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 あの日、吏那が目覚めることはなく、迎えに来た宗志さんの車まで吏那を運んだ。

 吏那はとても軽くて簡単に誰かに攫われてしまいそうだとも思った。

 翌日のテスト後、美術室で顔を合わせた吏那は露骨に落ち込み、今にも泣きだしそうに瞳を潤ませ俺に何度も謝った。

 「別に気にしてねぇよ」

 「でも、椎名先輩に迷惑……」

 「かかってねぇ。それに嫌いにもならねぇよ」

 吏那が心配していることはわかったから先回りしてやった。

 どうしたら吏那を嫌いになれるのか、逆に俺に教えてほしい。

 テストの最終日も午前のみで帰れるから、冬休み目前ということもあり、テストの開放感と相俟って生徒たちが最も浮かれる日だ。

 例によって放課後は美術室で吏那と昼食を摂ったけど、今日は勉強をしなくていい。

 「どこか行くか?」

 「……え?」

 「不安にならなくても、俺がついてるだろ。吏那は行きたい場所あるか?」

 「……じゃあ、お買い物しに行きたいです!」

 俺はバイクを置き去りにして、吏那と電車に乗った。

 紺色のピーコートにぺールピンクのマフラーを巻いた吏那は電車が久しぶりなのか辺りをきょろきょろ見回している。

 「電車にテレビみたいなのがあるんですね」

 山手線のトレインチャンネルを見上げて、吏那が感心したようにつぶやく。

 海外からの観光客のように目に映るものが新鮮らしく初々しい反応を見せていた。

 「わ! 混んでますね」

 気を抜けば、忙しなく歩く人にぶつかるターミナル駅。

 ティッシュ配りがたむろしている通りを歩けば、吏那は断れなかったらしく、あっという間に両手いっぱいティッシュだらけになっていた。

 「椎名先輩ー、助けてください」

 「馬鹿か。律儀に全部受け取らなくてもいいんだよ」

 「だって、押し付けてくるんです……」

 涙目で、不満を言う表情が愛らしい。

 俺は吏那の手から溢れそうになっていたティッシュを吏那の鞄に入れてやった。

 「片時も目が離せねぇ女だよな」

 「え……?」

 「何でもねぇ。買い物って何が見たいんだよ」

 「学校で使える膝掛けが欲しいんです。教室は寒いので」

 「わかった。って言っても俺もよくわからねぇから適当に回るか」

 「はい!」

 平日でも人に溢れたファッションビルを幾つか巡る。

 女の買い物に付き合わされてる男の心境なんて考えたこともなかったが、少なくとも居心地がよいものでないのは確かだった。

 けれど、悪くない。

 と、吏那の笑い顔だけで絆されるのだから、ほとほと俺は吏那に弱かった。

 「椎名先輩。付き合ってくれてありがとうございます」

 お目当ての品を手に入れた吏那は満足そうだ。

 意外だったのは、吏那が黒で無地のブランケットを選んだこと。

 吏那のことだから白とかピンクで、キャラがプリントされたファンシー系の膝掛けを好むかと思ってた。

 「宗志さんどこに迎えに来るって言ってた?」

 「西口のロータリーだって言ってました」

 「そろそろ向かうか?」

 「はい」

 どちらからともなく自然と繋いだ手。

 吏那との距離が縮まってるって感じてるのが俺だけでなければいい。

 「万威?」

 人混みの中、不意に俺を呼び止めた声。

 すぐに誰なのかわかって、胸に黒い靄が広がっていく。

 「やっぱり万威ね」

 人目も憚らず、正面から抱き着いてきたのは俺の母親だった。