クラスマッチ当日の朝。学校に登校すると、教室には既に多くのクラスメイトたちが集まっていた。学校指定のジャージに着替えた彼らは、おのおの友達と今日のクラスマッチについて語っていた。優勝する気でいる人、楽しめたらいいなと笑っている人、運動が嫌いで憂鬱そうな顔をしている人……俺はそんなクラスメイトたちの間を通り抜けて自席へつくと、大きく深呼吸をした。
(ついに、当日かぁ……)
 トラウマを克服すると決意してから数日間。悠理と山本と有岡でひたすらに練習を重ね、少しはPKや試合に対する恐怖はもうなかった。けれども実際試合で動くことができるかは、コートに立ってみなければわからない。だから心でどれだけ大丈夫だと思っても、緊張はしてしまうのだ。
(大丈夫。俺はちゃんと動けるんだ)
 息を吸って、吐いて。吸って、吐いて。どこどこ鳴る心臓を落ち着けようと、何度も呼吸を繰り返す。けれどリラックスしようと意識すればするほど、逆に鼓動は速くなっていった。もはや自分では収拾がつかなくなりかけた時、二つの声が降ってきた。
「はは、めっちゃ緊張してるじゃん」
「リラックスしようぜ~」
 悠理と山本が俺の机の傍までやってきていた。
 俺はへらりと笑みを浮かべる。
「やっぱり、どうしてもね」
 言いつつ先ほどの緊張は、既に少しほぐれていた。二人の――特に悠理の顔を見ただけで安心するなんて、我ながら単純すぎる。
「二人はどう? 緊張してる?」
「俺はぜーんぜん。お前らとサッカーできるの、めっちゃ楽しみだし!」
 山本は当然のように首を振ってにかっと笑った。本当に、心底サッカーが楽しみなのだろう。彼のこういう純粋なところは見習わなければと思う。
「悠理はどう?」
「俺もそこまで。でも別の意味では緊張してるかな」
「別の意味って?」
 俺が首をかしげると、悠理がいたずらっぽく口角を上げる。
「ハルがちゃんと試合に出られるかなって」
「えー、俺が理由?」
「当たり前だろ、ずっと頑張ってるとこを見ていたんだから。ま、大丈夫だって信じてるけどね」
「……ありがと」
 悠理に信用されている。ただそれだけで、嬉しくなってくる。同時にやり遂げられる勇気と自信が湧いてくる気がした。
 そのとき教卓の前でどさりと大きな音がした。
「みんなー、クラスTシャツ持ってきたよー!」
 委員長の声かけに、クラスメイトたちがわっと教室の前へ集まった。
 クラスマッチに合わせ、一年五組全員揃いのTシャツを作っていた。到着が遅れていたと聞いたが、なんとか当日に間に合ったようだ。
 悠理と山本と一緒に教壇へ行き、段ボールから自分のTシャツを探し出した。
「うおー! テンション上がるー!」
 山本はクラスTシャツを見て目を輝かせている。
 その気持ちはすごく分かる。背中に俺の名前がローマ字で書かれた、サッカーユニフォーム風の水色をしたシャツ。いよいよクラスマッチが始まるのだと実感し、気分が高揚してしまう。
「ハルとおそろいゲットだ」
 悠理は俺に見せるように、俺の隣でクラスTシャツ広げている。
「みんなともおそろいだよ」
「ハルとおそろいなのが重要なのー」
 悠理は小さく唇を尖らせている。その仕草が何だか可愛い。
「あっ、一ノ瀬くん」
 クラスTシャツから顔を上げると、委員長がそこにいた。
「一ノ瀬くん、本当にサッカーで大丈夫だったの?」
 メガネの奥の瞳には、心配の色が浮かんでいる。思えば委員長には、あまり理由も話さず突然クラスマッチはサッカーで出るという連絡だけを入れていた。以前のホームルームでの俺の状態を考えれば、流されてサッカーにしたと思われていてもおかしくはない。
「無理はしなくていいからね。チームの人数、少し多めになってるし……辛かったら交代して休んでいて」
 確かに不安はある。緊張もしている。コートに立って、ちゃんと試合で動けるかだってわからない。けれど、俺は一人じゃない。チームのみんなと……それに、悠理がいる。
「ありがとう、委員長。でも、大丈夫だよ」
「本当? 無理して言ってるんじゃなくて?」
「もちろん。本当の本心」
 頷いたところで、キィンと校内放送のスピーカーが音を立てた。
『本日はクラスマッチ一日目です。一年生の皆さんは十五分後、八時三十分にグラウンドに集合してください』
 放送に続いて、クラスのみんながぞろぞろと教室の外へ出て行く。
 隣にいた山本と悠理も扉の方に身体を向けた。
「んじゃ、そろそろ俺たちも行くか」
「その前に更衣室寄ってクラスTシャツに着替えないと」
「そうだね」
 出て行こうとする山本と悠理に続き、俺もTシャツを持って扉をくぐる。
「あの……!」
 振り向くと、委員長が心配を拭いきれない顔でこちらを見ていた。
「ハル、言ってあげなよ」
「……うん」
 悠理の言葉に頷くと、俺はクラスTシャツを掲げて、ありったけの笑みを唇に乗せる。
「優勝は任せて」
 委員長は目を見開いていた。その瞳にはもう、暗い色は見当たらない。
 俺は悠理と山本と目配せをして、教室を後にした。