部活見学の日、俺は約束通りに悠理を連れて、文化部を中心に様々な部活を見学して回っていった。
美術部に科学部、数学部……と回っていったところで、今は壁中にぎっしり漫画が詰まった棚が置いてある、漫画研究会の部室にやってきている。
「って感じで、漫研ではみんな部室で漫画読んだりアニメ見たりしています。実際に同人誌……漫画を書いてる人もいるけど、それは興味があればね」
「説明ありがとうございます。楽しそうな部活ですね」
悠理が微笑むと、説明をしてくれていた漫画研究会の女の先輩が、胸を押さえて「うっ」と唸った。同時に周囲に居た女の先輩たちから、ひそひそと声が聞こえる。
「陽の者が部長を……」
「オタクじゃない人の純粋な感想、意外とクるよね」
サッカー部の見学に備えてジャージを着ているせいか、悠理の爽やかさは普段の十倍アップしており、女子に対しての特攻がすごい。
ゆえに場所によって種類は違えど、どの部活を訪れても今のように何かと悠理の姿や言葉に反応していた。一方の俺はというと、半分空気みたいなものになっている。とはいえこんな反応もすっかり慣れたもので、特段なにも思わなくなっていた。
俺はぐるりと部室を見回し、漫画研究会の先輩に問いかける。
「あの、この部室ってスポーツ系の漫画もありますか?」
「ええと、バレーとバスケと……あと野球があったかな」
「あー、そうですか」
先輩の回答に、内心落胆しつつも返事をする。言われたスポーツはあまり興味を持てなかった。
「部活って言っても参加は自由だから。入った時は、好きに出入りして漫画読んでいいよ」
「はい、色々と教えていただいてありがとうございます」
一礼した後、俺たちは漫画研究会の部室を後にした。
部屋を出てしばらく歩いたところで、悠理に声を掛けられる。
「どうだった? いい感じ?」
「うーん、微妙だなぁ」
好きなときに行って、好きなときに漫画を読めるのは魅力的だ。でも好きなジャンルの漫画が――サッカー漫画がないことが引っかかる。サッカー部を拒否している俺が、わがままを言えた義理ではないのだが。
「合う部活を見つけるのって、なかなか難しいんだな」
「だねぇ」
「で、次はどの部活にいくんだ?」
「ええっと……」
ポケットに入れていた部活のパンフレットを出してぱらぱらめくる。けれどめぼしい部活は大方回ってしまっていた。そしてこれまでに、これといった部活は見つかっていない。
「……もう帰宅部でいくしかないのかも」
「ありゃ、そんな感じ?」
「うん、ここまで見つからないとは思わなかったよ……」
部活紹介で楽しそうだと思っても、実際に行ってみると予想と違うと感じる部活ばかりだった。
そもそも趣味と言えるものはほとんどなかった俺が、唯一の趣味を避けるための隠れ蓑を選ぶなんて無理だったのかもしれない。
「付き合ってもらったのに、ごめんね」
「いや、こっちが好きでついて来たんだし。色々見れて楽しかった」
「ならよかったけど」
ともあれサッカー部という本命がある悠理を、これ以上付き合わせる訳にはいかない。幸い今居る場所からサッカー部の活動場所であるグラウンドは見えている。さすがの悠理も迷いはしないだろう。
「じゃあ俺、先に帰るね。悠理はサッカー部楽しんで」
「え、待って待って」
教室に戻ろうとすると、悠理に左腕をがしりと掴まれた。
「サッカー部、一緒に行こうよ」
「…………」
来ると思った。こうなると分かっていたから、悠理と一緒に部活見学をしたくなかったのに。
「ほら、文化部だけじゃなくてさ、運動部も見てみたら?」
「いや……俺、運動あんまり得意じゃないし」
目線を逸らしつつ、握られた腕を解こうとする。けれど悠理の力は強く、簡単に解けるものじゃなかった。
「大丈夫だって、見学だけでもいけるから」
「でも俺、サッカーをやる気はないよ」
「軽い気持ちで行っていいのが部活見学だろ?」
「そうだけど……」
悠理の言い分もその通りだが、本当に行く気がない部活を見る意味はない気がする。それにサッカー部に行けば、変なボロを出しかねない。それが分かっている以上、行くのは危険だ。
けれど悠理は全く諦めてくれる気配がなかった。
「別に最後までいなくてもいいから。練習をちょっとだけ見て、飽きたら帰ってくれていいし」
「まあ……それなら?」
諦めてくれないなら、一度誘いに乗ったふりをしてすぐ帰ってしまおう。それならぎりぎり妥協できる。
「よし、じゃあ早く行こう」
妙に嬉しそうな悠理に腕を引かれ、グラウンドのサッカーコートにやってくる。
グラウンドには、サッカーのユニフォームみたいなジャージを来た男子たちが二十人ほど集まっていた。脇に並べられたベンチには、制服姿の女子が十人ほど座っている。男子は選手、女子はマネージャー希望の一年だろう。
選手の集団にいたコーチらしき人が、こちらに気づいて近づいてくる。スポーツ刈りの頭と日に焼けた肌には、どこか見覚えがあった。
「お前ら、記念写真の二人組じゃないか」
コーチは俺たちの顔を見比べて目を見張る。それで俺も思い出した。
「写真を撮ってくれた先生?」
目の前のコーチは、前に悠理の方向音痴対策用の動画を撮っているときに遭遇した体育教師だった。屋外スポーツをしていそうな雰囲気はあったが、まさかここで出会うとは。
「ええと、その節はどうもお世話になりました……」
悠理が隣で苦笑いしながら頭を下げている。きっと撮影の時を思い出しているのだろう。
気まずそうな悠理に、コーチは朗らかな笑みを見せた。
「いいって。それよりお前ら、部活見学に来たんだろ? 俺がコーチ兼顧問の佐藤だ。佐藤先生でもサトセンでも好きに呼んでくれ」
「俺は一年五組の佐倉悠理です。入部するつもりでここにきました」
悠理は一転して胸を張り、コーチ――サトセンへまっすぐに宣言した。決めていたとはいえ、そこまですっぱり言い切れるのはかっこいい。
「おっ、頼もしいな。じゃあ早速練習入ってみるか」
「はい!」
悠理はいそいそとコートに入り、他の部員たちと合流する。サトセンが一人残された俺を振り返った。
「お前はどうする? ボール、蹴ってくか?」
「いえ、制服ですし、そのままで」
どのみち長く居座るつもりはない。しばらく見学したら折りを見て帰りたかった。なにかの拍子で秘密がばれてしまわないように。
「そうか、ならお前はベンチだな」
サトセンは「森田ー!」とベンチの方に声をかけた。すると女子集団の中から、ウィンドブレーカー姿の女子がこちらに走ってくる。
「二年のマネージャーの森田だ」
ゆるふわパーマでのんびりした雰囲気の森田先輩は、俺を見てぺこりと頭をさげた。
「こいつ、見学らしいから一緒に頼んだぞ」
「分かりました。じゃあ、こっちにどうぞ」
森田先輩は女子集団のベンチとは別の、少し離れた場所にあるベンチへ案内してくれた。脇には給水タンクやクーラーバック、救急バッグが置かれている。どうやら部活の備品置き場らしい。
「ごめんね、色々置いてあって」
「いえ、全然大丈夫です」
女子の中に入れられたら更に気まずくなっていただろうから、むしろこの場所でありがたかった。
ピピッと笛の音が聞こえてきて、俺はコートの方に目を向ける。
コートの中では、先輩部員や部活見学に来た一年生たちを交えて、紅白戦が始まっていた。準備運動を終わらせた悠理も、先輩部員たちに交じって試合へ入っていく。
控えめに言っても、悠理は上手かった。先輩たちの中でひるみもせずボールを奪い、するするとドリブルで他の選手を抜いていく。堂々としたその姿は、俺の後ろをついて回っていたあの頃とは大違いだ。
俺の知らない十年で、いったい何があったのだろう。いずれにせよ女の子と間違えてしまうほどに大人しくて引っ込み思案だった子が、サッカーで他人と競り合いができるほどに強くなるには、相当な努力があったはずだ。
それに比べれば、俺は何かのために努力をした覚えはない。むしろ好きなものから逃げている臆病者だ。
やっぱりサッカーなんて見ていても悲しくなるだけ。まだ少ししか経っていないが、もう帰ってしまおうか。
ベンチから立ち上がりかけた時、再び鋭く笛が鳴る。
コートの選手たちの動きが一度止まった。ボールがコート外に出て、コーナーキックになったらしい。
コーナーキックは得点のチャンスだ。一人の選手がゴール付近のコートの隅からボールをコートに蹴り入れるのだが、敵も味方も全員ゴール前に集まっているため、敵の守備をかいくぐりやすい。今も悠理を始めとする部員が、ゴール前でボールが蹴り入れられる瞬間を待っていた。
ぽん、と軽快な音がして、サッカーボールが宙を舞う。高く飛んだボールがゴール前まで来たところで、悠理が高くジャンプした。すぐ隣でジャンプしていた敵チームの部員との競り合いに勝ち、ヘディングでシュートを決める。
得点を知らせる笛が鳴り、悠理と同じチームの部員が歓声を上げた。ベンチで見ていた女子たちは色めき立ちながら拍手している。
けれども俺は、見逃さなかった。
「すみません、氷借ります!」
言うが早いかベンチから立ち上がり、側に置いてあったクーラーボックスの蓋を開ける。中には真四角の氷がぎっしり敷き詰められていた。俺は氷を四つ掴むと、救急バッグに入っていた四角いポリ袋の中に入れる。
森田先輩が首をかしげながら俺の側にやってきた。
「どうしたの?」
「悠理、着地に失敗していたので。多分足をひねっていると思います」
氷を入れたポリ袋に水を入れながらコートを見ると、案の定悠理が足を抱えてゴール前に座り込んでいた。先輩は気付いていなかったのか、目を大きく見開いている。
「先輩、冷却スプレー、取ってもらっていいですか」
「も、もちろん!」
先輩は救急バッグから冷却スプレーを出してくれた。俺はポリ袋の口を締めた後でスプレーを受け取り、側に落ちていた給水ボトルも一緒に持って、悠理の元へ走って行った。
「悠理、これ使って!」
「ありがとうございます……って、ハル?」
コートの外に出て座り込んでいた悠理は、やってきた俺を見て目を丸くした。
「えっ、どうしたの?」
「ヘディング決めた後、着地ミスってるのが見えたんだ。ほら、スプレーするから足出して」
「あ、ああ……じゃあよろしく」
差し出された右足に冷却スプレーを吹き付けながら、悠理を横目に見る。その表情にはまだ余裕が残っていた。怪我自体はさほどひどくはないらしい。
「試合には戻れそう? 少し休むなら氷嚢もあるけど」
「ええと……なら、一応もらおうかな」
「オッケー」
作ってきた氷嚢を渡すと、潤はそれを足に当てた。一通り応急処置を終えてほっとした俺は、悠理の隣にしゃがみ込む。
「水も飲む?」
「あ、うん……喉渇いたし……」
悠理はボトルを受け取りながら、眉をひそめた。
「その……これって、ハルが用意したのか? 氷嚢も、スプレーも、給水ボトルも全部?」
「そうだけど……何か足りなかった?」
「その逆、十分過ぎる」
「要らない物を持ってきたつもりはないんだけど……」
「そうじゃなくて、完璧すぎるんだってば。氷嚢とスプレーはともかく、給水ボトルは試合で選手が水分をとれるタイミングを知ってないと普通思いつかないだろ」
「……あ」
ようやく自分の失態に気付き、身体が固まった。
悠理は探るような目でじっと俺を見つめている。
「手当てだって、初めてであんなにスムーズにできるはずない。そもそもゴール前に人が集まっていた状況で、俺が着地にミスってるって気付くのは相当だよ」
「…………ええと」
上手い言い訳が思いつかなかった。
考えてみれば俺がした一連の動きは、そう簡単にできるものでもない。それこそ、経験者でもない限り。
「ま、いいか」
悠理は氷嚢を足から外し、給水ボトルを持ったまま立ち上がる。二口ほど水を飲んでから、俺を見下ろしにっこり笑った。その笑みに、なんだか背筋がぞくりと震える。
「前言撤回。今日はやっぱり帰るの禁止。後でたくさん話を聞かせてもらうから」
悠理は駆け足でコートの中へと戻っていく。その背中が他の部員たちの波に紛れた後に、俺はがっくり肩を落とした。
美術部に科学部、数学部……と回っていったところで、今は壁中にぎっしり漫画が詰まった棚が置いてある、漫画研究会の部室にやってきている。
「って感じで、漫研ではみんな部室で漫画読んだりアニメ見たりしています。実際に同人誌……漫画を書いてる人もいるけど、それは興味があればね」
「説明ありがとうございます。楽しそうな部活ですね」
悠理が微笑むと、説明をしてくれていた漫画研究会の女の先輩が、胸を押さえて「うっ」と唸った。同時に周囲に居た女の先輩たちから、ひそひそと声が聞こえる。
「陽の者が部長を……」
「オタクじゃない人の純粋な感想、意外とクるよね」
サッカー部の見学に備えてジャージを着ているせいか、悠理の爽やかさは普段の十倍アップしており、女子に対しての特攻がすごい。
ゆえに場所によって種類は違えど、どの部活を訪れても今のように何かと悠理の姿や言葉に反応していた。一方の俺はというと、半分空気みたいなものになっている。とはいえこんな反応もすっかり慣れたもので、特段なにも思わなくなっていた。
俺はぐるりと部室を見回し、漫画研究会の先輩に問いかける。
「あの、この部室ってスポーツ系の漫画もありますか?」
「ええと、バレーとバスケと……あと野球があったかな」
「あー、そうですか」
先輩の回答に、内心落胆しつつも返事をする。言われたスポーツはあまり興味を持てなかった。
「部活って言っても参加は自由だから。入った時は、好きに出入りして漫画読んでいいよ」
「はい、色々と教えていただいてありがとうございます」
一礼した後、俺たちは漫画研究会の部室を後にした。
部屋を出てしばらく歩いたところで、悠理に声を掛けられる。
「どうだった? いい感じ?」
「うーん、微妙だなぁ」
好きなときに行って、好きなときに漫画を読めるのは魅力的だ。でも好きなジャンルの漫画が――サッカー漫画がないことが引っかかる。サッカー部を拒否している俺が、わがままを言えた義理ではないのだが。
「合う部活を見つけるのって、なかなか難しいんだな」
「だねぇ」
「で、次はどの部活にいくんだ?」
「ええっと……」
ポケットに入れていた部活のパンフレットを出してぱらぱらめくる。けれどめぼしい部活は大方回ってしまっていた。そしてこれまでに、これといった部活は見つかっていない。
「……もう帰宅部でいくしかないのかも」
「ありゃ、そんな感じ?」
「うん、ここまで見つからないとは思わなかったよ……」
部活紹介で楽しそうだと思っても、実際に行ってみると予想と違うと感じる部活ばかりだった。
そもそも趣味と言えるものはほとんどなかった俺が、唯一の趣味を避けるための隠れ蓑を選ぶなんて無理だったのかもしれない。
「付き合ってもらったのに、ごめんね」
「いや、こっちが好きでついて来たんだし。色々見れて楽しかった」
「ならよかったけど」
ともあれサッカー部という本命がある悠理を、これ以上付き合わせる訳にはいかない。幸い今居る場所からサッカー部の活動場所であるグラウンドは見えている。さすがの悠理も迷いはしないだろう。
「じゃあ俺、先に帰るね。悠理はサッカー部楽しんで」
「え、待って待って」
教室に戻ろうとすると、悠理に左腕をがしりと掴まれた。
「サッカー部、一緒に行こうよ」
「…………」
来ると思った。こうなると分かっていたから、悠理と一緒に部活見学をしたくなかったのに。
「ほら、文化部だけじゃなくてさ、運動部も見てみたら?」
「いや……俺、運動あんまり得意じゃないし」
目線を逸らしつつ、握られた腕を解こうとする。けれど悠理の力は強く、簡単に解けるものじゃなかった。
「大丈夫だって、見学だけでもいけるから」
「でも俺、サッカーをやる気はないよ」
「軽い気持ちで行っていいのが部活見学だろ?」
「そうだけど……」
悠理の言い分もその通りだが、本当に行く気がない部活を見る意味はない気がする。それにサッカー部に行けば、変なボロを出しかねない。それが分かっている以上、行くのは危険だ。
けれど悠理は全く諦めてくれる気配がなかった。
「別に最後までいなくてもいいから。練習をちょっとだけ見て、飽きたら帰ってくれていいし」
「まあ……それなら?」
諦めてくれないなら、一度誘いに乗ったふりをしてすぐ帰ってしまおう。それならぎりぎり妥協できる。
「よし、じゃあ早く行こう」
妙に嬉しそうな悠理に腕を引かれ、グラウンドのサッカーコートにやってくる。
グラウンドには、サッカーのユニフォームみたいなジャージを来た男子たちが二十人ほど集まっていた。脇に並べられたベンチには、制服姿の女子が十人ほど座っている。男子は選手、女子はマネージャー希望の一年だろう。
選手の集団にいたコーチらしき人が、こちらに気づいて近づいてくる。スポーツ刈りの頭と日に焼けた肌には、どこか見覚えがあった。
「お前ら、記念写真の二人組じゃないか」
コーチは俺たちの顔を見比べて目を見張る。それで俺も思い出した。
「写真を撮ってくれた先生?」
目の前のコーチは、前に悠理の方向音痴対策用の動画を撮っているときに遭遇した体育教師だった。屋外スポーツをしていそうな雰囲気はあったが、まさかここで出会うとは。
「ええと、その節はどうもお世話になりました……」
悠理が隣で苦笑いしながら頭を下げている。きっと撮影の時を思い出しているのだろう。
気まずそうな悠理に、コーチは朗らかな笑みを見せた。
「いいって。それよりお前ら、部活見学に来たんだろ? 俺がコーチ兼顧問の佐藤だ。佐藤先生でもサトセンでも好きに呼んでくれ」
「俺は一年五組の佐倉悠理です。入部するつもりでここにきました」
悠理は一転して胸を張り、コーチ――サトセンへまっすぐに宣言した。決めていたとはいえ、そこまですっぱり言い切れるのはかっこいい。
「おっ、頼もしいな。じゃあ早速練習入ってみるか」
「はい!」
悠理はいそいそとコートに入り、他の部員たちと合流する。サトセンが一人残された俺を振り返った。
「お前はどうする? ボール、蹴ってくか?」
「いえ、制服ですし、そのままで」
どのみち長く居座るつもりはない。しばらく見学したら折りを見て帰りたかった。なにかの拍子で秘密がばれてしまわないように。
「そうか、ならお前はベンチだな」
サトセンは「森田ー!」とベンチの方に声をかけた。すると女子集団の中から、ウィンドブレーカー姿の女子がこちらに走ってくる。
「二年のマネージャーの森田だ」
ゆるふわパーマでのんびりした雰囲気の森田先輩は、俺を見てぺこりと頭をさげた。
「こいつ、見学らしいから一緒に頼んだぞ」
「分かりました。じゃあ、こっちにどうぞ」
森田先輩は女子集団のベンチとは別の、少し離れた場所にあるベンチへ案内してくれた。脇には給水タンクやクーラーバック、救急バッグが置かれている。どうやら部活の備品置き場らしい。
「ごめんね、色々置いてあって」
「いえ、全然大丈夫です」
女子の中に入れられたら更に気まずくなっていただろうから、むしろこの場所でありがたかった。
ピピッと笛の音が聞こえてきて、俺はコートの方に目を向ける。
コートの中では、先輩部員や部活見学に来た一年生たちを交えて、紅白戦が始まっていた。準備運動を終わらせた悠理も、先輩部員たちに交じって試合へ入っていく。
控えめに言っても、悠理は上手かった。先輩たちの中でひるみもせずボールを奪い、するするとドリブルで他の選手を抜いていく。堂々としたその姿は、俺の後ろをついて回っていたあの頃とは大違いだ。
俺の知らない十年で、いったい何があったのだろう。いずれにせよ女の子と間違えてしまうほどに大人しくて引っ込み思案だった子が、サッカーで他人と競り合いができるほどに強くなるには、相当な努力があったはずだ。
それに比べれば、俺は何かのために努力をした覚えはない。むしろ好きなものから逃げている臆病者だ。
やっぱりサッカーなんて見ていても悲しくなるだけ。まだ少ししか経っていないが、もう帰ってしまおうか。
ベンチから立ち上がりかけた時、再び鋭く笛が鳴る。
コートの選手たちの動きが一度止まった。ボールがコート外に出て、コーナーキックになったらしい。
コーナーキックは得点のチャンスだ。一人の選手がゴール付近のコートの隅からボールをコートに蹴り入れるのだが、敵も味方も全員ゴール前に集まっているため、敵の守備をかいくぐりやすい。今も悠理を始めとする部員が、ゴール前でボールが蹴り入れられる瞬間を待っていた。
ぽん、と軽快な音がして、サッカーボールが宙を舞う。高く飛んだボールがゴール前まで来たところで、悠理が高くジャンプした。すぐ隣でジャンプしていた敵チームの部員との競り合いに勝ち、ヘディングでシュートを決める。
得点を知らせる笛が鳴り、悠理と同じチームの部員が歓声を上げた。ベンチで見ていた女子たちは色めき立ちながら拍手している。
けれども俺は、見逃さなかった。
「すみません、氷借ります!」
言うが早いかベンチから立ち上がり、側に置いてあったクーラーボックスの蓋を開ける。中には真四角の氷がぎっしり敷き詰められていた。俺は氷を四つ掴むと、救急バッグに入っていた四角いポリ袋の中に入れる。
森田先輩が首をかしげながら俺の側にやってきた。
「どうしたの?」
「悠理、着地に失敗していたので。多分足をひねっていると思います」
氷を入れたポリ袋に水を入れながらコートを見ると、案の定悠理が足を抱えてゴール前に座り込んでいた。先輩は気付いていなかったのか、目を大きく見開いている。
「先輩、冷却スプレー、取ってもらっていいですか」
「も、もちろん!」
先輩は救急バッグから冷却スプレーを出してくれた。俺はポリ袋の口を締めた後でスプレーを受け取り、側に落ちていた給水ボトルも一緒に持って、悠理の元へ走って行った。
「悠理、これ使って!」
「ありがとうございます……って、ハル?」
コートの外に出て座り込んでいた悠理は、やってきた俺を見て目を丸くした。
「えっ、どうしたの?」
「ヘディング決めた後、着地ミスってるのが見えたんだ。ほら、スプレーするから足出して」
「あ、ああ……じゃあよろしく」
差し出された右足に冷却スプレーを吹き付けながら、悠理を横目に見る。その表情にはまだ余裕が残っていた。怪我自体はさほどひどくはないらしい。
「試合には戻れそう? 少し休むなら氷嚢もあるけど」
「ええと……なら、一応もらおうかな」
「オッケー」
作ってきた氷嚢を渡すと、潤はそれを足に当てた。一通り応急処置を終えてほっとした俺は、悠理の隣にしゃがみ込む。
「水も飲む?」
「あ、うん……喉渇いたし……」
悠理はボトルを受け取りながら、眉をひそめた。
「その……これって、ハルが用意したのか? 氷嚢も、スプレーも、給水ボトルも全部?」
「そうだけど……何か足りなかった?」
「その逆、十分過ぎる」
「要らない物を持ってきたつもりはないんだけど……」
「そうじゃなくて、完璧すぎるんだってば。氷嚢とスプレーはともかく、給水ボトルは試合で選手が水分をとれるタイミングを知ってないと普通思いつかないだろ」
「……あ」
ようやく自分の失態に気付き、身体が固まった。
悠理は探るような目でじっと俺を見つめている。
「手当てだって、初めてであんなにスムーズにできるはずない。そもそもゴール前に人が集まっていた状況で、俺が着地にミスってるって気付くのは相当だよ」
「…………ええと」
上手い言い訳が思いつかなかった。
考えてみれば俺がした一連の動きは、そう簡単にできるものでもない。それこそ、経験者でもない限り。
「ま、いいか」
悠理は氷嚢を足から外し、給水ボトルを持ったまま立ち上がる。二口ほど水を飲んでから、俺を見下ろしにっこり笑った。その笑みに、なんだか背筋がぞくりと震える。
「前言撤回。今日はやっぱり帰るの禁止。後でたくさん話を聞かせてもらうから」
悠理は駆け足でコートの中へと戻っていく。その背中が他の部員たちの波に紛れた後に、俺はがっくり肩を落とした。


