「俺は……あの女に何も出来なかった」

 「そんなことないと思います……。椎名先輩の存在がお母さまの力になっていたと思います」

 「いつも冷たい言葉しかかけてこられなかった」

 「そうだとしても、椎名先輩のお母さまは椎名先輩のことが何よりも大切だったんですよ……」

 「何かしたくても、もう何処にもいない」

 「……」

 「俺は一人だ……」

 吏那の肩で涙を零した。

 みっともない。

 自分が泣いた記憶なんて覚えている限りで一度もない。

 泣くというのは、こんなに目の奥が熱くなるのか。

 こうも制御がかからなくなるものなのか。

 泣きたいわけじゃないのに、どんどん涙が溢れてくる。

 「椎名先輩は一人じゃないです」

 俺の背中を撫でたまま、吏那は明瞭な口調で告げた。

 「私は頼りないと思います。でも、絶対に椎名先輩の傍に居ますから」

 頼りなさすぎるだろ。

 とは、さすがに言えなかった。

 何もかも失った俺にとって、吏那だけが救いの女神に見えた。

 生きる希望が俺にあって良かった。

 吏那が居るから俺は生きていられる。

 大げさではなく、切実に……。

 「……吏那」

 「何ですか?」

 「キスしていいか?」

 「え……」

 答えを聞く前に吏那の唇を奪い取る。

 吏那の柔らかな唇の感触にはどちらのものと言えない涙の味が混ざりあった。

 「吏那がいてくれて良かった……」

 「椎名先輩……」

 「どこにも行くなよ」

 「椎名先輩も」

 「傍にいろよ。誰よりも一番近くに」

 「……はい……。一緒に生きましょう。椎名先輩」

 抱きしめる腕に力をこめる。

 吏那の体温をもっと感じていたい。

 守り続けたい。

 吏那が眠るのなら、俺は起きててやる。

 吏那が泣くのなら、俺が拭ってやる。

 だから、俺が弱った時は吏那が俺の傍にいてほしい。

 例え厳しくても、甘やかでなくても、この夢と幻の狭間にある現実の世界で吏那と一緒に生きていられるように……。

 「──愛してる。吏那……」