太陽が空にきらめき、蝉の声が響いてくる。
辺りを森に囲まれたグラウンドの上で、澄んだ空気を思い切り吸った俺は、ストップウォッチを片手に笛を吹き鳴らした。
「次、ドリブルシュートでーす!」
俺が叫ぶと選手たちがコートの真ん中から端に移動し、次の練習メニューの体制を整えていく。
高校に入って初めての夏休み。プールに海、花火大会と、イベントがたくさんある中で、俺の一番のイベントは部活の合宿だった。山奥の合宿所も、緑の多い周りの景色も、土ではなく天然芝のグラウンドも、すべてが非日常でわくわくする。
俺は辺りに散らばっていた給水ボトルを拾い上げ、彼らが集まった位置に移動させながら、一本ずつ中身を確認していった。
夏場はみんなが頻繁に水を飲むため、頻繁に給水ボトルが空になる。もしなくなっていなくても、ボトルに保冷機能なんてついていないから、太陽の熱で中身がお湯になっていたりするのだ。この山奥では街中よりも多少暑さは和らいでいるが、それでも数十分に一回は新しく水をつぎ足さなければならない。
森田先輩と奥村さんにシュート練習のボール拾いを任せた俺は、湯になった五本の給水ボトルをベンチに置き、交換用に用意しておいた新しいボトルを抱き上げる。
「水飲ませてくれる?」
声をかけられ振り向くと、悠理がひらひらと手を振っていた。練習の合間に水を飲みに来たらしい。こうして用意したばかりの冷たい水を要求されることは、他の部員からもよくあった。
俺はいつも通りに抱えた五本のボトルを悠理に差し出す。
「いいよ、一本取って」
「サンキュ。って、めっちゃ冷たー」
悠理は笑みをこぼしながらボトルで水を飲んでいる。
額から滴る汗に、水を飲むのに合わせて動く喉仏。白い肌は焼けてほんのり赤くなっている。運動して汗だくになっているはずなのに、悠理はむしろ普段よりも一段とかっこよかった。
ぼんやり見蕩れていると、水を飲み終えたらしい悠理が、ボトルのキャップを閉じながら俺に手を差し出してくる。
「ありがと、めちゃくちゃ美味しかった。ついでにそれ、持ってくよ」
「いや、悪いよ。俺の仕事だし」
慌てて首を振ったが、悠理は引き下がらなかった。
「いいって。みんなのところに帰るついでだから」
そう言って悠理はひょいひょいと俺の腕からボトルを奪ってしまった。そのままひらひら手を振って、他の選手の元へ帰っていく。
確かにイケメンは、汗をかいていてもイケメンなんだけど。
悠理の後ろ姿を見ながら、俺は眉間に皺を寄せて口を尖らせる。押さえた胸の奥では、どきどきと鼓動が逸っていた。
家で一緒に勉強して以来、ことあるごとに悠理の姿を見ては胸がうるさくなる。最近では可愛かったサクラちゃんの姿を思い出すことはほとんどなくなり、頼もしくてかっこいい悠理のイメージが強くなっていた。
「男でもかっこいいと思わせるイケメンってなんなんでしょうね……」
練習後の後片付けの最中、洗い場で給水ボトルをスポンジで擦りながらため息をつくと、一緒に洗い物をしていた森田先輩と奥村さんがにこにこ笑いながら俺を見てきた。
「なになに、恋バナ?」
「ついに佐倉と進んだの?」
なにやら変な方向に勘違いされてしまったらしい。悠理の名前を突きつけられて妙に顔が熱くなる。
「い、いや。悠理のことだけど別に恋愛の話じゃなくてですね」
騒ぐ胸を落ち着けながらも練習中の悠理の話をすると、二人は納得したようにうなずいた。
「確かに佐倉くんは気を遣えるタイプのイケメンよね。人気が高いのも分かるかも」
「実際、一年女子の間じゃすごいですよ。私は一組で五組と教室も離れてるんですけど、佐倉の名前聞かない日はありませんし。まあ基本的に一ノ瀬が一緒にいるので諦めているらしいですが」
「えっ、そんなことになってたの?」
一時期から女子たちの鋭い視線を感じなくなっていた。だがまさか俺が原因で悠理から女子を遠ざけてしまっていたとは。
「一ノ瀬は気にしなくていいよ」
俺の思考を見透かしたように、奥村さんはそう言った。
「でも、さすがに独り占めしてるみたいで悪い気がするし」
「別にいいんじゃない? 佐倉は一ノ瀬がいいから一緒にいるんだろうし。二人でいる時の佐倉、端から見てても楽しそうだよ」
「そうなんだ……」
思わず口角が上がってしまう。奥村さんの言った通り、悠理が俺と過ごす時間を楽しんでいてくれるなら嬉しい。俺も悠理と過ごしている時間が一番楽しいし、できればずっとその関係が続けばいいと思っていた。
一通り洗い物を終えて荷物をまとめていると、ぱたぱたと選手が数人やってきた。その中には悠理と有岡、山本もいる。
「どうしたの? 全員でミーティングでも入ってたっけ?」
「みんなでフットサルするから、マネさんたちも一緒にどうかって」
「合宿での恒例行事らしいです。遊びみたいなものだから、気軽に参加してくれと」
山本と有岡が口々に言う。だが森田先輩と奥村さんは難しい顔で首を振る。
「去年参加して全身筋肉痛になったのよねぇ」
「私もサッカーは見る専だから……」
結局二人は遠慮しておくと断ってしまった。山本は残念がりながらも、今度は俺の方を振り向いてくる。
「一ノ瀬はやるよな? な!?」
「おい山本、強引すぎるぞ」
身を乗り出してくる山本に戸惑っていると、悠理が横から彼を制止してくれた。そして俺に目を移し、柔らかな笑みを浮かべる。
「どうする? 俺もハルと一緒にできたら嬉しいけど」
「ほんとに?」
悠理が喜んでくれるなら、俺としても参加したい。それに遊びなら、勝敗はみんな大して気にしないだろう。それなら俺でもプレイできる気がした。
「じゃあ、参加するよ」
俺が頷くと、山本と有岡が即座にガッツポーズをした。
「よっしゃ、一ノ瀬とサッカーできる!」
「なんだかんだでパス練もできていないから楽しみだ」
二人はおのおのつぶやきながら、コートの方へと戻っていく。
俺たちも行こう、と悠理に促され、俺は森田先輩たちに断ってから彼と一緒に歩み始めた。
「参加してくれてありがとう。人数足りないって言ってたし、みんな喜んでくれると思う」
「ならよかった。少しは戦力になればいいけど」
「ハルなら大丈夫だよ。俺の勘がそう言ってる」
「あはは、勘なんじゃん」
けれど悠理にそう言ってもらえると、不思議と自信が湧いてくる。先ほどよりも前向きになった気持ちを携えて、コートへと足を踏み入れた。
コートには既にフットサル用の小さなゴールが用意されていた。コートの真ん中ではサトセンと選手たちが小さなホワイトボードを中心に集まっている。チーム決めの最中らしい。
悠理は話し込んでいる彼らの輪に向かって声を上げる。
「ハルも参加してくれるそうですよー」
すると先輩たちは、一気に俺の方を振り向いてくる。
「本当か!?」
「よかった、これでちょうどよくチーム分けできる!」
こっちにこいよ、と先輩の一人に誘われて、選手たちの輪の中に入る。マネージャーとしてではなく一緒にサッカーをする人間として話に入るのは久しぶりだった。
話し合いの結果、俺のチームは有岡と悠理、それから二年の先輩が二人の、五人チームとなる。
早速一試合目が開始され、俺のチームの出番となる。相手のチームにはサトセンと山本がいた。コーチが入っている時点で、既に強敵の予感がした。
ポジション決めもそこそこに、俺たちはコートの中に入る。
自分のポジションへ向かっていると、不意に悠理とすれ違った。
「楽しもうな」
「もちろん」
俺は微笑みながら頷くと、コートの真ん中を横断する白いハーフラインのすぐ横に立つ。一歩向こうに踏み出せば、相手の陣営に立ち入れる位置だ。
最初は俺たちのチームが先攻で始まった。試合開始の笛が鳴ると、悠理が真ん中に置かれたボールを蹴り出し、すぐ後ろにいた有岡にパスした。
有岡と悠理がドリブルとパスを繰り返し、前へとボールを進めていく。その様子を見ながら、俺も前へと走っていった。
けれども敵側のチームは誰一人として俺をマークしていない。俺の動きは、敵に重要視されていないのだ。マネージャーという立場だからか、かなり舐められているらしい。
(目立たない方がいいのは分かってるけど、さすがに面白くないよね)
元サッカー部員の血がざわざわ騒ぐ。ここまでされたら少しくらい驚かせてやらないと気が済まない。マークされていないなら、そこを逆手に取ってやればいいだろう。
「悠理、こっち!」
敵チームの先輩二人に張り付かれながらドリブルしていた悠理に、後ろから声をかける。敵を貼り付けていないガラ空きの俺を見た悠理は、すぐさまボールをパスしてきた。
「いけ、ハル!」
「ありがと、任せて!」
ボールを受け取り、ドリブルする。ゴール前に到達しそうなところで、サトセンが俺の前へと立ち塞がった。
「進めるか、一ノ瀬?」
「……」
サトセンはにこにこ笑いながら、俺の行く手を塞いでいる。だがその立ち姿は、足止めしているように見えて隙がありすぎた。マネージャー相手だからと、本気を出していないんだろう。
この程度なら横からすんなり抜いて先に行ける。けれど俺だって、下に見られたままでいるつもりはない。
(先生、油断はしない方がいいですよ)
俺はボールを足で操りながら、タイミングを見計らってサトセンの両足の間にボールを通して抜き去った。
「まっ、股抜きされたぁ!?」
叫ぶサトセンを背に、俺はそのままゴールに向かって走り抜ける。そして一発目のシュートを打ち――ボールはネットに吸い込まれた。直後に得点の笛が鳴り響く。
「ナイシュー、ハル!」
「悠理もナイスパス!」
俺は駆け寄ってきてくれた悠理とハイタッチする。一方のサトセンは、なにがなんだか分からないような顔をしていた。股抜きは慣れればさほど難しくはないが、初心者が突然そう簡単にできるものではない。それをただのマネージャーだと思っていた俺がやったものだから、頭が追いつかないのだろう。
サトセンの反応に満足していると、悠理が小さく耳打ちしてくる。
「ねえハル、本気出してる?」
「ちょっとだけね。さすがにあれだけ舐められたらさ」
「あれでちょっと……?」
悠理はなぜか眉をひそめている。まあ確かに、悠理やサトセンと比べれば、趣味でサッカーをやっていた俺の技術なんて、大したことはないだろう。
「大丈夫、完全には本気を出さないから。部員バレは気にしないで」
「了解、なら俺もそのつもりでプレイするな」
「うん。次もよろしくね」
拳を合わせてから悠理と別れ、ポジションに着き、すぐに試合が再開した。
「よっしゃ行くぞー!」
ボールをこちらの陣営に進めてくるのは山本だった。遠慮のない彼らしく、猪突猛進に走ってくる。だがサッカーには、勢いでどうにもならない時があるのだ。
「おっ、一ノ瀬じゃん! ボール奪ってみる?」
進行方向を塞いだ俺に、山本は心底嬉しそうに口角を上げた。サトセンや他の選手とは違い、彼は純粋に俺と競り合いを楽しんでいる。その辺りは俺も好感を持てた。
(かといって、見逃したりはしないけど)
勢いで進めようとする分、山本のドリブルには多くの隙があった。そこに少しと足を差し出せば――
「うわっ、取られたぁ!」
脇から足でボールを掬いあげ、そのまま敵側のゴールに向かってドリブルしていく。後ろからはサトセンと山本が、二人がかりで追いかけてきた。さっきのプレイで俺を放置するのは危険だと分かってくれたらしい。
「行かせるか一ノ瀬!」
「二点目はさせねぇよ!?」
ゴールの直前、シュートを打つ寸前のタイミングで、サトセンと山本が前を阻んだ。シュートをすれば確実に止められる。
だが、何も問題なかった。
「悠理、決めて!」
「「はぁっ!?」」
俺が放ったのはシュートではなくパスだった――コートの反対側で完全フリーになっていた悠理への。
二人の足音からぎりぎり追いつかれると思っていた俺は、シュートの直前で一人で反対側にいた悠理に気づき、彼へのパスに切り替えていたのだ。
「任せろ!」
軽快な音が響き、悠理のシュートは見事ゴールの中へ入っていった。
再び笛の音が鳴る。俺たちのチーム、二点目の得点だった。
「やばい、一ノ瀬なんかやばいかもしれん」
「ビギナーズラック? いやでもそんなことあるか?」
「とにかく次は絶対前に進ませるな」
敵チームがなにやらざわめいている。そしてゲームが再開すると、俺はガチガチにマークされてしまった。
それでも隙をかいくぐりながら、俺は悠理や他のチームメイトたちと得点を重ねていく。やがて試合終了の笛が鳴り響き――四対零で俺たちのチームの勝利となった。
試合を終えてコートから出た俺は、ぐったり地面に座り込む。
「はぁ、疲れたぁ……」
今回のゲームは一試合二十分。普通のフットサルの前半一本分の長さだ。四十五分でやっとハーフタイムになるサッカーと比べると、ほんのわずかしか動いていない。けれどもマネージャー業ばかりで大した運動をしていなかった俺にはかなり堪えた。
腕で額の額の汗を拭いながら水を飲んでいると、隣に悠理がやってくる。
「お疲れ、ナイスプレーだったよ」
「そっちこそ、さっきの位置どり助かったよ」
「ハルなら俺がいることに気付いてくれるかなって思ってたから。すぐシュートからパスに切り替えられたのはさすがだったけど」
「えへへ……」
サッカーが上手い悠理に笑顔で褒められると、なんだか照れくさくなってしまう。
頬を掻きながら、俺はコートに目を向ける。そこでは既に、別の二チームの対戦が始まっている。
(俺も、さっきボールを蹴ってたんだ)
高校に入ってから、誰かと試合をすることはないと思っていた。けれども今日――フットサルで、それも遊びではあるけれど――チームの仲間とボールを蹴って敵チームと戦った。
ボールを自由に操る感覚。敵の裏を掻いてボールを前に進める感覚。そのどれもが懐かしくて心が躍る。
勝ちとか負けとか関係なく、サッカーというスポーツは溜まらなくわくわくする。トラウマ持ちの自分でも、楽しくプレイできるのだと知り、心が温かくなっていった。
それに気付けたのは選手のみんなと――フットサルに参加するよう促し、一緒にパスとドリブルを繋いでくれた悠理のお陰だ。
「ありがとう、悠理」
「ん、なにが?」
「今までのいろいろ、全部だよ」
首をかしげる悠理に微笑むと、彼も笑顔で返してくれる。
その表情は、空に輝く太陽よりも眩しかった。
辺りを森に囲まれたグラウンドの上で、澄んだ空気を思い切り吸った俺は、ストップウォッチを片手に笛を吹き鳴らした。
「次、ドリブルシュートでーす!」
俺が叫ぶと選手たちがコートの真ん中から端に移動し、次の練習メニューの体制を整えていく。
高校に入って初めての夏休み。プールに海、花火大会と、イベントがたくさんある中で、俺の一番のイベントは部活の合宿だった。山奥の合宿所も、緑の多い周りの景色も、土ではなく天然芝のグラウンドも、すべてが非日常でわくわくする。
俺は辺りに散らばっていた給水ボトルを拾い上げ、彼らが集まった位置に移動させながら、一本ずつ中身を確認していった。
夏場はみんなが頻繁に水を飲むため、頻繁に給水ボトルが空になる。もしなくなっていなくても、ボトルに保冷機能なんてついていないから、太陽の熱で中身がお湯になっていたりするのだ。この山奥では街中よりも多少暑さは和らいでいるが、それでも数十分に一回は新しく水をつぎ足さなければならない。
森田先輩と奥村さんにシュート練習のボール拾いを任せた俺は、湯になった五本の給水ボトルをベンチに置き、交換用に用意しておいた新しいボトルを抱き上げる。
「水飲ませてくれる?」
声をかけられ振り向くと、悠理がひらひらと手を振っていた。練習の合間に水を飲みに来たらしい。こうして用意したばかりの冷たい水を要求されることは、他の部員からもよくあった。
俺はいつも通りに抱えた五本のボトルを悠理に差し出す。
「いいよ、一本取って」
「サンキュ。って、めっちゃ冷たー」
悠理は笑みをこぼしながらボトルで水を飲んでいる。
額から滴る汗に、水を飲むのに合わせて動く喉仏。白い肌は焼けてほんのり赤くなっている。運動して汗だくになっているはずなのに、悠理はむしろ普段よりも一段とかっこよかった。
ぼんやり見蕩れていると、水を飲み終えたらしい悠理が、ボトルのキャップを閉じながら俺に手を差し出してくる。
「ありがと、めちゃくちゃ美味しかった。ついでにそれ、持ってくよ」
「いや、悪いよ。俺の仕事だし」
慌てて首を振ったが、悠理は引き下がらなかった。
「いいって。みんなのところに帰るついでだから」
そう言って悠理はひょいひょいと俺の腕からボトルを奪ってしまった。そのままひらひら手を振って、他の選手の元へ帰っていく。
確かにイケメンは、汗をかいていてもイケメンなんだけど。
悠理の後ろ姿を見ながら、俺は眉間に皺を寄せて口を尖らせる。押さえた胸の奥では、どきどきと鼓動が逸っていた。
家で一緒に勉強して以来、ことあるごとに悠理の姿を見ては胸がうるさくなる。最近では可愛かったサクラちゃんの姿を思い出すことはほとんどなくなり、頼もしくてかっこいい悠理のイメージが強くなっていた。
「男でもかっこいいと思わせるイケメンってなんなんでしょうね……」
練習後の後片付けの最中、洗い場で給水ボトルをスポンジで擦りながらため息をつくと、一緒に洗い物をしていた森田先輩と奥村さんがにこにこ笑いながら俺を見てきた。
「なになに、恋バナ?」
「ついに佐倉と進んだの?」
なにやら変な方向に勘違いされてしまったらしい。悠理の名前を突きつけられて妙に顔が熱くなる。
「い、いや。悠理のことだけど別に恋愛の話じゃなくてですね」
騒ぐ胸を落ち着けながらも練習中の悠理の話をすると、二人は納得したようにうなずいた。
「確かに佐倉くんは気を遣えるタイプのイケメンよね。人気が高いのも分かるかも」
「実際、一年女子の間じゃすごいですよ。私は一組で五組と教室も離れてるんですけど、佐倉の名前聞かない日はありませんし。まあ基本的に一ノ瀬が一緒にいるので諦めているらしいですが」
「えっ、そんなことになってたの?」
一時期から女子たちの鋭い視線を感じなくなっていた。だがまさか俺が原因で悠理から女子を遠ざけてしまっていたとは。
「一ノ瀬は気にしなくていいよ」
俺の思考を見透かしたように、奥村さんはそう言った。
「でも、さすがに独り占めしてるみたいで悪い気がするし」
「別にいいんじゃない? 佐倉は一ノ瀬がいいから一緒にいるんだろうし。二人でいる時の佐倉、端から見てても楽しそうだよ」
「そうなんだ……」
思わず口角が上がってしまう。奥村さんの言った通り、悠理が俺と過ごす時間を楽しんでいてくれるなら嬉しい。俺も悠理と過ごしている時間が一番楽しいし、できればずっとその関係が続けばいいと思っていた。
一通り洗い物を終えて荷物をまとめていると、ぱたぱたと選手が数人やってきた。その中には悠理と有岡、山本もいる。
「どうしたの? 全員でミーティングでも入ってたっけ?」
「みんなでフットサルするから、マネさんたちも一緒にどうかって」
「合宿での恒例行事らしいです。遊びみたいなものだから、気軽に参加してくれと」
山本と有岡が口々に言う。だが森田先輩と奥村さんは難しい顔で首を振る。
「去年参加して全身筋肉痛になったのよねぇ」
「私もサッカーは見る専だから……」
結局二人は遠慮しておくと断ってしまった。山本は残念がりながらも、今度は俺の方を振り向いてくる。
「一ノ瀬はやるよな? な!?」
「おい山本、強引すぎるぞ」
身を乗り出してくる山本に戸惑っていると、悠理が横から彼を制止してくれた。そして俺に目を移し、柔らかな笑みを浮かべる。
「どうする? 俺もハルと一緒にできたら嬉しいけど」
「ほんとに?」
悠理が喜んでくれるなら、俺としても参加したい。それに遊びなら、勝敗はみんな大して気にしないだろう。それなら俺でもプレイできる気がした。
「じゃあ、参加するよ」
俺が頷くと、山本と有岡が即座にガッツポーズをした。
「よっしゃ、一ノ瀬とサッカーできる!」
「なんだかんだでパス練もできていないから楽しみだ」
二人はおのおのつぶやきながら、コートの方へと戻っていく。
俺たちも行こう、と悠理に促され、俺は森田先輩たちに断ってから彼と一緒に歩み始めた。
「参加してくれてありがとう。人数足りないって言ってたし、みんな喜んでくれると思う」
「ならよかった。少しは戦力になればいいけど」
「ハルなら大丈夫だよ。俺の勘がそう言ってる」
「あはは、勘なんじゃん」
けれど悠理にそう言ってもらえると、不思議と自信が湧いてくる。先ほどよりも前向きになった気持ちを携えて、コートへと足を踏み入れた。
コートには既にフットサル用の小さなゴールが用意されていた。コートの真ん中ではサトセンと選手たちが小さなホワイトボードを中心に集まっている。チーム決めの最中らしい。
悠理は話し込んでいる彼らの輪に向かって声を上げる。
「ハルも参加してくれるそうですよー」
すると先輩たちは、一気に俺の方を振り向いてくる。
「本当か!?」
「よかった、これでちょうどよくチーム分けできる!」
こっちにこいよ、と先輩の一人に誘われて、選手たちの輪の中に入る。マネージャーとしてではなく一緒にサッカーをする人間として話に入るのは久しぶりだった。
話し合いの結果、俺のチームは有岡と悠理、それから二年の先輩が二人の、五人チームとなる。
早速一試合目が開始され、俺のチームの出番となる。相手のチームにはサトセンと山本がいた。コーチが入っている時点で、既に強敵の予感がした。
ポジション決めもそこそこに、俺たちはコートの中に入る。
自分のポジションへ向かっていると、不意に悠理とすれ違った。
「楽しもうな」
「もちろん」
俺は微笑みながら頷くと、コートの真ん中を横断する白いハーフラインのすぐ横に立つ。一歩向こうに踏み出せば、相手の陣営に立ち入れる位置だ。
最初は俺たちのチームが先攻で始まった。試合開始の笛が鳴ると、悠理が真ん中に置かれたボールを蹴り出し、すぐ後ろにいた有岡にパスした。
有岡と悠理がドリブルとパスを繰り返し、前へとボールを進めていく。その様子を見ながら、俺も前へと走っていった。
けれども敵側のチームは誰一人として俺をマークしていない。俺の動きは、敵に重要視されていないのだ。マネージャーという立場だからか、かなり舐められているらしい。
(目立たない方がいいのは分かってるけど、さすがに面白くないよね)
元サッカー部員の血がざわざわ騒ぐ。ここまでされたら少しくらい驚かせてやらないと気が済まない。マークされていないなら、そこを逆手に取ってやればいいだろう。
「悠理、こっち!」
敵チームの先輩二人に張り付かれながらドリブルしていた悠理に、後ろから声をかける。敵を貼り付けていないガラ空きの俺を見た悠理は、すぐさまボールをパスしてきた。
「いけ、ハル!」
「ありがと、任せて!」
ボールを受け取り、ドリブルする。ゴール前に到達しそうなところで、サトセンが俺の前へと立ち塞がった。
「進めるか、一ノ瀬?」
「……」
サトセンはにこにこ笑いながら、俺の行く手を塞いでいる。だがその立ち姿は、足止めしているように見えて隙がありすぎた。マネージャー相手だからと、本気を出していないんだろう。
この程度なら横からすんなり抜いて先に行ける。けれど俺だって、下に見られたままでいるつもりはない。
(先生、油断はしない方がいいですよ)
俺はボールを足で操りながら、タイミングを見計らってサトセンの両足の間にボールを通して抜き去った。
「まっ、股抜きされたぁ!?」
叫ぶサトセンを背に、俺はそのままゴールに向かって走り抜ける。そして一発目のシュートを打ち――ボールはネットに吸い込まれた。直後に得点の笛が鳴り響く。
「ナイシュー、ハル!」
「悠理もナイスパス!」
俺は駆け寄ってきてくれた悠理とハイタッチする。一方のサトセンは、なにがなんだか分からないような顔をしていた。股抜きは慣れればさほど難しくはないが、初心者が突然そう簡単にできるものではない。それをただのマネージャーだと思っていた俺がやったものだから、頭が追いつかないのだろう。
サトセンの反応に満足していると、悠理が小さく耳打ちしてくる。
「ねえハル、本気出してる?」
「ちょっとだけね。さすがにあれだけ舐められたらさ」
「あれでちょっと……?」
悠理はなぜか眉をひそめている。まあ確かに、悠理やサトセンと比べれば、趣味でサッカーをやっていた俺の技術なんて、大したことはないだろう。
「大丈夫、完全には本気を出さないから。部員バレは気にしないで」
「了解、なら俺もそのつもりでプレイするな」
「うん。次もよろしくね」
拳を合わせてから悠理と別れ、ポジションに着き、すぐに試合が再開した。
「よっしゃ行くぞー!」
ボールをこちらの陣営に進めてくるのは山本だった。遠慮のない彼らしく、猪突猛進に走ってくる。だがサッカーには、勢いでどうにもならない時があるのだ。
「おっ、一ノ瀬じゃん! ボール奪ってみる?」
進行方向を塞いだ俺に、山本は心底嬉しそうに口角を上げた。サトセンや他の選手とは違い、彼は純粋に俺と競り合いを楽しんでいる。その辺りは俺も好感を持てた。
(かといって、見逃したりはしないけど)
勢いで進めようとする分、山本のドリブルには多くの隙があった。そこに少しと足を差し出せば――
「うわっ、取られたぁ!」
脇から足でボールを掬いあげ、そのまま敵側のゴールに向かってドリブルしていく。後ろからはサトセンと山本が、二人がかりで追いかけてきた。さっきのプレイで俺を放置するのは危険だと分かってくれたらしい。
「行かせるか一ノ瀬!」
「二点目はさせねぇよ!?」
ゴールの直前、シュートを打つ寸前のタイミングで、サトセンと山本が前を阻んだ。シュートをすれば確実に止められる。
だが、何も問題なかった。
「悠理、決めて!」
「「はぁっ!?」」
俺が放ったのはシュートではなくパスだった――コートの反対側で完全フリーになっていた悠理への。
二人の足音からぎりぎり追いつかれると思っていた俺は、シュートの直前で一人で反対側にいた悠理に気づき、彼へのパスに切り替えていたのだ。
「任せろ!」
軽快な音が響き、悠理のシュートは見事ゴールの中へ入っていった。
再び笛の音が鳴る。俺たちのチーム、二点目の得点だった。
「やばい、一ノ瀬なんかやばいかもしれん」
「ビギナーズラック? いやでもそんなことあるか?」
「とにかく次は絶対前に進ませるな」
敵チームがなにやらざわめいている。そしてゲームが再開すると、俺はガチガチにマークされてしまった。
それでも隙をかいくぐりながら、俺は悠理や他のチームメイトたちと得点を重ねていく。やがて試合終了の笛が鳴り響き――四対零で俺たちのチームの勝利となった。
試合を終えてコートから出た俺は、ぐったり地面に座り込む。
「はぁ、疲れたぁ……」
今回のゲームは一試合二十分。普通のフットサルの前半一本分の長さだ。四十五分でやっとハーフタイムになるサッカーと比べると、ほんのわずかしか動いていない。けれどもマネージャー業ばかりで大した運動をしていなかった俺にはかなり堪えた。
腕で額の額の汗を拭いながら水を飲んでいると、隣に悠理がやってくる。
「お疲れ、ナイスプレーだったよ」
「そっちこそ、さっきの位置どり助かったよ」
「ハルなら俺がいることに気付いてくれるかなって思ってたから。すぐシュートからパスに切り替えられたのはさすがだったけど」
「えへへ……」
サッカーが上手い悠理に笑顔で褒められると、なんだか照れくさくなってしまう。
頬を掻きながら、俺はコートに目を向ける。そこでは既に、別の二チームの対戦が始まっている。
(俺も、さっきボールを蹴ってたんだ)
高校に入ってから、誰かと試合をすることはないと思っていた。けれども今日――フットサルで、それも遊びではあるけれど――チームの仲間とボールを蹴って敵チームと戦った。
ボールを自由に操る感覚。敵の裏を掻いてボールを前に進める感覚。そのどれもが懐かしくて心が躍る。
勝ちとか負けとか関係なく、サッカーというスポーツは溜まらなくわくわくする。トラウマ持ちの自分でも、楽しくプレイできるのだと知り、心が温かくなっていった。
それに気付けたのは選手のみんなと――フットサルに参加するよう促し、一緒にパスとドリブルを繋いでくれた悠理のお陰だ。
「ありがとう、悠理」
「ん、なにが?」
「今までのいろいろ、全部だよ」
首をかしげる悠理に微笑むと、彼も笑顔で返してくれる。
その表情は、空に輝く太陽よりも眩しかった。


