吏那は惚けたように目を瞬かせ、絡まった両腕が自然と緩くなる。

 「止めんな」

 1年1組の教室は前も後ろも戸が開いていた。

 確かに文化部に使用されているわけでもなく、休憩用に使用されているようだ。

 各自が残り僅かとなった文化祭終了までの時間を持て余していた。

 俺が教室に入ると、不思議と歓談がぴたりと止む。

 ゆっくりと視線を走らせていく。

 この教室内だけ有刺鉄線が張り巡らされているように緊張感が広がっている。

 「椎名先輩っ!」

 俺の背中に追いついた吏那を見た瞬間、顔を引き攣らせた女の集団が居て、直感的に悟った。

 こいつらが首謀だと。

 目配せしあい、顔色が悪くなっている女子たちの前まで進む。

 そいつらの前で足を止め、無表情でじっくり見つめた。

 一人、二人……五人か。

 とりたて特徴もない普通の女子たちだった。

 俺から視線を外さないまま顔が赤くなったり、青くなったりと忙しい。

 わざと口角を不敵に上げてみせた。

 揃いも揃って陶然とした表情をお披露目してくれる。

 ──あぁ。濁流のように怒りがこみあげて仕方ない。

 衝動のまま力任せに腕を後ろに振り上げた。

 俺の拳で教室の窓が割れる。

 「きゃっ!!」

 各所から湧き上がる悲鳴。

 硝子の破片で切れたからか俺の拳からは血が滴り落ちていた。

 体内でマグマのように煮え滾っている怒りが外へと流れ出ているようだ。

 「ご立派な御託を並べるつもりはねぇけどな」

 目の前の女たちは恐怖で竦み上がっている。

 「くだらねぇことしてんじゃねぇよ」

 手の甲の血を舌で舐めとる。

 鉄くさい苦味が舌から全身に広がった。

 「故意に人を傷つけて、何が楽しい? 後先まで考えてやってるのかよ。身体だけじゃなくて、心にまで一生残る傷が残ったらどうするつもりだ。責任取れるのか?」

 騒然としていたはずの周囲が、いつの間にか俺の声以外、無音になっている。

 「俺が吏那を好きで、てめぇらに何か迷惑かけたかよ!」

 あおくさい。なりふり構わない、恫喝に近い俺の台詞を最後に水を打ったように静まり返った。

 そうか。

 俺は吏那のことが好きなのだと。

 自分の台詞で遅すぎるほど今さら、自分の気持ちが鮮明に浮かび上がった。

 「これは、いったい何の騒ぎだ!?」

 廊下にまで収まりきらないほど集まった人垣を掻き分け、教師が2人血相を変え教室に飛び込んできた。

 「椎名! お前、血が出てるじゃないか!」

 「窓ガラスが割れてるのはどういうわけだ」

 「喧嘩か? 誰か説明しろ」

 太い声でがなる教師が面倒くさかった。

 ひそひそと波紋のように観客にざわつきが広がっていく。

 俺は短く嘆息した後、

 「俺がむしゃくしゃしてたんで、1年の教室で窓を割っただけです」

 と教師の前に進み出た。

 「どうも、すみませんでした」

 面食らう教師に、感情が消失した声で頭を下げる。

 「だけじゃないだろう!!」

 「椎名、職員室へ来い!!」

 教師陣は大層な剣幕で俺の腕を掴み連行していく。

 「ち、違うんです!」

 吏那が珍しく大きな声を出した。

 けど、元々声量がないのか、それほど迫力はない。

 「椎名先輩は……」

 言いかけた吏那に、人指し指を唇にあてて「し」と、密やかな合図を送る。

 今にも泣き出しそうなほど吏那は苦しげだ。

 「何でもないんで、早く行きましょうか? 先生」

 好きだと自覚したのと同時に吏那本人に伝わってしまった。

 説教を垂れ続ける教師の話を聞きながら例えようもない羞恥で顔を覆い隠したくなった。

 結果として。

 俺には5日間の停学処分がくだった。

 停学中は山のように各教科から課題を出され、プラスして原稿用紙5枚分の反省文提出が課せられた。

 ちなみに今年のミスターコンは3年が獲得し、俺の二連覇と焼肉は泡沫へと消え去った。

 ただ今年は過去に例を見ないほど大量の無効票が発生したという。

 去年、俺が記録した最多得票数を大幅に更新し、ぶっちぎりで投票数1位だった人物が文化祭で問題を起こして停学処分を受けたことにより、学校側からの指示で獲得した票は全て無効にされたのだという。

「今年も椎名がダントツトップだったのにね……」

 ナミからその話を聞いたのはもう少し先のことだった。