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 「──意外と疲れるもんだな」

 体育館では中夜祭が行われている。

 何組かバンドやダンスをやってるチームがステージに上がって、ライブハウス並みに盛り上がり客は揉みくちゃにされると聞いている。

 俺と吏那は中夜祭に出ずに、非常階段に居た。

 昼の賑わいが嘘のように凪を迎えた校舎。

 5階と4階の中間地点にある非常階段の踊り場。

 宵闇の薄い紺色が頭上に広がっていた。

 体育館から漏れた重低音と歓声が遠くに聞こえる。

 「明日は私も見られますか? 椎名先輩がヴァンパイアになったところ」

 吏那は手摺りに両手を乗せ、隣の俺を見上げた。

 「吏那も見たいのか?」

 「見たいです」

 「何が面白いのかわからねぇな」

 たった10分、店に立っただけで来日して成田空港を歩くハリウッド俳優かってくらい写真を撮られた。

 俺なんてその辺りにいつでも転がってるのに。

 「椎名先輩はわかってないんです。
 自分がどれだけ周りの人に影響を与えているか……」

 吏那が正面を向き直す。

 そういえば、いつも美術室では対面で座っているから吏那の横顔は余り見たことがなかった。

 鼻、意外と高いのか。

 冬の到来を予感させるほんのり冷ややかな風が吏那の髪とスカートの裾を軽やかに揺らしている。

 会話がなくても不思議と気詰まりはしなかった。

 「……椎名先輩」

 「ん?」

 視線を遣ると、吏那の表情には緊張の色が見え隠れしている。

 「……前に椎名先輩に言えなかったことなんですけど……」

 「ああ」

 吏那の緊張はいつも俺に伝わってくる。

 違う。

 これは俺自身の緊張だ。

 吏那に何を言われるのか驚くほど身構えている。

 「しょうもないことなんです」

 「……」

 「余りにも私のわがままで、」

 「……」

 「恥ずかしくて、椎名先輩に言えなくて、気にしないでほしいと言ったんです……」

 吏那は薄い瞼を伏せた。

 何も飾っていない長い睫毛がほんの僅か揺れている。

 「……したから」

 吏那は言いにくそうに続けた。

 「椎名先輩があの先輩を“ナミ“って呼び捨てにしたから、私だけ名前で呼ばれているわけじゃないんだなって、嫌だなって、寂しくなってしまったんです……」

 驚いた。

 俺がナミをナミだと呼ぶのに、特別何かを意識していたわけではない。

 「こんなこと言われても、椎名先輩は困るだけなのに……」

 俺は困ってる……のだろうか?

 驚きはした。

 けど、それ以上に。

 「嬉しい」

 「……え?」

 俺は自分で何を言いだしたのか。

 「や。うまく言えねぇけど……」

 この気持ちをどう吏那に伝えればいいのかわからない。

 「少なくとも悪い気はしてねぇよ」

 吏那を抱きしめたいと。

 今にも溢れ出しそうな衝動を押し止めるのに苦労していた。

 「俺は各務が吏那に慣れ慣れしくしてんのに、いらついてただけ」

 「……え? 私、あの各務先輩って方とはちゃんと話もしたことなく……」

 「それもアウト」

 「?」

 「何が?」と問いかける代わりに吏那はこてっと首を傾げる。

 ああ。
 顔が熱くなってくる。

 「アイツの名前、吏那の口から出てくるだけで、何か癪に障んだよ」

 自分でも何を言っているのか……。

 決まりが悪くて、視線を横に流す。

 俺は世界一かっこわるい男なのかもしれない。

 「……椎名先輩……」

 戸惑いがちに俺を見上げる吏那。

 俺が吏那を見下ろした瞬間、黒に染まり切らない薄暗い空に一つの花火が咲いた。

 「きゃっ……」

 驚く吏那と同じタイミングで自然と空に目を向けた。

 続けざまに二発、三発と大輪が宵空に咲き誇る。

 「花火……ですね」

 「知らなかった」

 眼下ではグラウンドに生徒が溢れ出てきて、花火が一発打ち上がるごとに喝采が起こっている。

 「きれい……です……」

 目線を下げると、流星のように鮮やかな光の粒が吏那に降り注いでいた。

 その表情がせつないほど綺麗で、引き付けられて、目が離せない。

 「明日が……楽しみですね」

 「そうだな」

 いつも吏那が笑っていてもどこか憂いを香らせること。

 吏那の傍に居ると呼吸さえ妨げるこの感情が苦しくても、新鮮で、手放したくないと思った。