***

 4月になった。今日から高校三年生。クラス発表の日だ。毎年、この日に近づくにつれて鬱々とした気持ちが高まっていたが、今年は今までのそれとは違う気持ちだった。もちろん緊張はするし、知り合いがいて欲しいと心から願っている。でも去年やまとが言った『友哉(ゆうや)は人見知りじゃない、そのまんまで大丈夫』という言葉が胸にあったから、なんだか今までよりも少しだけ楽な気持ちで初日を迎えた。
 気合いを入れてクラス発表の紙を見に行く。ゆっうや〜とテンションの高いウッチーが近づいたきた。もしかして?と思う。
「友哉とオレ、同じクラスだぜ!やったな!」
嬉しすぎて言葉が出なかった。驚いて固まったオレをウッチーが不思議そうに見ていたので、そのことを声にして伝えた。
「そんなに嬉しかったのかよ。よせよ、照れるじゃねえか」
「いや、ウッチーが思ってるより嬉しいって。オレ、仲良いやつとクラス一緒になるのって滅多になかったからさ。はー、本当に良かった。これから一年間、よろしくな」
ウッチーと喜び合っていたら、何組になった〜?とやまとがやってきた。3年のクラスは大学受験組と受験しないまたは専門学校進学組で分けられる。うちの学校はその割合が半々くらいなので、クラスも半々くらいで分かれる。オレとウッチーは7組、やまとは9組になった。一緒に教室まで行こうと、廊下を歩く。7組と9組は同じ列にあった。案外近いじゃん!休み時間行くよな、とやまとと別れた。ウッチーと教室に入る。
「あ、友哉はやっぱりいつもの席じゃん!ほんと羨ましい!オレは大体、前の方だからなー」
「この席、すごくありがたいよ」
ウッチーと話していると、ウッチーと声をかけてくる人がいた。
「お!浅田じゃん!え?お前も7組?やったー!あ、友哉、こいつ浅田な。オレと同じ陸上部。浅田、こっちは渡里友哉な。去年からクラス一緒」
と紹介してくれた。
「友哉よろしくー!あ、ウッチーにつられて名前で読んじゃった。もう名前で呼んで大丈夫?オレのことは浅田でも、陽太(ようた)でもどっちでも大丈夫」
「だ、大丈夫。じゃあ、とりあえず浅田って呼ぶな」
「浅田って、名前陽太だったか。みんな浅田って言ってたから、そういや名前ちゃんと覚えてなかったな」
「ひでー!知り合って3年目なのに、、、じゃあ、友哉は陽太って呼んでよー」
「おい!友哉が引いてるだろ」
慌ただしい掛け合いにうまく着いていけず、少しワタワタしていたら、ウッチーが気にかけてくれて、一息ついた。
「わ、分かった。じゃあ、陽太って呼ばせてもらうな」
「うん!頼むよ。あ、そろそろ先生来るかな?オレいっつも1番前の席だから嫌なんだよな〜。友哉まぢ羨ましいわ」
「ほら、本当に先生来るぞ!席に行こうぜ」
と、ウッチーに背中を押され、陽太も席に戻って行った。去年は、急にやまとに小話を振られてビックリしたが、今の陽太とのやりとりもオレにとってはキャパオーバーな状態だった。とりあえず、席でもう一呼吸ついた。そのまんまで大丈夫、やまとの言葉を頭の中で思い出す。

 友哉ってどこ中なの?あ、どこら辺に住んでんの?昨日のあのテレビ見た?休み時間になると、陽太がどんどん質問をしてくる。一つ一つ答えると、オレは丸中、家も逆だなーと陽太のこともどんどん教えてくれる。こんなに一気に距離を詰めてくる人はいなかったため、初めは驚いたが、ウッチーも間に入ってくれて、初日なのにだんだんと慣れていった。
 へー!すげえな、そいつ!と、帰り道でやまとに話すと、やまともビックリしていた。慌ててる友哉が目に浮かぶなと言って笑うので、そっちはどうなんだと聞いてみる。
「オレのところはさ、あ、オレ、今年は一番後ろだと思って1番後ろの席に座ってたの。そしたら、そこ席間違ってるよって、言われてさ。綿貫ってやつが後ろだったんだ。ごめんごめんって一つ前の自分の本当の席に戻って、自己紹介したらすげー無愛想でさ。笑っちゃうくらい無愛想だったなー。仲良くなれるといいなと思ってるけど」
「やまとならすぐ仲良くなれるよ。オレも1日で友だちになったしな」
そうだな、まだこれからだもんなと2人で話した。今日早帰りだったし、せっかくだから遊んで帰ろうぜーとやまとが言ったので、公園に行くことにした。今日はいつもの芝池公園じゃなく、やまとが見つけたという篠宮公園というところへ行った。大きい公園で、地図を見ると遊具はもちろんだが、ウォーキングコースもあればベンチもあるし、テニスコートや大きな花壇なんかもあった。
「こんなところにこんな公園があったなんて、やまとすごいな!見ただけで楽しい!!」
「友哉なら喜んでくれるかなーと思ってさ。期待以上の反応で、連れてきた甲斐あるな」
 まずは、一周してみようと公園の中をゆっくり見てまわった。あそこに桜が咲いてるとか、あの遊具乗ってみたいとか、あそこでキャッチボールできそうなんて話しながら、園内を歩きまわったところで、少し休憩と言って、ベンチに座った。住宅街から少しだけ離れているためか、思いの外静かだった。何も言わずに2人で座っていると、その静けさがより目立つのだが、やまとと一緒にいる時の沈黙はとっくの昔に心地よいものとなっていたので、平気だった。
 少し暗くなってきた頃、あ!とやまとが声を出したので、どうしたんだよと尋ねる。
「そういえば、朝母に牛乳を買ってきてと言われていたことを思い出しました」
妙な説明口調に自然と笑いがもれる。
「なんだそれ。じゃあ、そろそろ帰るか」
またこの公園に来ようと話しながら歩いていたら、やまとが手を繋いできたから、心臓が跳ねた。それと同時に身体ごとビクッと動いてしまった。
「薄暗いし、誰もいないし、公園抜けるまで、な!」
と言って優しく手を握るやまとに、そうだなと言ってオレも握り返した。初めてつなぐやまととの手は少し汗ばんでいて、それがオレのなのか、やまとのなのか分からず、でもどちらでも良かった。やまとの体温に初めて触れた気がして、照れて何も言えなくなったから、繋いだ手をギュっとしてごまかした。公園の出口が見えて、もう少し、あと少しと思いながら、繋いだ手に気持ちを注ぐ。公園を抜けたところで、今日はここまでと繋いだ手を離すと、そこに風が通って、汗ばんだ手が一気に冷え、一瞬でものすごく寂しい気持ちになった。そんなオレの気持ちをを察したのか、やまとも同じ気持ちだっかのか分からないが、やまとが笑顔で、友哉と言って手の甲をトントンとぶつけてきたから、すぐにオレもやり返した。やまとみたいに名前を呼ぶのは恥ずかしくてできなかったけど、それは別れ道まで続いて、寂しさはどこかへ行ってしまった。

***

 新学期が始まり、授業もすぐにスタートした。嬉しいことに、やまとのクラスとは体育や選択教科で合同の時間があった。早速、合同体育の時間、ウッチーとやまとのところへ話に行った。先月までは毎日こうだったのに、もう懐かしいなんて思う。
「そっちのクラスどう?今日はクラス対抗球技大会の練習で、バレーらしいなー」
「やまとん所には負けないぜ!」
ウッチーがファイティングポーズを見せる。
「オレんとこ、バレー部のエースいるから、そっちに勝ち目ないぜ!」
やまとがファイティングポーズをやり返す。
「あ〜綿貫か〜!そういえば、アイツ9組だったな。くっそー!確かに負けそう」
「綿貫?あ、やまとの後ろの席のやつか!」
「そうそう、あいつバレー部のエースなんだって。練習しすぎて、眠くて、いつも無愛想らしい。よくあくびしてる」
「そうなんだ。良かったな、無愛想の謎が解けてさ」
三人で話していたところに、友哉〜ウッチー〜と言って、陽太が肩を組んできた。
「浅田、こっちは前同じクラスだった、やまと!やまと、こっちは同じクラスの浅田な!」
いつも通りウッチーが紹介してくれる。2人がよろしくと声を交わす。
「これから、バレーなんだよな。オレ、中学の時バレー部だったから、割と上手いよ!先生来るし、クラスんとこ戻ろうぜ〜」
じゃあまたと言ってやまとと別れ、クラスの列に戻った。
 陽太は本当に上手だった。流石に現役エースには敵わなかったが、アタックは決めるし、ボールは拾うしで大活躍だった。あんなに本気になって大丈夫かとウッチーが心配していたくらいだ。
「陽太すごいな!バレー上手すぎて、まぢビックリ。なんで、バレーじゃなくて陸上部にしたんだよって思うくらい」
陽太の思った以上の活躍に、興奮気味に声が出る。
「友哉、こいつ、陸上でも大活躍なんだよ」
「そうなんだ!陽太、運動すごいんだね!」
「ありがとう。体動かすの昔から好きなんだよね。あと、女子にもモテる」
自分で言うなよ〜とウッチーに突っ込まれ、みんなで笑った。そこへポンと肩を叩かれ振り向くと、やまとが後でね〜と教室へ戻って行った。やまとの背中を見送るオレに、友哉どうした?何見てんだ?と陽太が声をかけてきたから、ああ、何でもないよと言って話に戻る。やまとと違うクラスになったことを改めて実感した。

 「友哉のクラスのやつ、自分で言ってた通りにすごかったなー。アイツが初日から距離詰めてきたやつ?」
「そう!陽太な。アイツすごかったな。でもまあ、やまとんとこのエースは凄すぎたな」
やまとと帰り道を歩く。
「そっか、陽太っていうのか。ウッチーは浅田って紹介してたから、下の名前わかんなかったや」
「そう陽太。初日から名前で呼ぼうってなって、名前で呼ぶことになったんだよ。それは言ってなかったか」
「そう、なんだ。あ、そういえば、綿貫なんだけど、意外と本好きみたいで、オレが読んでた冒険ものの本をみて、それ次貸して〜って言ってきたんだよ」
「すげー!やまとやったじゃん!そいつ、絶対やまとの小話も好きなやつだよ。仲良くなるのも時間の問題だな、よかったなー」
うん、よかったと言って、手の甲をコンコンとくっつけてくる。オレもコンコンとして、2人で顔を見合わせ微笑んだ。
「新学期はいっつも不安でいっぱいだけど、いいスタートが切れた感じがして、よかった。こう思えてるのもやまとのおかげなんだよ?」
え?オレの?とやまとが驚いた表情をするので、そうそうやまとのおかげと言って、また手をコンコンとした。
「去年やまとがさ、オレに人見知りじゃない、そのままでいいって言ってくれたの覚えてる?アレって、オレにとってものすごい言葉でさ、心の中の、人との関わりの部分がガチガチになってたところに、隙間を空けてくれたんだよな。それで今年はそこまで気張らずに行こうって思えたんだよ。もちろん初対面特有の最大限の緊張はあったけど」
「オレ、そんなこと言ってたか?あんまり覚えてないや。でも友哉が嬉しそうだから、嬉しい」
やまとがいつもと変わらない笑顔を向けてくる。
「うん、覚えてないくらいがちょうどいいよ。ありがとう。今年も楽しんで、でも受験勉強がんばらないとなー」
「そうだな、とうとう受験生だな。オレ全力で応援してるからさ!あ、景気づけに、ってわけでもないけど、ニワトリの話聞く?」
もちろんと答える。新学期初めての小話だ。
「ニワトリって、あんま飛べないしコケコッコーって鳴くの朝だろ?あれ大昔は違ってたんだ。どこまでも空を飛べたし、朝昼晩関係なくコケコッコーって鳴いてたんだよ。しかも目立ちたがり屋だったから、よく空を飛びながら、ここにいるぞーってコケコッコーって大声で鳴いてたらしい。そしたらさ、空に住んでた神様が毎晩睡眠を邪魔されたとかで怒ったんだ。それで、空は飛べなくなるし、みんなが起きる朝だけ鳴いていいってなったんだって。それでニワトリが大分落ち込んで、朝も元気のないコケコッコーになっちゃったから、神様が見かねて、じゃあ子どものときは目立たせてやろうってひよこは黄色にしたらしいよ。ニワトリも少し機嫌が良くなって、朝元気に鳴くようになったんだってさー」
「ニワトリにそんな話があったなんて。こりゃ早速家に帰って、小話集に書き足しとく!あ、この話、明日綿貫にしてみたら?」
「そうだな、やってみようかな」
新学期が始まっても、こうやってやまとと帰れるのがとても嬉しいと思う。体育館で見送った背中に感じた気持ちも、隣に並んで歩く今はもう全く別のものに変わった。今日もあっという間に別れ道だ。

***

 初夏。最後の夏服になってもう久しくない。
『やまと悪い!今日は用事あるから一緒に帰れないや』
『オッケー!また今度な、お疲れー』
昼休み、やまとにメッセージを送る。球技大会から少し時間が経ってしまったが、今日はウッチーと陽太と3人で、陽太の健闘を讃える会をすることになった。この前開催された球技大会は、やまとのクラスが優勝、オレのクラスは三位という結果に終わったが、陽太の活躍は著しく、本人が言っていた通り、女子にキャーキャー言われて、満更でもなさそうだったのがとても印象的だった。陽太は、オレの活躍を二人とも祝ってくれよ〜と言っていて、そのうちやろうと話していたが、中間テストが始まったりでうやむやになっていた。テストも終わった頃、陽太が絶対やりたい!と懲りずに言っていたので、ついでにテストのお疲れ会も兼ねてやろうとなったのだ。
 行こうぜーと、ウキウキした陽太が浮かれた足取りで先陣を歩く。陽太、すごい楽しそうだなとウッチーに話すと、アイツは部活の時の打ち上げもそうだよと言って笑っていた。
「今日オレ、何頼んでもいいのかー?」
「いいって言いたいところだけど、何って訳でもない。いいって言うと、お前はものすごいものを頼むと知っているから、予算は決めさせてもらう。オレと友哉が500円ずつ奢るから、1000円超えたら自分で出してな」
目を輝かせて聞いてきた陽太に、ウッチーが冷静に答える様子は、小さい子どもに説明するお母さんのようで微笑ましい。
「なんだよー。でもまあいいけどさ!この会が楽しいし。じゃあ、チョコケーキとカフェオレにする」
そう陽太が決めて、ウッチーがミルクティー、オレがココアを頼んだ。ドリンクが全部揃ってから、お疲れさまーと三人で乾杯をした。そして、ウッチーと一緒に棒読みで、陽太すごかったなーと褒めた。その物言いでも陽太は満更でもなく喜んでいて、ウッチーとそれを見て笑った。陽太は本当に気のいいやつだと思う。主に陽太の話を聞きながら、ウッチーが的確に突っ込んで、オレが笑うという会話を繰り広げていたら、陽太が意外な話題を持ってきた。
「そういえばさ、友哉と仲良い9組の、ほら!アイツ!アイツ、綿貫と仲良くなっててすごいって、9組のオレの友だちが言ってたぜ。オレは去年綿貫とクラス一緒だったんだけど、部活しか興味なくて、あんまりクラスに馴染んでる感じなかったんだよね。それが今年は、ソイツが仲良くなったから、他のヤツらとも話すようになってすごいって言ってた。お前らの友だちすげーのな」
アイツじゃなくてやまとなと言って、なんだかとても誇らしくなった。そして、すごく誇らしいのになんかもう一つ違う気持ちが出てきそうになったところで
「このチョコケーキまぢうまい!一口ずつやろうか?」
と、勢いよく陽太が話しかけてきたから、その気持ちとは目を合わさずに済んだ。

 陽太を祝った翌日、今日はやまとと帰る。そこで、昨日陽太が話していたやまとと綿貫の話をした。やまとってやっぱりすごいなとオレが言うも、やまとからの返事がない。俯いて少し険しい顔をしている。やまと?と声をかけるとやまとが少しハッとした。
「ごめんごめん。そっか昨日は浅田と神田珈琲に行ってたんだ」
と言って、また黙り込む。なんかいつもと違う?とは思いつつ、
「そう、ウッチーと三人でね。陽太がどうしても労ってって言ってたから、やってきた!って、やまと綿貫とクラスを繋いだんだろ?ほんとすごいな」
と、綿貫との話を重ねて口にするも、ああと曖昧な言葉を放り出す。いつもなら、オレすごいだろくらい言ってきそうなのに、やっぱりおかしい。
「やまと大丈夫?なんかいつもと違うくない?体調でも悪いの?」
やまとは眉間に皺を寄せたまま、オレの顔を見つめた。
「そう、かも。友哉さ、浅田とすげー仲良いなって思ったらこう、なんかちょっとイヤな気持ちになった。これってヤキモチかな?」
それから急にやまとがそんなことを言ってくるもんだから、顔が一気に熱くなって、どう答えていいか分からず困惑した。
「ごめん、友哉がクラスに仲のいい友だちできたなんてオレも嬉しいのは本当なんだけど、少しモヤモヤしちゃった」
思いもよらないやまとの言葉。混乱した頭の中でどうにか言葉を探す。
「モヤモヤさせてごめん。でももちろんだけど、そういうんじゃないぞ?安心してくれって言うのもなんか違う気がするけど、でも大丈夫だから。なんて言ったらやまとのモヤモヤが晴れるか分かんないけど……」
「頭では分かってるんだけどさ、急に心がそうなっただけ。今、友哉と話せてるし大丈夫だよ」
やまとが言葉とは少し違うような困った笑顔を向けてきたけど、大丈夫と言ったのでとりあえず胸を撫で下ろす。
 落ち着いたところで昨日陽太から、やまとと綿貫の話を聞いた時の気持ちを思い出した。
「あ、そういえばさオレも昨日、やまとと綿貫が仲良いって聞いて、とっても嬉しくなったんだけど、それとは違う気持ちも出てきたんだよ。オレの場合は、モヤモヤっていうより、きっとあれは寂しいって感じだったかなーと今思った。ヤキモチとは違うのかな?」
そういうと、友哉も?と心なしかやまとが嬉しそうな表情をこちらに向けてきたので、そのまま思ったことを話してしまった。
「でもさ、オレ多分、やまとが他に好きな人できちゃったとかってなったら、すぐ身を引いちゃうんだろうなーって思ったんだよな」
やまとが急に立ち止まった。下を向いているので、表情が見えない。
「…だよ」
やまとが言葉を発したが聞き取れず、何か言った?と言い終わる前にやまとが、何言ってんだよ!と大きい声を出した。やまとが大きい声を出したことなんて聞いたことなくて、その場で固まってしまった。そんなオレを見てやまともビックリしていて、ごめん先に帰ると言って、目の前からあっという間にいなくなった。去っていくやまとの表情は一瞬しか見えなかったが、怒りよりも悲しそうで、その顔が目に焼き付いて離れなくなった。
 その後は、気づいたら家に着いていて、どうやって進んで歩いてきたのかも覚えていない。そんなオレの様子を見て、友哉元気ないんじゃない?体調悪い?と母が声をかけてくれるが、そんなことないよと作り笑いをして、眠いから寝るねと早々に部屋へ戻った。ベッドに横たわる。目を開けていても閉じていても浮かんでくるのは、やまとの悲しそうな表情だった。去年やたらやってきていた胸の痛みとは全然別の、重く苦しい痛みがオレにのしかかってくる。でもこれは絶対に目を逸らしてはいけないというのが分かるから、それを抱えたままやまとのことを思う。やまとは今どんな気持ちでいるのだろう。時計の針はどんどん進むが、オレの心はずっと止まったままだ。真っ暗だった部屋に少しずつ光が差し込んでくる。問答無用でやってくる朝に抵抗するかのように、オレは目を閉じた。

 翌日、去年からで初めて、学校でやまとと目を合わせない日を過ごした。合同の授業や廊下で会いそうになっても、お互い気づかないふりをしているようだった。ウッチーと陽太との会話や授業にも身が入らない。1日がとても長く、一人で歩く帰り道は、こんなに遠かったのかと思うくらい家に辿りつかない。歩いている途中空を見上げると、梅雨が明けたばかりなのに、深い青が空を埋め尽くし、陽気な白い雲がプカプカと浮かんでいる。去年、こんなに暑くなるなんて聞いてないよと笑っていたやまとが頭に浮かんでくる。どうなりたいかは分かっているのに、どうすればいいのかが分からない。
 そんな日が数日続いた頃、
「友哉、今日放課後ヒマ?ドリンクバー行こうぜ!」
とウッチーが誘ってきた。やまとのことで頭がいっぱいなため、ウッチーに失礼な態度を取りそうだし断ろうかと思ったが、ウッチーがいつもより強めに誘うもんだから、押しに負けて行くことになった。ドリンクバーで飲み物を持ってきてすぐ
「やまとと何かあった?」
心配そうな顔でウッチーが聞いてきた。ここ数日2人の様子が変だから気になってと言ったその真っ直ぐな言葉に、ウッチーには聞いてほしいと思い話し始めた。
「実はさ、オレが言った言葉でやまとを傷つけちゃったんだよ。でも、その言葉が嘘とかじゃなくて、オレの本当の気持ちだったから、どんな風に謝ったらいいのか分かんなくてさ」
ここ数日悩んでいたことを初めて口にした。ウッチーが腕組みをして、うーんと考える姿勢をとった。
「多分、だけどさ、そういう友哉が今頭にあるもの全部言ったほうがいいんじゃないかな?それが友哉の正直な気持ちなら、もうあとはやまとが判断するしかないっしょ。ちょっと待って」
と言って、ウッチーがスマホを取り出し電話をかける。相手はやまとだった。
「今からやまと来るから、とりあえず頭にあるの全部言えって。やまといいやつだし、ちゃんと聞いてくれるから大丈夫。明日、仲直りしたか、絶交になったかは教えろよな」
そう笑ってウッチーが立ち上がり、じゃあと帰って行った。今からやまとが来る?展開の速さに気持ちが置いてきぼりになっているが、ウッチーの言葉を胸に、やまとが来るまでに心を決めた。

 オレは会計を済ませ、外でやまとを待った。5分くらいでやまとが到着したので、いつもの芝池公園に行こうと提案し、公園へ向かう。着いて、いつものベンチに座り、やまとへ身体を向ける。
「オレの正直な気持ち、話すな。オレは、やまとのこと大好きだし、ずっと一緒にいたいって思ってる。でもさ、やまとの隣はオレが一番いいのかって聞かれると、そんな自信はないっていうのが正直な気持ちなんだ。だからあんな言葉ができてたんだと思う。やまとの態度がそういう気持ちにさせてるとかじゃなくて、オレの問題なんだよな。イヤな気持ちにさせてごめん」
やまとに頭を下げた。少ししてから、友哉と言ったやまとの声が優しくて、自然に顔を上げた。
「オレはさ、まさか友哉があんなこと言うなんて思ってなくて、思わずカーッとしちゃった。やまとにはオレがいるからなーくらい言って欲しかったんだな。でも、あの後家に帰って考えたんだよ。オレたちまだ付き合うようになっては、そんなに経ってないだろう?だからさ、お互いの好きって気持ちを育てるっていうのかな?変わっていく?っていうのか、どうなのかは分かんないけど、そのときそのときの気持ちも全部大事にしたいって思ったんだ。友哉はああ言ったけど、オレのこと好きじゃないってことではないしさ。好きって気持ちも多分一つじゃないんだよ、オレは友哉とそれ全部一緒に感じていきたいと思ったんだ。そして、友哉の好きなものとか嫌いなものとかも色々知っていきたいってそう思ってたら、すぐに言いたくなったんだけど、あんな風にケンカっていっていうのか分かんないけど、したことないからどう切り出したらいいか分かんなくて。そしたらどんどん時間が過ぎていって、ずっと避けてるみたいになってた。友哉の気持ちも考えないで、勝手に怒っちゃって、オレの方がごめんな」
そう言ってやまとも頭を下げた。
「そう、だったんだ。でも、元はと言えばオレのせいだし、本当にごめん」
やまとにそう言ってもらえて嬉しかったけど、やっぱり申し訳ない気持ちが大きくて、素直に喜ぶことができなかった。
「うん!オレ、その友哉の申し訳ない気持ちも全部受け取る!だから大丈夫。そんな顔、しなくていい。そして、どんなことでも少しずつでいいから、オレたちちゃんと話そう、な!だから、はい!」
と言って、手を大きく広げた。
「仲直りのハグ、しようぜ!ほら!恥ずかしいから、早く!」
照れて笑うやまとをみると、胸の奥が温かくなった。それから、オレが抱きついてハグをすると、そこからやまとの体温や気持ちが伝わってきて、心から安心したのが分かった。ギュッとしたまま、ありがとうと顔を見ずに耳元でつぶやいた。やまとが背中をトントンと叩いてくれた。

 「なあ、ウッチーには俺たちが付き合ってること言わないか?」
公園の帰り道、今回のことで前から考えていたことをやまとに話した。
「オレも!そう思ってた!今日はウッチーに本当に感謝だよ。ウッチーと友だちで嬉しいな」
同じことを思ってたことが嬉しかった。もう暗いし分かんないだろうと言って2人で手を繋いで帰った。今日の帰り道は今まで感じたことないスピードで、どうしてこんなにすぐ別れ道なんだと寂しくなった。
 夜、電気を消してベッドに入ると、自然と今日のことを思い出す。やまとを好きになってから、忘れたくないと思うことや気持ちがどんどん増えるなと思う。それから目を瞑る。今日はぐっすり眠れるだろうと思ったのに、まぶたの裏にやまとの顔が浮かんできて、やまとを好きな気持ちが溢れてくる。こんな風に自然にやまとを思うのなら、このまま起きててもいいかなと思っていたら、いつの間にか夢の中だった。

 翌日は久しぶりの雨だった。テレビの気象予報士が、一日降り続くと言っていて、教室の後ろには色とりどりの雨具が並ぶ。
「友哉おはよー!お?その顔は、絶交ではなく、仲直り成功ですね」
教室に入ってきたウッチーが、少し濡れちまったよーとタオルで頭を拭きながら真っ先に声をかけてくれた。
「うん、本当にウッチーのおかげだよ。それでさ、やまととウッチーにお礼をしたいってなって、連日になるけど今日の放課後とか空いてる?」
部活の後なら大丈夫!と言ってくれたので、じゃあ放課後と約束をした。授業が終わり、やまととウッチーの部活が終わるのを校内のベンチで待った。ベンチの上には屋根があり濡れないが、雨降りなので、わざわざ外に出ている生徒もいなかった。そこに、勢いよくお待たせーとウッチーがやってきた。雨だったから筋トレで早めに終わった!と言うが早いかそのまま机を挟んだ向かいのベンチに座った。
「ウッチー、昨日は本当にありがとうな。無事に仲直りできました」
すぐにやまとが言って、2人で頭を下げた。
「気にすんなよー!オレ、お前らと遊ぶの好きだし、オレの遊び仲間を失いたくなという勝手なおせっかいだったし」
照れながらウッチーが言うウッチーをみて、2人で顔を合わせる。でさ、とオレが話を繋ぐ。
「実は、ウッチーに言いたいことがあって。オレとやまと、付き合ってるんだよね。急にこんなこと言われて困るかも知んないけど、ウッチーには言いたくて」
ウッチーは目と口を開けて驚いた表情を見せたかと思うと、すぐに口を閉じて頷ずき、なるほどな〜と言った。
「いやさ、まあ驚きはしたけど、腑に落ちた感じの方が強いなと思ってさ。友哉の落ち込み具合が半端なかったのも、あの温厚なやまとが怒ったってのも、内心めっちゃビックリしたんだけど、付き合ってるって聞いたら、だからかーって今思った。なんか、2人ともお互い大事してる感じ、いいな〜。オレもまた彼女欲しくなっちゃったな〜フラれた傷が開きそうだぜ」
とウッチーは言って、胸を押さえて苦しいフリをしてみせた。
「え?これからもオレと遊んでくれるよな?カラオケとか行こうぜ!」
やや慌てた様子でウッチーが話す。そんなことを言うウッチーを見て、友だちになれて本当によかったと改めて思った。
「もちろんだよ〜ウッチーがいなかったら、誰が予約するんだよー」
やまとがいつものおちゃらけで返す。
「ひで〜オレは予約係かよ〜ん?なんかこのやりとり、前にもやったことがあるような」
なんて言って、みんなで笑った。オレたちの周りを雨が包む。サーッと軽やかに降る雨は、本格的に始まった暑い夏に、ほんの少し涼しさを運んでくれた。目の前で話す大切な2人を見つめたまま、屋根の外に手を伸ばす。濡れた手はすぐに乾き、そこには優しい雨の音とオレたちの声が混ざって宙に舞った。