部活の練習時間が終わった後、俺は悠理に連行されて、学校近くのコンビニにやってきた。悠理はコンビニチキンを、俺は紙パックのリンゴジュースを買って外に出る。大して動いていないはずなのに、何故だか酷く喉が渇いていた。
 コンビニ前でリンゴジュースを袋から出し、ストローをさして一口飲む。何故だか全く味がせず、俺は思わず眉間に皺を寄せた。
 悠理がチキンを囓りながら、独り言のように呟いた。
「本当はさ、ハルが最後までいてくれたら聞きたいことがあったんだ」
「うん……」
「でもそれ以外に、聞かないといけないことがでてきたんだよな」
「そうだよね……」
「で、さっきのはどういうこと?」
「ううっ……」
 俺は咥えていたストローをがじりと噛んだ。警察で取り調べを受ける容疑者は、多分こんな気持ちなんだろう。
「秘密に、しておいてくれる?」
「もちろん。俺の方向音痴も黙ってもらってるし」
「それなら話すけど……」
 俺は深呼吸して腹をくくり、ゆっくり秘密を語っていく。
「俺、中学で帰宅部だったっていうのは嘘で……本当はサッカー部だったんだ」
「なるほど、やっぱりそうだったんだ」
 悠理は納得したように頷いている。部活の時の動きで、ある程度ばれてしまっていたらしい。
「けど、なんで嘘をついてたんだ?」
「高校では、サッカーをやるつもりはなかったから」
 中学生で部活に入った頃は、趣味がサッカーと言えるほどに、サッカーが大好きだった。ボールが思い通りに動かせる自由さも、シュートを決めた時の爽快感も、すべてが楽しくて楽しくて。どれだけ練習しても疲れたりなんかしないくらいに、サッカーに夢中になっていた。
 けれど楽しいという感情だけでサッカーを続けていた俺は、その裏にあった恐ろしさに気付かなかった。そして結局、中学三年生の県大会を最後に、サッカーから逃げてしまった。
「サッカー自体が嫌いになった訳じゃない。でも試合に出るのが少し恐くて、ずっと秘密にしていたんだ」
 経験者と言えば、部員から勧誘されるだろう。けれど万が一断り切れずに入部してしまったら、きっと迷惑をかけてしまう。だから嘘をついてでも隠しておくのがいいだろうと思ったのだ。結局こうして、悠理にばれてしまった訳だが。
 悠理はしばらく無言でコンビニチキンを食べていた。やがてチキンがなくなった後、入っていた包装紙を折りたたみながら問うてくる。
「念のため聞くけど、試合に出れないのは怪我をしたからとかじゃない?」
「身体は元気だよ。できないのは別の理由」
「そっか、なら大丈夫かな」
 何が大丈夫なのだろう。普通なら「安心した」とか、そういう返しが来るのではなかろうか。
 流れが読めずに内心びくびくしていると、悠理は一転して真面目な顔をする。
「ねえハル、マネージャーやらない?」
「えっ?」
 それはあまりにも唐突で、なおかつ予想外な提案だった。
「マネージャーって、女子がよくやるやつだよね」
「別に男子がやってもいいだろ。実際プロの世界では、男のマネージャーが普通だし」
 確かにプロサッカークラブのマネージャーは大抵が男だ。とはいえ高校サッカーでマネージャーと言えば、女子が定番なのも本当である。
 戸惑う俺に、悠理は柔らかな笑みを浮かべた。
「今日のサポート、すごく助かった。あれはハルがサッカーのことをよく知ってたから、できたことだと思う」
「まあ、今日のも中学時代によくやってたことだったし……」
 中学の部活ではマネージャーがおらず、何かあったときは自分たちで解決しなければならないことも多かった。だからこそ、選手に必要なサポートはある程度分かる。今日咄嗟に身体が動いたのも、中学の経験があるからだ。
 悠理は頷くと、俺の手を取り言葉を続ける。
「きっと他にもたくさん、経験者にしかできないことがあると思うんだ。だから俺は、ハルがマネージャーになってくれたらすごく嬉しい」
「そ、そう……?」
 心がふわふわした心地になってくる。
 俺にしかできないこと。俺がマネージャーになれば悠理が喜ぶ。
 単純と言われるかもしれないけれど、サッカーに対する自信をなくし、不安を抱えていた俺にとって、悠理の言葉は綿飴のようだった。
 甘くて、柔らかくて、まるで許されている気分になってくる。
「じゃあ……やってみようかな、マネージャー……」
 試合に出なくても大好きなサッカーと関われるなら。今の自分でもサッカーに関わっていてもいいのなら。その道を選んでみたい。
 俺の答えを聞いた悠理は、満面の笑みを浮かべてくれた。
「なら決まりな。明日入部届け持って行こ」
「今日の明日で早すぎない?」
「ハルの気が変わらないうちに囲っとかないと」
「うわ、恐い」
 頬が緩むのを感じながら、残ったリンゴジュースを口にする。その味は普段通りにすっきり甘かった。
 全て飲み干し、紙パックをゴミ箱に捨てたところで、ふと悠理の言葉が頭の中に蘇る。
「そういえばさっき、俺が最後までいたら聞きたかったことがあったって言ってたよね。あれってなんだったの?」
「あー……あれか」
 悠理はなにやら楽しげに笑うと、俺の側へ顔を近づけてきた。綺麗な顔が目の前に来て、なんとなく胸が落ち着かない。
「俺のサッカー、どうだった?」
「悠理の? 上手かったけど」
 正直に感想を伝えると、なぜか悠理は首を横に振った。
「違う。上手い下手とかじゃなくて……それ以外の言葉で表現して」
「ええ……」
 難しいことを要求してくる。上手い下手以外で、他にどういう言葉が欲しいというのだろう。
 俺はもう一度、部活見学の時の悠理を思い出す。
 ボールを蹴って。シュートを決めて。少しだけ怪我をしたけれど、一年生とは思えない活躍を見せていた悠理。
 あのときは暗い気持ちになっていて、何かを考えるどころではなかった。けれど、今改めて考えると……
「かっこ、よかった」
 すとんと、その言葉が胸の中に落ちてきた。
 そう、かっこよかった。イケメンとか、笑顔が爽やかとか、そういうのではなく。佇まいとか、立ち振る舞いとか、引っ込み思案だった昔から変わったこととか。そういうのをすべてひっくるめて「かっこいい」という言葉がぴったり合っている。
「ほんとに!?」
 俺の返答を聞いた悠理は、がばっと俺の腕を掴んできた。勢いに負けた俺の心臓が、小さく飛び跳ねる。
「ほんとのほんとに、かっこよかった?」
「う、うん……すごくよかったよ」
「ふふ、やりぃ。サッカー部に連れてったの、サッカーしてる俺を見てほしかったからだから。そう言ってくれて嬉しい」
 悠理は頬を染めながら、心底嬉しそうに微笑んでいる。
 照れたようなその笑顔に、とくとくと心臓が脈打ち始めた。掴まれた手が妙に熱い。
 胸の鼓動は、サクラちゃんと過ごしていた頃にも感じた覚えがあるもので。けれど手から身体に伝わる熱は、今までに感じたことがないもので。
 俺は不思議な気持ちになりながらも、悠理にされるがまま、彼と手を繋ぎ続けた。