「ほぇ……」

夏くんと、リップを買いに放課後の寄り道。
大きな駅のショッピングモール内にある、コスメのラインナップが豊富なドラッグストア。

きらきら。きらきら。
目に映るもの、全部が輝いて見える。

「さっき言ったリップ、こっちにあるよ」

「!うん!」

夏くんに優しく手を引かれるまま、リップがずらっと並べてある棚の前へ歩いていく。

「すごい、なんか前より色の種類増えてない?」

「増えたよね。俺が使ってるのは、最初からあるこれだけど……」

夏くんは自分の持っているカラーのテスターを取り出して、蓋を開けてみせる。

「わぁ、やっぱり素敵な色だね」

「程よく明るくて使いやすいよ。手の甲に塗っていくつか比べてみる?」

「うん!」

夏くんは備え付けのティッシュで表面をそっと拭き取った後、僕の手をやさしく取って、手の甲にリップを滑らせてくれる。
一連の動作がスマートで、まるで王子様がお姫様にするみたいにかっこいい……せっかくこんなにかっこいいのに、相手がお姫様じゃなくてごめんよ、夏くん。

「うん、いい感じ。他に気になる色はある?」

「うーん……このコーラルピンクとか……」

「ふふ、いいね、塗ってみよ」

僕がいくつか気になる色を言ってみると、夏くんは同じように、丁寧に手の甲に色をつけてくれる。
色んな色を見ているだけで、ワクワクして楽しくなっちゃって、はしゃぎすぎているかなって一瞬不安になったけど……。

「ん?他にもありそう?」

「っ!ううん、このくらいでいいかな」

夏くんがすっごく柔らかい笑顔で僕を見てくれるから、安心して、どうしようもなく嬉しくって、胸がぎゅーっと熱く締め付けられた。

「どう?気に入った色あるかな」

夏くんが手の甲に並べてくれた色を眺めて、うーんと唸る。

「……あんまり、ピンとこない?」

ハッとして夏くんを見ると、少し不安気な瞳で僕の顔を覗き込んでいたから、慌てて首を振った。

「そ、そうじゃなくて!どれもいいから、迷っちゃって……」

「……!そっか、なら良かった」

「その……このコーラルピンク、僕が塗っても大丈夫かな?やっぱり、もっと地味な色の方が馴染むかな……」

「似合うよ、絶対」

「っ!」

「めぐみなら、絶対すごく似合う」

はっきり、まっすぐ、夏くんはそう言い切ってくれた。
憧れの人がくれた温かい言葉は、いとも簡単に僕の背中を押してしまう。

「……僕、これ買ってみようかな!」

「ふふ、いいと思うよ」

「夏くん、一緒に選んでくれてありがとっ」

「……!どういたしまして。って、待って、めぐみ、制服にリップついちゃうからストップ」

「うわぁ!」

「手の甲拭くから!はい、手貸して」

「う、うん……」

夏くんのパワーはすごい。
何年かけても拭えなかったものが、この短時間で、まるでリップのテスターのように、夏くんによって綺麗に拭き取られてしまった。

「ありがとう、夏くん」

「めぐみの新品の制服を守れて良かったよ」

「あはは……ほんとに危なかった……」







「お会計〜〜円です」

「!ぁ、は、はい……」

結局あれから、リップだけでは満足できず、夏くんの優しさに甘えて他のコスメも色々と物色してしまった。
その結果……予想の数倍のお会計を言い渡されたわけだ。
まあ、お財布に入っている現金でも、余裕を持って払えるくらいだけど。

「めぐみ、お金大丈夫そう?」

「うん!全然大丈夫だよ」

「……」

なるべくお釣りがキリのいい数字になるように、と小銭を漁っていたけど、僕はこういうのモタモタしちゃって時間がかかるから、諦めてお札だけを出した。

「お釣り〜〜円です、ありがとうございました〜」

店員さんにペコリとお辞儀をしてからお財布の中身を整理して……。
よし、と顔を上げると、ドラッグストアのすぐ近くに、SNSで話題の期間限定いちごみるくスムージーが売ってあるカフェを見つけた。

「っ、夏くん!」

「?どうしたの?」

「あのカフェで、何か飲んでから帰らない?」

思わず夏くんの腕を掴んで誘ってしまった。
夏くんは目をぱちくりさせている。

「あっ、でも、甘いの苦手だったら、全然……」

いくら夏くんが優しいからって、ちょっと強引すぎたかなぁ……なんて不安はすぐに吹き飛んだ。

「甘いの好きだよ。俺も行きたい」

「……!へへ、良かった。行こう、夏くん!」

夏くんが僕に笑いかけてくれるのが嬉しくて、夏くんの手を取ってカフェの列まで駆け足で向かった。


やはり人気のカフェというのもあって、注文の列は少し長かったけれど、待ち時間さえ、夏くんと一緒なら全然苦にならない。

「夏くんは、どれにする?」

「……」

チラリと夏くんを見上げると、どこか上の空のようなぼーっとした目で、少し前に並んでいる学生カップルを見ている。
カップルの女の子の方は長い髪をくるくると巻いていて、とっても可愛らしい顔をしている。

夏くん、ああいう女の子がタイプなのかな?
そういえば、夏くんって好きな人いるんだもんな。
……ああ、ダメだ、また変にドキドキしてきちゃった。

「な、夏くん!」

「ん?」

腕を掴んで名前を呼んだら、今度はちゃんとこちらを向いてくれた。

「えっと、夏くんはどれ飲むの?」

「んー、そうだな……めぐみは?」

「僕はいちごみるくスムージー!だけど、カフェオレスムージーも美味しそう……」

「じゃあ、その二つにしよう。半分こしたらどっちも飲めるし。あっ、もちろん、めぐみが嫌じゃなければ、だけど……」

「えっ、いいの⁉︎ 夏くんと半分こなんて、嫌なわけないよ!でも、夏くんが飲みたいのを頼んでいいのに……」

そんな会話をしていたら、いつのまにか注文の順番が回ってきてしまった。
どうしようと焦る僕の代わりに、夏くんがさらりと注文をしてくれる。

「いちごみるくスムージーとカフェラテスムージー、一つずつください」

「サイズはどうなさいますか?」

「どうする、めぐみ」

「ぁ、ふ、普通のやつで……」

「じゃあ、Mサイズで」

危なかった……。
注文をスマートにしてくれる横顔に見惚れていたから、不意打ちでサイズを聞かれたときにテンパってしまった。
かっこいい人は何をしてもかっこいい。
本当に、すごいや。



まもなく注文したドリンクを受け取って、僕らはちょうど空いていた端っこの席に座った。
結構混んでいるから、タイミングよく座れたのはラッキーだと思う。

「わぁ……美味しそうだぁ……」

「ふふ、可愛い」

「えっ」

心臓が一瞬止まったかと思った。
僕へ向けた「可愛い」という言葉。

「……ん?……あ、えっと、ごめん」

違う、違うよ夏くん。
僕は驚いているんだ。

「な、なんか、」

「……?」

驚いた。
だって、可愛いって言われたのに、こんな、こんなに―――。

「なんか、今、すごく嬉しかった」

「……!ぁ、そ、そう、なの?」

「うん……」

「っ……よ、良かった」

「うん……」

ふわふわとした温かさと甘酸っぱさが胸に広がって、こういう感覚を、幸せと呼ぶのかもしれない。

「……めぐみ」

「?」

「その……ごめんな」

「え……なんで?」

夏くんは少し俯いて、なぜか悲しそうな表情で謝ってくる。

「夏くん?」

「……俺、浮かれてたんだよ。めぐみがメイクに興味を持ってるって知って、嬉しくてさ。その気持ちのまま、今日は誘っちゃって。結局、色々他にも見ちゃったけど……その、無理してない?俺が連れ回しちゃったから、買わなきゃとか、」

「無理なんかしてないよ!」

「っ!」

「む、むしろ、夢なんじゃないかってくらい、楽しくて仕方なかった……買ったものも、全部全部、心の底から欲しくて買ったんだよ」

「めぐみ……」

夏くんの表情が少しずつ明るくなる。
まさか、僕が無理をしているかもしれない、なんて、そんなことを心配してくれているとは思わなかった。
でも、よく考えたら……
僕がそうであったように、夏くんだって、誰かに自分の「好き」を話すこと、本当は不安で、すごく勇気がいることだったんじゃないかな。

「……僕ね、」

「?」

「小学六年生のとき、テレビ見たアイドルの男の子に憧れて、初めてメイクしてみたいって思ったんだ」



⚪︎



「ねぇねぇ、お母さん。リップって持ってる?」

「持ってるわよ。でも急にどうしたの?」

「さっきテレビに出てた男の人、すごくかっこよかったんだ!僕もあんな風になりたくて……」

「あら、お母さんもあのグループ好きよ。みんなかっこいいわよね」

「でしょ!その人たち唇がぷるぷるで綺麗だったんだ。だから、僕もリップ塗ってみたくて……」

「ふふ、でもせっかくなら、お母さんのじゃなくて、自分のリップ買ってみたらどう?」

「えっ!いいの⁉︎」

今思えば、リップを塗りたいだなんて言った僕のことを、何ひとつ否定せずに受け入れてくれた母さんは、本当に優しくて理解のある人だったと思う。
母さんに連れて行ってもらったドラッグストアで、僕は初めてリップを買った。
そのときは、ほんのり自然に色がついて保湿もできるリップを、母さんが一緒に選んでくれたんだ。

僕は家にいるときだけ、リップを塗って楽しむようになった。
勉強と関係ないものを持って行って先生に怒られるのは嫌だったし、学校のみんなにリップを塗った顔を見せるのは少し恥ずかしかったから。

中学生になると、クラスで誰が可愛いとか、かっこいいとか、そんな話をする人が増えた。
僕だって男女問わず素敵だなと思う人はいたけど、それよりもずっと興味があったのは、女の子たちが話すメイクやオシャレの話題だった。

「〜〜でさ、めぐみはどう思う?」

「へっ⁉︎」

「なんだよー、聞いてなかったのか?」

「あっ、ごめん、女子の話が面白そうでつい」



「あー化粧とかそういうの?」

「めぐみって可愛い顔してるもんな〜」

「かっこいいじゃなくて、可愛いだな」

「これで化粧とかしたらマジで女じゃん」

「もしかして女装とかすんの?似合いそー!」



投げかけられる言葉に、胸が重苦しくなった。
その男子たちは別に意地悪な人たちじゃなかったし、きっと悪意は特になくて、軽いノリで言ってるだけだって、僕も分かってた。
分かってたけど、だからと言って傷つかないわけじゃなくて。

僕はメイクに興味があるけど、女の子になりたいわけじゃない。
僕は男の子の服が好きだし、この身体に違和感を覚えたこともない。
これまでも、これからも、男として生きていきたいと思っている。

だけど、そんな大切な気持ちを真剣に伝えるような空気でもなかったし、その場は愛想笑いをして流したんだ。


その日以降、
かっこよく美しくなりたいと思うたび、
メイクをしてみたいと思うたび、
ちくりと胸に何かが引っかかって痛んだ。

誰かに否定されたくなくて、傷つきたくなくて。
そのためには本当の自分を隠すしかないのかな?って。
ずっとずっとモヤモヤしていた。



⚪︎



「……だから、夏くんを見たときね、感動したんだ」

「感動……」

「堂々としてて、メイクもすっごく似合ってて、昔の僕が憧れたアイドルよりもかっこよかった。やっぱりメイクっていいよねって、素敵だよねって、隠してた気持ちが溢れてきたんだ」

「めぐみ……」

「それに、あんなに言われてモヤっとしてた『可愛い』って言葉……夏くんに言われたらね、なんでか分からないけど、嬉しくて仕方なかった」

「……!」

「あ、えっと、なんか長々と話しちゃったけど、つまりさ!僕はメイクも夏くんも大好きだから、今日ここに来たんだ。僕だって楽しくて浮かれてる……だから、無理してるなんて、そんなこと思わないでよ」

一気に色んなことを喋りすぎて、なんだか体温が上がった気がする。
夏くんに安心してほしくて必死で話してたから、変なこと言っちゃったかな。

「の、喉乾いたからスムージー飲もうっと……」

「めぐみ」

「?っ!」

ストローをちゅう、と吸ったと同時、夏くんを見ると、その瞳が潤んでいたから、びっくりしてスムージーを勢いよく飲んでしまって、ちょっと咽せた。

「っ、な、夏くんどうしたの?」

「……ありがとう」

「え……僕、何も……」

「めぐみにそんな風に思ってもらえて、嬉しい」

夏くんがふっと微笑んだら、その目の端から涙が頬に伝ったから、そっとその頬に手を伸ばして拭った。

「っ、めぐみ、」

「僕からも、ありがとう。夏くんに出会えて良かったなぁ」

夏くんのほっぺ、いつもより赤い。
触れたら、こんなにもあったかいんだね。

「……俺さ、本当は、めぐみが思ってるようなかっこいい人間じゃない」

「……」

「でも、いつか、めぐみには話すからさ……そのときは、聞いてくれる?」

夏くんは頬に触れていた僕の手を両手で包んで、僕にそう問いかけてきた。
答えなんて一つに決まってるのに。

「うん!夏くんが話したくなったら話してよ」

「……うん、ありがとう」

夏くんは安心したように笑って、カフェオレスムージーをやっと口に含んだ。

「ん、これ、美味しいね」

「ほんと?いちごみるくも美味しいから、好きなだけ飲んでね……って、いや待って。そういえば夏くんがお会計してくれたんだ!」

払うのを忘れるところだった、危ない危ない……と、お財布を取り出そうとしたら、その手を夏くんに掴まれた。

「いいよ。今日は俺の奢り」

「え!ダメだよ、そんな、」

「じゃあ、代わりに写真撮ってもいい?」

「えっ」

「ほら、こっち寄って」

「ええっ!」

夏くんに言われるがまま、スマホの画面に入るくらいまで顔を寄せ合う。
綺麗な顔がすぐ近くにあるから、急激に心臓がうるさくなって、顔がぶわりと熱くなる。
こんな顔が夏くんのスマホに残るなんて恥ずかしいや……。

「うん、いい感じ。めぐみとの初ツーショだね」

「うぅ、ちょっと恥ずかしいけど……僕も、夏くんとの写真は嬉しいな」

「ふふ、あとで送っとくよ」

「へへ、やったぁ」

放課後のたった二時間ちょっと。
本当に短い時間なのに……
夏くんとの心の距離が、ぐっと縮まったように感じた。







瞼に、ささやかなきらめきを乗せる。
唇を、お気に入りの色で彩る。
ただそれだけで胸がときめいて、足取りは軽くなる。

「おっ、めぐみ!おっはよー……ん、なんか今日のめぐみ、いつもと違う!」

「みっくん、分かるの?」

「湊斗、さすがだな」

「なんだよ、夏も気づいてんのか〜。待てよ、どこが違うか絶対当ててやる……」

みっくんはしばらく僕のことをじろじろ見た後、分かった!と目を輝かせた。

「なんか目がきらきらしてる!それと、唇がぷるぷるってなってる!」

「へへ、すごい、ちゃんと当たってるよ」

「めぐみ、すごく似合ってる」

「夏くん……ありがとう!」

勇気を出して良かった。
だって、こんなにも世界が輝いて見える。
心の底から、自分らしく笑える。

「めぐみ、なんか大人っぽくなったなぁ。俺もなりたい……そして花音さんに挨拶するんだ……」

「えっ、みっくん、挨拶もしてなかったの⁉︎」

「めぐっ、お前なぁ、いいか。挨拶ってのはな、ある意味最大の難関で、」

みっくんが一生懸命に何かを語ろうとしてるところに、ちょうど花音さんと雪乃さんが教室に入ってきた。
僕と夏くんは目を見合わせて、みっくんの背中をぽん、と押した。

「あっ、お前ら、っ!」

「!湊斗くん、おはよう」

「えっ、俺の名前……!じゃなくて、か、花音さん!雪乃さん!おはようございます!」

みっくんは顔を赤くしながらも、挨拶できて嬉しそうだ。
みっくんはちょっとうるさいけど、昔から僕と仲良くしてくれた優しい人だから、上手くいくといいな。
密かにみっくんの恋の成就を願いながら、夏くんと一緒にその様子を見守る、そんなぽかぽかした朝だった。