看護師が膝から注射針を抜いた。控えていたもう一人が、脱脂綿でおさえ、上からテープを貼ってくれた。

「それで、俺に来年はないんですか?」

 静かに尋ねると、速水医師はカルテに向かったまま首だけをまわしてこちらを見た。

「小野寺くん、来年が最上学年だよね。やりたいよね」

 背もたれに背中をあずけて、ふうっとため息をつく。

「手術について、もう少し前向きに考えてみてもらえないかな」
「十字靱帯じゃないんだ。半月板は、メス入れたら即引退ですよね」
「十字靱帯だって昔はそう言われていた。それでも手術をして一線に戻ってくる選手たちがその常識をくつがえしてきたんだ。君が道をきりひらけない理由なんか、どこにもないんだよ」

 優しくいいきかされる。希望を感じさせる言葉だが、それは報われる保証のない茨の道だ。

「俺は一分でも、一秒でも長くグラウンドに立っていたいんです」
「小野寺くん、もう少し長期的な視野にたって考えられないかな」

 辛抱強く話し続ける医師の前で、秀幸は下唇を噛んだ。

 口の中で、胸の奥からつきあげてくる言葉を殺す。

 俺が試合に出ることで、喜んでくれる人がいるんです。その人は、すごく生きづらい世界を耐えているんです。俺がトップスピードで跳ぶように走り、ステップで鮮やかに敵をかわし、ゴールラインに飛びこんでトライをとるのを見て、生き返ったように興奮して喜ぶんです。勇気がわくって言ってくれるんです。

 そんな彼のことが――俺はどうしようもなく愛おしいんです。俺たちのそんな関係をどうか壊さないで。ほうっておいてください。俺の選手生命なんて、今の彼の笑顔となんの未練もなくひきかえにできるんです。

 迷いのない気持ちでそう考え、一瞬にして悟った。

(そうかこれが、恋だった)

 漫画やドラマの中でしか知らなかった恋だった。自分とは無関係のものだと勝手に決めていた気持ちだった。