君の色を教えて

 初めて夏くんとお買い物をしてからというもの、僕たちは毎日駅まで一緒に帰って、たまにコスメを見に行ったり、気になるカフェに入ってみたりしている。
みっくんはサッカー部に入ったから、放課後は忙しそうだけど……たまに部活が休みの日は、みっくんも一緒に三人で遊ぶこともあるんだ。

 しかし、五月。そんな僕たちに、最初の試練が訪れた。

「ダメだ……俺、古文できる気がしないぞ……」

「みっくん!まだ再開してから五分しか経ってないよ」

「だってぇ……」

五月の試練、そう、それは……高校初の中間テストだ。
テスト期間の放課後は、自分たちの教室の他にも、空き教室や図書室、職員室付近の個別ブースなどが開放され、自由に自習をしていいことになっている。
僕たちは同じクラスだし、自分たちの教室が落ち着くからという理由で、机をくっつけて自習をしているというわけだ。

「夏ぅ、めぐみが厳しいよう。助けてくれよう」

「んー……古文は最終日だし、気分乗らないなら他の科目にしたら?」

「はっ!それだっ!」

「みっくん……」

みっくんはそれはもう嬉しそうに古文の教科書を片付けて、一日目にある数学のワークを取り出した。

「いや〜、やっぱ数学しか勝たん、だよな!」

「みっくん、数学は好きなんだよね。羨ましい」

「数学はさ、本質を理解すれば結構いけちゃうからねぇ」

みっくんは、先ほどのへにょへにょはどこへやら、急にドヤ顔になってワークをすごい速さで解き始めた。
うん、まあ、やる気出たみたいで良かった。

「めぐみ、化学基礎のワークの答え持ってる?」

「うん!使う?」

「ありがと。家に忘れちゃって」

夏くんはちょっと申し訳なさそうに微笑んで、僕の差し出した解答冊子を受け取った。
赤ボールペンを手に取って、静かに答え合わせを始める。

「……」

真剣に模範解答を見つめる眼差し、腕まくりによって顕になる綺麗な肌、ペンを握る大きな手……。
丸つけしてるだけなのに、なんでこんなにかっこいいんだろう。

夏くんに勇気をもらってから、僕も毎日スクールメイクをしてるけど、やっぱり夏くんは僕と比べものにならないくらい素敵だ。
うーん、これは多分、メイクや元々の顔の造形とかの問題じゃなくて……もっとこう、内側からくる何か、なのかな。
性格は外見に出るって聞いたことがあるけど、まさにその通りで、夏くんの澄んだ優しさが……オーラになって……

「……?めぐみ?」

「っ!」

まずい、また見惚れてしまった。
誰かに見つめられてたら、夏くんだって集中できないよなぁ。

「ごめん、解答使う?」

「っ、ううん、大丈夫」

慌てて視線を化学基礎のワークへと戻したけど、ちょっぴり動揺しててすぐには頭が働かない。

「よっしゃ!数学のワーク制覇したぜ!」

「「はやっ」」

僕が夏くんに見惚れている間に、みっくんは数学のワークの課題を終わらせてしまったらしい。
うぅ、なんか悔しい。
けど、夏くんを見ちゃうのは不可抗力だもん。

「って、夏も化学終わりそうじゃん!はやっ!」

「え⁉︎」

みっくんと一緒に夏くんのワークを覗くと、なんということだ、範囲の最後の二ページまで終わっているじゃあないか。

「夏くん、化学得意なの?」

「得意かは分からないけど……興味はあるよ」

「なんで?」

「化粧品の知識と結びつく科目だからかな」

「おおっ!なるほど!夏ってメイク上手だもんな〜。やっぱり将来は化粧品メーカーとかで働くのか?」

「……うーん、どうかな」

「……!」

夏くんの表情、ほんの、ほんの一瞬だけ、苦しそうに見えた。
僕の見間違いかもしれないくらい、些細な変化だったけど。

……夏くんは僕に出会うまで、何を見て、何に触れて、誰と過ごしてきたのだろう。
知らないことがあるということは、決して悪いことではないと思っているけれど……。
夏くんの顔が曇ったとき、何もできないのは辛いよ。

夏くんが話したいと思う日が来たら、僕に、全部―――。

「ぬわっ‼︎」

「「っ!」」

突然、みっくんが大声で立ち上がった。
その手にはスマホが握られている。

「みっくん、何かあったの?」

僕の声は届いてないのか、みっくんはスマホを握る手をぷるぷる震わせながら、口をぱくぱくさせている。

「湊斗?」

夏くんも不思議そうにみっくんの名前を呼ぶ。
すると、やっと僕たちに見つめられていることに気づいたみっくんは、ふぅー、と大きく深呼吸をして口を開く。

「……いいか、お、おおお落ち着いて聞けよ」

「みっくんが落ち着いて」

「なんと、今、俺の元に一通のメッセージが届いた」

「誰?」

「夏!まあそう焦るなって!」

あ、これはなんか、みっくん……めちゃくちゃ喜んでるな?
夏くんも同じように思っているのか、目配せしてみるとふっと微笑んだ。

「なんと!この俺に!……鈴木花音様から、デートのお誘いが届いた」

「「……えっ⁉︎」」

「驚くのも分かるさ。だって……お、俺が一番驚いてるもん……」

あ、沸騰してぷしゅーってなっちゃった。
顔が真っ赤で心配になるよ。

「……一応聞くけど、なんて言われたの?」

「す、数学ぅ……」

「え?」

「だからぁ……数学の勉強教えてほしいって……」

机に突っ伏してふにゃふにゃしてるみっくんを、夏くんと二人でぼーっと眺める。

「……湊斗、それってデートなの?」

「二人きりだぜ。デートじゃん……」

「みっくん、二人きりで、なんて一言も書いてないよ」

「あぁっ!めぐみ、いつのまに俺のスマホをっ……!」

みっくんにスマホを返すと、画面を穴が開きそうなほどじいっと睨んで、確かに二人きりじゃないかも……と落ち込んで、ぺしょ……とまた顔を伏せてしまった。

「……二人きりかどうかは分からないけどさ。頼ってくるってことは、尊敬されてるんじゃない?」

夏くんが優しい声でそう声をかけると、みっくんはガバッと顔を上げて希望に満ち溢れた瞳を輝かせた。

「そ、そうなのか……俺、尊敬されてるのか」

あからさまに生き生きとした表情になるから、本当に見ていて面白い。
みっくんの恋が進展しそうで、なんだか僕もワクワクしてきちゃった。

「そうだね。仲良くなりたい気持ちがなかったら連絡しないし、少なくとも友達にはなりたいんだと思うよ」

「めぐみぃ……!夏ぅ……!」

「みっくん、これって、脈アリってやつじゃないの?」

「うん。チャンスだよ、湊斗」

「っ!お、俺、数学オリンピックで優勝する……!」

「「あれ、なんかズレた」」

このあと僕たちは、思考が飛躍したみっくんにソーダ味のアイスを食べさせながら、数分かけて冷静にさせた。







戦いの時はすぐに訪れた。
翌日の放課後、僕と夏くんはフリースペースの端っこの方の席で息を潜めていた。

「みっくん大丈夫かなぁ……」

「結局、雪乃さんと三人なんだね」

そう、僕たちはみっくんの初めてのデート……ではなくて、勉強会を見守っている。
直前までど緊張していたみっくんだったけど、雪乃さんが間に入ってくれていることもあって、結構普通に話せているように見える。
というか、みっくんって、僕らの前ではふにゃふにゃしてるけど、好きな子の前ではちゃんとかっこつけてるもんなぁ。

「湊斗って意外と、やるときはやる、って感じだな」

「あ、夏くんもそう思う?」

「うん。色々言ってるけど、いざというときは、ちゃんとかっこいいなって」

「おぉ……!夏くんにかっこいいと言われるみっくんすごい……!」

なんだか、遠くで花音さんと話してるみっくんが、ぴかぴか発光して見える。

「湊斗って、これまでも好きな人ができたらこんな感じだったの?」

「そうだなぁ……確かに中学のときも、ふにゃふにゃしてうるさかった時期があったような……でもあのときは先輩だったから、ずっと見てるだけだったかも」

「へぇ。俺も見たかったな」

「えっ」

「……?」

夏くんの言葉にドキン!と心臓が飛び跳ねた。
みっくんが片想いしてた先輩を夏くんも見たかったっていうことは……夏くん、もしかして年上がタイプなのかな⁉︎

「っ!ま、待って、めぐみ、違うよ」

「へ?」

「あ、いや、俺が見たかったのは、その……中学の頃のめぐみと湊斗のことで……」

「えっ……!」

夏くんは右手の単語帳で顔を隠しながら、だんだん小さくなる声でそう言った。
夏くんの耳が赤いのを見て、僕の胸は、嬉しい気持ちとくすぐったい気持ちでいっぱいになる。

「へへ、僕ももっと前から、夏くんと友達になりたかったなぁ」

夏くんがチラリと単語帳から目だけを覗かせたから、にんまりと見つめてみたら、またまた顔を隠してしまった。
夏くんがこんなに照れてるのは珍しいから、特別な気分。

「よしっ!英語の課題、絶対終わらせるんだっ」

張り切って腕まくりをして宣言すると、夏くんはやっと顔を見せて笑ってくれた。
まだ、ほっぺはほんのり赤いけど。

「……うん、頑張れ」

ぽん、と頭に置かれたのは、夏くんの手。
ただそれだけで、夏くんの温かさにすっぽりと全身を包まれたような感覚になった。







「終わったぁ‼︎」

「はー開放感すごいや」

長い長い中間テストが、本日ついに終了を迎えた。
中学のときより難しいしプレッシャーも大きかったけど、その分終わったときの達成感は半端じゃない。

「めぐみ、一番自信あるの何?」

ぐいーっと伸びをしながら、同じく達成感に満ち溢れた笑顔のみっくんが尋ねてくる。

「うーん、英語かなぁ」

「マジで⁉︎ 最初のテストの割には結構難しかったと思うぞ……」

「めぐみ、湊斗、お疲れ様」

「おー!夏!夏は自信ある科目とかある?」

「自信……まあ、化学基礎は一番マシだと思う」

夏くん、自習のときも化学いっぱい勉強してたもんな。
やっぱり、化学好きなのかな。
お化粧品の資格とか、いつか取るつもりなのかな。
でも、前のみっくんとの会話からすると、仕事にしたいわけでも、ないのかな……。

「さて!どうする?」

「どうするって、何が?」

「おいめぐみぃ。いいか。テスト終了。今日は昼で下校。そして俺の部活もないっ!そんなの……遊ぶしかな「あのっ!」

みっくんがキリッとした顔で僕たちに遊ぼうと言おうとしたとき、突然みっくんの背後から可愛らしい声が聞こえた。

「っ⁉︎ か、花音さん?」

そう、みっくんに声をかけたのは、みっくんの片想いの相手、鈴木花音さんだった。

「ど、どうしたの?」

「ぁ、えっと……」

……ん?んん?
花音さんの顔、赤い。

「そ、その、もしよかったら、なんだけど……」

これは……もしや……!と思い、夏くんと目を見合わせて、それに続く言葉を待つ。

「う、うん?」

「もしよかったら……こ、この後、一緒にお昼ご飯食べに行きませんか!」

「はぇ?」

みっくん、驚きすぎて空気の抜けた変な声が出てるよ!
頑張れみっくん!
これは、超特大チャンス!
心の中で大きなメガホンを持って、必死にエールを送る。

「その……勉強教えてもらううちに、湊斗くんと、もっと仲良くなりたいって思って……」

花音さんの小さく震える声が、この瞬間に込められた勇気を物語っている。
自分が何かを言ったわけでも、言われたわけでもないのに、ただ見ているだけで……こんなに緊張するし、ドキドキが止まらないんだもん。
きっと本人は、この何十倍も心臓がうるさく鳴っているだろう。

「ぁ、そ、そっか……えっと……俺も、仲良くなりたいので、ご飯、行こう!」

「……!ほんと?嬉しい!」

「へへ……あっ、雪乃さんも一緒なの?」

「ううん、雪乃は彼氏とデートだから」

「っ!か、彼氏……」

「う、うん……え、っ、ぁ、その、」

「い、行こっか!じゃあ、またな!めぐみ、夏!」

みっくんは自爆して、しっかり真っ赤な顔になった状態で、僕らに手を振って教室を出て行く。
雪乃さんと彼氏さん、そして花音さんとみっくん……ってなると、やっぱり余計に意識しちゃうよなぁ。
でも、みっくんはやるときはやる男!
きっと花音さんと楽しくデートできるはず!

「……めぐみ」

「ん?」

「湊斗も行っちゃったし、二人でどっか行く?」

「うん!あっ、僕ね、テスト終わったら夏くんと行きたいなって思ってたカフェがあって……」

スマホをポケットから取り出して、ブックマークしておいたSNSの投稿を夏くんに見せる。
夏くんは優しい表情で少し屈んで、僕の見せたクレープの画像を覗き込んでくる。

「へぇ、ねこねこクレープ?」

「うん!新商品なんだって。すっごく可愛くない⁉︎」

「ふふ、可愛いね」

どきゅ、と心臓を掴まれた。
だって夏くん、僕の目を見て可愛いって……!
いやいや、もちろんクレープのことだって分かってるけど、夏くんに可愛いって言われると、どうしたってキュンとしちゃうんだ。







お目当てのカフェに行くと、平日のお昼にも関わらず、店内では何組かのお客さんが順番待ちをしていた。

「混んでるね……どうしよう、夏くん待つの平気?」

「俺は大丈夫だよ。名前、書いとこうか」

「あ、ありがとう」

僕が順番待ちリストの紙の前で迷っていると、夏くんが後ろからペンを取って、サラッと名字を書いてくれる。
夏くんとの距離がとっても近いから、背中でその体温を感じるし、いい匂いも香ってくる。
お揃いのボディミストをつけているはずなのに、やっぱりその中には僕にはない夏くんだけの香りがあって、ふわりとときめくし落ち着くんだ。

「待ってる間にメニュー見てみる?」

「うん!」

ちょうど二人組のお客さんが呼ばれて椅子が空いたから、夏くんと一緒に腰掛けてメニューを開いた。

「楽しみだなぁ……ん?えーと……」

一番最初のページにドーン!と大きく載っていたのは、お目当ての新商品・ねこねこクレープと……
期間限定「カップル割引サービス」の文字。

「かっぷる……」

「カップルで注文すると、安くなるんだね」

「へぇ。みっくんに教えてあげようかなぁ」

誰かと付き合ったことなんてないし、カップル限定のサービスなんて全く縁がないから、こうやって偶然遭遇するとなんだか新鮮でソワソワしちゃうなぁ。

「それにしても、やっぱりねこねこ可愛いや……」

「……めぐみ、」

「ん?」

夏くんに呼ばれてその顔を見上げると、なぜか少し不安気な瞳で僕のことを見ていた。

「その……俺で良かったの?」

「え?」

「一緒に来るの、俺で、良かったのかなって」

「なんで?」

夏くんはこんなにかっこよくて優しくて素敵な人なのに、どうしてそんなに自分のことを低く評価するのかな。
僕は純粋に不思議に思う。
夏くんは自分の魅力に鈍感すぎるよ。

「……ほら、彼女、とか、いないの?」

「かのじょ……?」

夏くんの口から「彼女」という日本語が出てきて、僕の頭の中には壮大な宇宙が広がった。
僕に?彼女……?
彼女……カップル……期間限定……割引!

「……えぇ!夏くん!割引のこと心配してたの?」

「う、うん、まあ……」

「なんだよもう。割引があってもなくても、僕は夏くんと一緒に食べたいの!」

「っ、ぁ、そう……ですか……」

「そ、それに、か、彼女なんていないよ、ずっと……」

いつのまにか待っているのは僕たちだけになっていた。
二人きりのスペースでは、同じ店内にいるはずのお客さんや店員さんの声が、随分と遠くから聞こえるように感じてしまう。

「……俺も、いないよ」

夏くんは照れを隠すように口元を覆いながら、ぽつりと呟いた。

「で、でも、夏くん、好きな人はいるんでしょ?」

「えっ?俺、そんなこと言ったっけ……」

「前にみっくんが『好きな人はキラキラしてる』って言ったとき、夏くんが『分かるよ』って言ってたから……」

それを聞いた日から、心のどこかで、ずっと気になってた。
夏くんの心を魅了しちゃうような人って、一体どんな人なのか。

「言ったっけ……覚えてない」

「言ったよう」

夏くんは本当に覚えていないのか、目を閉じてうーんと唸ってしまった。
しばらく夏くんの熟考するお顔を眺めていたら、夏くんはゆっくり口を開いた。

「……まあ、好きな人がいたことはある、かな」

「……!」

「でも、今は何もないんだ。それは本当」

そう零した夏くんの顔を見て、頭より先に体が動いてた。

「っ!め、めぐみ?」

「っ……」

夏くんを抱きしめていた。
ぎゅうっと、抱きしめていた。

「めぐみ……?どうしたの?」

「ごめん……でも、夏くんが、すごく、辛そうだったから」

「……!」

ひどく傷ついた顔をしていた。
簡単には癒えないような。
心の繊細で柔らかなところから、今もドクドクと流れ出してくるような。
見ているだけで、あまりにも痛そうで、何かしてあげたいと思うのに、抱きしめることしかできないと気づく。

「……めぐみ」

「っ!ご、ごめん、僕、急に……」

夏くんの声にハッとして、ここがカフェだったということを思い出す。
慌てて夏くんから離れたら、夏くんにそっと手を取られた。

「めぐみ」

「っ、」

「ありがとう。めぐみはやっぱり優しいね」

夏くんの微笑みの奥に、やっぱりまだそれは存在していて、きっとこれからも完全に消えることはないのだと思う。

「二名でお待ちの篠崎さーん」

「はい。……行こっか、めぐみ」

「うん……」

それでも、僕がこの手を握ったら、夏くんの中の何かを、少しは温められるかな?
夏くんの過去も今も未来も、おひさまみたいにあったかく包み込めたらいいのに。
そんな願いを抱きながら、前を歩く夏くんの背中を見つめていた。