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 「椎名っち。今日の朝、1年のさつきちゃんに呼び出されてただろ?」

 「あ? 誰だ。それ」

 3時間目終了後の10分休憩。

 各務が険しい形相で俺の席へとやってきた。

 寝るつもりだったのに。

 「そういや、何か告られたな」

 「うおーっ! さつきちゃんまで椎名っちかよ!!」

 頭を抱えて吠える各務に、自然と眉が寄る。

 「まさかフったんじゃねぇよな?」

 「まさかって何だよ。付き合わねぇけど」

 「もったいねぇぇぇ!!」

 「声、落とせ。馬鹿」

 「何で椎名っちばっかりモテんだよ。俺と椎名っちの何が違うって言うんだー!」

 「いや。全部でしょ」

 近づいてきた織原が、人好きする笑みで毒を混ぜた。

 「オリハランまで、ひでぇよ! 自分は女子大生の彼女が居るからって彼女がいない俺をみくだしてんだろ」

 「被害妄想はやめてくれないかな。それと、その呼び方も」

 「あー! 神様は不公平だー! 何で椎名っちみたいな無気力甘党男子がモテんだよー!」

 本気で各務はうるさすぎた。

 女にモテるからって何の価値があるのかわからない。

 告白を受けたところで1円にもならない。

 「──ん?」

 昼休み。いつも通り、美術室に行く前に体育館前の自販機でミルクティーを買う。

 その場でプルトップを開け、口に含んだ。

 今日は暑さがだいぶ和らいでいる。

 ふと目線を下げた時、自販機横に設置されたごみ箱に空き缶とは異なる物体を目にした。

 エンジの上履きは1年のもの。

 サイズの小ささからいって一目で持ち主は女子だと判明した。

 自分で捨てた訳ではないだろう。

 くだらない幼稚なイジメに眉を潜めたが、普段の俺だったらそのまま無視して見ない振りをしたはずだ。

 見過ごせなかったのは、踵の部分に律儀に書かれた名前のせい。


 左に“紅月“
 右に“吏那“

 腹の底から込み上げる感情。

 それは怒りだと言い換えてもいい。

 吏那の上履きをごみ箱から拾い上げ、行き先を変更する。

 1年の教室が連なる廊下を歩いていると、紺の上履きの上級生が珍しいからか視線が俺に集まった。

 「うそっ?! 椎名先輩じゃない!」

 「こんな近くで初めて見た! 超かっこいい!」

 各務以上に騒々しかった。

 何で俺は自らこんな怠いことをし始めたのか。

 勝手に集まる注目を引き連れながら、廊下を進む。

 1年1組の教室の扉は開いていた。

 「吏那!」

 後方の戸に手をかけ、入口から呼び掛ける。

 机を合わせ、それぞれ群れになって昼食をとっている連中が一斉に喋るのを止めて、俺へと振り返った。

 教室の中央付近にぽつんと座っていた吏那も。

 幽霊にでも遭遇したように、大きな目を見開いて、俺の姿を認めた。

 やっぱ露骨に一人か。

 「吏那。お前、上履き忘れてたんだけど」

 机の間を縫って吏那に近づいていく。

 教室中、いや廊下からも俺に一点集中している数多の視線はあえて無視した。

 「え……?」

 吏那は透き通るような白い肌を桃色に染め、子犬のように黒目がちな瞳を頼りなく揺らして俺を見ていた。

 椅子から立ち上がったのは育ちの良い証だろう。

 吏那の足もとは安っぽい黄緑色のスリッパが履かれていた。

 この集団生活の中で、自分だけ違うってことが高1の女にとって、どれだけいたたまれないことか俺には推し量りきれない。

 煮え滾る怒りを押し込め、あくまで冷静でいるよう努めた。

 「“自販機横のごみ箱“に上履き忘れるって、吏那はどれだけ抜けてんだよ」

 異様なほど静まり返った教室内。

 どこかで息を呑んだ音がした。

 「手間かけさせんな」

 腰を曲げ、吏那の足元に拾ってきた上履きを置く。

 起き上がった時に吏那だけにわかるように、口角を上げて笑いかけると、吏那は小さな唇を噛み締め、ずっと俺を見つめていた。

 「また“忘れ物“した時は俺に言え。一緒に探してやる」

 吏那の頭にポンと軽く手を乗せ、俺はそのまま1年の教室から出ていった。

 少しくらいは牽制になっただろうか?

 それとも余計なお世話だっただろうか?

 買ったばかりのミルクティーを何処にやったのか忘れるほど、俺は怒りに支配されていたみたいだ。