***
──少し早く着きすぎただろうか?
吏那との待ち合わせに指定している東口改札から見える壁掛け時計は14時30分を示していた。
待ち合わせが多いのか、俺と同じように人待ち人で駅周辺は老若男女が溢れ返っている。
それにしても今日は冷える。
吐息は白く、澄んだ空気にふわりと優しく溶けていく。
この時間でも日は傾き、昼の短さと空の低さを実感させた。
まだ待ち合わせ時刻まで30分はある。
温かいココアでも買うか。
改札口の隣に三台並んでいる自販機の前に移動した。
「──見つけた……」
ゾクッと言い知れぬ悪寒が俺を支配した。
振り返れば、血まみれのナイフを握った中年男がぎらついた目で俺だけを見ていた。
黒いロングコートを着用している。
周りの人間は男が持つ刃物に気づいたのか、あちこちからつんざくような悲鳴が上がり、逃げ惑っていた。
狙われてるのは俺か。
男の世界から他の一切合切が消えてしまったかのように俺のことしか視線に捉えていない。
この男の顔には見覚えがある気がした。
「殺してやった……殺してやった……」
口角に泡をためて、狂ったように呟いている。
ああ、思い出した。
家で母親と絡み合っていた男の一人に居たかもしれない。
「……殺してやる……お前も殺してやる……」
ナイフの切っ先を俺へと向けて突進してくる。
殺意で濁った目は俺だけを捉えていた。
どうやら話が通じる状態じゃないらしい。
「……チッ」
舌打ちが自然と出る。
俺は男の手元を正確に狙って蹴りを見舞った。
「ぎゃあっ!!」
男が苦痛で無様な声を上げる。
ナイフが地面を這った。
今度は男が俺に飛び掛かろうとしてきた。
もう一度、構えの姿勢を取り、足を振り上げようとした時、
「そこまでだ」
雪崩れ込むように数人の警察官が男を取り押さえた。
強引に非日常へ引きずりこまれた急展開を努めて冷静に判断しようと頭を働かせる。
「椎名万威くんだね……」
「はい」
キャメル色のジャケットを着た威厳のある男が警察手帳を見せながら、俺に話しかけてきた。
「落ち着いて聞いてほしい。自宅で君の母親が容疑者に刺された」
「……」
「一緒に救急病院へ行こう。車に乗ってくれないか?」
何となく予感はあった。
ただ実感が沸かない。
他に何も聞かなくても、あの女はもう助からないだろうことまで掴めてしまう。
俺の顔面が余りに無感情だったからか、何故か警察官が怯んでいる。
「紅月吏那さんという高校生の女の子が通報してくれたんだ」
吏那……。
心臓に不穏な音がした。
嫌な予感がする。
予感で終わると思えないほどリアルに警鐘が響く。
だったら今、吏那は何処に居る?
「吏那は……!」
「おい、椎名くん! 少し待ちなさい!」
警察官の輪を掻き分けるようにして走り出す。
冷ややかな焦燥感に飲み込まれる。
早く、早く。
吏那の顔が見たい。
この絶望的な焦燥を払い除けたい。
嫌というほど増幅する寒気が俺ごと蝕んで食い潰されそうだ。
「!」
車道の向こう側。タクシーから降りている吏那の姿を見つけた。
「吏那!」
俺の叫びに気づいたのか、吏那がこちらを見遣る。
「椎名先輩っっ!!」
泣きじゃくっていたんだとわかる声の震え方だった。
何で吏那が通報したのかわからない。
でも、俺を助けたのは吏那だろう。
ああ。
野次馬が邪魔だ。
吏那のところまで真っ直ぐ走れない。
「椎名先輩っ!!」
吏那は道路を渡って、こちらに走ってこようとしている。
見るからに平静さを失っていた。
「馬鹿か! そこで待ってろ!!」
喉が切れて痛むほど声を張り上げた。
もう遅い。
吏那は道路に飛び出している。
間にあわない。
「吏那! 早く戻れ!!」
最後の一滴まで搾るように渾身の力で叫ぶ。
俺を裏切るように車道の真ん中で吏那の体は傾いていた。
……まさか……?
寄りによってこのタイミングで……。
「吏那っっ!!」
鳴り響くクラクションの音。
この喧騒が聞こえないのか、吏那は眠りの世界へ引き込まれていく。
残酷にも。
安らかな顔で。
残酷にもいまこの瞬間、吏那は現実から引き離された。
この世界から無防備になっていく。
──吏那を死なせない。
俺は渾身の力で吏那にぶつかった。
次の瞬間には大きな衝撃が俺を襲い、俺の体は簡単に吹き飛ばされていた。
痛みさえまともに感じる余裕もないまま、俺の意識は消失した。
──少し早く着きすぎただろうか?
吏那との待ち合わせに指定している東口改札から見える壁掛け時計は14時30分を示していた。
待ち合わせが多いのか、俺と同じように人待ち人で駅周辺は老若男女が溢れ返っている。
それにしても今日は冷える。
吐息は白く、澄んだ空気にふわりと優しく溶けていく。
この時間でも日は傾き、昼の短さと空の低さを実感させた。
まだ待ち合わせ時刻まで30分はある。
温かいココアでも買うか。
改札口の隣に三台並んでいる自販機の前に移動した。
「──見つけた……」
ゾクッと言い知れぬ悪寒が俺を支配した。
振り返れば、血まみれのナイフを握った中年男がぎらついた目で俺だけを見ていた。
黒いロングコートを着用している。
周りの人間は男が持つ刃物に気づいたのか、あちこちからつんざくような悲鳴が上がり、逃げ惑っていた。
狙われてるのは俺か。
男の世界から他の一切合切が消えてしまったかのように俺のことしか視線に捉えていない。
この男の顔には見覚えがある気がした。
「殺してやった……殺してやった……」
口角に泡をためて、狂ったように呟いている。
ああ、思い出した。
家で母親と絡み合っていた男の一人に居たかもしれない。
「……殺してやる……お前も殺してやる……」
ナイフの切っ先を俺へと向けて突進してくる。
殺意で濁った目は俺だけを捉えていた。
どうやら話が通じる状態じゃないらしい。
「……チッ」
舌打ちが自然と出る。
俺は男の手元を正確に狙って蹴りを見舞った。
「ぎゃあっ!!」
男が苦痛で無様な声を上げる。
ナイフが地面を這った。
今度は男が俺に飛び掛かろうとしてきた。
もう一度、構えの姿勢を取り、足を振り上げようとした時、
「そこまでだ」
雪崩れ込むように数人の警察官が男を取り押さえた。
強引に非日常へ引きずりこまれた急展開を努めて冷静に判断しようと頭を働かせる。
「椎名万威くんだね……」
「はい」
キャメル色のジャケットを着た威厳のある男が警察手帳を見せながら、俺に話しかけてきた。
「落ち着いて聞いてほしい。自宅で君の母親が容疑者に刺された」
「……」
「一緒に救急病院へ行こう。車に乗ってくれないか?」
何となく予感はあった。
ただ実感が沸かない。
他に何も聞かなくても、あの女はもう助からないだろうことまで掴めてしまう。
俺の顔面が余りに無感情だったからか、何故か警察官が怯んでいる。
「紅月吏那さんという高校生の女の子が通報してくれたんだ」
吏那……。
心臓に不穏な音がした。
嫌な予感がする。
予感で終わると思えないほどリアルに警鐘が響く。
だったら今、吏那は何処に居る?
「吏那は……!」
「おい、椎名くん! 少し待ちなさい!」
警察官の輪を掻き分けるようにして走り出す。
冷ややかな焦燥感に飲み込まれる。
早く、早く。
吏那の顔が見たい。
この絶望的な焦燥を払い除けたい。
嫌というほど増幅する寒気が俺ごと蝕んで食い潰されそうだ。
「!」
車道の向こう側。タクシーから降りている吏那の姿を見つけた。
「吏那!」
俺の叫びに気づいたのか、吏那がこちらを見遣る。
「椎名先輩っっ!!」
泣きじゃくっていたんだとわかる声の震え方だった。
何で吏那が通報したのかわからない。
でも、俺を助けたのは吏那だろう。
ああ。
野次馬が邪魔だ。
吏那のところまで真っ直ぐ走れない。
「椎名先輩っ!!」
吏那は道路を渡って、こちらに走ってこようとしている。
見るからに平静さを失っていた。
「馬鹿か! そこで待ってろ!!」
喉が切れて痛むほど声を張り上げた。
もう遅い。
吏那は道路に飛び出している。
間にあわない。
「吏那! 早く戻れ!!」
最後の一滴まで搾るように渾身の力で叫ぶ。
俺を裏切るように車道の真ん中で吏那の体は傾いていた。
……まさか……?
寄りによってこのタイミングで……。
「吏那っっ!!」
鳴り響くクラクションの音。
この喧騒が聞こえないのか、吏那は眠りの世界へ引き込まれていく。
残酷にも。
安らかな顔で。
残酷にもいまこの瞬間、吏那は現実から引き離された。
この世界から無防備になっていく。
──吏那を死なせない。
俺は渾身の力で吏那にぶつかった。
次の瞬間には大きな衝撃が俺を襲い、俺の体は簡単に吹き飛ばされていた。
痛みさえまともに感じる余裕もないまま、俺の意識は消失した。


