヘビ花火は」
「へ、へ~……?」

花火の世界、奥深け~~。

「日夏、このまま花火していて良いよ。僕は花火が描きたくなってきた」
「先輩って絵描くの本当好きっすよねー!」

縁側に戻ってスケッチブックを取り出す先輩に笑いかける。
じゃあ俺も先輩が見やすいように横を向いて花火しよう。

「……まあ、生活の一部みたいなものだしね」
「うお、なにその言い方。カッコイイ」

スケッチブックの中の紙をめくって鉛筆を走らせる先輩を、月明りの白と花火のオレンジ色の光が薄っすらと照らした。

「将来はやっぱり、画家とかになりたいんですか?」

何気なく言った俺の言葉に、先輩が紙に滑らせていた鉛筆をピタッと止めた。

「先輩?」
「……そうか、あの時は話の途中だったな」

”あの時”?
……あ、そういえば春に夜の学校で泥棒と戦った日。
あの日も今日みたいな星の光る夜だった。夜の校舎で――先輩と夢の話をする途中だった。
先輩に向き直った瞬間、俺の持ってたすすき花火が終わって急に暗くて静かな夜が帰って来た。

「あのさ日夏。僕の夢の話、聞いてくれる?」
「はい、もちろん」

まばらに星が瞬く夜でも、三日月は白く輝いている。
月の光に照らされた藍色の瞳で俺を見つめる先輩も、綺麗だと思った。

「日夏の言った通りだよ。僕はね、絵に関わる仕事に就きたいんだ」
「やっぱり!なれますよ、先輩めっちゃ上手いし!」
「ありがとう。本当は画家になりたい。……でも、絵に関われたらなんでも良い。だから――僕は美大に行きたい」

俺を見上げる先輩の瞳は真剣で、同時にちょっと不安そうにも揺れていた。
だから、安心させるように俺は微笑んだ。

「素敵な夢っすね。先輩なら絶対受かりますよ!俺応援します!」

終わった花火をバケツに放り込んで、先輩の隣に並んで腰かける。
先輩のスケッチブックを覗き込むと、星月夜とすすき花火が繊細な濃淡で描かれていた。

「描くの早いっすよね先輩。あっ、そうだ。なんか描きたい花火ありますか?俺やりますよ」
「じゃあ、線香花火」

丁度、花火のパックに残っていた最後の二本は線香花火だった。
細くて薄い線香花火の先端を持って先輩に近づくと、先輩がチャッカマンを差し出してそっと火を着けてくれた。
線香花火はぱちぱちとオレンジ色の光を弾けされながら俺と先輩を優しく照らす。
あ、なんかこの花火懐かしいかも。俺がガキの頃に家の窓から見た花火に似てる。
ぼんやりと過去を思い出しながら線香花火を眺めていると、先輩はスケッチブックをめくって線香花火を描き始めた。

「これ綺麗っすね。ずっと見ていられそうだ」
「へえ、もっと派手な方が好みかと思った」
「派手なのも綺麗でしたね!でも、こういう感じも好きっすよ」

線香花火の周りがオレンジ色に照らされて、夜空の青とオレンジのコントラストはなんだか幻想的だ。

「……手元を、描いてもいい?」
「全然良いっすよ!」
「ありがとう」
「ってか、手元だけって描きづらくないっすか?」

無意識に線香花火に顔を近づけていたから俺の顔を外して描くのはちょっと大変そうだ。でも、俺が体勢を変えると線香花火のぷるぷる震え始めた先端の丸が落ちそうだ。

「花火だけじゃなくて、俺の顔も描いていいっすよ!」

視線を先輩に移して笑いかけると、パキッと長く研いだ鉛筆の先端が折れる音がした。

「……」
「先輩?」
「……け、ない……」

俺から目を逸らして発せられた声は、今まで聞いた先輩のどんな声よりもか細くて掠れていた。

「描けない」
「え」
「描けないんだ、人が」

芯の折れた鉛筆が先輩の手から滑り落ちる。
砂利に落ちる鉛筆を目で追うことなく、俺は先輩の顔を凝視した。
先輩は小刻みに震える手で右目を覆い、指の隙間から描きかけの線香花火の絵に視線を落とした。

「正確には顔が描けない。――そういう障害なんだ、僕は」

ポト、と俺の手から線香花火が落ちた。
華やかなオレンジ色の花火は砂利に吸い込まれて一瞬で掻き消えた。
光の無くなった縁側は静かで、月明りで薄青く染まった先輩の肌は血の気が引いているみたいに感じた。
……障害ってなんだ?
数ヶ月一緒に過ごしたけど、先輩に特別変な素振りは無かった……気がする。

「つまらない僕の過去の話だけど……聴きたい?」
「聴きたい」

口から出た言葉は無意識で、でも、間違いなく俺の本心だ。
その話は物凄く重たいかも知れない。俺じゃ理解しきれないのかもしれない。――それでも。
今この人と向き合わなきゃ、俺はきっと後悔する。
ふっと、先輩は自嘲気味に笑った。

「本当に、日夏は素直だね」

先輩がチャッカマンと最後の線香花火を取って、ゆっくりと火を付けた。
線香花火はぱちぱちと光り、夜の闇を静かに照らした。

「相貌失認(そうぼうしつにん)って知ってる?人の顔や表情が上手く認識できない脳の障害。僕はそれなんだ」
「相貌、失認……」
「先天的と後天的なものがあって、僕のは後天的」

先輩が手を動かし、音も無く線香花火の位置を変えた。

「僕が幼い時に前の母親から突き飛ばされて、ここに頭を打った事がきっかけだ」
「……っ!?」

先輩が花火で照らしたのは、今二人で足を付けている大きな白い石だ。
線香花火は俺の心の動揺を映すようにぶるぶると震えはじめ、プツリと千切れて足元の石に弾けて消えた。
再び暗くなった縁側で、先輩はゆっくりと自分の過去を話し始めた――。