その瞬間、君は世界に対して無防備になる。

 ***


 「っあっ……ああっん」

 いつも通り猛さんに賄いを食べさせてもらってから帰宅した。

 自宅の玄関扉を開けた途端、嬌声が出迎えて舌打ちが出る。

 築何十年も経過した鉄筋の集合マンション。

 そこの503号室が俺の自宅だった。

 家でするなって言ったのに。

 何処までもだらしないふしだらな女。

 それが俺の唯一の肉親である母親だった。

 リビングの扉がうっすらと開いている。

 廊下を進みながら、リビングに視線を投げると、半裸な母親が男の上に乗りソファーで絡み合っていた。

 喉が渇いてるのにそこを通らなければ冷蔵庫にたどり着けない。

 こんな状況に慣れきっている俺は、そのまま風呂場に直行した。

 母親は今の俺と同じ17歳の時に俺を生んだ。

 家庭環境が悪く、身一つで田舎から逃げるように上京した母親。

 中卒で金もない子どもが冷たい都会で生きていけるはずもなかったが、母親には武器があった。

 誰もが無視できないほどの存在感を放つ圧倒的な美貌。

 運が良ければ、芸能プロダクションにスカウトされて女優やモデルで通用したかもしれない。

 だけど不運な母親が落とされたのは夜のネオン街。

 誰が種ともしれない俺を孕んで、一人で俺を産み、また生きるために“女“を使う。

 男に媚びを売り、抱かれて、金を手に入れる。

 娼婦でしか生きられない運にも見離された哀れな女。

 あの女の股から自分が産み出されたのかと思うと、拒絶反応しか生まれなかった。

 物心ついてから、母の男を何人と見てきたかわからない。

 俺を可愛がる素振りを見せる男もいれば、露骨に邪魔にしてくる男もいた。

 男に寄生して、金を吸い、枯れたら、また次の男へ。

 蜜を求め、飛び、舞う、ふしだらな蝶。

 ──冗談じゃなかった。

 そんな金で育てられる自分が汚らわしいとしか思えなかった。

 だけど、生きるのには金が要る。

 息をするのにも金がかかる。

 こうしてシャワーを浴びている水道代も、シャンプーもボディソープも、照明を灯す電気代も、歯ブラシひとつ買うのでさえも……。

 金がなければ生きていけない。

 金がなければ何も出来ない。

 それがこの世の現実。

 ガキの俺は何の力も持たない。

 「万威。帰ってたのー?」

 フェイスタオルで髪の水分を拭きながら風呂場から出ると、情事後の汗を流すためか、シャワーを浴びに来た母親が居た。

 大きな白いシャツ一枚羽織っただけでは情事の余韻を隠すどころか更に放出している。

 高校生の息子が居るとは、誰も想像が及ばないほど、どこまでも美しく淫らな女だ。

 「ふふ。また万威に怒られちゃうわね。
 私はちゃんとベッドでやろうって言ったのよ。なのに、あの男キッチンで盛っちゃって……」

 乱れた長い髪を直して、母親は妖しく笑みを作る。

 「誰も聞いてねぇよ」

 「冷たいわね。万威」

 無視して通り過ぎようとすると、母親が白い足の裏を壁へとつけ、通せんぼする形で俺の通行を阻んできた。

 「ほんっと、我が息子ながらいい男に成長してるわ……」

 母親が俺の顔へと細い指先を添える。

 男は馬鹿な生き物だ。

 この女の淫靡な魅力にはまって、朽ちていく。

 「触るな」

 母親の手を振り解いて、部屋へと戻る。

 「クールね。女の子が放っておかないでしょ? 万威を盗られるなんて妬けるわ」

 俺の態度も意に介さない余裕気な声色が癪に障る。

 ──俺は母親の所有物じゃない。

 「くそっ……」

 乱暴にベッドへ身を投げた。

 胃から何かが競りあがって吐き気さえ催す。

 いつからだろう。

 あの女に生かされてる自分に嫌悪感しか抱けなくなったのは。

 金を使うってことに罪悪感が付き纏うようになったのは。

 俺の衣食住の何もかもあの女の庇護がなけりゃ成り立たない。

 ランドセルを背負っていた時分から俺のノートも鉛筆も体操服も俺を纏う全てが穢れている気がした。

 汚れた金で生きてる自分に反吐が出る。

 不必要に金を使わないのもバイトしてるのもその為だった。

 絶対に俺は自分で金を貯めて、一日でも早く母親から解放されてやる。