「誰か、小野寺に水かけてやれ」

 曽我の声がした。おそるおそる誰かが近寄ってくる足音がかすかに聞こえた。ペットボトルの蓋を開ける音がして、額から冷たい水が浴びせられた。

 冷えた水は熱をもつ打撲痕にひどく心地よく、切った口元には鋭くしみた。

「派手にやりましたねー」

 目を開けると、ペットボトルを持った津和野がしゃがみこんでいる。ボロボロの秀幸を前に、なぜかちょっと嬉しそうなのだ。

 秀幸はもう一度目を閉じた。

(俺はずるい奴だ)

 プライドをはぎとられ、生皮をむかれたように心がひりつくのを感じながら、ぼんやりそう思った。

(失うのが怖かったんだ)

 茅野の端正な顔が、すぐ隣で自分を見上げる時の表情を思い出した。寮のベッドの中で見せる、宗教画の天使のような寝顔を思い出した。それらはいつも練習に疲れ、ぬくもりに飢えた秀幸の心を満たしてくれた。

(俺のそばで笑っていてくれればいい。そう思って、臆病な自分を正当化してたんだ)

 茅野を抱きたい。今は素直にそう思えた。

(どんなくそったれな現実にでも立ち向かう。俺に必要なのは、そんな馬鹿正直な覚悟だったのかもしれない)

 今から本当の気持ちを伝えたら――もう遅すぎるだろうか。

 秀幸はもう一度目を閉じた。