君の膝の骨になりたい

 これ以上ないほどやさしく平穏な気持ちだった。静かな部屋の中でたがいの呼吸音だけを聴いていると、再来週から始まる公式戦のことも、膝の痛みのことも、どこか遠くの世界のことのような気がした。

(俺たちはもう疲れたんだ)

 秀幸はぼんやり考えた。

 誰かの期待を背負って強く正しく生きることに、少しだけ疲れてしまったんだ。このまま彼だけを抱いて、全てを捨ててどこかへ逃げてしまえたら――。

 祈るようにそう考えた。

 ふいに茅野がかすれるほどの小さな声で尋ねた。

「秀幸、僕そっち向いてもいい?」
「だめ」
「秀幸」

 懇願するように訴える。

「今は、だめ」
 秀幸は目を閉じ、太い腕の力を抜いて、あやうい関係ごと茅野を内側に閉じこめた。今はこのままでいい、と自分に言いきかせるように。

     ※   ※   ※

 秀幸は夕食前に茅野を起こし、玄関まで送っていった。リュックを背負った背中は、ちょっとうかれたように、ひょこひょこ上下に揺れる。短い添い寝がお気に召したのだろうか、と秀幸は愛しく思った。

「じゃあ、また、来週掲示板の前で待ってるね」

 そう言って踵をかえすと、とんとん、とタイル敷きのアプローチの階段を降りていった。