その瞬間、君は世界に対して無防備になる。

 ***

 がさごそと机の中やロッカーに仕舞いっぱなしの教科書を全て出す。

 ──ない。

 入学式にもらったはずの俺のネクタイピン、どこにやったのか何の記憶もなかった。

 「万威、何してるんだよ?」

 「あぁ。少しな」

 俺の席に近づいてきた織原が疑問を投げかける。

 捨ててはいないはずだから、家に持って帰ったんだろうか?

 あんな小さいモノ、早々に見つかるはずがなかった。

 購買で買ってくるか。

 いや、それでは何か意味がない気がする。

 吏那が喜んでたから渡してやりたいんだけど。

 「今年もマライヤの歌声が俺を苦しめます」

 教科書が散乱した俺の机に顎を乗せてきた各務。

 悲愴が漂いすぎて、本当は触れたくない。

 「生首みたいで気味悪い。それに邪魔だ」

 「マライヤに罪はないしね。八つ当たりはみっともないよ」

 「せめて椎名っちとオリハランは俺を無下にするなよ!
 二人はいいよな。彼女が居て……」

 「別に彼女が欲しかったから、吏那と付き合ってるわけじゃねぇよ」

 机とロッカーにはなさそうだと教科書を再び片づける。

 ふと会話が止んでいることに気づいて、目線をあげると各務も織原も目をひん剥いて俺を見ていた。

 「何だよ?」

 「いや。椎名っちってすごいなーと思って」

 「は?」

 何なんだ、いきなり。

 「紅月さんは幸せ者だね」

 織原が緩く笑う。

 どうして今ここで、そんな話になるのか訳がわからない。

 それより。ネクタイピンを探さないと……。

 すぐにでも吏那に渡してやりたかったのに、見つからないまま時間だけが経ち、3日間の期末考査を迎えていた。

 午前で終了するため、吏那と俺は美術室で変わらず弁当を食べ、それぞれ時間まで翌日の科目を勉強することにした。

 元々静かな美術室だけど、ほぼ無人と化した校内では更にひっそりと感じる。

 それぞれシャーペンをノートに走らせる音だけが室内に響く。

 俺は正面で教科書に向き合う吏那にそっと視線を送った。

 長い睫毛が瞬きの度に揺れている。

 今日は髪を耳の後ろでそれぞれ二つに結っていた。

 吏那はこんなに真剣な表情で勉強するんだと、盗み見しながら見惚れていた。

 何も吏那が言ってこないからネクタイピンの話題を出していない。

 俺が忘れたと思われているのかもしれない。

 どうしても見つけられなかったら、その時に伝えるか……。

 俺の視線に気づいたのか、吏那が上目で俺を窺った。

 「頭が疲れたので少し休憩しますか?」

 「そうだな」

 吏那は座ったまま凝り固まった筋肉を解すように両手を上に伸ばして軽く柔軟体操をした。

 「今日も椎名先輩はバイトですよね?」

 「あぁ」

 「いつか私も椎名先輩が働いてるとこ見たいです」

 「いつでも見れるだろ」

 「私が行ってもいいんですか?」

 「あぁ。場所柄、値段設定は高めだけど、味は保証する。それに……」

 猛さんに吏那を紹介したら、延々とからかってくるだろう。

 「いや、何でもねぇ」

 でも、猛さんはいつも俺を気遣ってくれてるし、目を掛けてくれてるし、それくらい耐えられるか。

 「お客さん、女の人が多いんですよね?」

 「7割は」

 そう答えると、吏那が不安げに目を泳がせた。

 「お兄ちゃんが言ってたんです。
 椎名先輩はお洒落な店で働いてるから年上のお姉様たちに誘惑されまくりだろうって」

 「……」

 宗志さんは何を吏那に吹き込んでいるんだろう。