その瞬間、君は世界に対して無防備になる。

 ***

 例えば昼より長くなった夜の空気が澄んでいることに気づいたり。

 バイクで走りながら、肌を刺す風が冷たくて眉を顰めたり。

 金木犀が仄かに香ったり。

 そんな些細なことで秋の深まりを知る。

 桜高は来たる文化祭の準備で、みな気が漫ろな様子だった。

 昼休み、放課後、LHRはそれに時間が費やされているけど、俺は当日ヴァンパイアにさえなってくれればいいと特に役割はなく普段と変わらず過ごしていた。

 「お、吏那」

 次の授業への移動のために廊下を歩いていると、吏那に出会した。

 相変わらず吏那は一人で、俺に向けて小さく頭を下げる。

 「今から何?」

 「生物です」

 吏那とは美術室だけでなく廊下などで顔を合わせた時には会話を交わすようになっていた。

 「椎名先輩は?」

 「俺は……」

 「日本史だよん」

 いきなり俺と吏那の間に割って入る各務。

 吏那は自分の前に進み出てきた各務に意表を衝かれたのか、瞬きの回数が増した。

 「初めまして。椎名っちの大親友の各務です!」

 各務は立ち尽くす吏那にまた一歩近づくと、紳士よろしく大袈裟な動作でお辞儀をした。

 「誰が大親友だよ」

 苛立ちの感情が疼いた俺は各務の肩を掴んで後ろへ引く。

 吏那は困惑顔で俺と各務を見つめていた後に

 「……紅月吏那です」

 と挙措正しく各務に頭を下げながら伝えていた。

 これに気を良くするのはお調子者の各務なら当然といえば当然で。

 「知ってるよー! 1年の特進クラスの吏那ちゃん。
 椎名っちみたいな無愛想無気力男だけじゃなくて俺とも仲良く……って椎名っち!! 肩の骨が砕ける!!」

 涙目になった各務が体を大振りで捩らせる。

 どうやら俺は各務の肩を掴んだ手に暴力的なまでに握力を加えていたらしかった。

 「勝手なことばっか言ってんな。
 吏那に馴れ馴れしくするんじゃねぇよ」

 ひどく業腹で、救いようがない。

 各務は俺の威圧にびくついたものの立ち直りと開き直りの素早さは天下一品だった。

 「別に椎名っちの彼女じゃねぇだろー。
 椎名っちがそれ言う資格ないんじゃね?」

 一瞬、呼吸が不能になった。

 言い返せる言葉など何もない。

 彼女でもない吏那を彼氏でもない俺に縛る権利がないのは当然だった。

 「とにかく各務は無性に苛々するんだよ」

 「何それ!? 椎名っちの暴君!!」

 「相変わらず各務は騒がしいわね」

 心底、呆れたような表情でナミが近寄ってきた。

 「やかましい各務を止めるのは織原くんの役割でしょ?」

 「いや、面白いなと思ったんでね」

 ずっと静観を貫いていた織原に一瞥されたのは各務じゃなく俺。

 「ナミゾー! 椎名っちが俺に冷たいんだけど」

 「あ、そう。ね、椎名。文化祭のミスター&ミス桜高の宣伝ポスターが出来たの」

 ナミが広げて見せたのはアイドルのポスターと見紛うようなクオリティの高さで。

 今年のミスター&ミスコンの案内と、いつ撮られたのか定かでない俺の写真が縦半分を占めている。

 「今年は予算があったから、仕上がりをプロに頼んだのよ。コンビニのカラコとはレベルが違うでしょ?」

 得意げなナミに怒りすら沸いてこない。

 盗撮だろ、これ。

 俺に肖像権ってやつは存在しないらしい。

 「椎名っちと去年のミス桜高の村松先輩じゃん」

 「これは本当にレベルが高いね。文化祭で使うだけとは思えないよ」

 「でしょでしょー? さすが織原くんはお目が高い!
 でも、このポスター校内中に貼って回ってるんだけど、すぐ剥がされて盗まれちゃうの。盗難防止に何かいい案ないかしら」

 ナミに話を振られて織原がポスターを眺めながら考え込む素振りを見せている。

 「村松先輩ってやっぱり美人だよなー。厚めの唇がセクシーでたまらん!」

 「そうね。今年もミスの本命は村松先輩よね」

 「椎名っちとこうして並んでるとお似合いだよな。
 クソッ! イケメンなんて滅びやがれ!」

 「うるせぇな」

 最高にうんざりしてきた。

 「椎名。怒った?」

 「今更だろうが」

 「今度、ギャラとして購買のメロンパンおごるから」

 「安いギャラだな。別にナミに怒ってねぇよ」

 「良かったー! 盛り上げるためには目立つ椎名を使わないとね」

 やや誇張して喜んだナミは、ふと吏那に目を留めた。