君の色を教えて

 六月。天気は雨、雨、雨!のじめじめした毎日。
でも、そんな中、天気とは真逆の明るい太陽みたいな笑顔で、僕たちの前に立っている二人がいる。

「俺たち、ついに、付き合うことになりました〜!」

「「おぉ〜!」」

そう、なんと、なんと!
みっくんと花音さんが、ついにお付き合いを始めることになったらしい!
先月から何回か放課後デートをして、昨日、みっくんから告白したみたいだ。

ちなみに、告白したこと自体は、昨日の夜の時点でLINEで聞いていた。
結果は秘密〜♪と、秘密になっていない文面でメッセージを送ってきたから、まあ、ぶっちゃけ成功したと思ってたけど……。

「おめでとう、みっくん」

「湊斗、おめでと」

「へへ、ありがとっ」

いざ、目の前で直接その報告を聞くと、嬉しくて堪らなかった。
きっと、夏くんも同じだと思う。

「あ、雪乃来たから、またねっ」

「おう!」

花音さんは、ちょうど登校してきた雪乃さんのところへ駆け足で行ってしまった。
顔がほんのり赤くなってたから、多分照れ隠しかなぁ。

「いやー、ほんと、二人ともありがとな」

「ふふ、良かったね、みっくん」

「俺は別に、何もしてないよ」

「いやいや!めぐみと夏には散々相談乗ってもらったからさぁ〜。本当に感謝してる!」

「うん、まあ、確かにうるさかったね」

深々とお辞儀をするみっくんに、ちょっとふざけて冗談言ったら、勢いよく「おい!」とぷんぷんされてしまった。

「ま、そういうわけで。めぐみや夏に好きな人ができたら、今度は俺が応援するからな」

今度は、応援……。
うーん、僕に好きな人ができるのは、いつになるか分かんないけどね。
でも、夏くんは、もしかしたら―――。

(もやぁ)

「へ?」

「ん?どした、めぐみ」

「っ、いや、なんでもない」

あれ、何、今の。
胸がもやぁって、なんか気持ち悪かった。
今、僕が想像したのは……
夏くんと可愛い女の子のデートを、僕とみっくんが応援する場面。

(ズキ)

「ひぁ、」

「めぐみ?大丈夫?」

「だ、大丈夫」

あれ、なんか、応援したくないかも。
……なんで?
みっくんの恋は、全力で応援できたのに。
夏くんの恋は、応援できないのかな、僕。

「まー、めぐみはともかく、夏は好きな人いるの?」

「っ!」

「えっと……いない、けど」

ホッとした。
夏くんの恋を応援できるかどうか悩んでいる真っ最中に、好きな人がいると夏くんの口から聞いたとしたら、きっと僕はどうしていいか分からなくて倒れてしまう。

「そっかー。じゃ、もしできたら教えてくれよ」

「……うん……」

「めぐみも!そろそろ初恋とかないのかよっ」

「いでっ!背中叩かないでよみっくん」

困ったなぁ。
なんでだろう。

……いや、冷静に考えると、夏くんは芸能人みたいな存在で、モテるのは当然。
運良く仲良くなれて感覚が麻痺してたけど、そもそも僕みたいな平凡な男子が彼と遊べるなんて、そっちの方がおかしいんじゃないか……⁉︎
夏くんが特別だからって、僕まで特別になった気になってたんじゃないか……⁉︎
本来、イケメンでモテモテな夏くんが放課後を一緒に過ごす相手としては、可愛くて綺麗な女の子が相応しいんじゃないか……⁉︎

「うぅ……」

慣れって怖い。
夏くんの隣に自分がいるのが〝普通〟になってた。
だから、夏くんと他の子が遊んでいるのを想像すると、どうにも違和感があるし、羨ましいって思っちゃうんだ。

「……ぐみ、めぐみ」

「わっ!な、夏くん、どうしたの?」

「なんか、ちょっと顔色悪い?」

「そ、そうかなぁ……って、みっくんは?」

「他クラスのサッカー部の人に呼ばれて出て行ったよ」

「そっか……」

「……」

なんだか夏くんと目を合わせられなくて俯いていたら、ぴと、とひんやりとした手が額を覆った。

「な、夏くん」

夏くんの手だった。
顔を上げたら、目が合ってしまった。
その瞳はやっぱり優しすぎるし美しいのに、視線の先にいるのが僕でいいのかな。

「熱はなさそう、かな。具合悪かったら言ってね」

「……!」

僕の顔を、心配そうに覗き込んでくる。
そんな夏くんに、僕はコクリと頷くことしかできなかった。
一瞬でも、ほんのわずかでも、夏くんの恋を応援したくないと思ってしまった罪悪感のようなものが、胸の奥に引っかかってしまったから。







「ということで、今日から文化祭準備期間!コスプレ写真館の出展に向けて、クラスで力を合わせて頑張ろう!」

黒板の前で息巻くのは、文化祭実行委員の速水くん。
細い黒フレームの眼鏡がよく似合う男の子で、授業でもハキハキと積極的に発表する姿が印象的だ。

「さて、以前の話し合いで、それぞれ何のコスプレをするか決まっていると思いますが……クラスを三グループに分けて、この三日間で各グループ撮影をしてもらいます。その日に撮影のないグループは、教室内の装飾や入場者特典の準備を進めてください」

そう、僕たちのクラスは、今週末の文化祭で……
コスプレ写真館というものをすることになった。
みんなそれぞれ好きなコスプレをして写真を撮り、それを展示するというシンプルな出し物。
当日はコスプレをしたスタッフ係が、シフト制で案内などをすることになっている。

「めぐみー、俺たちは今日撮影だよな」

「うん!夏くんも一緒に、三人でカメラ一つ使おう」

「めぐみ、湊斗、更衣室行こ」

僕ら三人は、今日が撮影日。
クラスに支給された撮影カメラで、互いに撮影しあうんだ。

さてさて、肝心のコスプレ衣装は何かというと……。

「みっくん、めちゃくちゃ似合ってる……!」

「うん、似合ってる。王子様だ」

「へへ、めっちゃ恥ずかしいけどな……」

みっくんは、なんと王子様の衣装!
花音さんにリクエストされて即決したらしい。
みっくんは私服もラフな感じが多いし、こんなにピシッとした服を着ているのはすごく新鮮だ。
髪も夏くんにセットしてもらって、とってもいい感じ。

「夏は……うん、かっこよすぎるな!」

「本当に……夏くん、クオリティ高すぎるよ!」

「そ、そうかな……?」

夏くんの口の端からは、鮮やかな血が流れている。
頬にも痛々しい傷がある。
もちろん、これらは全て……メイクだ。

「いやー、演劇部のヴァンパイア衣装、めっちゃいいな」

「うん。予算もあるし、貸してくれて助かったよ」

夏くんは美しいヴァンパイアになった。
ナチュラルメイクが上手なのは知ってたけど、こういう特殊メイクまで得意だなんて。
すごいなぁ。綺麗だなぁ。
夏くんヴァンパイアに血を吸われても、あんまり痛くない気がする。

「そんで、めぐみは通常運転か?」

「ちょっと!クラス予算使ってないんだから感謝してよね」

まあ、みっくんの言う通りだけど。
この白猫のルームウェアは、冬のパジャマにしているやつだから、僕にとってはコスプレではなく通常運転だ。
今年の冬に新しく買ったものだから、見た目は新品に限りなく近いはず。

「めぐみ、可愛いよ」

「ほ、ほんと?」

「うん」

夏くんが、可愛いって言ってくれた。
その言葉に、声に、微笑みに、優しく心を撫でられて、思わず口角が上がってしまう。
やっぱり、夏くんに可愛いって言われるのは、好きだな。

「よし!じゃあ撮影しようぜ、ってどこで撮る?」

「みっくんは、音楽室の階段のとこでしょ!」

「あの踊り場は絵が飾ってあって、ちょっとオシャレだよね」

「夏は、黒カーテンがあるとこが良さそう!めぐみはそのピンクのクッション持ってれば、どこでもいける!」

「みっくん、僕の案だけ雑だね」


結局、僕は保健室のベッドで撮らせてもらった。
保健室の先生も、なぜかノリノリで撮影に協力してくれたんだ……。

「めぐみ、やっぱり撮るの上手いなぁ」

「ほんと?良かった」

撮影を終えて、三人で写真を見返していると、みっくんが僕の撮った写真を褒めてくれた。
みっくんは予定通り謎の高そうな絵が飾ってある踊り場で、夏くんは音楽室のピアノの近くで。
二人とも僕がカメラマンを担当したんだ。

「めぐみ、カメラ好きなの?」

「えへ、実はそうなんだ」

「中二のときだっけ?誕生日にカメラ買ってもらったんだろ?」

「え、みっくんなんで知ってるの」

「中学のとき話してたじゃんか!」

「……俺は知らなかったな」

「……!」

夏くんが小さな声で呟いて、どこか寂しそうな顔で笑った。
その顔を見て、少し嬉しいと思ってしまった。
僕も、夏くんに関して知らないことがあるとちょっと寂しいって思うけど、夏くんも同じなんだ……!







文化祭の準備は順調に進み、ついに明日が開催日。
夏くんと配布されたパンフレットを見ていると、何やら顔を赤くしたみっくんが近づいてきた。

「どうしたの、みっくん」

「あ、あのー、明日のことなんだけど……花音さんが一緒に回りたいって言ってくれてさっ」

「「おぉ〜」」

「一応、めぐみと夏には言っとこうと思って」

「いいじゃん、楽しんできてね」

デレデレ幸せそうなみっくんを眺め、今日も平和な一日だ……なんて思っていた。のに。
突然、教室の後ろで集まっていた男子達が、この世の終わりみたいな叫び声をあげた。

「ど、どうしたんだろう」

「何かあったのかな」

夏くんと一緒にその男子達の元へ行ってみると、ある一人が持っているメイド服を見つめて、みんな項垂れている。

「おい、どうすんだよう……」

「ごめん、俺のせいで!ちゃんとサイズ見たはずなのに……せめて、もっと早く届けば……」

「いや、確認しなかった俺たちも悪い……でも、どうすっかなぁ。当日はメイド服着た男子が案内!なんて勢いで宣伝しちゃったしよぉ……」

「それ目当てで来てくれる人も多いよな……」

どうやら、ネットで注文したメイド服のサイズが合わず、とてもピンチみたいだ。

「これ、結構小さいよなぁ」

「うん、俺が着ようとしたら、ちょっと破れかけた音がした」

「でも、男子でこのサイズ着れるやつなんて、このクラスに……」

チラッ。
チラッ。
チラッ。

チラッ……?

みんなの視線が、徐々に一人に集まっていく。

「……え、ぼ、僕?」

「っ、い、いる!一人だけ着れる人が!」

「めぐみならピッタリだ……しかも絶対似合う」

「えっ、ちょ、」

「はぁ〜、救世主すぎるんだけど」

心臓がバクバクする。
フリフリのメイド服、
僕だけ、
小さい、
可愛い、
似合う、


『あー化粧とかそういうの?』

『めぐみって可愛い顔してるもんな〜』

『かっこいいじゃなくて、可愛いだな』

『これで化粧とかしたらマジで女じゃん』

『もしかして女装とかすんの?似合いそー!』


蘇る、中学のときの記憶。
僕は男なのに。
自分の心も身体も大事にしたいのに、してほしいのに。
悪意はないと分かってる。
分かっていても、傷つくときは傷つくと知った。


「待って」

「……!」

夏くん。
夏くんの声。
優しくて、温かい声。
大好きな声。

「夏くん……」

「無理やりお願いするのは良くないと思う。めぐみ、困ってるから」

夏くんの言葉によって、その場に静寂が訪れた。
そして、集まっていた男子の一人が口を開く。

「……ごめん、めぐみ、勝手に盛り上がって」

「そうだよな、いきなりこれ着てって言われてもな」

「ちょっと調子乗りすぎたわ、わりぃ」

みんながぽつりぽつりと、僕へ謝罪の言葉を溢す。
その表情や声から、みんなが形だけ謝っているわけではなくて、本当に心から悪かったと思っているのが伝わってくる。
心臓が、苦しいような、じわじわ熱くなるような、言葉に表せない感覚に包まれたとき、僕は口を開いていた。

「着るよ」

「え、そ、それは、」

「もう宣伝しちゃったし、せっかく来てくれるお客さんをがっかりさせたくないもんね」

「「「ま、マジで……⁉︎」」」

みんなの目がきらきらと輝く中、僕を守ってくれた夏くんを見上げた。

「めぐみ、本当に大丈夫?」

「うん……夏くんがそばにいてくれたら、全部大丈夫!」

「……!そっか……うん、ずっとそばにいるよ」

夏くんが「ずっと」って言った瞬間、胸で何かが弾けたみたいだ。


「ねぇ、夏くん」

「?」

みんなが自分の席に戻って、二人きりになってから、そっと耳元で囁いてみた。

「僕ね、今、キュンとするって感覚が分かったかも」

「へ?」

「え、キュンってきっとこれだよね?ね?」

夏くんに詰め寄ってみたけど、意識がどこかへ飛んでいっているのか、曖昧な返事しか聞けなかった。
もう一度、夏くん!と強めに体を揺さぶったら、ハッとしたように僕のことを見てくれた。

「めぐ、み、えっと、なんだっけ?」

「夏くん、疲れてるの?」

「いや、大丈夫……大丈夫だと思う」

「明日、夏くんに可愛いって言ってもらえるように、頑張るね!」

メイクをしても、女の子みたいな服を着ることになっても、夏くんは僕を僕のまま、まっすぐ見つめてくれる。
そんな夏くんからの「可愛い」は、僕にとって、特別なパワーをくれる言葉だから。

「ぁ、っ、うん……うん……」

フリフリのメイド服を握りしめて意気込むと、夏くんは耳を赤くして、「うん」しか言わなくなってしまった。
かと思ったら、いきなり「あ、」と何か思いついたように僕に視線を向けてきた。

「明日……俺がメイクしてもいいかな?」







翌日、午前八時半。

「よし、できた」

鏡の前、目の前に映るのは、確かに僕だ。
だけど……

「僕じゃないみたい……」

「どう?何か気になるところある?」

「ううん、夏くんすごいよ!いつもの夏くんのメイクとも、僕のメイクとも違う……」

「メイド服のめぐみに似合うように工夫してみたんだ。ガーリーな服だから、姉さんにも昨日色々聞いてみたよ」

「そんなに考えてくれてたの……?」

鏡越しに夏くんの優しい微笑みを見て、いてもたってもいられなくて、椅子から立ち上がって夏くんに抱きついた。

「わ、めぐみ、」

「夏くん、ありがとう。本当に嬉しい」

「……ふふ、俺も嬉しい」

「え……?」

「こんなに可愛いめぐみのこと、一番に見れたから」

「っ……!」

そう、この小さな教室では二人きり。
クラス用の控え室で準備するのが恥ずかしいと言ったら、夏くんが実行委員の速水くんと話して、別の部屋を用意してくれたんだ。

「……僕、可愛い?」

照れちゃってしょうがないから、夏くんの胸に顔を埋めて聞いてみた。
ずるいかなぁ。

「可愛いよ、すごく」

夏くんは穏やかな温かい声でそう言って、強く抱きしめ返してくれた。
心臓の、所々凍っていた部分が、そっと溶かされて、今、完全にその温度を取り戻した気がする。

「夏くん、午前中のシフト、一緒に頑張ろうね」

「うん……!」







開場した直後から、コスプレ写真館はそれはもう大繁盛だった。
ありがたいことに、僕のメイド服コスプレを見たいと足を運んでくれる人が多くて、シフトの時間帯はずっと接客や撮影で忙しかった。

でも、夏くんも僕に負けないくらい忙しそうだった。
ずーっと女の子たちに囲まれてた。
やっぱり夏くんは校内でも有名なイケメンで、そのイケメンがヴァンパイアのコスプレをするとなると、ここまで人が集まるものなんだなぁ。

「めぐみ、そろそろシフト交代して大丈夫だぜ」

「みっくん!ありがとう」

正午が近づく頃、次のシフトのみっくんとバトンタッチ。
一気に緊張が解けたせいか、体がどっと重くなってフラフラする。
夏くんが用意してくれた控え室に行きたいけど、一旦クラスの控え室で座って夏くんを待とう。
そう思って、控え室の扉を開けると、

「「「きゃ〜〜〜!♡」」」

「えっ、」

今からシフトに入る女の子たちが一斉に集まってきて、僕にスマホのカメラを向けてくる。

「めぐみん可愛い〜!」

「会えてラッキー!シフト被らないから見れるか分かんなかったからさぁ」

「写真撮ってもいい⁉︎」

「あ、あぁ、うん」

正直、もう結構疲れてるけど、せっかく夏くんにメイクもしてもらったし……と思って、カメラに笑顔を向ける。
今回、ずっとカシャカシャとシャッター音に囲まれて、モデルさんや芸能人の大変さがほんの少しだけ分かった気がする。

「「「めぐみんありがと〜♡」」」

「うん!」

やっと撮影タイムが終わり、女の子たちがぞろぞろと出て行って、

「あ、」

ちょうど、夏くんがシフトを終えて入ってきた。
そして、なぜかみっくんも入ってきた。

「みっくん、仕事は?」

「一瞬だから大丈夫!ほら、そういえば二人で写真撮ってないだろ?着替える前に撮っておこうぜ」

「!うん!」

みっくんに促されるまま、僕と夏くんは横に並んで、ぎこちなくピースをする。
ここまでたくさん撮られたといえども、今日だけで撮られることに慣れるのは難しい。

「ちょっと!めぐみも夏ももっと寄って、ほら!」

「っ!み、みっくん……」

みっくんに強引にむぎゅ、と押しつぶされて、夏くんとの体の距離がゼロになる。
あったかい、いや、熱いなぁ。

「撮るぞー!はいチーズ!」

カシャ、と音が鳴って、みっくんがOKサインを出してくれる。
夏くんの体温が離れるの、なぜかすごく寂しいな、と感じながら、撮ってもらった写真を確認した。

「ふふ、みっくんありがとっ。あとで花音さんと二人で撮ってあげるね!」

「お、おう!さんきゅう……」

「湊斗、ありがとう」

夏くんとお礼を言って、シフトを抜けて来てくれたみっくんを送り出した。

「……」

「……」

このクラス用控え室は、シフト入れ替わりの時間帯以外も、常に何かと騒がしい。
夏くんの目を見ると、僕と同じことを思っているとすぐに分かって、嬉しくてくすぐったい気持ちになった。

「っ……!」

夏くんに優しく手首を掴まれ、そっと教室を出る。
やっぱり、熱いよ。
それに、心臓がすごくうるさい。
こんなにバクバクしてるの、初めてで、僕、どうしたらいいか分からないよ。

「な、夏くん」

「……」

あれ、夏くん、こっち向いてくれない……?
それに、なんか、怒ってる……?
でも、僕の右手首を掴む手は優しい。

何も言葉を交わせないまま、僕たちだけの控え室である二つ先の教室に着いてしまった。
ガラッと扉を開くと、今朝脱いだ制服が目に入る。
メイド服に着替える僕の気持ちを考えて、夏くんは着替えのときだけ目を逸らしてくれていたんだよね。

「夏く、っ、」

扉を閉めた瞬間、夏くんに後ろから抱きしめられた。

「……ちょっとだけ、こうしていてもいい?嫌だったら、すぐ、退くから……」

ドクン、ドクン、ドクン。
胸を強く叩く鼓動が、体全体を内側から震わせる。
浅い呼吸しかできない、なんで、どうしたら、いいの?
でも、でもね、

「……い、嫌じゃ、ない」

辛うじて、どうしても伝えたいことだけは言葉にできた。
夏くんに抱きしめられるのが、嫌なわけなくて。
むしろ、この熱い温度に、もっと触れていたいよ。

「……めぐみ」

「……何?」

「可愛い」

「っ……夏くんだって、かっこいい」

「めぐみ、ずっと囲まれてた」

「そ、それは、夏くんも」

「俺は、めぐみのことばっかり考えてた」

「……!」

夏くんの声が、いつもより弱々しいのに、なんというか、チョコみたいに甘くて、耳にじんじんと残る。
紡がれる素直な言葉が嬉しくて、また、胸でキュンという音が弾けた。

「……僕も、実はずーっと夏くんのこと考えちゃったよ」

「……そう、なの?」

「うん。いつも夏くんと一緒にいるのは僕なのに、今日は知らない人たちがたくさん夏くんと話したり、写真撮ったりしててさ。羨ましいし、ちょっとだけムカムカしちゃった!」

「えっ、めぐみって、ムカつくことあるんだ」

「なんで⁉︎ いっぱいあるよ!」

思わず、くるりと体の向きを変えて夏くんに向き合うと、想像以上に赤い顔と熱っぽい瞳が目の前にあって、ぎゅぎゅっと僕の体温も上がってしまった気がする。

「ぁ、っ、その、だから、僕だって、ムカつくことは、あるんだよう……」

恥ずかしくて堪らなくて、僕はもう、俯くしかなかった。

「……ふふ、そっか。シフト中、俺たち同じ気持ちだったんだね」

「……!」

パッと顔を上げると、笑顔の夏くんに頭をくしゃくしゃと撫でられた。
そんなにふんわり微笑まれたら、ヴァンパイアだって全然怖くないじゃないか。

「お昼一緒に食べて、午後はゆっくり回ろうね」

「夏くんは、やっぱりメイクし直すの?」

「うん、さすがに血を流してたら驚かれちゃうよ」

「ふふ、そうだね」

ああ、幸せだなぁ。
夏くんが僕だけに見せてくれるものが、確かに今ここにあって、それがすごく嬉しくて。
ずっとずっと、夏くんと一緒に笑っていたい。

賑やかな文化祭の中、密かに存在した二人きりの空間で、僕たちの距離はものすごく近くなったと思う。
それでもまだ、限界というものは見えない。
まだ、夏くんに近づきたい。
もっと、夏くんと―――。

この日、僕は、初めてそれを自覚したのかもしれない。