君の色彩に溺れたい。

「ええっ!?」

俺は口を開けて間抜けな声を上げた。

「なにびっくりしてるのさ。ホラ、荷物はその辺に置いて。収納ボックスの2段目までは日夏が自由に使って良いから」
「はっ……はい!」

テキパキと部屋の説明を始める先輩にハッとして荷物を下ろす。
なんで先輩はこんなスッと受け入れてんだ!?朝出会ってチャリ2ケツした先輩と同室とか、まだ飲み込めねえんだけど!
一旦、気持ちを落ち着けるように部屋の中を見渡す。
電気は点いているけど、古めの別館だからかちょっと薄暗い。
二人で使う用の二段ベッドに、4段のカラーボックス。
壁際に学習机が2つ横並びになっている部屋は木目調の床と温かみのある木製の壁に包まれていて、なんかすげえ落ち着く。

「二段ベットは下使いな。僕、寝相は良いからその辺は心配しないで」
「俺、1回寝ると物音とかなんも聴こえなんで全然大丈夫っス!」
「ははっ。イメージ通りだね日夏」

そのまま一通り説明してもらうと、先輩は学習机に備え付けられた回転椅子に腰かけた。
トコトコと近寄ってパッと手を右手を差し出す。

「先輩と同室で嬉しいっす!これからよろしくお願いします!」
「……」

ニカッと笑いかけるが、先輩は目を見開いて口を閉ざしてしまった。
え、なんかヘンな事言ったか?

「……ふっ」
「へ?」
「あははっ!もう、なんでそんなに僕の事好きなの日夏」
「す……っ!?い、いやあの、そんなつもりじゃっ」
「からかっただけだよ。そんな積極的に詰め寄られると思っていなくてさ」

椅子に座った先輩が柔らかい笑顔で俺を見上げてくる。先輩って夜が似合うよな、窓の外から降り注ぐ月明りに照らされた先輩は、何だが浮世離れして見える。

「ほら、いつまで僕に手を伸ばしてるの」

先輩が立ち上がって親指と人差し指で俺の薬指をちょいっと挟んだ。

「こちらこそよろしく。後輩の日夏くん」

意地悪だけど少しだけ柔らかい笑みにドキッとする。
きっとこの出会いは特別だ、なんて、俺は月明りの満ちた部屋で直感した。



ひょんな事から先輩と同室になった翌日。俺は頭を抱えていた。
勉強はこれか頑張る(予定)だし、クラスの雰囲気は俺の中学時代とは天と地の差かってくらい良い。
じゃあ俺が今何に頭を抱えているかって――同室の鵜飼 蒼壱先輩に、だ。
一緒に生活を初めて分かった事がある。
先輩は、ものすごーーくやっかいだ。

平日の起床時間。

「先輩!起きて下さーい!!」
「……うるさいよ、後5分」
「そう言い続けて30分は経ちましたあ!」
「経ってないよ」

二段ベッドの梯子を上って先輩の肩をがくがくと揺する。……けど全然目が開いてねえ!

「経ったんだっつーの!起きろー!!」

痺れを切らして布団をバサッと勢いよく剥ぐと目を擦りながら上半身を起こしてくれた。

「もうマジで遅刻すっから!」
「……はいはい」

登校二日目で遅刻は俺の見た目と相まってヤンキー過ぎる。俺はもうヤンキーはごめんなんだよ!

「先輩って、今までどうやって起きてたんすか?」
「ん~?……まあ、適当に?」

普段と比べて朝の先輩は語彙力が俺レベルに下がってる気がする。まあ親しみやすくていーけど。
朝は声がよりハスキーだなとか考えていてハッとした。

「朝ごはん無くなっちまうから!早く着替えて本館行くっすよ!」

まだダルそうな先輩をぐいぐいと引っ張りながら、俺は学ランの袖に腕を通した。

その一、先輩は朝に弱くて俺が起こさなきゃ起きない。



「よっし間に合った!先輩席どこが良いっすかー?」
「僕、窓際しか行かないから」

制服に着替えて本館の寮生の使う食堂にお邪魔する。
朝の食堂は気だるげな学生とかジャージや寝巻のままのヤツとかがいっぱい居て、見てるだけでもちょっと面白い。
窓際の席に腰掛けた先輩が顔を上げて俺を見上げる。

「取ってきて、日夏」
「ええ〜……?」

なんとこの先輩、俺と同室生活を始めてから1回も自分で食事を取りに行かないのだ。昨日の夜ご飯もパシられた。

「俺、犬じゃねーんすけど」
「知ってるよ。"猫"田くん?」
「そういう事じゃねーよ!?」

意地悪く微笑む先輩に噛みついてみるが、朝の時間がギリの俺らには押し問答をしている時間は無い。
ぶつくさ文句を言いながら、俺はトレー二枚を掴んでもうまばらにしか人のいないカウンターへ足早に進んで行った。

その二、先輩はすぐ俺の事パシろうとする。



授業が終わって4時手前の校庭。
入学してから1カ月は部活案内期間らしくて、放課後は校内校外問わず色んな部活の先輩たちが勧誘してくれる。
今日は先輩と一緒に部活巡りをする約束をしていたから、俺は授業が終わってすぐ三年の教室まで進んで行った。
一年の別クラスならまだしも、三年の教室に行くのはちょっと緊張する。

「すみません!そっ……う、鵜飼先輩いますか?」

先輩の教室の扉の前に立っている人に声をかけると、一瞬眉を顰められた。

「何だその金髪」
「……地毛っす」
「ああ、そういう?……あいつの事呼ぶ後輩とかやっぱそっち系なのかと思って警戒したわ、悪ぃな」

とりあえず言っただけ、みたいな謝罪はなんか久しぶりだ。
俺のクラスメイトがすぐ受け入れてくれたから浮かれてたけど、まあこんな反応が普通だよな。

「鵜飼いるよ。今先生に絡まれてっけど」
「え」

顎で指された先には教室の隅で担任の先生らしき人と対面した先輩の後ろ姿が見えた。教室に入るギリギリのラインで耳を澄ませると、何を言っているか聴きとれた。

「だからお前は本気でやれば有名大学に進学だって出来るし、その態度さえ直せば就職だって良いところ勧めてやれる。……将来の夢とか、やりたい事はないのか?鵜飼」

結構取り込み中だな。進路相談、か?

「あれ~君一年生?誰待ち?」
「鵜飼だって」
「えっ?……なに、部活の後輩とか?」

通りがかりのクラスメイト達が先輩の名前を聞くだけで眉を顰める。なんでだ?やっぱちょっと絡みづらいとか?

「鵜飼の後輩君も大変だね~。あの人なんか捻くれてるし、全然人の顔見て話さないから感じ悪いんだよね」
「そのくせ手際いいし、成績いいからムカつく」
「あー分かる」
「そんな言い方――」

「無いです」

クラスメイト達の言い方にとっさに声を上げたが、先輩の突き放すような声音に声を発するのを止めてしまった。

「将来の夢もやりたい事も、何も無いです」

静かに落とされた言葉が、嫌に俺の耳にこびり付いた。
なんでそんな苦しそうな言い方するんだ?
俺が立ち尽くしていると、振り返った先輩が俺を見て軽く目を見開いた。

「日夏」

さざ波みたいな透明感のある声で呟くと、俺の方に向かってきた。

「おまたせ日夏、行こうか。運動部と文化部どっちがいい?」
「えっ、あ……運動部行きたいっす」
「ふふっ、だろうと思った」

そうだ、俺先輩と一緒に部活巡りするんだった。

「校庭で勧誘やってるから行こうか。……何突っ立ってるの?ほら早く」
「はっはい!」

何かを振り払う様にさっさと歩き出す先輩の後を追って、俺は慌てて廊下を進んだ。



春の日差しと桜の舞い散る校庭は放課後でも明るくて、風と一緒に潮の香りがほのかに香る。

「サッカー部募集してまーす!マネージャー志望も歓迎っすよー!」
「吹奏楽いかがですかー?」
「書道部入りませんか?勧誘期間中、校内でパフォーマンスしてまーす!」

活気のある先輩たちの声に自然と心も弾んでくる。

「めっちゃいっぱい部活あるっすね!」
「そう?別に普通だよ」
「そんな事ないっすよ!」
「ふふっ、何はしゃいでるんだよ。日夏、中学は何部だったの?」

先輩の何気ない問いかけに、ぴたっと足を止めた。

「あー……っと、帰宅部っす」
「……そうなんだ」

意外だね、と落された言葉に頬を掻いて曖昧に笑う。
中学時代の話はちょっとしづらいから首を振って、目に付いた体育館を勢いよく指さす。

「あっ!そうだ体育館行きたいッス!バスケ部とか」
「日夏、好きそうだね」
「はい!やってみたいッス!」

笑顔で体育館に向かって駆け出す。先輩も、それ以上は聞いてこなかった。



「先輩運動も出来るんスか~~~!?」
「当たり前だろ。僕は何でも出来るからね」

人差し指と親指でバスケットボールを持った先輩が、シュッと親指を弾くとバスケットボールが人差し指の上で綺麗に回転する。
そのままボールを上に軽く弾いて両手でキャッチすると流れるような動作でボールをゴールに向けて放った。ボールは綺麗な放物線を描いて、音も無くネットを揺らした。
テン、と木の床にバスケットボールが跳ねるのを俺は目を丸くして見つめた。

「すっげえ!どーやったんすか!?」
「秘密」
「ええ~!?」

ふふん、と上機嫌にほほ笑む先輩の肩を掴む。マジで何でも出来るじゃん先輩!

「鵜飼ー、お前美術部とか嘘だろ〜」

顧問の先生が砕けた調子で声をかける。先輩はちらりと先生の方を一瞥すると、肩を竦めた。

「本当ですよ。……まあ、幽霊部員ですけどね」
「先輩美術部なんですね!絵得意なんすか?」
「なにそれ、僕に出来ない事なんてないよ」
「見てみたいっす!先輩の絵」
「……」

ふいに、先輩の顔からすっと笑顔が消えた。さっきまでの軽い雰囲気が消え、先輩の藍色の瞳が夜の海みたいな暗さを宿す。

「無い」
「え?」
「無いよ、一枚も」

落とされた声は、背筋が冷えそうになるほど静かだった――。