一定の感覚で鳴り響くアラーム。カーテンから注ぐ陽光。そんないつも通りの朝の中、目を覚ました私はひんやりとした階段を降りながら、下にあるリビングを目指す。だけどそこには、いつもいるはずの真汐くんがいなくて。
「寝坊かな」
学校の日でも彼は私よりも早く起きてたのに。珍しいと思いつつ、たまには私が朝ごはんを用意するのもいいかもしれない。
いつも通り食パンを焼いて、卵でおかずを作っていく。だけどその間も、ごはんを食べている最中でさえも、彼は現れなかった。だけど本来なら。
私はリビングを見渡す。静まり返った部屋、誰もいない空間。それはまさしく私が慣れ親しんだ家の雰囲気だった。家が静かなのは当たり前だったはずなのに。
ふと彼の声が蘇る。この数日の朝の彼とのやりとりが、鮮明に記憶の中を流れていく。恐ろしいことに、私はこの数日の記憶に慣れてしまったんだ。一人だけの家がお化け屋敷のように怖くてたまらない。
私は急いでごはんを食べ、彼のいる二階へと上っていく。彼の部屋の前にたどり着き、ドアをノックしようとしたけれど、すんでのところでそれを止める。
タイムスリップしてからというもの、彼はきっとゆっくり眠れていないと思って。夜はわからないけど、朝は早く起きるから多分。
そのまま自室で制服に着替え、リュックサックを担ぎ階段を静かに降りていく。真汐くんを夢の世界から目覚めさせないようにそっと。
だけど玄関の靴箱からローファーを取り出す時、私は頭の中が真っ白になった。どうして? どうして彼の靴がないの?
それは彼がこの家にいないことの、なによりの証。でもどうして? なんで黙って出て行っちゃったの?
そして私は嫌な憶測をしてしまう。だけどその憶測は……。
四角い画面に電源を入れる。まもなく学校へのバスが来てしまう時間だった。彼についてどうこうしている暇を時間は許してくれないみたいで。
靴を履いて急いで家の扉を開けて、熱い通学路を走っていく。
彼が、この世界から消えてしまったという憶測を抱えながら。
昨日勉強頑張ろうと、あれだけ決意したというのに、先生の解説がまるで入ってこない。耳から入って耳から抜ける、そんな感覚が何回も。
ずっと考えてしまうから。彼のことを。彼がいなくなってしまった事実のことを。そんなのありえるはずだったのに。いや、そもそもこの数日の出来事がありえないことだったんだ。
突然過去からやってきて、暮らしまで始めて。最初は戸惑った。だけどその日々は……。
「どうしたの、千紗ちゃん? そんな思い詰めた顔して」
その声に意識が今いる教室へと浮上する。目についた時計の針は今日の講義の終わりの時間を示していて。
「ごめん……」
眉を下げて、とても心配そうに美波ちゃんは私を見つめる。
「昨日夢を見つけるってあんなに意気込んでたのに、今日突然暗い顔して授業聞いてたから」
「ごめん。全然聞いてなかった、授業」
静かな空気が私たちの間を流れゆく。講義の終わった教室は、喧騒で包まれいるはずなのに。私から紡がれる続きの言葉を待つように、彼女はじっと、ただ黙って私だけの目を見つめる。
「突然、やって来た人が突然、いなくなったの」
誰が聞いても意味がわからない一言。だけど私は口を開くことをやめなかった。
「最初はびっくりしたし、信じられなかった。だけどその人と一緒にいるたび、時間を過ごすたびに、それがかけがえのない日々になっていって」
たった数日。彼と過ごした日々は片手で数えられるほど。でもそのわずかな時間は、もうあの孤独を味わいたくない、家族とほとんど帰ってこない家にいたくないと、そう強く思わせるほどの感情を芽生えさせるには、十分だった。
だからこそ信じたくなくて。彼が過去へと、私がいくら手を伸ばしても届かない場所へと行ってしまったことが。
「大丈夫だよ」
暖かくて、ふんわりと柔らかな声が舞い落ちる。背中を撫でられるような、どこまでも私を安心させてくれる声。
顔を上げれば、穏やかな表情の彼女が目の前にあって。
「どんな結果になっても、私が全力で支えるから、だよ」
「どうしてそこまで……」
どうしてそこまでして、私を支えてくれるの? 暖かい言葉で私を包んでくれるの? だけどそう聞く前に彼女は遮るように「あてはあるの?」と続けた。
話をやんわりと逸らされたと悔しがりつつも、私はそのあてについて考えてみる。あてはもちろん彼の居場所のことで。
私は、わずかな時間から成る記憶の雲を辿っていく。たくさんの時間を過ごした家の中、服屋さん、ハンバーガーショップ……あっ。
「一つだけ……あるかも……」
すると美波ちゃんはにこりと柔らかく表情を崩して「千紗ちゃんが言うなら間違いないよ」と机の上にあった私のリュックを持ち上げる。早く行きなよ、と背中を押すように。
彼は本来の過去の時代へと帰ってしまったのかもしれない。あまりにも遠すぎる世界へと。だけど、もしそこに一縷の望みがあるとするならば。
「じゃあ、行ってくるね」
私は歩き出す。快適な涼しい教室から廊下に抜けると、蒸し暑い空気が身体全体にまとわりついた。だけど私が思うあては、きっともっと悲惨な暑さを誇る場所。それでも歩いていく。
だって私は信じたいから。まだ彼がこの時代にいることを。その希望を、可能性を、捨てたくないんだ。
キラキラと光を反射させる、海と砂浜。まるで宝石のように。だけどその輝きは、私たちを苦しめる真夏の太陽のおかげだと思うと、ひどく淀んで見えた。人もたくさんいて、一人の海岸が好きな私にとっては、今目の前にある海は魅力が全くもってない。普段の私なら、憂鬱になってすぐ帰っちゃうところだけど。だけどここには。
真汐くんがいるかもしれないから。そんな不確かな情報でも、会いに行きたいのだから、よほど彼は私にとって特別な人なんだ。
だけどここにきて、私はある重要な事実に気づいてしまう。どうして今まで、そこを抜かして考えてきたんだろうと思うくらいに重大な。
広大な海と砂浜、それから人の海。あの時、彼と初めて出会った、あの時とは明らかに状況が違うことに。
だけどその懸念は杞憂に終わることになった。あの日彼が倒れていたそばにあった流木に、見覚えのある後ろ姿を見つけて。
「真汐くん……」
あの流木に彼は座っていて。一昨日と同じように。人違いだったら怖いけれど、それで振り返った彼の顔は、紛れもなく真汐くんだったから。やっと見つけることができて、ほっとした。だけどその顔は、どこか不思議といった感情を帯びているように感じた。
そしてついに首を傾ける。まるで自分が真汐くんじゃないと言うように。
「もう真汐くん、返事してよ」
あまりに何も話さないから、じれったくなってついつい焦らせてしまう。するとやっと彼は笑ってくれた。そのことに安心するのも束の間、彼はとんでもないことを口にする。
「俺、真汐くんってことにした方がいいのかな?」
「えっ」
どういうこと? まるで、目の前にいる彼が真汐くんじゃないと言っているかのように聞こえて。ううん。そうじゃないと、おかしい。しかも一人称俺って。だけど、どこからどう見ても、彼は真汐くんなわけで。
「なんか困らせているようで悪いんだけど、俺、真汐くんじゃないんだよね」
「違うの……?」
驚きを隠せない。どう見ても真汐くんなのに、本人じゃないなんて。だけどここまで似ているのだとしたら……。結論に届きそうだったのに、彼の続きの言葉がそれを妨げた。
「その代わりって言うのも変だけど、君のことは知ってるんだ。覚えてる?」
「私のことを知ってる?」
真汐くんじゃないことに驚いているのに、さらに私のことを知っている? 覚えてるってどういうこと? 彼は一体何者なの?
混乱が混乱を呼び、私の頭の中は完全にパニック状態だった。すぐには正常な働きに戻らないほどに。
『僕は将来、海の近くの街に住みたいんだ』
男の子の小さな声。小さいとうよりは遠くから聞こえるようで。しかも耳からじゃなくて、頭の中から。
その声を中心に、色んな映像が浮かび上がってくる。とどまることを知らずに次から次へと。目の前の彼の正体が、その映像によって徐々に明らかにされていく。そっか、君は。
私はそのまま映像の波にのまれていった。大きな波が身体ごと、私を引き寄せるように
「寝坊かな」
学校の日でも彼は私よりも早く起きてたのに。珍しいと思いつつ、たまには私が朝ごはんを用意するのもいいかもしれない。
いつも通り食パンを焼いて、卵でおかずを作っていく。だけどその間も、ごはんを食べている最中でさえも、彼は現れなかった。だけど本来なら。
私はリビングを見渡す。静まり返った部屋、誰もいない空間。それはまさしく私が慣れ親しんだ家の雰囲気だった。家が静かなのは当たり前だったはずなのに。
ふと彼の声が蘇る。この数日の朝の彼とのやりとりが、鮮明に記憶の中を流れていく。恐ろしいことに、私はこの数日の記憶に慣れてしまったんだ。一人だけの家がお化け屋敷のように怖くてたまらない。
私は急いでごはんを食べ、彼のいる二階へと上っていく。彼の部屋の前にたどり着き、ドアをノックしようとしたけれど、すんでのところでそれを止める。
タイムスリップしてからというもの、彼はきっとゆっくり眠れていないと思って。夜はわからないけど、朝は早く起きるから多分。
そのまま自室で制服に着替え、リュックサックを担ぎ階段を静かに降りていく。真汐くんを夢の世界から目覚めさせないようにそっと。
だけど玄関の靴箱からローファーを取り出す時、私は頭の中が真っ白になった。どうして? どうして彼の靴がないの?
それは彼がこの家にいないことの、なによりの証。でもどうして? なんで黙って出て行っちゃったの?
そして私は嫌な憶測をしてしまう。だけどその憶測は……。
四角い画面に電源を入れる。まもなく学校へのバスが来てしまう時間だった。彼についてどうこうしている暇を時間は許してくれないみたいで。
靴を履いて急いで家の扉を開けて、熱い通学路を走っていく。
彼が、この世界から消えてしまったという憶測を抱えながら。
昨日勉強頑張ろうと、あれだけ決意したというのに、先生の解説がまるで入ってこない。耳から入って耳から抜ける、そんな感覚が何回も。
ずっと考えてしまうから。彼のことを。彼がいなくなってしまった事実のことを。そんなのありえるはずだったのに。いや、そもそもこの数日の出来事がありえないことだったんだ。
突然過去からやってきて、暮らしまで始めて。最初は戸惑った。だけどその日々は……。
「どうしたの、千紗ちゃん? そんな思い詰めた顔して」
その声に意識が今いる教室へと浮上する。目についた時計の針は今日の講義の終わりの時間を示していて。
「ごめん……」
眉を下げて、とても心配そうに美波ちゃんは私を見つめる。
「昨日夢を見つけるってあんなに意気込んでたのに、今日突然暗い顔して授業聞いてたから」
「ごめん。全然聞いてなかった、授業」
静かな空気が私たちの間を流れゆく。講義の終わった教室は、喧騒で包まれいるはずなのに。私から紡がれる続きの言葉を待つように、彼女はじっと、ただ黙って私だけの目を見つめる。
「突然、やって来た人が突然、いなくなったの」
誰が聞いても意味がわからない一言。だけど私は口を開くことをやめなかった。
「最初はびっくりしたし、信じられなかった。だけどその人と一緒にいるたび、時間を過ごすたびに、それがかけがえのない日々になっていって」
たった数日。彼と過ごした日々は片手で数えられるほど。でもそのわずかな時間は、もうあの孤独を味わいたくない、家族とほとんど帰ってこない家にいたくないと、そう強く思わせるほどの感情を芽生えさせるには、十分だった。
だからこそ信じたくなくて。彼が過去へと、私がいくら手を伸ばしても届かない場所へと行ってしまったことが。
「大丈夫だよ」
暖かくて、ふんわりと柔らかな声が舞い落ちる。背中を撫でられるような、どこまでも私を安心させてくれる声。
顔を上げれば、穏やかな表情の彼女が目の前にあって。
「どんな結果になっても、私が全力で支えるから、だよ」
「どうしてそこまで……」
どうしてそこまでして、私を支えてくれるの? 暖かい言葉で私を包んでくれるの? だけどそう聞く前に彼女は遮るように「あてはあるの?」と続けた。
話をやんわりと逸らされたと悔しがりつつも、私はそのあてについて考えてみる。あてはもちろん彼の居場所のことで。
私は、わずかな時間から成る記憶の雲を辿っていく。たくさんの時間を過ごした家の中、服屋さん、ハンバーガーショップ……あっ。
「一つだけ……あるかも……」
すると美波ちゃんはにこりと柔らかく表情を崩して「千紗ちゃんが言うなら間違いないよ」と机の上にあった私のリュックを持ち上げる。早く行きなよ、と背中を押すように。
彼は本来の過去の時代へと帰ってしまったのかもしれない。あまりにも遠すぎる世界へと。だけど、もしそこに一縷の望みがあるとするならば。
「じゃあ、行ってくるね」
私は歩き出す。快適な涼しい教室から廊下に抜けると、蒸し暑い空気が身体全体にまとわりついた。だけど私が思うあては、きっともっと悲惨な暑さを誇る場所。それでも歩いていく。
だって私は信じたいから。まだ彼がこの時代にいることを。その希望を、可能性を、捨てたくないんだ。
キラキラと光を反射させる、海と砂浜。まるで宝石のように。だけどその輝きは、私たちを苦しめる真夏の太陽のおかげだと思うと、ひどく淀んで見えた。人もたくさんいて、一人の海岸が好きな私にとっては、今目の前にある海は魅力が全くもってない。普段の私なら、憂鬱になってすぐ帰っちゃうところだけど。だけどここには。
真汐くんがいるかもしれないから。そんな不確かな情報でも、会いに行きたいのだから、よほど彼は私にとって特別な人なんだ。
だけどここにきて、私はある重要な事実に気づいてしまう。どうして今まで、そこを抜かして考えてきたんだろうと思うくらいに重大な。
広大な海と砂浜、それから人の海。あの時、彼と初めて出会った、あの時とは明らかに状況が違うことに。
だけどその懸念は杞憂に終わることになった。あの日彼が倒れていたそばにあった流木に、見覚えのある後ろ姿を見つけて。
「真汐くん……」
あの流木に彼は座っていて。一昨日と同じように。人違いだったら怖いけれど、それで振り返った彼の顔は、紛れもなく真汐くんだったから。やっと見つけることができて、ほっとした。だけどその顔は、どこか不思議といった感情を帯びているように感じた。
そしてついに首を傾ける。まるで自分が真汐くんじゃないと言うように。
「もう真汐くん、返事してよ」
あまりに何も話さないから、じれったくなってついつい焦らせてしまう。するとやっと彼は笑ってくれた。そのことに安心するのも束の間、彼はとんでもないことを口にする。
「俺、真汐くんってことにした方がいいのかな?」
「えっ」
どういうこと? まるで、目の前にいる彼が真汐くんじゃないと言っているかのように聞こえて。ううん。そうじゃないと、おかしい。しかも一人称俺って。だけど、どこからどう見ても、彼は真汐くんなわけで。
「なんか困らせているようで悪いんだけど、俺、真汐くんじゃないんだよね」
「違うの……?」
驚きを隠せない。どう見ても真汐くんなのに、本人じゃないなんて。だけどここまで似ているのだとしたら……。結論に届きそうだったのに、彼の続きの言葉がそれを妨げた。
「その代わりって言うのも変だけど、君のことは知ってるんだ。覚えてる?」
「私のことを知ってる?」
真汐くんじゃないことに驚いているのに、さらに私のことを知っている? 覚えてるってどういうこと? 彼は一体何者なの?
混乱が混乱を呼び、私の頭の中は完全にパニック状態だった。すぐには正常な働きに戻らないほどに。
『僕は将来、海の近くの街に住みたいんだ』
男の子の小さな声。小さいとうよりは遠くから聞こえるようで。しかも耳からじゃなくて、頭の中から。
その声を中心に、色んな映像が浮かび上がってくる。とどまることを知らずに次から次へと。目の前の彼の正体が、その映像によって徐々に明らかにされていく。そっか、君は。
私はそのまま映像の波にのまれていった。大きな波が身体ごと、私を引き寄せるように



