君の色彩に溺れたい。

side日夏。

日差しの降り注ぐ夏休みが終わって、木漏れ日も赤く染まる秋になった。

それからの日々はあっという間だった。
晴れて先輩と付き合えることになった日が夏休みの終わり。
そして、夏が終わって赤い紅葉がひらひらと舞う秋。
付き合いはしたけど、俺たちの距離感は付き合う前とあんまり変わらない。ってのも――

「僕は、関西の美術大学を受験します」

先輩が、正式に先生に進路希望を出したからだ。
元々受験生で勉強もしっかりしてる人だったけど、宣言してからの先輩はより一層勉強に熱を入れるようになった。
自称幽霊部員だったけど、美術部にも積極的に顔を出すようになった。
俺も俺でバスケ部の練習がハードになって来たからお互い忙しくなったけど、結局同じ場所に帰って一緒に過ごすから全然苦じゃなかった。
……まあ、学校に戻ったから先輩の事を名前で呼べなくなるのは、ちょっとだけ寂しいけど。

そんな、秋の合間の休日。
お互い部活から帰ってきて夕食までの間、夕暮れの別館で先輩は俺を描いている。
今日は俺の手を描きたいみたいで、対面で座る俺の手元を藍色の目がじっと捕える。
時折恋人繋ぎみたいな触れ方するのは正直ソワソワするけど、黙々とスケッチブックに鉛筆を走らせる先輩の邪魔をしない様に俺は景色に視線を投げた。

絵を描く先輩の藍色の熱視線を浴びるのは未だに照れるけど、先輩の夢の為に俺に出来ることは何でも手伝いたい。
そんな中、先輩が鉛筆を走らせながらポツリと呟く。

「ねえ日夏。日夏は青嵐高校を卒業してからの進路は考えてる?」
「あー……関西の、自転車整備士の資格が取れる専門学校行くっす」

正直それ系の専門学校は地元にもあるけど、俺はまだ、あそこに帰る気にはなれない。

「やっぱり地元には戻りたくない?」
「まーそれもあるッスけど。どーせ就職は実家だから今くらいは色んなところ行きたいっつーか。ほら、先輩のおかげで家事出来るようになったし、一人暮らしも出来る気がしてきたんで!」

外の景色から目を離して笑うと、先輩はふふん、と得意げに目を細めた。

「ほら、僕にこき使われて良かっただろ」
「そーいう意味じゃねーっすけど!」
「でも日夏、掃除は出来ても料理は出来ないだろ?ずーーっと惣菜パンとかコンビニ弁当だけ食べてちゃダメだからな?」
「……な、なんで分かったんすか」
「分かるよ、それくらい」

ふっと微笑んでスケッチブックを見下ろす先輩は、秋の夕日に照らされて綺麗だ。

「日夏って、顔に似合わず手は結構しっかりしてるよね」
「え?俺そんなガキみたいな顔っすか?」
「そりゃあ、君年下だし」
「うぐ……っ」

確かに俺、童顔っつーか絶賛成長途中みたいな顔だけどさ……!

「そんな残念そうにしないの。手が大きくてしっかりしてるから、来年とか背が伸びるんじゃない?」

先輩が何気なく言ったその言葉に、俺はハッとした。
ああ、そうだ。もう秋も半ばだ。来年になったら先輩は卒業して、もう青嵐高校にはいられなくなる。
――俺が先輩といられるのは、もう半年も無いんだ。

「……」

俺はスケッチしてる先輩にばれないようにそっと俯いた。
中学の頃はただ日々が過ぎるのをじっと耐えていた。
時間ってやつは何でこんなに進みが遅いんだって、虚空を見つめながらままならない気持ちを抱えていた。
今になって――この時間が進んでいくのが、たまらなく嫌だ。

「……でも、そっか。日夏も関西なのか」

先輩が秋の空気に溶けるようにぽつりと呟いた。
そのまま鉛筆を脇に置いてスケッチブックから顔を上げると、ゆっくりと俺を見た。

「じゃあさ日夏。日夏が卒業したら――また僕とルームシェアする?」

それを聞いた瞬間、ガタっと立ち上がって先輩との距離を詰めた。

「します!!」
「即答じゃん」
「断る理由ないっすよ!」

そうだ。場所が近いなら一緒に住めば良いじゃん!
馬鹿だー、なんでそんな簡単な事に気づけなかったんだろ。

「恋人と同棲なんて、したいに決まってますよ!」

至近距離で笑って顔を寄せると、先輩が長いまつ毛を伏せる。
ちゅっと音を立てて俺と先輩の唇が重なった。
ゆっくりと唇を離すと、先輩がくすぐったそうに微笑む。

「ふふっ。僕もだよ」

ぱち、と開かれた目はちゃんと俺を映してくれる。
先輩の持つ相貌失認は治ったわけじゃないけど、ずっと俺の顔を見てスケッチしてくれるおかげか、俺の顔のパーツがどこにあるか段々と分かって来たらしい。
俺はそれが、すごく嬉しかった。

「約束だからね。はい、あげる」

先輩がスケッチブックから紙を一枚リングから破り取って、俺に手渡した。

「日夏の絵」

そこに描かれていたのは水彩絵の具で色づいた俺の絵だった。
この別館の一室で、窓辺に寄りかかって笑ってる。
初めて見た。先輩の描く色づいた人物画を。
繊細な色使いの水彩で描かれた風景画は何度か見た。でも、先輩は人を描くときはいつもモノクロの鉛筆だったのに。

「せ、先輩これ……!」

思わずその絵を凝視する。
窓から差し込む夕日に満たされたオレンジ色の別館。光に透けた俺の金髪は鮮やかで躍動感がある。
笑った俺の顔もすごく自然で、俺ってこんな風に笑ってるんだって、ちょっと恥ずかしいけどすげー嬉しくなった。

「僕から見た日夏と、日夏がいるとこのくらい景色が彩って見えるって事」
「……っ」
「ふふっ。……本当に」

すっと先輩が俺に身を寄せる。至近距離で俺の赤茶色の瞳と先輩の藍色の瞳が合わさる。

「溺れたくなるくらい、綺麗な色彩」
「へっ……!?」
「なに驚いてるの。ただの比喩表現だよ。……本心だけどね」
「お、俺先輩からはこんなキラキラして見えるんすね……?」

ヤバい。顔が物凄く熱い。
どうしたらいい?言葉で告白されるより、絵を渡された方がよっぽどこっ恥ずかしい。
だって、こんな豊かな色彩の絵。この絵全部が、俺のこと好きって言ってくれるみたいな……っ!
すっと先輩がデッサンスケールを俺の前にかざして、透明のスケール越しに片目を閉じて俺を見る。

「まず輪郭を捉えて、顔のパーツ1つ1つを注視してバランスを整える。まだ顔全体を見ると度が違うレンズ越しみたいにぼやけて見えるけど、この障害との折り合いは付けられそうだ。……君のおかげでね」
「!?」

次いでさらっと凄いこと言われて、思わず肩を跳ねさせた。

「いやっ、そんなことっ、ねえっすよ!」
「はあ。……あのさ日夏」

先輩が俺に手を伸ばして、ゆっくりと頭を撫でられた。

「日夏って馬鹿だけどなんだかんだ勉強頑張るし、ちゃんと気遣いとか出来るし、僕のデッサン練習にもいつも付き合ってくれる優しい子だって事……もっと自覚した方が良いよ」
「!!?……!?」
「あー、本当に分かりやすい」
「な、なんで今日そんな褒めてくれるんすか……!?」
「……たまにはそういう気分にもなるんだよ」

ぷいっと一瞬顔を逸らすけど、ゆっくり瞬きをしてもう一度俺を見た。

「僕に輝く色彩を教えてくれた、一緒に月が綺麗な夜空を見上げたい人」

先輩の夕日に照らさた笑顔がどうしようもなく綺麗で、藍色の瞳は夕暮れの海みたいに艶めいていた。

「ど、どういう意味っすか?」
「ふふっ、調べてごらん」
「……ちょっと、詩的すぎません?」
「そりゃあ秋だし」

ダメだ、今日は先輩の詩的な愛の告白が止まらない。
秋の夕日を見るたびに先輩を思い出して照れる様になったらどうしてくれる。
ああ、でもこの人なら責任、取ってくれるか。
すっと立ち上がった先輩が軽く肩を回した。

「さーてと、君とこれからも一緒に居たいし。……久しぶりに本気出そうかな」

俺に向かって勝気に微笑んだ先輩は、学習机に座り直した。
俺も慌てて自分の学習机に座り直した。
俺も宿題の途中だし、先輩は受験の追い込み真っ只中だ。

そうして木々の紅葉が落ちるまでの短い秋は、スケッチブックと学習ノートを行き来する先輩の背を追い続けた。



色鮮やかな秋が過ぎ去ったと思ったら気温が急落下して、急に冬めきだした。
ちらちらと白い雪が薄曇りの空から降る冬。
俺は一人で部屋の中を何往復もしながら、スマホの電源を付けては消してを繰り返す。
そう、今はこの別館には俺一人だ。
今までは帰ったら先輩がいるのが当たり前にだから、一人だけのこの部屋はだだっ広く感じる。

「……でも、あと少しでこれが当たり前なんだよな」

今の所、別館の次の入居者はいないらしい。
つまり、先輩が卒業したらここは俺だけになる。

「……卒業、か」

ちらっと机の上の卓上カレンダーを見る。
先輩と過ごせる時間は、もうあと少ししかない。
もう一度スマホに視線を戻した瞬間、画面が切り替わって明るい着信音が静かな個室に大反響した。

「うわっ!?……はい!俺です!」

俺はスマホを取り落としそうになりながらも、急いで通話ボタンをタップした。

『日夏』

スピーカー越しに聴こえる先輩の声は静かだった。
緊張で大きくなる鼓動を押さえつける様に胸元の服を掴む。
ゴクリと唾を飲み込んで、言葉を発した。

「ど、どうでした……?受験」