桜の舞う道の向こうで、イケメンが道に迷っていた。
 高校の入学式に向かう道中、モデルじゃないのかと思うくらい綺麗な男子が、スマホと周囲を見比べながらあたふたしている。
 さらりと風に流れる茶色がかった髪の毛に、色白できめ細やかな肌。顎先はすっと細くすっきりしている。困惑で眉が八の字に曲がっていても、その顔はやっぱり芸能人のようにかっこよかった。真新しい紺のブレザーは、俺が着ているのと同じもの。どうやら同じ南高校の新一年生らしい。
 イケメンでも道に迷うんだな。しかもあと二分くらい歩けば高校に着く場所で。
 流石に放置しておけず、その男子に近づいた。
「大丈夫? 南高の人、だよね?」
「おっ、同じ制服!? 助かった……!」
 彼は救世主でも見つけたかのように目を輝かせる。
 側で見ると、イケメンは余計にかっこよく見えた。身長だって俺の頭一つ分高い。俺が169センチだから、多分180近くはあるんじゃないだろうか。身体も細身に見えて意外としっかりしていそうだ。何かスポーツでもやっていたのかもしれない。
「その、高校に行く道が分からなくて。一緒について行ってもいいですか」
「もちろん。あと多分同じ一年生だから敬語はいいよ」
「ああ、そうだったのか。ごめん、入学早々変なところ見せちゃって。じゃあ、よろしく願いします」
 彼は苦笑いをしながら、俺の隣に並んで歩き始める。その感覚に、不思議と少し懐かしさを覚えた。
「本当に助かった。俺、方向音痴な上にこの辺詳しくなくてさ。助けてもらえなかったら、入学式に遅刻してたよ」
 イケメンは大きく胸をなで下ろしている。
 土地勘は良い方だから、方向音痴の辛さは分からないけれど、色々と大変そうだ。改めて助けられて良かったと思う。
「家は遠くなの?」
「いや、電車一本分だからそんなに遠くない。ただこっちに来たのが最近だから」
「へえ、引っ越してきたんだ。どこから?」
「北海道から。小学校入学前にはこの辺りに住んでたから、戻ってきた感じなんだけど」
 他愛もない話をしながらも、なぜかイケメンはじっと俺の顔を見つめてくる。最初は気のせいだと思っていたが、徐々に強い視線が無視できなくなってきて、堪らずイケメンの顔を見上げた。
「顔に何かついてる?」
「あー、その……俺たちってどっかで会ったことある?」
「……俺をナンパしてもあんまり得はないと思うけど」
 ストレートの黒髪も、あっさりとした特徴のない顔も、低くも高くもない身長も、俺の持っているものは全部普通だ。こんなイケメンにナンパされるような魅力はないはず。
「ああいや、ナンパじゃなくて……」
 イケメンは俺の顔を見て視線を左右させながら「気のせいか? でも似てるし」などとぶつぶつ呟いている。
 けれどナンパの真相が判明する前に、南高校にたどりついてしまった。
 正門を入るとすぐに、白いボードにクラス分け表が張り出されていた。各自クラスを確認しろということらしい。
 一組から六組のクラスが書かれた白い紙を順番に見ていくと、五組のところで自分の名前を発見する。
「俺、五組だ」
「マジで? よかった~、仲間がいて」
 イケメンがぱっと顔を明るくした。どうやら彼も五組のようだ。
「正直かなり緊張しててさ。知ってる人がいるなら安心だ」
 イケメンは眩しい笑みを向けてくる。キラキラと効果音がつきそうなくらいだ。
(その笑顔があれば、多分何があってもやっていけると思う、確実に)
 そんなことを思いながらも、俺も内心安堵していた。
 俺もこの学校に知り合いはいない。中学で仲の良かった同じ部活の友達は、全員近くの部活が盛んな第三高校に行ってしまっていて、新たな友達を作れるか心配だったのだ。
 一年五組の教室に到着し、ガラリと扉を開ける。その瞬間、ざわりと教室中がざわめいた。
 既に登校していたクラスメイトの視線は、俺たち――正確には隣のイケメンに集まっている。
「えっ、めっちゃカッコよくない? ゲーノージンか?」
「眩しすぎて直視できないんだけど?」
 分かる、この顔は男の俺でも見とれるし。
 さわさわと周りで囁かれている言葉に、心の中で何度もうなずきながら、俺は黒板に貼られた座席表を確認した。途端に気分が急降下する。
「どうしたんだ?」
 後から来たイケメンが、横からひょいと顔を覗かせた。
「席が前から二番目で」
「あー、しばらく授業で寝れないやつだ」
 名前である程度は予想がついていたが、やっぱり前の座席になるのは気が重い。しばらく授業は気が抜けなさそうだ。
「ドンマイ。どの辺りなの?」
「ここ。一列目の前から二番目」
 俺は座席表の自分の名前――「一ノ瀬晴海(いちのせはるみ)」と書かれた場所を指差した。俺の名前を見た瞬間、イケメンは目を大きく見開く。
「……やっぱり、ハル?」
「えっ?」
 突然懐かしいあだ名で呼ばれてぎょっとする。その呼び方をしてくるのは、小学生かそれより前に仲がよかった友達だけだ。
 イケメンは俺の方に身を乗り出しながら、自分の顔を指さしている。
「俺だよ、俺。佐倉悠理(さくらゆうり)。小さい頃に遊んだの、覚えてない?」
「佐倉、って……まさか、サクラちゃん……?」
「そう! 久しぶりだな、ハル!」
 桜にも負けない満開の笑顔を浮かべたイケメンに――俺は全思考が停止した。


 サクラちゃんは俺が小学校に入る前に、仲が良かった子だ。
 引っ込み思案で、いつもクマのぬいぐるみを抱いて目に涙を溜めていた、サラサラの髪に真っ白な肌の、人形のように可愛らしい子。
 母親同士が学生時代の友人で、互いの家を行き来するような関係だったから、サクラちゃんともしょっちゅう一緒に遊んでいた。
 引っ込み思案で泣き虫なサクラちゃんは、よく近所のいじめっ子たちにからかわれており、小さい頃の俺は何度も助けて守ってあげていた。自分で言うのもなんだけど、あの頃の俺は今よりずっと恐れ知らずだったらしい。
 助けて守ってを繰り返しているうちに、サクラちゃんは俺に懐いてくれた。どこへ行くにも後ろからついてきて、いつでも手を繋ぎたがって、なにかしてあげると天使のような笑顔を浮かべてくれた。そんなサクラちゃんがとても可愛くて、俺はいつのまにか恋をしていたのだ。
「大きくなったら結婚しようね」
 そう告げると、サクラちゃんはさくらんぼみたいに頬を赤くして、頷いてくれたのを覚えている。
 そう――俺はサクラちゃんを、ずっと女の子だと思っていたのだ。
 サクラちゃんは小学校に入る前に、家の都合で遠くに引っ越してしまった。それでもあの頃の思い出やあの日にした約束は、俺の中で淡い思い出として残っていた。
 当然結婚の約束が叶うなんて思ってはいなかったし、今では恋心も消えている。けれどいつか再会できた時にはまた色々と話してしてみたいと思える位に、あの頃のことはいい思い出だったのだ。
 ほんの、さっきまでは。
(まさか、あのサクラちゃんが男だったなんて……!)
 入学式後のホームルーム、俺は過去の思い出を反芻しながら絶望していた。その原因となった彼は、自己紹介の真っ最中だ。
「佐倉悠理です。最近北海道からこの辺りに引っ越してきました。中学ではサッカー部だったので、高校でも続けたいなって思ってます」
 言い終えたサクラちゃん――佐倉が一礼すると、教室から拍手に交じって黄色い声が上がっている。
「すごい目の保養~」
「イケメンって実在するんだな」
「あのビジュでサッカーとか絶対ヤバいじゃん」
 色めき立つクラスメイトたちとは反対に、俺はどんより沈んでいる。
(あんなイケメンを、俺はずっと女の子だと思ってたんだ……)
 言われてみればさらさらの髪と白い肌には面影がある。しかし身長も顔立ちも体格も、今ではどう見ても男にしか見えなかった。
 昔は華奢で身長も低い可愛らしい子だったのに、騙されたような気分だ。幼少期の温かな思い出が、一瞬にして黒歴史に変わることもあるなんて知りたくなかった。
 知り合いができて安心するとは思ったが、それがかつての幼馴染みで、女と思い込んで結婚の約束までしてしまっていた相手なのだとしたら話は別だ。加えてサッカー部の人間には極力近づきたくない俺にとって、佐倉との再会はあまり喜べるものではない。
(うん、できるだけ関わらないようにしよう)
 そう俺は心に固く誓う。
 けれどもその誓いも虚しく、ホームルームが終わった直後、早速佐倉が俺の席に駆け寄ってきた。
「ハル、一緒に教科書買いに行こ!」
「……」
 ホームルーム後は体育館で行われている教科書販売に向かってから、各自そのまま解散だと、担任の先生が言っていた。
 だが佐倉とは関わらないと誓った直後の俺は、気まずさからすぐに反応できなかった。おまけに佐倉を狙っていた女子たちが、佐倉の後ろからじろりと俺を睨んできて、少し怖い。
「どうしたの? 行かない?」
「いやその、俺でいいの? 他にも一緒に行きたそうな人がいるけど」
 佐倉の背後を気にしながら声を掛けると、佐倉は苦笑いしながら俺の耳に口を寄せてくる。
「俺が方向音痴って知ってるの、ハルだけだし」
 要するに、迷うかもしれないから体育館まで連れていって欲しいと言うことらしい。
「ここ、学校だよ……?」
「初めての場所には自信がなくて。中学の時もやらかしてるんだよな……」
 肩を落とす佐倉は、冗談を言っているようには見えなかった。
 あまり一緒には行きたくない。けれど学校の中でも迷ってしまうような方向音痴を、周りに知られたくないという気持ちは理解できる。俺も俺で、他人に知られたくない秘密はあるわけだし。
「いいよ、一緒に行こう」
「ありがと、ハル。ほんと救世主だわ」
 俺は荷物をスクールバッグの中に押し込むと、佐倉と一緒に教室を出た。
 販売会場の体育館は、四組から一組の教室の前を通った先にある。だからこそ廊下を歩いていると、隣の佐倉にあらゆる生徒の注目が集まった。
「あれが噂のイケメンかよ」
「えー、ヤバ。ちょっと話してみたーい」
 道行く生徒がざわざわと声を上げながら、左右の両端へ分かれていく。ライブで客席の中を歩くアイドルは、多分こんな感じなのだろう。憧れの対象がそばにいることを喜びつつも、決して一定以上の距離から近づこうとしない。
 そんなイケメンの隣に、こんな平凡顔の俺が並んで歩いていて良いのだろうか。少し不安になってきたが、佐倉はなにも気にしていない様子で微笑んでいる。
「またハルと会えてよかった。あんまり昔と変わってないな」
「サクラちゃん……いや佐倉は変わり過ぎだよ……」
 変わり過ぎというより、正直もはや別人だ。
「あはは、よく言われる」
 佐倉は爽やかな顔で笑っている。なにがどう成長すれば、天使みたいなふわふわの微笑みが、こんなキラキラ眩しい笑顔に変わるのだろうか。混乱しすぎてそろそろ頭が痛くなってきた。
「けど同じクラスになれるなんてな。同じ高校なのは知ってたけど」
「そうだったの?」
「そうそう。っていうか戻ってくるって決まった時、母さん伝いでハルの志望校聞いてもらって、そこ受けたから」
 さらっとものすごい言葉が聞こえた気がする。佐倉が戻ってくる話も俺の志望校を教えた話も、こちらはなにも聞いていなかったんだが。
「な、なんでそんなことを……?」
「そりゃあ、ハルにまた会いたかったからだって。他に行きたい高校もなかったし」
「へえ~……」
 どう反応していいのか分からなくて、俺は曖昧に頷いた。会いたいと思ってくれていたのは嬉しいが、それ以上に性別の勘違いを始めとするもやもやが大きすぎて、素直に喜べない。
 それに佐倉が知っている俺は、十年前のまだ恐いものなんてなにもなかった頃の俺だ。今の俺はあの頃とは違い、佐倉とは別方向で色々と変わってしまっている。俺の中身は必ずしも佐倉の期待通りではないかもしれないのに、関心を向けられるのが後ろめたかった。
「ここが体育館かな?」
 佐倉の声に、はっと顔を上げる。目の前には新入生が集まる大きな建物があった。どうやらいつの間にか廊下を渡りきっていたらしい。
「あ、そうだね」
 俺は慌てて頷いた。考え込むと、すぐに意識が飛ばしてしまうのは悪い癖だ。
「ありがとう、ハルのお陰で無事に辿り着けたよ」
「いいよ、これくらい大したことじゃないし」
「そんなこと言われたらまた甘えたくなるな」
「いや、佐倉はまず道を覚える努力をしてね」
「はは……ご迷惑をおかけしました」
 佐倉は人差し指で頬を掻いた後、少し口を尖らせた。
「でもさ、名字で呼ぶのは止めてくれない? 俺たち幼馴染みだろ」
「じゃあ……悠理とか?」
「うんうん、それでお願い」
 潤は満足そうに頷くと、俺に手を差し出してきた。
「ハル、改めて高校でもよろしくな」
「ええっと……」
 正直なところ、できればよろしくしたくはなかった。どう接していいのか分からないし、なにより悠理はサッカー部志望。関わればろくなことにはならないだろう。けれども輝く笑顔を向けられれば、答えないのは良心が痛む。
「よ、よろしくね……?」
 結局俺はぎこちない笑みを浮かべながら、差し出された手を取ったのだった。

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