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 ──少しも落ちつかない。

 昼休みの美術室で一人、コーヒー牛乳のパックを飲みつつ、ちらちら扉に目を遣る自分が女々しくて嫌になる。

 もう昼休みも半分は過ぎ、普通の生徒だったら昼食を食べ終わって談笑に入っている時分。

 ここに来ない現実が吏那の答えだろう。

 諦めが気持ちを塞ぐ。

 ──諦め?

 ということは俺は吏那に何の期待をかけていたのか……。

 ──ガラッ
 その扉は唐突に開いた。

 「椎名先輩……遅れました」

 桜高指定のブラウン革のバッグを華奢な肩に引っ掛け、吏那が現れた。

 紙パックのストローを唇に添えながら、俺の表情筋は硬直した。

 「何だか付けられちゃって……。撒くのに苦労してたんです」

 吏那は廊下を確認してから引き戸を閉めて、こちらに歩み寄ってくる。

 薄い反応しか返せなかったのは、吏那が来た時の準備というものが出来ていなかったから。

 「お邪魔していいですか?」

 「あ、ああ……」

 吏那は俺の斜向かいに腰かける。

 「わ、机が温かい……!」

 木材で出来た机は日の光を存分に吸収して温もりを放つ。

 吏那は小さな弁当箱と白い水筒を取り出した。

 「小さっ。それで足りるのかよ」

 二段だとは言え、体積の乏しいいかにも女子の弁当箱。

 「足りますよ。私、いっぺんに余り食べられないので……」

 吏那は水筒のカップにぼとぼとと茶色い液体を注ぎながら、笑顔を作る。

 俺も食には執着があるタイプではない。

 「椎名先輩こそ、パン1個だけですか?」

 俺の前に置かれた包装されたままのメロンパンに視線を遣って、吏那が問う。

 「昼はこれで充分」

 「メロンパンが好きなんですか?」

 「ここの購買のは、な」

 「コーヒー牛乳もですか?」

 「そっちは別に。この学校、冷たいココアがないからこれかミルクティーにしてるだけ」

 吏那は目を真ん丸く見開いてから、

 「椎名先輩、甘党なんですね」

 と、宝物を見つけた子どもみたいに無邪気に目尻を下げた。

 「悪いかよ」

 「え? 悪くないです! 少しもっ!!」

 お箸を置いて慌てふためく吏那。

 その必死な困り顔が可愛くて、もっと困らせてみようかと俺の中の悪魔が囁く。

 「怒ってねぇから。ほら、さっさと食え」

 ただでさえ整いすぎて冷たいだの黙っていると怖いだの言われる俺の顔。

 吏那を困らせるのは望まない。

 俺もメロンパンを食べ始めると、吏那は安心したように微笑む。

 「良かった。私、喋るのが苦手で、椎名先輩を怒らせたのかと思ったんです」

 「俺はそこまで短気じゃねぇよ」

 「え? そうじゃなくって、私の喋りが下手だからって意味で……」

 「落ち着けって」

 すぐにあたふたする吏那がツボに入って仕方ない。

 くつくつ笑う俺を眉を下げて吏那はじっと観察している。

 「安心しろ。俺も喋るの得意じゃねぇから」

 得意じゃないというか面倒なだけ。

 不思議と吏那とは面倒だとか思わずに自然と笑えている。

 「弁当こってるな。吏那が作ってるのか?」

 「いえ。これはお母さんが、久しぶりだからはりきって作ってくれて」

 「久しぶり?」

 吏那はそこで唇を閉じた。

 聞いてはいけない話題だったのかと直感で悟る。

 けど、吏那は痛みに耐えるような苦い笑みを滲ませて続けた。

 「私のお弁当箱、しょっちゅう無くなってしまうんです。いつも、ごみ箱に中身をひっくり返された形で捨てられてました……」

 心臓に何かが刺さったような感覚に襲われた。

 「私のお弁当箱が捨てられたことより、私のために早起きして作ってくれたお母さんの気持ちを思ったらつらくて、とても申し訳なかったです」

 どうして吏那が過ちを悔いているような表情を浮かべているのか。

 俺は歯噛みしていた。

 「だからお母さんには『購買のパンが食べたいから』って嘘をついて、しばらくお弁当を作ってもらってなかったんです」

 痛々しい嘘だった。

 俺が黙していたからか、吏那は先の言葉を急いだ。

 「だから昨日の夜、お母さんにお弁当を作ってって頼んだ時、とっても嬉しそうでした。椎名先輩のおかげです!」

 「俺の?」

 「はい。椎名先輩のおかげで私の上履きとか教科書とか私のものが無くならなくなりました」

 「それ、俺のおかげじゃねぇって」

 「椎名先輩のおかげです」

 「俺じゃねぇよ」

 「椎名先輩です!」

 「吏那は意外に強情」

 「椎名先輩こそ」

 吏那が控えめに笑う。

 不毛な言い合いが何故か楽しい。

 俺の行動が正解かはわからないけど、吏那が喜んでくれてるならいいかとも思う。