君の色彩に溺れたい。

「やべえ遅刻する!」

港に着いた船の階段を駆け降りてアスファルトに片足を付けた瞬間、爽やかな磯の香りと咲き誇る桜並木に俺は目を見開いた。

「うお、すっげ……!流石港町!」

桜の花びらを纏った強い海風が吹き抜け、俺の目深に被っていたフードが流される。

「あ……っ」

俺の金色の髪が快晴の日の光に晒される。
え、と周りの人達の驚いた視線に貫かれる。別にもう慣れたけど、やっぱりいい気分にはならないな。

「あ、ははっ!すみません、急いでるんで!」

フードをかぶり直して、俺は一直線に港を走り去った。あーあ、海もっと見たかったのに。

俺――猫田日夏(ねこた ひなつ)は地元を飛び出して海に囲まれた離れ小島、青蘭(せいらん)島に越して来た。で、今は青蘭高校入学式に向かって走ってる。
つっても多分遅刻だコレ。全力疾走でも間に合う気がしねぇ!
奇跡を信じて腕を振って海沿いの歩道を走っていると、視界の端に黒がチラついた。
浜辺だ。浜辺に学ラン姿の男が倒れている。

「……って、はあ!?」

誰だあいつ、具合悪いのか!?
思わず進路を変更して白い砂浜をザクザクと踏みしめて男に駆け寄る。

「おいお前!大丈夫か!?」
「……ん~」

しゃがんで両肩を掴んでがくがくと揺する。目の前のやつは眠そうに密度の濃いまつ毛を擦った。
すうっと開かれた暗い色の瞳が、日差しに反射して深い青色に煌めく。

「へえ、君も青蘭の子なんだ」

透き通った少しだけハスキーな声がさざ波の隙間から聴こえた。

「大丈夫か!?……って、あれ?同じ学ラン?」

目の前の男の制服は、俺と同じ学ランだ。って事は同級生か……先輩?

「ねえ、君さ」

男が黒髪をさらりとなびかせながら俺との距離を詰めてきた。鼻先が触れそうな距離で、そっと囁かれた。

「――一緒にサボる?」

それが、俺と"先輩"の最初の出会いだった。

至近距離で顔を見て分かった。この人の瞳、夜空を写したみたいな深い藍色だ。

「……綺麗っすね、瞳の色」
「……」

反射で呟くと、目の前の人はぱちりと目を見開いて、ニヤッと意地悪そうに笑った。

「へえ、会って早々口説かれるとは思わなかった」
「くど……っ!?いや、すみません!そんなつもりじゃっ」

すっと伸びてきたしなやかな白い手がフードの隙間から飛び出した俺の髪をひと房掬って、さっと梳かれる。

「綺麗な金色。染めたの?」
「じ、地毛。……母ちゃん外国人だがら」
「そうなんだ。夏の太陽を溶かしたような、綺麗な色だね」
「えっ」

そんな事、今まで一度も言われた事無かった。
驚いたまま藍色の瞳を見つめていたけど、我に返ってハッとした。

「入学式遅刻しちまう!!」
「うるさ……もう間に合わないよ。サボればいいだろ、意外とバレないから」
「そうなんだー……ってダメだろ!!」

がばっと立ち上がる。島に越した初日で遅刻はマズい。新入生、第一印象、一大事!

「一緒に行くぞ!」
「3回目の式なんて面倒なだけなんだけど」

手を伸ばすと、目の前の男はダルそうに頭を掻いた。
3回目って事は……こいつ、三年の先輩か?

「良い天気だし、別に僕一人居なくても入学式は出来るよ」
「屁理屈言うなって!」

一向に手を取る気配がない。もどかしくなって俺は先輩の手を掴んでグイッと引っ張った。

「ほら一緒に……行くっすよ!」

先輩と分かったなら敬語を使わないとだよな。俺あんま敬語得意じゃねえけど!

「えー、面倒なんだけど」
「面倒じゃねえって!」

なんとか立たせたけど、ダメだこいつ、全然急ぐ気がねえ。

「今から”走って”間に合うわけないだろ。――だからさ」

ぱしっと手を握り返され、浜辺と地続きになっている道路沿いまで連れて行かれる。たたらを踏みながら付いていくと、黒い自転車がぽつんと置かれていた。

「ほら、乗せてって」
「ええ!?」

カチャ、と自転車のキーを解除すると、俺の手をハンドルのグリップに当てた。

「君が運びなよ。そしたら行ってあげる」
「二人乗りしろって!?」
「良い案じゃない?走ったって間に合わないんだから」

それもそうだ。走って間に合う距離じゃない。でも自転車ならワンチャンある。

「しょ、しょうがねえな!」

がばっとサドルに乗り上げると、先輩は後ろのリアキャリアに腰を落としてぎゅっと俺の腰を掴んできた。

「……っ」

ちょっとドキッとした。なんかいい匂いするし、首筋をくすぐる黒髪がサラサラで落ち着かない。

「早く漕いで」
「わ、分かったよ!」

グッと足に力を込めて海沿いの公道を漕ぎ出す。
潮風を全身に浴びて気持ちいい。空気か澄んでるなあ、俺の地元とは大違いだ。

「ほらもっと速度上げて。間に合わないよ?」
「やってるっすよ!」

も〜〜〜なんなんだよこの先輩!!
ドキドキとお巡りさんに見つからないかってハラハラがごちゃ混ぜになりながら、俺は全力でペダルを漕いだ。



「ま、間に合った……!!」
「へえ、本当に着いちゃった」

自転車から降りてぜえはあと肩を上下される俺を他所に汗1つかいてない先輩はひらりとリアキャリアから降りた。次いで、すぐそこにある自転車置き場に自分の黒い自転車を手慣れた手つきで停めた。先輩にフリーになった手でぽんっと頭を撫でられた。

「えらいえらい。じゃ、また会おうね」

さっと身を翻した先輩が、思いだした様にピタリと立ち止まって振り返った。

「……ああ、そういえば聴いてなかったな。君、名前は?」
「あ」

そういえば名乗ってなかった。密着しながら二人乗りまでしたのに。

「お、俺!猫田 日夏(ねこた ひなつ)っス!」
「良い名前」
「へっ?」
「日差しと騒がしい夏を連れてやってきた猫みたいだ」

な、なんだそのセリフ!?三年になるとそんなオシャレな語彙力が身に付くのか!?

「せ、先輩は?」
「僕は鵜飼 蒼壱(うかい そういち)

柔らかい日差しと春風を背負って先輩は微笑んだ。春風に流された桜の花びらが、先輩の後ろをさあっと流れていった。

「蒼壱でいいよ、日夏」
「はっ……はい」
「またね」

ひらひらと手を振って、先輩は学ランの人混みに紛れて去っていった。
俺はそんな先輩の背中から、中々目が離せなかった。



「へー!猫田って母ちゃん外国人なんだ!」
「良いじゃん金髪!カッケー!」
「マジ?サンキュー!」

あれから我に返った俺は全速力で体育館に滑り込んで、入学式には何とか間に合った。
教室の自己紹介では心臓バクバクだったけど、親が外国人だって最初に言ったらクラスメイトは俺の天然金髪をあっさりと受け入れてくれた。
離れ小島最高か。思い切って青嵐島(ここ)に来てマジ良かった。
俺は心の中で盛大にガッツポーズした。
休み時間も何人かと喋れて、俺の高校生活第一歩はこれ以上ないくらい良いスタートを切れた。

そして、海が夕日色に染まる放課後。
担任の先生に連れられて、俺達入寮生は寮へと案内された。

「鍵を渡すから呼ばれた順に来て下さーい。鍵を貰った生徒から部屋に戻って良いですからね」

先生から鍵が渡された生徒は同室の子と顔合わせをしながら、廊下がT字に分かれた先の男子寮と女子寮に向かって歩き去って行った。
……俺中々呼ばれないなー。
出席番号順かと思いきや俺の名前はあっさりと通り過ぎて着々とわ行まで進んでしまった。
あっという間に俺と先生の二人きりになって、流石にあたふたし始めた。

「あ、あのー先生、俺呼ばれてないんスけど……」
「ああ、そうそう。猫田くんはこっち」
「えっ?」

先生はくるりと振り返って寮を後にする。慌てて先生の後ろを付いていくけど……なんかどんどん寮から離れてねえ!?
そのまま寮を離れて外に出た。
外はもう夕日が沈みかけていて、紫色の空がなんだか不安感を煽る。お互い無言だと、空気がちょっと重たく感じる。
先生と並んで進むと、古びた木造建築の建物が見えてきた。なんだこの旧校舎みたいな所。

「な、なんですかここ」
「今年は入寮人数多くてね、奇数になっちゃったんだ。猫田君、事前アンケートで先輩と同室でも良いって答えてくれたよね」
「あ、はい。誰とでも良いっス」

そう言えばそんな書類も書いたな。俺は地元から離れられれば何でも良かったから、そこはこだわらなかった。

「だからお言葉に甘えて、君の同室は年上」

チャリっと渡された鍵は古びていて、四角いプラスチックのキーホルダーの端が色褪せている。

「君の部屋はこの中の2階、201号室。……とは言っても、この別館は君たち以外にはいないから。先輩と折り合いが付かなかったらいつでも言って」
「全然大丈夫っス!俺頑張ります!」

心配そうな先生を安心させるようにパッと笑いながら手を振る。
別に明るい人でも無口な人でも全然良いし。ヤバい系の人だとしても、俺そこそこ腕っぷし自信あるから大丈夫だろ!

「本当にいつでも良いからね。ちなみに門限は9時。9時になったら宿直の先生が鍵閉めに来るから、それまでに寮に戻る事。……じゃあ、先生はこれで」
「はい!ありがとうございました!」

二ッと笑って頭を下げる。そんな心配した顔しなくたって、俺はここに居られるだけで十分だ。
先生は踵を返して、夕日が沈みきって夜になった砂利道に消えて行った。

「失礼しまーす」

ガチャリと扉を開けると、木造の戸はキイッと錆びた音を立てた。
室内は明かりが消えていて薄暗い。
説明された通り、こじんまりとしたロビーには誰もいない。……何か寮ってか、普通に木造の一軒家みたいだな。
ちらっと上を見ると、一か所だけ明かりが漏れた扉がある。あそこが201号室か。
トタトタと階段を上って一直線に部屋を目指す。時折香るヒノキみたいな木の匂いは、結構好きだ。

「……」

扉の前に立つ。拳を作ってノックする寸前、さっきの先生の言葉がチラついた。

『先輩と折り合いが付かなかったらいつでも言って』

この扉の奥に、そんなヤバい奴がいるのだろうか。
俺の見た目なんか目じゃ無いくらいのどヤンキーとか、喧嘩っ早いムキムキマッチョメンとか?……うーん、確かにそれだったらちょっと大変か。

「んー……まあ大丈夫だろ!」

細かい事考えるのは無しだ無し!一緒に過ごしてりゃ何とかなるって!
意気揚々とノックして扉を開ける。第一印象大事だからな、ちゃんと笑顔で行こう!

「失礼しまーす!今日からお世話になる猫田――……」

そこまで言って固まった。振り返ったその人は、俺が唯一見たことがある”先輩”だったから。

「へえ、後輩って君だったんだ」

艶めいた黒髪に、月明りに照らされた深い藍色の瞳。

「案外早く再開出来たね。よろしく、日夏」

俺を見てにっこり笑ったのは――朝に出会った、鵜飼蒼壱先輩だった。
浜辺で出会った意地悪そうな先輩と、相部屋ってマジかよ!?