君の色彩に溺れたい。

それから。
泥棒はあの後ちゃんと捕まったし、窓ガラスを割った事以外は何もしていなかったので青嵐高校の被害は最小限で済んだ。
門限スレスレで間に合った俺たちは鍵閉めの先生に会う事も無く、無事に寮に帰ることが出来た。
寝る時間までの短時間でも容赦ない先輩にみっちりしごかれたおかげで、次の日の宿題は文句なしの出来になった。

本当、先輩って良い人だよな。
クセ強い人ではあるけど、勉強教えてくれるし、面倒見も良い。
なにより、俺の過去に感づいていても初対面の時と全く変わらず接してくれた。
今まで俺の周りにはそんな奴いなかったから、本当に会えてよかった。
それどころじゃなくて聞けなかったけど……先輩の夢、いつか聞こう。
俺はそんな思いを心に仕舞いながら、新天地の学校生活に飛び込んだ。

騒がしくて心温まる春は、桜の終わりと一緒に瞬く間に通り過ぎていった――。



「暑っちぃ~……」

木漏れ日が心地良かった春が通り過ぎたら、容赦なく日差しの降り注ぐ夏だ。
予想はしてたけど、離島の青嵐島は俺の元居た都会の数段暑い。夜でもなんかムワっとする。
俺はタフだからまだ耐えられっけど、生徒も先生もどことなくぐで~っとしてる。
……まあ、俺の隣の先輩は今日も涼しい顔をしながら過ごしているんだけど。

「……」

窓から見える夜空をスケッチする先輩の表情は真剣そのもので、俺は思わずじぃっと見つめてしまった。

「日夏、うるさい」
「なんも喋ってねえっすけど!?」
「視線がうるさいんだよ、君は」

はあ、と一息ついて手にしていた鉛筆を木目調の床に置いた。
俺たちの間でちょっと変わった事といえば、俺といる時に先輩が絵を描くようになったこと。正確に言うなら、絵を描くことを俺に隠さないようになった事。
空を描くことが多いけど、天井や床、自分の手なんかも鉛筆でスケッチしてる。
ちなみに、全部プロだろってレベルで上手い。

「そうだ、日夏は夏休み実家に帰るの?」

スケッチブックを閉じた先輩が俺に視線を移す。
旧式の扇風機が首を振って、先輩の黒髪を揺らした。

「実家……」

あー、もうそんな時期か。
俺みたいに本島から越してくる寮生は多い。その大半が、やっぱ夏休みは実家に帰るみたいだ。
俺はちょっと考えた後、ばつが悪くなって頬を指で軽く掻いた。

「いや……俺は帰んないっす」
「どこか泊まるあてあるの?」
「え?ここにいるっすよ」

大半は帰るけど一部帰らない生徒もいる。
そこは自由だし、俺も残る気満々だった。――先輩の言葉を聴くまでは。

「居られないよ?」
「へっ」
「居られないよ」

さも当たり前みたいに言われても俺の頭は追い付かず、面食らって固まった。

「え、えええええなんでっすか!?だって、本館組は帰んない奴もいるって――」
別館(ここ)はボロだし、セキュリティなんかあって無いようなものだから。夏休みは改装工事で閉鎖だよ」
「……!?」

先輩の言葉に俺は目を限界まで開いてのけぞった。
やっぱりあの泥棒未遂事件は結構学校の中でも大問題だったみたいで、セキュリティ強化の案が出てる……なんて噂くらいは聞いてたけど、改装工事は聞いてねえ!

「え、ど、どうしよ……!?」
「実家には帰省しない?」
「……っす」

あいにく俺の中には実家に帰省するって選択肢は存在しない。いや、実家ってか地元に戻りたくない。マジで。
先輩は睫毛を伏せて、唇に人差し指を押し当てて何かを考え込む。ぱっと顔を上げると、珍しく朗らかな笑みを浮かべた。

「じゃあ、僕の家くる?」
「良いんすか!?」

俺は思わず身を乗り出した。
神じゃん先輩!超優しい!やっぱ持つべきものは心優しい先輩だ!

「うん。僕はここが地元だし、親は新婚旅行でいないから」
「新婚……?」
「そう、最近再婚したから今新婚さん。新しい義母さんと海外行ってくるんだって」
「……そうなんすか」

さらっと言われたけど、なんか複雑な家庭事情がありそうだ。
さっきと一変して俺の気まずそうな気配を感じ取ったのか、先輩が安心させるように手をひらひらと振った。

「父さんは良い人だし、新しい義母さんも素敵な人だよ。別にこんなのよくある話だから、日夏がそんな顔する必要は無いよ。僕もずっと1人じゃ退屈だし」

あ、そうなんだ。先輩って1人が好きそうなイメージだったからなんか意外。

「だからさ、僕の家おいで日夏」

や、優しい~~!
なんだよしょっちゅう俺のことパシったりからかったり、言動の節々にトゲがあるけど先輩やっぱ優しいじゃん。心なしかいつもより晴れやかな笑顔に見えるし。

「先輩!ありがとうございます!!」

差し出された手を両手で掴んで、体力を削られそうな蒸した夜を吹き飛ばす様に晴れやかに笑った。



そんな訳で、俺は夏休みの間先輩の実家に転がり込むことになった。
始業式が終わった俺たちは別館の鍵を先生に帰して、すぐに先輩の家に向かった。
じりじりと照り付ける太陽も、光を吸い込んで輝く海も、俺が今まで見たどの夏の風景よりも綺麗だ。

ああ、やっぱこの島に来てよかった。
俺の中で夏休みってやつは、誰とも会わずに熱の籠る部屋でうずくまって、ただじっと時が過ぎるのを待つだけの日々だった。
したたり落ちる汗も気にせず、セミの声だけ聴きながらずっと俯いていた。――外に、出たくなかったから。
でも今年は違う。きっと特別な夏になる。
そんな明るい予感で満たされた俺は、目の前で不思議そうに首を傾げる先輩に向かって満面の笑みを浮かべた。

「着いたよ、日夏」
「うわあ~!めっちゃカッケー家っすね!」
「ふふっ、なにそれ。普通の日本家屋だよ」

先輩の実家は瓦屋根に障子張りで、縁側がある和風の家だ。日本家屋に縁が無かった俺にはすごく新鮮だ。
先輩は横開きの扉に鍵を差し込み、カラカラ……と静かな音を立てながら扉を開けた。

「ほら、どうぞ?」
「おじゃましまーす!!」

室内に入ると、木とイグサの香りがする。室内は掃除が行き届いていて、先輩のお父さんとお母さんが家を大切にしているのが俺にも分かった。

「じゃあ僕の部屋こっちだから」
「あ、はい!俺の荷物、どこに置いたらいいですか?」
「?何言ってるの、日夏も僕と一緒の部屋を使うんだよ」
「へっ!?」
「何そのリアクション」
「お、俺リビングでも倉庫でも、どこでもいいっすよ!?」
「僕の部屋広いから日夏一人くらい問題なく寝られるよ。……それとも、今までずっと同じ部屋だから離れたいって?」
「いっ、いやいや全然!俺嬉しいっす!」

振り返って肩越しで俺をジトっと見る先輩に慌てて両手を振った。
夏休みは流石に部屋離れるって思ってたから嬉しい。先輩と一緒に居るの、全然嫌じゃねえし。

「じゃあ案内するよ、付いて来て」
「はい!」

そのまま俺は先輩の案内で実家を紹介してもらった。
二階建てで、先輩の部屋は二階。なんだが別館と似たような木造建築に、俺は勝手にくすぐったさを覚えた。

「こっちがリビングで、こっちが台所。……そういえば、日夏って料理とか出来たっけ?」
「俺カップ麵しか作った事ないッス」
「……あいにく、僕の中でカップ麺は料理に入らないんだ」

ふんっと鼻で笑われた。
じ、事実をありのまま伝えただけじゃねえか!

「じゃあ料理は僕がやるから。掃除と洗濯は日夏がやって」
「先輩料理出来るんすか!?」
「出来るに決まってるだろ。日夏こそ、掃除と洗濯は?」
「……やったことはあるっす!」

これは嘘じゃない。
洗濯機にぶち込んでスタートくらい押せるし、掃除は流石にやった事ある。

「そう。じゃあ洗濯機の使い方と掃除用具の場所教えるから、ちゃんと綺麗にすること」
「はい!この家の綺麗さが続くように頑張るっす!」
「……」

調子乗って敬礼のポーズをしたまま満面の笑みを浮かべると、先輩は目をぱちっと開いて固まってしまった。
深い夜空みたいな藍色の瞳を伏せると、口元に手を当ててふっと微笑んだ。
そして、俺の頭に手を伸ばしてわしゃわしゃと撫で回された。

「わっ!」
「そういう素直な所が日夏の良い所だよね」
「……先輩みたいにひねくれてないんで」
「ん?何か言った?」
「いだだだだ!なんっ!なんでもないっす!!」

撫ででいた手が額を掴んでぐっと力を込められる。アイアンクローは聞いてないっすよ!?
すげえ綺麗な笑顔だけど、先輩意外に力強えな!?
先輩の腕を掴んで離そうとすると、俺の手が触れる前に先輩がぱっと手を離した。

「じゃあ後は……縁側を見に行こうか」
「はい!」

先輩の後ろをついて歩くと、横開きのガラス扉の先に縁側が見える。でも、なんか俺の想像する縁側とちょっと違う。植物が一本も植わっていない。
縁側から庭に出る所も石の段になっていて、一面砂利だ。普通なら樹木とかが植えられそうな花壇は、土じゃなくて白くて大きめな石が敷き詰められている。

「なんか……変わってるっすね」
「そうだね」
「植物とか植えないんすか?」
「前の母が"樹木を植えると視界が悪くなって泥棒が入っても分からないから嫌"って言ってね。……僕の前の母は、少し過敏な人だったから」

その言葉に俺は固まった。
淡々と伝えてくれるけど、それが逆にちょっと辛かった。

「……すみません。変な事聞いて」
「別に?自由に出入りしていいけど、あの白い石は防犯砂利って言って音が鳴りやすい砂利だから。大きな音が鳴っても驚かないでね」
「……はい」
「そんな恐縮する様な事じゃ無いけど」

先輩がぱっと顔を上げていつものテンションに戻った。

「じゃあ僕の部屋に荷物置いたら風呂掃除ね。その間に僕は夕飯作るから」
「はっ、ハイ!」

つられて俺も声を張って、縁側を後にする先輩の後ろを慌ててついて行った。
ちょっと落ちかけた夕日が、不気味なくらい白く染め上がった縁側と俺たちを橙色に照らした。



それから俺たちは先輩の作ったご飯を一緒に食べた。
結論から言うと、先輩の手料理はめっちゃ美味かった。
白米と焼き魚におひたしって和風の献立は優しい味付けで、これが夏休みの間毎日食えるなら金払った方が良いんじゃねえかってレベルだ。
風呂も、小柄な俺にはそこそこ足が伸ばせて満足だ。

「日夏、障子側でいい?」
「はい!どこでもいいっす!」

先輩の部屋は畳の部屋だった。窓際に机があって、本棚には上段に本、下段に画材がきっちり並べられている。並んでる本も哲学書みたいな難しそうなものから人体解剖図とか美術書が沢山あった。
部屋に足を踏み入れた瞬間、爽やかで瑞々しい、潮風みたいな香りがした。

「先輩、香水とか使ってるんすか?」
「どうしたの急に。……たまにならね」

先輩が机の隅に置かれた海みたいな青色の小瓶を手に取って俺を見る。

「日夏も付ける?」
「や、まだ……いいっす」

先輩と同じ香りとか、なんか恥ずかしいからヤだ。
なんで年が二個違うだけでこんな大人びて見えるんだろうな。いや、先輩だからか?
ぐるぐると考え込みながら一緒に揃いの布団を敷いて、その上に胡坐をかいた。
風呂に入ったから俺は黒のジャージで、先輩は藍色の甚平っぽい襟の和風のパジャマ姿だ。先輩の目の色とお揃いみたいな色で似合ってる。

「じゃあそろそろ寝ようか。明日は5時に起こして」
「はい!……って、早くないっすか!?」
「うん、今年ウチが海岸清掃当番だから」

か、海岸清掃当番?確かに先輩の家は海沿いに建ってるけど、そんな当番があるのか?

「なんスかそれ」
「そういうのがあるんだよ」

ぽふぽふと布団の皺を伸ばしならしれっと告げられても俺の頭はまだ”?”だ。
布団の形を整えると、先輩は顔を上げて柄にもなくにっこりと微笑んだ。

「あー良かった!日夏がいてくれて」

今までで一番の明るい声音に、俺はなにやら嫌な予感がした。
凄く上機嫌で俺を家に誘ってくれた事。
”今年”は先輩の家が海岸清掃とやらの当番な事。
そして……先輩は早起きがめちゃめちゃ苦手な事。
ここまで揃ってれば俺のスッカラカンな脳みそでも1つの答えに辿り着ける。それは――

「まさか……俺に早朝の海岸清掃押し付けるために呼んだって事っすか!?」
「失礼だな、僕だってやるよ」
「朝の先輩、動きがすこぶる鈍いんすけど!?」
「ちゃんとやるよ。日夏の10分の1ぐらい」
「俺の割合デカ過ぎないっすか!?」
「うるさいよ、近所迷惑」
「ここ隣の家とまあまあ距離開いてるっすよ!」
「うるさい。早く電気消しな。朝起きられないよ」
「先輩がそれを言う!?」

毎朝俺が起こさないと起きない先輩が!?
……あーもうしゃあねえ!夏の間泊めてくれる恩返しだ!海岸清掃だろうがこの家をピカピカにする事だろうが、何だってやってやる!

「分かりましたよ!やります!やってやりますよ海岸清掃!!」
「うんうん、その意気だよ。流石日夏」

障子の近くに行ってぱちっとスイッチを切る。
閉め切られた窓越しに星明りがきらめいて、エアコンの風は適温で涼しい。
本当に景色綺麗だよなここ。先輩が風景画をよく描くのも分かる気がする。
なんて考えながら、先輩の隣に敷かれた布団に潜り込んだ。寮の時は二段ベッドだから、横並びで寝るのは何か新鮮だ。すうっと息を吸い込むとあの香水だが先輩の匂いだかが香ってきて落ち着かねえけど。
ちらっと横を見る。俺と同じく布団をかけて身体ごと俺の方に向いた先輩が、俺の方をじっと見つめていた。

「ねえ日夏」
「……なんすか」

なんかソワソワして落ち着かなくなってきた。まだ俺の方が背が低いから、同じくらいの目線で見る先輩はいつもと少し違って見える。

「一緒に海岸清掃、頑張ろうね」

先輩は藍色の目を細めて、ふっと満天の星空みたいな笑みを浮かべた。

「……ッッ……!?」
「じゃあ、おやすみ」

そのまま先輩が長い睫毛を伏せる。5秒もしない内に静かな寝息が聞こえてきた。いつもながらこの人、寝るのが早すぎる。寝起きは恐ろしいほど悪い癖に。
窓から差し込む月明りが睫毛とか白い肌に降り注ぐのがなんか神秘的で、見慣れたはずの先輩の顔が少しだけ知らない人に見える……けど……っ。
あ~~~~やっぱ先輩ずりぃ〜〜〜!!
ばふっと布団を頭からかぶって目を閉じる。ムカつくけど、いつもと違うこの夏はやっぱ楽しみだ。
俺は波の音を聴きながら、いつの間にか眠りに落ちていった。