「ほんと一ノ瀬ってなんなん?」
「サッカー上手すぎじゃないか?」
「うーん、気のせいじゃない?」
山本と有岡に正面から問い詰められ、俺は茶碗を片手に笑って誤魔化した。
コートから帰ってきて、ミーティングや風呂を済ませた俺たちは、食堂で集まって夕食を食べていた。今は山本と有岡、それから悠理で、四人がけのテーブルを囲んでいる。
ちなみに食事はビュッフェ形式で、俺以外の三人の皿の上には、油淋鶏や煮物などのおかずが俺の倍量載っていた。俺もフットサルでかなり動いた方だったが、改めて選手たちの運動量はすごいんだなと感心する。
山本は豚汁を啜り終えた後、「いーや」と首を横に振った。
「ほんとに上手かったって。サトセンや先輩たちもずっと言ってるし」
「それはマネージャーにしてはって意味だと思うけど」
普通はマネージャーがサッカーをできるとは思わない。だからみんなは、ギャップで驚いているだけだろう。そもそも趣味感覚でサッカーをやっていた人間のプレイが、本気でサッカーをやっていた人間に勝てるわけない。トラウマを抱えて試合に出られなくなっているような人間なら尚更だ。
「絶対そんなことないと思うんだけどな。な、佐倉?」
「ん? ええと……」
山本に話を振られた悠理は、俺を横目に視線を少し彷徨わせる。
「まあ、男子だったら体育の授業である程度プレイできるようになるだろ。俺も中学時代に一年に一回ずつサッカーしてたし」
「あー……言われてみればそうかも?」
山本は納得したようで、それ以上の深掘りはしてこなかった。
ようやく話題が自分からそれて、俺はほっとしながら隣の悠理へ感謝の目配せをする。けれども悠理は何か言いたげにしたあと、すぐに食事へ戻っていった。
悠理の表情の意味が分からないまま食事の時間は終わりとなり、俺たちは先生の指示で部屋へと戻された。
俺は悠理と有岡と山本の四人と同じ、和室の大部屋だった。部屋に入ると、既に布団が二列で四人分敷いてある。合宿所の人が用意してくれたのだろう。
「あー、疲れた!」
部屋に帰るなり、山本が布団にダイブする。
「トランプとかボードゲームとか持ってきたけど、疲れすぎててやる気がねぇ……」
「何を持ってきているんだ、全く……修学旅行じゃないんだぞ」
有岡がため息をつきながら山本の隣の布団へ潜り込んだので、俺も空いている窓際の布団に腰を下ろした。ふと隣の布団に目を向けると、悠理のスマホが落ちている。灯りがついたロック画面には――サトセンに撮ってもらった、俺と悠理のツーショットが表示されていた。
「えっ」
思わず声を上げてしまい、部屋の隅で荷物整理をしていた悠理が振り返ってくる。俺とスマホを見比べて、青い顔をしながらささっとスマホを取り上げた。
「……見た?」
「見た。その写真、ちゃんと取ってたんだね」
「あ、当たり前だろ。ハルとの貴重なツーショだし」
悠理は頬をほんのり赤くしながら、もごもごと口を動かしている。さすがに映っている本人に見られたのは恥ずかしかったのだろうか。
「その……引いた?」
恐る恐るそんなことを聞いてくるので、思わずきょとんとしてしまった。
「いや、別に。ただその写真、悠理の写りがあんまりよくないからいいのかなって」
あの写真は状況が状況だっただけに、悠理の表情がかなり硬い。そんな写真でロック画面を飾るのはいいのだろうかと疑問に思っただけだ。
「ああ、そういうことか……」
俺の問いかけに、悠理はほっと胸をなで下ろした。
「別に俺はいいんだよ。この写真であれば全然」
「そう、ならよかった」
ロック画面に設定するということは、相当気に入っているのだろう。自分が映っている写真をそれだけ大事にしてくれているのは、素直に嬉しかった。
悠理は小さくため息をつき、布団の中に寝そべった。俺も真似して横になると、こちらに寝返りを打ってくる。
「お疲れ、ハル。今日一日大変立っただろ」
「選手に比べたら全然だよ。それにフットサルは楽しかったしね」
「そっか、よかった」
彼は頬を緩めた後、こちらにむかって手招きをしてくる。顔を寄せると、悠理は小声で囁いてきた。
「さっきの話は、山本を誤魔化すために言っただけだからな」
「えっ、どれのこと?」
「体育の授業でプレイできるようになるってやつ」
「ああ、夕食の時の話ね」
あの時、悠理が言いたげにしていたのはこのことだったのか。俺が落ち込まないよう気遣ってくれたのだと思うと、嬉しくなってくる。
「ありがとう、話を逸らしてくれて助かった」
「いいよ、ハルの秘密を守るためだし」
そう言って悠理は微笑んだ。小さな笑みだったけれど、なんだか頼もしく感じてしまう。高校で再会してから、悠理はいつも俺のことを見ていてくれて、そっと手を差し伸べてくれていた。どれだけ感謝しても、感謝しきれないくらいに。
イケメンで気遣いできて優しくて文武両道なんて、本当に悠理はなんでもできる。
(まあ、方向音痴だけどね)
入学式の頃のことを思い出し、くすりと笑う。動画撮影の甲斐あって大分道を覚えたのか、最近は学校内で道案内を頼まれることはなくなった。しかし初めて行く場所だとやはり迷ってしまうらしく、この合宿でも単独行動は避けているようだ。
「ちょっとハル、なに笑ってるの」
悠理が俺につられたようにくすくす笑いながら問いかけてくる。
「なんでもないよ」
「絶対嘘じゃん。白状しなって」
二人で笑い合っていると、かたりと板の鳴る音がした。枕から頭を持ち上げると、電気のスイッチに有岡があくびをしながら立っている。
「おーい、そこの二人。電気消していいかー?」
山本の布団から、いびきが聞こえてくる。悠理と話している間に、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。まだ時間は九時過ぎだったが、一日中練習で体を動かしていた彼らは相当疲れていたのだろう。
「ごめん、大丈夫!」
慌てて頷くと、ぱちりと電気が消えて部屋が真っ暗になった。
俺は布団を肩まで被り、闇の中で目を閉じる。しかし選手と違って運動していない俺は、全然眠気がこなかった。
寝ようと試み右へ左へと寝返りを打っていると、隣から静かに布団を引っ張られる。
「ハル、まだ起きてる?」
「ごめん、悠理。うるさいよね」
小声で謝ると、彼は首を振った。
「俺もなんか眠れなくて。せっかくだから、もうちょっと話さない?」
「ふふ、そういうことなら」
俺は枕から頭を離し、悠理の布団へ顔を近づける。彼もほんの少しだけ、こちらに体をずらしてくれた。
暗闇の中、悠理と二人で向き合った。周りの寝息を聞きながら、俺たちは二人で笑い合う。
「みんな、寝るの早すぎだろ」
「疲れてたんだね。でも話してたら起こしちゃわないかな」
「なら布団被ればいいんじゃない?」
悠理は自分の布団を開いて「こっち」と俺に手招きしてくる。促されるままに上半身を悠理の布団の中に潜り込ませると、彼は俺たちの体を布団で包む。
「ほら、これで大丈夫だろ」
「う、うん……聞こえは、しなさそうだけど」
確かに布団の中に入っていれば、多少話したところで外に声は漏れないだろう。けれどもそれとは別の問題で、俺の体はガチガチに固まっていた。
暗闇の中、すぐ側に感じる体温と息づかい。ふわりと漂うシャンプーの香り。何も見えないはずなのに、見えるときよりも余計に悠理の存在を感じた。心臓がどこどこうるさく鳴っている。その音さえも彼に聞かれてしまいそうで怖くなってきた。
「こういうの、子供の頃みたいだな」
すぐ側で悠理の声がした。顔が見えないが、なんとなく微笑んでいるのはわかる。
「覚えてるか? 昔、悠理の家に泊まった時もこうやって一つの布団で寝てたよな」
「そういえばそんなこともあったような」
確かに小さい頃、悠理は何度か俺の家に悠理が泊まったことがある。多分、母親同士がうちで夜通し飲み食いしていたとか、そういう理由だ。小さかった俺たちは、もちろん先に布団へ連れて行かれて、二人で先に寝かされていた。
「布団は別々に敷いてもらってたのに、俺がハルの布団に入っちゃってさ」
「そうだった。寂しいって泣きながら、俺のところに来たんだよね」
「それ……あえて言わなかったのに」
「ふふっ。ごめん、覚えちゃってて」
本当にあの頃の悠理は俺にべったりだった。幼心に自分がこの子を守らないとと思い、ずっと彼のそばにいたのだ。
けれど悠理は変わった。俺に守られるどころか、今では俺を守ってくれている。優しいし、頼りになるし、勉強もできるし――サッカーだってするようになっている。
ずっと気になっていた疑問が、ふと口をついて出てきた。
「……悠理は北海道に引っ越して俺と離れた後、どうやって過ごしてたの?」
「まあ……色々あったよ。けど頑張った」
新たな場所や新たな人に馴染めるよう、自分なりに努力したのだという。そのお陰で小学二年生になる頃には、いじめられることもなくなり、友達もたくさんできたそうだ。
どこへ行くにも俺の後ろをついてきた引っ込み思案だった彼が、新たな場所の人々に馴染むのは大変だっただろう。きっと苦しいこともたくさんあったはずだ。それでも彼は、挫折することなく立ち向かった。本当にすごいことだと思う。
「じゃあサッカーはいつから始めたの?」
「小学校からだな。最初は小学校のサッカークラブに入ってたんだ。その後の中学も、たまたま強豪でさ」
「ああ、だから上手いんだね」
強豪校に入っていたなら、あれだけ上手いのも当然だ。きっと北海道では、有名な選手でもあったのかもしれない。けれどそれなら、新たな疑問が生まれてしまう。
「でも強豪校にいたのに、南高に来て大丈夫だったの?」
強豪中学に入っていたなら、それこそ第三高校などのほかの強豪校を受験した方がよりサッカーも充実した練習ができたはずだ。なのにどうして俺に合わせて、たいした実績のない南高校に来てしまってよかったのだろうか。
「まあ、プロになりたいわけじゃないし。俺にとってはハルに再会できる方が重要だったの」
「もったいない気がするけど……」
「もったいなくないって。ハルに俺のサッカー見てもらえてるし、なんなら今日は一緒にできたし」
ずり、と布団の擦れる音がして、体温が近づいた。目線を上げると、すぐ側に悠理の顔がある。それに気づいて、心臓が一段と大きな音を立てた。顔はひどく熱をもっている。暗闇の中にいることが不幸中の幸いだった。きっと今頃俺の顔は、真っ赤に染まっているだろうから。
「今日のフットサルのハル、かっこよかった。やっぱりめちゃくちゃ上手いよね」
「あ、ありがと……」
囁くような彼の声に、俺はぎこちない返事を返してしまった。悠理が普通にしているのに、一人だけ動揺していて恥ずかしい。深呼吸を繰り返したあと、俺は平静を装いながら言葉を続けた。
「悠理もみんなも、優しいね。俺なんかに上手いって言ってくれて……」
俺は平凡な人間だ。顔も性格も身長も全部普通で、サッカーだって中学の弱小チームで趣味のようにやっていただけ。だからみんなが言ってくれる言葉も、どうしたって信じ切れなかった。
「謙遜しなくていいよ。少なくとも俺にとっては、最高のチームメイトだった」
「いくらなんでも褒めすぎじゃない……?」
「最高のチームメイト」なんて言葉は、チーム戦のスポーツにおいて大抵最大級の好意を示す台詞だ。それを選手でもないマネージャーの俺がもらってしまって良いはずがない。
けれども悠理は首を振り、俺の手をそっと握ってきた。
「本心だよ。ハルがいると、自分でもビックリするくらいに、いいプレイができてる気がするんだ。こんな感覚、今まで初めてだよ」
握る力にも手の温もりにも、確かな信頼が滲んでいた。微笑む彼の表情に、心がきゅうと締め付けられる。
「だからさ、また一緒にサッカーしよう? 技術とか姿勢とか勝負とかも気にせずに」
「あ……」
すっと胸の内が軽くなる。
上手いか下手か、本気か趣味か、価値か負けるか。
そういう話を気にせずに、サッカーがやりたいならやっていいと言ってもらえたような気がする。それはトラウマを抱えた俺に取って、救いのような言葉だった。
「うん……俺も、悠理とまたやりたい」
布団の中で感じた悠理の温かさに、ゆっくり心がほぐれていく気がした。
その後も俺たちは布団の中で話していたが、気付けば寝落ちしていた。
そして翌日、俺は先に起きていた有岡によって、上半身を悠理の布団に、下半身を自分の布団につっこんだ横向きの状態のまま寝ているところを発見され、寝相悪すぎ」としばらく笑われる羽目になる。
「サッカー上手すぎじゃないか?」
「うーん、気のせいじゃない?」
山本と有岡に正面から問い詰められ、俺は茶碗を片手に笑って誤魔化した。
コートから帰ってきて、ミーティングや風呂を済ませた俺たちは、食堂で集まって夕食を食べていた。今は山本と有岡、それから悠理で、四人がけのテーブルを囲んでいる。
ちなみに食事はビュッフェ形式で、俺以外の三人の皿の上には、油淋鶏や煮物などのおかずが俺の倍量載っていた。俺もフットサルでかなり動いた方だったが、改めて選手たちの運動量はすごいんだなと感心する。
山本は豚汁を啜り終えた後、「いーや」と首を横に振った。
「ほんとに上手かったって。サトセンや先輩たちもずっと言ってるし」
「それはマネージャーにしてはって意味だと思うけど」
普通はマネージャーがサッカーをできるとは思わない。だからみんなは、ギャップで驚いているだけだろう。そもそも趣味感覚でサッカーをやっていた人間のプレイが、本気でサッカーをやっていた人間に勝てるわけない。トラウマを抱えて試合に出られなくなっているような人間なら尚更だ。
「絶対そんなことないと思うんだけどな。な、佐倉?」
「ん? ええと……」
山本に話を振られた悠理は、俺を横目に視線を少し彷徨わせる。
「まあ、男子だったら体育の授業である程度プレイできるようになるだろ。俺も中学時代に一年に一回ずつサッカーしてたし」
「あー……言われてみればそうかも?」
山本は納得したようで、それ以上の深掘りはしてこなかった。
ようやく話題が自分からそれて、俺はほっとしながら隣の悠理へ感謝の目配せをする。けれども悠理は何か言いたげにしたあと、すぐに食事へ戻っていった。
悠理の表情の意味が分からないまま食事の時間は終わりとなり、俺たちは先生の指示で部屋へと戻された。
俺は悠理と有岡と山本の四人と同じ、和室の大部屋だった。部屋に入ると、既に布団が二列で四人分敷いてある。合宿所の人が用意してくれたのだろう。
「あー、疲れた!」
部屋に帰るなり、山本が布団にダイブする。
「トランプとかボードゲームとか持ってきたけど、疲れすぎててやる気がねぇ……」
「何を持ってきているんだ、全く……修学旅行じゃないんだぞ」
有岡がため息をつきながら山本の隣の布団へ潜り込んだので、俺も空いている窓際の布団に腰を下ろした。ふと隣の布団に目を向けると、悠理のスマホが落ちている。灯りがついたロック画面には――サトセンに撮ってもらった、俺と悠理のツーショットが表示されていた。
「えっ」
思わず声を上げてしまい、部屋の隅で荷物整理をしていた悠理が振り返ってくる。俺とスマホを見比べて、青い顔をしながらささっとスマホを取り上げた。
「……見た?」
「見た。その写真、ちゃんと取ってたんだね」
「あ、当たり前だろ。ハルとの貴重なツーショだし」
悠理は頬をほんのり赤くしながら、もごもごと口を動かしている。さすがに映っている本人に見られたのは恥ずかしかったのだろうか。
「その……引いた?」
恐る恐るそんなことを聞いてくるので、思わずきょとんとしてしまった。
「いや、別に。ただその写真、悠理の写りがあんまりよくないからいいのかなって」
あの写真は状況が状況だっただけに、悠理の表情がかなり硬い。そんな写真でロック画面を飾るのはいいのだろうかと疑問に思っただけだ。
「ああ、そういうことか……」
俺の問いかけに、悠理はほっと胸をなで下ろした。
「別に俺はいいんだよ。この写真であれば全然」
「そう、ならよかった」
ロック画面に設定するということは、相当気に入っているのだろう。自分が映っている写真をそれだけ大事にしてくれているのは、素直に嬉しかった。
悠理は小さくため息をつき、布団の中に寝そべった。俺も真似して横になると、こちらに寝返りを打ってくる。
「お疲れ、ハル。今日一日大変立っただろ」
「選手に比べたら全然だよ。それにフットサルは楽しかったしね」
「そっか、よかった」
彼は頬を緩めた後、こちらにむかって手招きをしてくる。顔を寄せると、悠理は小声で囁いてきた。
「さっきの話は、山本を誤魔化すために言っただけだからな」
「えっ、どれのこと?」
「体育の授業でプレイできるようになるってやつ」
「ああ、夕食の時の話ね」
あの時、悠理が言いたげにしていたのはこのことだったのか。俺が落ち込まないよう気遣ってくれたのだと思うと、嬉しくなってくる。
「ありがとう、話を逸らしてくれて助かった」
「いいよ、ハルの秘密を守るためだし」
そう言って悠理は微笑んだ。小さな笑みだったけれど、なんだか頼もしく感じてしまう。高校で再会してから、悠理はいつも俺のことを見ていてくれて、そっと手を差し伸べてくれていた。どれだけ感謝しても、感謝しきれないくらいに。
イケメンで気遣いできて優しくて文武両道なんて、本当に悠理はなんでもできる。
(まあ、方向音痴だけどね)
入学式の頃のことを思い出し、くすりと笑う。動画撮影の甲斐あって大分道を覚えたのか、最近は学校内で道案内を頼まれることはなくなった。しかし初めて行く場所だとやはり迷ってしまうらしく、この合宿でも単独行動は避けているようだ。
「ちょっとハル、なに笑ってるの」
悠理が俺につられたようにくすくす笑いながら問いかけてくる。
「なんでもないよ」
「絶対嘘じゃん。白状しなって」
二人で笑い合っていると、かたりと板の鳴る音がした。枕から頭を持ち上げると、電気のスイッチに有岡があくびをしながら立っている。
「おーい、そこの二人。電気消していいかー?」
山本の布団から、いびきが聞こえてくる。悠理と話している間に、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。まだ時間は九時過ぎだったが、一日中練習で体を動かしていた彼らは相当疲れていたのだろう。
「ごめん、大丈夫!」
慌てて頷くと、ぱちりと電気が消えて部屋が真っ暗になった。
俺は布団を肩まで被り、闇の中で目を閉じる。しかし選手と違って運動していない俺は、全然眠気がこなかった。
寝ようと試み右へ左へと寝返りを打っていると、隣から静かに布団を引っ張られる。
「ハル、まだ起きてる?」
「ごめん、悠理。うるさいよね」
小声で謝ると、彼は首を振った。
「俺もなんか眠れなくて。せっかくだから、もうちょっと話さない?」
「ふふ、そういうことなら」
俺は枕から頭を離し、悠理の布団へ顔を近づける。彼もほんの少しだけ、こちらに体をずらしてくれた。
暗闇の中、悠理と二人で向き合った。周りの寝息を聞きながら、俺たちは二人で笑い合う。
「みんな、寝るの早すぎだろ」
「疲れてたんだね。でも話してたら起こしちゃわないかな」
「なら布団被ればいいんじゃない?」
悠理は自分の布団を開いて「こっち」と俺に手招きしてくる。促されるままに上半身を悠理の布団の中に潜り込ませると、彼は俺たちの体を布団で包む。
「ほら、これで大丈夫だろ」
「う、うん……聞こえは、しなさそうだけど」
確かに布団の中に入っていれば、多少話したところで外に声は漏れないだろう。けれどもそれとは別の問題で、俺の体はガチガチに固まっていた。
暗闇の中、すぐ側に感じる体温と息づかい。ふわりと漂うシャンプーの香り。何も見えないはずなのに、見えるときよりも余計に悠理の存在を感じた。心臓がどこどこうるさく鳴っている。その音さえも彼に聞かれてしまいそうで怖くなってきた。
「こういうの、子供の頃みたいだな」
すぐ側で悠理の声がした。顔が見えないが、なんとなく微笑んでいるのはわかる。
「覚えてるか? 昔、悠理の家に泊まった時もこうやって一つの布団で寝てたよな」
「そういえばそんなこともあったような」
確かに小さい頃、悠理は何度か俺の家に悠理が泊まったことがある。多分、母親同士がうちで夜通し飲み食いしていたとか、そういう理由だ。小さかった俺たちは、もちろん先に布団へ連れて行かれて、二人で先に寝かされていた。
「布団は別々に敷いてもらってたのに、俺がハルの布団に入っちゃってさ」
「そうだった。寂しいって泣きながら、俺のところに来たんだよね」
「それ……あえて言わなかったのに」
「ふふっ。ごめん、覚えちゃってて」
本当にあの頃の悠理は俺にべったりだった。幼心に自分がこの子を守らないとと思い、ずっと彼のそばにいたのだ。
けれど悠理は変わった。俺に守られるどころか、今では俺を守ってくれている。優しいし、頼りになるし、勉強もできるし――サッカーだってするようになっている。
ずっと気になっていた疑問が、ふと口をついて出てきた。
「……悠理は北海道に引っ越して俺と離れた後、どうやって過ごしてたの?」
「まあ……色々あったよ。けど頑張った」
新たな場所や新たな人に馴染めるよう、自分なりに努力したのだという。そのお陰で小学二年生になる頃には、いじめられることもなくなり、友達もたくさんできたそうだ。
どこへ行くにも俺の後ろをついてきた引っ込み思案だった彼が、新たな場所の人々に馴染むのは大変だっただろう。きっと苦しいこともたくさんあったはずだ。それでも彼は、挫折することなく立ち向かった。本当にすごいことだと思う。
「じゃあサッカーはいつから始めたの?」
「小学校からだな。最初は小学校のサッカークラブに入ってたんだ。その後の中学も、たまたま強豪でさ」
「ああ、だから上手いんだね」
強豪校に入っていたなら、あれだけ上手いのも当然だ。きっと北海道では、有名な選手でもあったのかもしれない。けれどそれなら、新たな疑問が生まれてしまう。
「でも強豪校にいたのに、南高に来て大丈夫だったの?」
強豪中学に入っていたなら、それこそ第三高校などのほかの強豪校を受験した方がよりサッカーも充実した練習ができたはずだ。なのにどうして俺に合わせて、たいした実績のない南高校に来てしまってよかったのだろうか。
「まあ、プロになりたいわけじゃないし。俺にとってはハルに再会できる方が重要だったの」
「もったいない気がするけど……」
「もったいなくないって。ハルに俺のサッカー見てもらえてるし、なんなら今日は一緒にできたし」
ずり、と布団の擦れる音がして、体温が近づいた。目線を上げると、すぐ側に悠理の顔がある。それに気づいて、心臓が一段と大きな音を立てた。顔はひどく熱をもっている。暗闇の中にいることが不幸中の幸いだった。きっと今頃俺の顔は、真っ赤に染まっているだろうから。
「今日のフットサルのハル、かっこよかった。やっぱりめちゃくちゃ上手いよね」
「あ、ありがと……」
囁くような彼の声に、俺はぎこちない返事を返してしまった。悠理が普通にしているのに、一人だけ動揺していて恥ずかしい。深呼吸を繰り返したあと、俺は平静を装いながら言葉を続けた。
「悠理もみんなも、優しいね。俺なんかに上手いって言ってくれて……」
俺は平凡な人間だ。顔も性格も身長も全部普通で、サッカーだって中学の弱小チームで趣味のようにやっていただけ。だからみんなが言ってくれる言葉も、どうしたって信じ切れなかった。
「謙遜しなくていいよ。少なくとも俺にとっては、最高のチームメイトだった」
「いくらなんでも褒めすぎじゃない……?」
「最高のチームメイト」なんて言葉は、チーム戦のスポーツにおいて大抵最大級の好意を示す台詞だ。それを選手でもないマネージャーの俺がもらってしまって良いはずがない。
けれども悠理は首を振り、俺の手をそっと握ってきた。
「本心だよ。ハルがいると、自分でもビックリするくらいに、いいプレイができてる気がするんだ。こんな感覚、今まで初めてだよ」
握る力にも手の温もりにも、確かな信頼が滲んでいた。微笑む彼の表情に、心がきゅうと締め付けられる。
「だからさ、また一緒にサッカーしよう? 技術とか姿勢とか勝負とかも気にせずに」
「あ……」
すっと胸の内が軽くなる。
上手いか下手か、本気か趣味か、価値か負けるか。
そういう話を気にせずに、サッカーがやりたいならやっていいと言ってもらえたような気がする。それはトラウマを抱えた俺に取って、救いのような言葉だった。
「うん……俺も、悠理とまたやりたい」
布団の中で感じた悠理の温かさに、ゆっくり心がほぐれていく気がした。
その後も俺たちは布団の中で話していたが、気付けば寝落ちしていた。
そして翌日、俺は先に起きていた有岡によって、上半身を悠理の布団に、下半身を自分の布団につっこんだ横向きの状態のまま寝ているところを発見され、寝相悪すぎ」としばらく笑われる羽目になる。


