君の色彩に溺れたい。

そこに描かれていた俺の顔は――完全に福笑いのそれだった。

「ぶふっ!」

思わず手の甲を口元に当てて吹き出した。
ヤバイ、ギャップが凄い。笑っちゃいけねえって事は分かってんだけど。
何やらせても完璧で、風景の絵とかものすごく上手い先輩からお出しされた俺の顔があまりにも福笑い過ぎて笑いが堪えられない。

「ちょ、ちょっと!……なんだよ」
「せ……先輩っ。俺こんなギリシャの彫刻みたいな鼻してねーっすよ……!」

鼻高いし、目もすごくパッチリだ。特徴を捉えてると言えばそうなんだけど、パーツは上手いから余計に迫真の福笑いに見える。

「そ、そんな事ないよ!鼻高いだろ君!」
「いやいやそんな事無いってマジで!すげえあれみたい!なんとかランジェロ!」
「ミケランジェロに失礼だろ!ギリシャじゃなくてイタリアの作家だし!」
「そう!それっす!あはははっ!」
「……っ、うるさいよ!もう!」

俺の手からスケッチブックを取り上げて、そのスケッチブックで頭をはたかれる。いや、全然痛くねえけど。って思ったら力を込めて追加でばしばしはたかれた。

「ご、ごめんなさい!すみませんって!でも、髪とか身体とか……やっぱすげえ上手いっすね、先輩」

鉛筆で描かれたスケッチだけど、俺の髪の金色っぽさの表現とか凄い。モノクロなのに金色に色づいているように見える。それに、ちょっと太めの首とか手の骨ばった感じなんかは鏡で見た俺そっくりだ。

「……当たり前だろう」

むっとしつつも満更でもなさそうだから、ちょっとは機嫌を直してくれたみたいだ。

「ほら日夏、立って」
「な、なんで?」
「僕もう集中力使って疲れたから。お風呂沸かしてきて、布団も準備して」
「もー、しょうがないっすね~」

いつも通り俺をこき使おうとしても、今日はなんか拗ねてる先輩が可愛く見える。

「明日の掃除と食器洗いは日夏がやって」
「はいはい了解っす~」
「……日夏、苦い食べ物は苦手だっけ?」
「んー……。まあ、好き好んで食いはしないっすね」
「僕、明日は青汁とゴーヤチャンプルーの気分だから」
「はあ!?そりゃないっしょ!?」

明日の気分が今日もう分かんのかよ!?
そうツッコもうとしたら丸まった鉛筆の先端でびしっと部屋の外を指さされた。

「つべこべ言うな!ほら、お風呂沸かしてきて!」
「わ、分かったっすよ……!」

胃袋を握られるって大変だ。でも、先輩の作るご飯ならなんでも食べられそうな気はする。
ちょっと頬を赤く染めてむくれる先輩を尻目に、俺は急いでお風呂を沸かしに駆け出した。
襖を開いて出て行こうとしたけど、振り向きざま先輩にニカッと笑いかける。

「先輩!また明日練習しましょーね!」
「はいはい。……ありがとう」

多分俺に聴こえない様に小さい声で呟いたつもりだけど、俺耳良いから聴こえるんだよな。
たまに素直になってくれるようになった先輩は、やっぱりちょっと可愛いと思ってしまう。
俺も、夏の暑さにあてられたかな?

それから、毎日先輩のクロッキーに付き合った。
時間はバラバラで、昼だったり夜だったり。
正直俺は絵とかよく分かんねえけど、日に日に先輩の描くイラストの俺が実物の俺にどんどん近づいているのは分かる。

先輩の相貌失認は変わっていない。俺の顔はパーツを注視すれば見えるらしいけど、目と口と鼻を足して”顔”として認識しようとすると分厚いすりガラス越しで見るようなもやがかかって見えるらしい。
そういうのは直ぐに治るものじゃないと思うから、俺は別に気にならなかった。
先輩ってすげー努力家だし、先輩が克服しようと頑張るなら俺はいつでもそれに応えたい。
朝は海岸清掃から始まって、一緒に勉強して、先輩の絵のモデルになる。
それを繰り返した夏休みは、俺にとってかけがえのない日々になった。
そして、夏休み最終日。先輩の部屋。

「……すげ」

渡されたスケッチブックに描かれた俺は、モノクロの写真に見えるほど忠実で精確に描かれていた。

「なんか……鏡見てるみてえ」

俺は素直に感動していた。先輩が元々器用で努力家な事は知ってたけど、それでも二週間くらいでここまで完成されたものを見られるとは思わなかった。

「ふん、当たり前だよ。僕はなんでも出来るからね」

よく聴いているその言葉は自信が滲んでいて、得意げにほほ笑む先輩に釣られて俺も弾けるように笑った。

「マジで凄いっす!絶対美大行けますよ!俺応援します!」
「ありがとう。……日夏のおかげだ」

ちょっとはにかみながら俺の目の辺りを見つめて笑ってくれる先輩は、やっぱり綺麗だ。
絵を描き始めてから、先輩は少しづつ俺と目を合わせようとしてくれている。
大体の目の場所は覚えてくれたから目が合ってるような気もするけど、ちょっと焦点がぼやけてるような気もする。
でも、先輩が俺に向き合おうと努力してくれるのが素直に嬉しくて、胸の辺りが温かくなる。

「そうだ、日夏は将来何になりたいの?」
「えっ、なんすか急に」
「……いや、そういえば聞いた事が無かったと思って」
「あー……」

そう言えばそうだった。
先輩が夢に向かって頑張ってる手前ちょっと言いづらいけど、俺の将来って……もう決まってんだよな。

「実家継ぎます、自転車屋」
「ああ。だから浜辺の時、手際が良かったんだ」
「……っす」

一人っ子だし、小学校高学年くらいから親父にちょこちょこ教えてもらってた。
自転車触るの嫌いじゃねえし、それ以外にやりたい事も無かったから、俺の将来はガキの頃から決まっているみたいなもんだ。

「だから青嵐高校出たら本島に帰って短大行って……実家継いで働きながら整備士の資格取ります」
「そこまで決まっていて、よくこんな離島の高校に来られたね」
「あー……、ハイ」

なんかどんどん歯切れが悪くなっちまう。
別に先輩になら話してもいい過去だけど、なんだろうな。やっぱ、まだ俺の中で整理がついてないのかも。
ガシガシ頭を掻きながら窓の外の夜空に目を向ける。

「俺が親父にワガママ言ったんすよ。高校は出来るだけ遠くで……知り合いが誰もいない所が良いって」
「……それは、僕が聞いてもいい話?」
「ん?んー……。そんな、気分の良いモンじゃないっすよ」
「僕の過去も別に良いものじゃないからそこは気にならないよ。……日夏が僕に話すの嫌じゃなければ」
「じゃあ……ちょっと長くなるっすけど」

ふっと一息つく。夜空に不安定に光る欠けた月から視線を外して、俺は先輩に向き直った。

◇◆

一緒に泥棒と戦った日、俺は中学ん時ガチでヤンキーだったって話したじゃないっすか。

俺って金髪に赤っぽい茶色の目だから、いわゆる金髪碧眼でも無い……言っちまえば微妙にハーフっぽくない変な見た目だろ?
小学校の時からそれで気味悪がられたけど、悪化したのは中学上がってから。
最初はクラスメイトに髪の色とかでいじられて、黙ってやり過ごそうとしたら髪引っ掴まれたり殴られたりとかされるようになった。
俺、母さんが外国人だからこの金髪地毛なんすけど、染めてるって誤解されて生徒指導室に呼ばれた事も何回もあった。地毛登録、したはずだけど。
最初は無視してたけど、周りの奴らに見た目だけでなにもかも俺が悪いって決めつけられんのは正直腹が立った。
丸1年くらい我慢してたけど、放課後の校舎裏で4、5人に囲まれて殴られた時に、なんで俺だけ我慢しなきゃなんねェんだろって……なんつーか、我慢すんのがもう限界だった。

その時、ボスみてえな奴の顔思いっきりぶん殴って反撃したのが始まり。

俺、タッパはねえけどそこそこ力あるから、一人でも結構抵抗出来るんすよね。
それ以降、そいつら以外のヤバい高校生とかからも喧嘩売られるようになった。
そん時の俺ってマジでクズで荒れてたから、売られた喧嘩全部買ってたんだ。
制服擦り切れて、顔も身体もいっつも痣だらけだった。
俺のピアス穴もそん時っすよ。高学年の奴らに押さえつけられて、嫌がらせて軟骨とか無理やり開けられた。
……まあ始まりはそんなんだけど、俺ピアス割と気に入っちまったからその後も付けてはいたな。
自分の身体の事とか別にどうでも良かったから、傷も血が流れない程度やつは放置してた。だからかな、今も身体にちょっと痕が残ってるんだ。大浴場で先輩が見たのはその名残。

で、そんな俺が中学のクラスに馴染めるワケもねえし、俺と仲良くしたいやつなんか当たり前に居なかった。休日は地元の奴と顔合わせたくねえからずっと家に籠ってたし。
俺が自分から喧嘩吹っ掛ける事はしなかったけど、同じクラスの同じ奴らに何回も絡まれんのもいい加減うんざりしてた。そんな時期だった。
ほんと、ただの思いつきなんだけどさ。校舎裏で絡まれた時、あいつらにスマホ向けて、

「テメェらが俺にしてきた事全部スマホで撮ってる。……テメェの家に行って親に全部見せてやろうか?あ?」

ってハッタリ言ったら、次の日から暴力とかピタッて止んでさ。
なんか都会的っつーか、現代的っつーか。
現代人って、スマホ向けられんのが一番怖いんだなって。
スマホ越しにカメラで撮られて、動画サイトとかにあげられたらどこ中の誰とかすぐネットで特定されるって言うし。
一生消えないデジタルタトゥーって、都会の奴にとっちゃマジで死活問題だろーし。

……それで、もー全部どうでも良くなった。

そん時だよ。進路の話になったの。
本島の遠くの高校行ったって、この髪とかでまたグチグチ絡まれて、また喧嘩ばっか明け暮れんのかと思うと急に何もかも嫌になった。
で、親に無理言ってこの……離島の青嵐島に一人で来たんだ。
それが、俺の荒れてた過去の全部っす。

◇◆

「……そうだったんだね」

俺の拙い話に静かに聞き入っていた先輩が、掠れた声を落とした。
やっぱ、怖がられるかな。いたたまれなくて顔を下げると、俺の頬に先輩の指先が触れた。

「……せ、先輩?」

俺を見下ろす先輩の瞳は、月明りに照らされて静かな光を宿していた。
先輩はすっと口を開けて、静かな声を発した。

「日夏。最初に、君に伝えたいことがある――」