***
日暮れが日に日に早くなっていく。
衣替えも迎え、制服の紺ジャケットを羽織ると校舎内に帯びる空気も秋色に染まる。
季節は変わる。
音もなく着実に。
今この瞬間にも。
吏那との美術室での昼休みの密会は続いていた。
吏那に関する知識が俺の中に、一つ、また一つと蓄積されていく。
例えば、吏那の水筒の中身は常に温かい紅茶だということ。
時に残暑が厳しい日もあったが、
「体を冷やすのは良くないみたいなんです」
と、吏那の持論。
常に紅茶はストレート。
レモンもミルクも必要ないらしい。
その舐めれば甘そうな見かけとは裏腹に吏那は毎朝ブラックコーヒーを飲むのが習慣だという。
「よくブラックコーヒーなんて苦ぇもん飲めるな」
「おいしいですよ」
「信じられねぇ。コーヒー牛乳でも苦いのに」
「椎名先輩の味覚こそ信じられないです」
案外、吏那は言われっ放しじゃなく、はっきりと自分の意見を伝えようとする。
ふわふわ、ぽやぽやしているだけの女だと侮ることなかれとでも主張されているようだ。
「いただきます」「ごちそうさまでした」を、きちんと手を合わせて御辞儀して言う。
米粒一つ残さず食べる。
箸使いも上手で、食べる所作も綺麗。
吏那の家庭がどれだけしっかりしているのか吏那とそう時間が経たずとも窺い知れた。
たまに、俺のコンプレックスを刺激されたけれど。
俺は母親に弁当を作ってもらった記憶なんて一度もなかった。
遠足の時、運動会の時、事あるごとに俺だけがコンビニ飯。
ガキの時はそれを見られるのが嫌で一人はぐれて昼休憩をとっていたし、弁当持参の周りのクラスメイトが羨ましくて仕方なかった。
こんな情けなくて弱い記憶、とっくに忘れたと思っていた。
感傷的になる自分を自分で持て余す。
秋冷のせいか、吏那のせいか……。
「椎名っちー! さつきちゃんがネクタイピンつけてたけど、椎名っちじゃないよな?!」
休み時間、睡眠に興じようと思っていた俺の元へ各務が大声を出してやって来る。
何で各務はこうも声のボリューム調整が狂っているのか。
「あ?」
機嫌が損なわれたのを露骨に表情で出しても、各務に効き目はない。
「だから、さつきちゃんに椎名っちのネクタイピンが……」
「は? わかるように話せ」
「万威がその手の話に興味を示すわけがないだろう」
わめく各務を窘めるように肩へ手を置き、織原が割って入った。
「桜高に入学した時、校章が刻まれたネクタイピンをもらったの覚えてるか? 誰も使ってないやつ」
「ああ。そうだったな。何処にやったのか覚えてねぇけど」
「桜高では彼氏のネクタイピンを彼女がリボンにつけるのが流行ってるんだよ。
ほら。うちのクラスの松本さんもつけてる」
織原が目で示した先、女子の臙脂色のリボンに、シルバーに煌めくネクタイピンがつけられている。
明らかに本来の役割を担っていない。
「松本さん。特進コースの奴と付き合ってるからね」
「そんなのが流行ってんのか」
全然、知らなかった。
もう高校生活の折り返し地点を迎えているというのに、いかに俺が周りに無関心だったか再認識する。
「さつきちゃんもリボンにネクタイピンつけてたんだよ。椎名っちのじゃ……」
「ねぇよ」
疑惑の目つきを向けてくる各務にはっきり答える。
「つーことは、つい最近さつきちゃんは椎名っちに告ってたのに、もう別の彼氏が出来たってことかああ!!」
日暮れが日に日に早くなっていく。
衣替えも迎え、制服の紺ジャケットを羽織ると校舎内に帯びる空気も秋色に染まる。
季節は変わる。
音もなく着実に。
今この瞬間にも。
吏那との美術室での昼休みの密会は続いていた。
吏那に関する知識が俺の中に、一つ、また一つと蓄積されていく。
例えば、吏那の水筒の中身は常に温かい紅茶だということ。
時に残暑が厳しい日もあったが、
「体を冷やすのは良くないみたいなんです」
と、吏那の持論。
常に紅茶はストレート。
レモンもミルクも必要ないらしい。
その舐めれば甘そうな見かけとは裏腹に吏那は毎朝ブラックコーヒーを飲むのが習慣だという。
「よくブラックコーヒーなんて苦ぇもん飲めるな」
「おいしいですよ」
「信じられねぇ。コーヒー牛乳でも苦いのに」
「椎名先輩の味覚こそ信じられないです」
案外、吏那は言われっ放しじゃなく、はっきりと自分の意見を伝えようとする。
ふわふわ、ぽやぽやしているだけの女だと侮ることなかれとでも主張されているようだ。
「いただきます」「ごちそうさまでした」を、きちんと手を合わせて御辞儀して言う。
米粒一つ残さず食べる。
箸使いも上手で、食べる所作も綺麗。
吏那の家庭がどれだけしっかりしているのか吏那とそう時間が経たずとも窺い知れた。
たまに、俺のコンプレックスを刺激されたけれど。
俺は母親に弁当を作ってもらった記憶なんて一度もなかった。
遠足の時、運動会の時、事あるごとに俺だけがコンビニ飯。
ガキの時はそれを見られるのが嫌で一人はぐれて昼休憩をとっていたし、弁当持参の周りのクラスメイトが羨ましくて仕方なかった。
こんな情けなくて弱い記憶、とっくに忘れたと思っていた。
感傷的になる自分を自分で持て余す。
秋冷のせいか、吏那のせいか……。
「椎名っちー! さつきちゃんがネクタイピンつけてたけど、椎名っちじゃないよな?!」
休み時間、睡眠に興じようと思っていた俺の元へ各務が大声を出してやって来る。
何で各務はこうも声のボリューム調整が狂っているのか。
「あ?」
機嫌が損なわれたのを露骨に表情で出しても、各務に効き目はない。
「だから、さつきちゃんに椎名っちのネクタイピンが……」
「は? わかるように話せ」
「万威がその手の話に興味を示すわけがないだろう」
わめく各務を窘めるように肩へ手を置き、織原が割って入った。
「桜高に入学した時、校章が刻まれたネクタイピンをもらったの覚えてるか? 誰も使ってないやつ」
「ああ。そうだったな。何処にやったのか覚えてねぇけど」
「桜高では彼氏のネクタイピンを彼女がリボンにつけるのが流行ってるんだよ。
ほら。うちのクラスの松本さんもつけてる」
織原が目で示した先、女子の臙脂色のリボンに、シルバーに煌めくネクタイピンがつけられている。
明らかに本来の役割を担っていない。
「松本さん。特進コースの奴と付き合ってるからね」
「そんなのが流行ってんのか」
全然、知らなかった。
もう高校生活の折り返し地点を迎えているというのに、いかに俺が周りに無関心だったか再認識する。
「さつきちゃんもリボンにネクタイピンつけてたんだよ。椎名っちのじゃ……」
「ねぇよ」
疑惑の目つきを向けてくる各務にはっきり答える。
「つーことは、つい最近さつきちゃんは椎名っちに告ってたのに、もう別の彼氏が出来たってことかああ!!」


