「せーんぱーい?起きてますー?」
「……目覚めてなきゃここにいないけど」
「よし!ひねくれたこと言えるくらい頭起きてるっすね!ほら頑張りましょー!」
「……はぁ。日夏は起きたその瞬間から元気で羨ましいよ」
ぶつぶつ言いながらもなんだかんだちゃんと掃除してくれるあたり根は真面目なんだよなー先輩。
ゴミの分別とかちゃんとしてるし。
だんだん日差しが強くなってジリジリと浜辺を焼いていく中、俺たちは1時間黙々と海岸のゴミを拾い続けた。
「よし、この辺は綺麗になったな!今日はここまでにしようか!兄ちゃん達、明日はここに集合な!」
「ハイ!お疲れ様でした!」
「お疲れ様でした」
気さくなおっちゃん達に笑顔で挨拶をして、朝の八時に海岸清掃は終わった。
「あっつ……。帰るよ、日夏」
「はーい!」
日差しが薄い早朝の時間は過ぎて、白くて眩しい太陽がガンガン照り付ける時間になって来た。
こうなると砂浜の温度も上がってきて、長時間外にいるのがきつくなってくる。
先輩もじんわりと額に汗が滲んでいる。……でも、あんま汗掻かない体質みたいで流れ落ちたりはしない。俺は結構汗っかきだから髪が頬に張り付くくらい汗かいてるけど。
「帰ったらシャワーかな」
「あ~そうッスね」
二人並んで海岸沿いの道路を歩いていると、木造の駐輪場が立ち並んできた。しかも結構な数の自転車が並んでいる。
「あれ、この辺に駐輪所あったんすね」
「ああ、日夏はこっちはあまり来ないか。この近くに港があるんだよ」
「あ~通りで」
青嵐町には港が二か所あって、俺はこことは反対側の港から来たから見たことが無かった。
「自転車のレンタルもここでやってるよ」
「へえ、いいっすね!俺使ってみよっかな」
「……また僕の自転車貸すけど」
「毎回2人乗りしてたら捕まるだろっ!」
「ははっ、冗談だよ」
先輩と喋りながら帰り道を歩いて行くと、海の方からふわっと潮風が吹いて来た。冷たくて気持ちが良い。あー、なんか今日は良い日になりそう――
「うわあああああああああん!!」
なりそう……じゃねえな。
子供用の自転車にしがみつきながら子供が泣いてる。なんだなんだ!?どうしたんだあいつ!?
びっくりしつつ、俺は子供の元に駆け寄った。
「おっ、おい!大丈夫か!?どうしたんだ!?」
「うわあああ~~~~ん!壊れちゃったああああ!!」
しゃがんで目線を合わせてみるが、子供は大粒の涙で目元がふやけてる。
こ、壊れた!?自転車が!?……ぱっと見、パーツに問題無さそうだけど。
「ちょ、ちょっと俺に自転車見せてくれ!せんぱーい!この子見といてくださーい!」
「何?……泣いてるの?」
「どっからどう見ても泣いてるじゃないっすか!?」
「……っ、ああ」
俺の後ろから小走りで駆け寄った先輩がちょっと気まずそうに目を逸らす。
え?もしかして先輩子供苦手?……で、でも俺こいつの自転車見たいんだよな。
「君、泣いてるんだね?ほらこっちおいで。どうしたの?」
「借りてた自転車がパンクしちゃたあああああ!」
「そうなんだ、それは困ったね。……って、日夏何してるの?」
子供用の自転車のタイヤを掴んでぐっぐっと押して、軽く持ち上げてタイヤを宙に浮かせた状態で回してみる。
「ん~……これ、パンクじゃねえな。空気が抜けただけっすね」
「……そうなのか?」
しゃがんでべそをかく子供をあやす先輩の方を向く。
「はい。タイヤに穴は空いてないんで。触った感じ結構ブニブニしてるから空気入れれば戻ると思うっすよ。先輩、この辺に自転車の空気入れとかありますか?」
「ああ、管理室の隣にフリーの空気入れがあったはずだよ」
「じゃ、案内して下さい!ほらそこのおま……じゃなくてキミ!一緒に行くぞ!」
「にいちゃん直せるの!?」
「おう!任しとけ!」
子供用だし軽いから、俺は片手で自転車を抱えて三人で管理室まで進んだ。
年季が入った管理室の近くにぽつんと置かれた空気入れを手に取って、自転車を下ろす。
自転車のバルブになぜか斜めに閉められたキャップを取り外して、黒い洗濯バサミみたいなヘッドパーツをグッと差し込む。立ち上がって空気圧の目盛りを確認しながらハンドルを何回か押し込むと、目盛りがいい感じの位置まで上がって来た。
よし、ちゃんと空気入るな。
「やっぱりパンクじゃないぜ!大丈夫だ!」
「にいちゃんすげー!」
「へへっ、そーだろ!」
子供を安心させるようにニカっと笑いかける。しゃがんでヘッドパーツを外し、素早くキャップを締め直してタイヤをグッと掴む。
さっき触った時とは違って硬いゴムの感触と、タイヤの中が俺の指を反発出来るだけの空気で満たされたことを確認して立ち上がった。
「よしっ!直ったぜ!」
「やったー!ありがとう!」
「ちょっとキャップの締めが甘かっただけだな。これもう返すのか?」
「うん!」
「そっか。ひとりで行けそうか?」
「行けるよ!」
「おっ、偉いな~!じゃあ、いってらっしゃい!」
「お兄ちゃん達ありがとー!」
出会った時の涙は無くなり、晴れ晴れとした笑顔で子供は自転車を押しながら管理室に向かって行った。
ひらひらと手を振っていると、頭上から声が降って来た。
「……ずいぶん手際良いんだね、日夏」
上目遣いに振り返ると、珍しく目をぱっちりと開いた先輩がいた。
「そっすね。俺んち自転車屋なんで」
「ああ、通りで」
立ち上がってぱっと先輩に向かってピースする。
先輩はふっと微笑んで、耳を覆っていたサイドの髪の毛を片方耳に掛けた。
「偉いね。……アイスでも奢ってあげようか」
「マジすか!?あざーっす!」
「一番安い奴だけど」
「じゅーぶんっすよ!」
そのまま俺たちは並んで歩いて、先輩の家の近所の駄菓子屋に寄って帰った。
夏は日差しが強くて暑いけど、奢ってもらったソーダアイスは冷たくて、俺は何だか得した気分になった。
◇
「ただいま~!」
「はいはい、おかえり」
先輩の家の玄関扉をガラガラと開けると、隣の先輩が応えてくれる。
「シャワー浴びてきな。アイスは冷やしておくから」
「あざっす!」
先輩にアイスを手渡して俺は脱衣所まで歩いて行く。
先輩の家は純和風だから所々から畳特有のイグサの香りがする。耳を澄ますと縁側の方からミーンミーン……ジー……ってセミの鳴き声が聴こえてくる。
うわ、なんかいいな。夏真っ盛りって感じで。
海岸清掃だって、そこそこスタミナある俺にはそんなきつくないし。なんて浮ついたことを思いながら、俺は脱衣所の扉に手をかけた。
「あ~サッパリしたー!って、なんかめっちゃ良い匂いする!」
「相変わらず烏の行水だね日夏は。お昼出来たからリビングに運びな」
「はーい!」
台所に行くと先輩がお昼を作ってくれていた。
そうめんと野菜炒めと、近所のコロッケ屋さんで買ったコロッケが並ぶ食卓は凄く食欲をそそられる。先輩こういう所マメだよな。昨日の晩御飯も作ってもらったけど、メニュー違うし。(美味しすぎて俺が完食したってのもあるけど!)
「じゃあ食べようか」
「そうっすね!いただきまーす!」
「いただきます」
丸い木の座卓に向かい合って座る。
コロッケをほおばるとザクザクした衣と中身のほくほくしたジャガイモとひき肉のうまみが合わさる。
「うわめっちゃうめ~~!」
「美味しいよね。そのお店、僕が子供の頃からやってるんだ」
「へ~!老舗ってやつっすか?」
「老舗は三十年くらいの歴史が必要だからまだ若いかな」
相変わらず先輩は物知りだなー、なんて感心しながら俺たちはゆっくりとお昼を堪能した。
こうして、先輩と過ごす夏が始まった。
誰かとこんなに長く過ごせる夏は初めてで、俺の目には何もかもが新鮮でキラキラしていた。
……でも、縁側や先輩の言動から時々感じる、少しだけ普通じゃない”違和感”。
もしかして先輩は、何かとんでもなく後ろめたい秘密を、抱えているんじゃないか……?
◇
それから鵜飼家で先輩と一日過ごしたけど、俺にとっては全部が新鮮だった。
「せんぱ~い。コレ動かないんすけど、洗濯機ってどのボタンから押したら動くんすか?」
「え?電源だけど」
「ん?ああ!先にコース押してた」
「……ふっ」
「お、俺んちのとも寮のとも違うから分かんなかったんだっての!」
なんで和風の家なのに洗濯機だけピカピカしたドラム式なんだよっ!
「……日夏、お風呂掃除は上手いんだね」
「実家にいた時はよくやってたんで!」
デッキブラシ片手に浴室のタイルをごしごし拭っていくと、ぬめりが取れてキュッと音が鳴るのが気持ちいい。
「うん。洗濯は教えたし、風呂掃除は問題ない。海岸清掃も積極的にやってくれるし、やっぱり日夏を泊めて良かった」
「海岸清掃は先輩もやるんすよ!?」
「日夏の十分の一くらいはね」
自分の寝起きの悪さを棚に上げてどや顔する先輩に突っ込みを入れつつ、俺はデッキブラシで風呂をピッカピカに磨き上げた。
◇
「……先輩、読書感想文って先に潰した方が良いっすか?」
「苦手なら後回しにしない方が良いよ。ちょっとした書斎ならあるから、そこから見繕ってあげようか?」
「え、先輩神……?」
「神様の安売りはしない方が良いよ。僕は”君の先輩”ってポジションで十分だから」
午後はさっきの丸い座卓で向かい合わせになりながら勉強をする。
チラ見してみたけど、高三の内容わけ分かんねえー……。でも、俺だって授業でやった範囲ならそこそこ分かるし!
普段の人を小馬鹿にしたような笑顔を消して真剣な顔でノートにシャーペンを走らせる先輩にやる気を貰いながら、俺も目の前のテキストに食らいついた。
「お~~わったあああああ!」
「お疲れ様。一日でこれだけ進めば余裕も出来るんじゃないか?」
畳に大の字で寝っ転がった俺とは対照的に、先輩はてきぱきとテキストを片付けながらしれっとした顔をしてる。
「先輩よくそんな涼しい顔出来るっすよね」
「授業を聞いてれば出来る内容だし」
「俺だって聞いてるつもりなんだけどなあ~」
「まあ日夏は越して来たばっかりだし、高校一年目でちゃんと授業を聞けていれば基礎は身に着くよ」
「あ~……頭使ったから甘いもんが食いたい……」
「ふふっ、ほんと単純。まあいいや、アイス持って来てあげる」
「マジすか!あざーっす!」
テキストを持って立ち上がる先輩を、俺は笑顔で見送った。
◇
ちょっと時間を置いて、先輩は今朝コンビニで奢ってくれたソーダアイスを一本持って来てくれた。小脇にスケッチブックを抱えながら。
「はい、アイス」
「あざっす。なんか描くんすか?」
「そのアイスでも描こうと思って」
「……ゆっくり食った方が良いっすか?」
「ふふっ、それは気にしなくて良いよ。別に日夏を描くわけじゃないし」
「?描いても良いっすよ」
何気なく言った俺の言葉に、先輩が一瞬肩を跳ねさせた。あれ、俺なんか変なこと言ったか?
素っ気なく返されて、先輩はそのままスケッチブックに視線を落とした。
「……機会があったらね」
まただ。
たまにある、先輩の違和感。
大した会話じゃないのかもしれないけど、先輩は俺から意図的に目を逸らす瞬間がある。気になるけど、それを聞いてどうするんだとも思う。先輩が話したくないなら俺が無理に聞くのも良くないし……。
そんな事をぐるぐる思いながら、俺はソーダアイスにかぶりついた。
冷たい砂糖とソーダの混ざり合った味は、ジワジワと太陽が照り付ける夏には持って来いだ。先輩も食べればいいのに。
俺のアイスとスケッチブックを交互に細かく視線を動かす先輩を、俺はじっと眺めた。



